2007年08月27日
個の力不足とは単にヘタだということ
あたかも少女売春を援助交際と言うが如し。
各年代のサッカー日本代表の敗因の一つにあげられるのが「個の力不足」だ。
しかしこれ、単にヘタだと言うと選手に悪いので体よく言い直しているに過ぎないのではないか。
もったいぶった言い方に直しただけで何かたいそうなことを言っているつもりになっていないか。
本当に必要なのは何か、を考えずに済ませていないか。
それが気になっている。
負けたとたんに「頭を切り替えて」と、常套句のように繰り返される愚かしさ。
オシム監督がアジア杯について会見を開いてはどうかと言っているのに応えない腰の引けたメディア。(おそらく読者や視聴者のニーズが無いという理由だろう。)
頭を切り替えて、というのは負けたからといって落ち込むな、という落ち込むことを前提としたなぐさめの言葉であるが、ぼくはむしろ頭を切り替えてはいけないといいたい。
たとえば、U-17のフランス戦。あれを徹底的に選手と指導者たちは見直してみるべきだ。(やっていたら失礼。しかし繰り返しおなじような欠陥が見られる以上あまり有効な分析は行われていないと感ずる。)
ビデオを数十回は見直し、いったい日本のどこが悪かったのか、フランスのどこがよかったのか、どの要素が劣っていたのか、テクニックなのか(敵を近くにしてのトラップなのか実践的なシュートの確率なのか)、判断なのか(大局観としてのいますべきことをわかっているかどうか、球を受けてからのすばやい判断力なのか)あるいは”体力”(これもあいまいな言葉かもしれない。持久力なのか足の速さ)なのか等々を明らかにすべきだ。
細かな個々のプレーについてどこでどうプレーすべきだったのか、それを実現するにはどうしたらよいのか。ぼくは風間氏の解説は当を得たもののように思ったが、プレーしている選手たちはどう考えるか。(先輩の言っていることだからといって決してなんでもかんでも認めてしまってはいけない。あくまで理屈の上で正しいかどうかを考える必要がある。)
しつこく、徹底的に考える必要がある。たとえあなたが17歳であろうとも、だ。
そういう基礎的な態度がないためにいつまでも我々を失望させる試合をくりかえすのではないのか。
たしかセルジオ越後がワールドカップの反省が無いサッカー協会のことを非難していたが、技術部(委員会?)の分析も不十分で頼りないものではなかったか。
敗因を言えばそれで責任を果たしたと思っていないか?
ミーティングでオシムが質問したのにたいして選手から自発的な答えが無かったとか。A代表ですらそんなものだ・・・
彼ら日本代表選手たちは「正しい」ことを言わなければいけないという日本的なまちがいに陥っていたのではないか?
まちがったことを言ったら恥ずかしい、あるいは評価を下げる、と思っていないか?
彼らにもっとも欠けているのは徹底的に考える能力ではないか。あるいは考えたことをみなで共有する能力ではないか。
日本人が協調性が高い、というのはまちがいである。
単に同じことをやるのが得意というだけだ。
あるいは上からの指示に文句を言わずに従うというだけだ。
以心伝心は同じ民族だから成り立つ、というのも幻想である。
同じ心性ならプレーにバラエティーが少なくなるというくらいのもの。
協調とは本来、個人の主張が先にあり、それをすり合わせた上で成り立つものだ。個人の主張をもたず、指示待ちをし、しかも自分の意見を仲間に伝えられないでは協調ということ自体できない。
サッカーはすぐれて民主的なスポーツである。
それは貧乏な国の人々でも平等対等に戦えるという意味だけではない。
各プレーヤーが個人として確立したのち、グループとして有機的につながるという意味である。
個の力不足なのではなく、「個」そのものが欠けているのではないか。
posted by ぜつあつし |06:03 |
サッカー日本代表 |
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