2008年02月24日
昨日はすばらしいゴールシーンが見られてたいへん満足だ。
早くて速い攻撃の展開でFIFAランキング上位のチームを切り裂いた。
青いチームの右サイドの守りは弱いことがわかっていたので容易に突破できたしボレーシュートを放ったヨム・ギフンの決断力がすばらしかった。
危ない場面もあったが、青いチームの攻撃はただ前線の選手が急いで前に向かうだけで連絡を欠き、ほとんどの攻撃を遅い攻撃にとどめていられたので危ない印象は少なかった。
試合後半は少し足が止まったものの、全体を通じて韓国チームが走り勝った印象だ。
そういえば青いチームの試合ではここ何回かすばらしい流れの中からのゴールを見ることができた。
北朝鮮戦ではチョン・テセがDF数名に対しておじけることなくシュートを放った。決断が、ゴールに向かう気迫が違った。
同国はかつて川口相手にもサイドからシュートを決めている。
川口はそのとき「打ってくるとは思わなかった。」とコメントしていたが、青いチームの選手だったら打たない、自分で打とうとしないからそう思ったのだろうね。
タイも良かった。ティーラテープがすばらしい流れの中からのシュートを打ち、得点することができた。やはり決断力がすばらしい。
こういったすばらしいシュートが見られることはサッカーを楽しむ観戦者にとってたいへん幸福なことだ。
ただ青いチームを応援する者にとって良いかどうかはわからない・・・
posted by ぜつあつし |08:47 |
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2008年02月18日
タイ戦までの3試合を見て、新機軸を少しく出していたと思っていたが、今回の北朝鮮戦では期待に反して昔の代表の試合を見ているようだった。
どうも今の所進化しているようには見えない。
というか、オシムコーチ時代はゆっくりながら進化していると思えたので、なんというか退化したように思えてならない。
岡田コーチはまだ着任してから間もないのだが、どうも変化若しくは成果を急ぎすぎているように見える。地に足がついてない印象だ。
ボスニアヘルツェゴビナ戦では試合前に狭いエリアでの球廻しを念入りに練習していて、試合でもそういった意図が見て取れたが、その後の試合ではその方法論は捨て去られたようでもある。
もっともそれが良い策だったのかは別に考える必要があるが、哲学があいまいでは評価の対象以前であろう。
今回の北朝鮮戦が、「主力を欠いた」「相手のプレッシャーがきつかった」「引かれれば常に同じ課題が出る」などといういつもの説明で済まされるとしたら、何か物足りない。
posted by ぜつあつし |01:39 |
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2008年02月11日
今回の殺人事件?に関してなんとかいうプロレスラー出身の国会議員が「相撲は国技なのに」と発言していた。
しかし、相撲が国技などと勝手に決められては困る。
相撲はプロレスと同じ興行であり見せ物である。
決して国民が一般的に楽しむ国民的なスポーツなどではないし、かつては神に奉納するという宗教的意味合いがあったことからも国技にはふさわしくない。
posted by ぜつあつし |17:26 |
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2008年01月27日
世界を驚かせる、というのはジーコが言って実現できなかったから良くないというだけではない。まず目標としては不適格なのである。
それは、純然たる「結果」は目標にはなり得ないからだ。
何をどうする、というのが目標であって行為の結果起こることを目標としたら道を間違う。
たとえば日本がどれだけ進歩しても他の国も進歩していたら世界は驚かないだろう。
付け加えれば、驚くかどうかは相手の気分次第なのであって、こちらがどうこうすることはできないものなのだ。そういうことは仕事の目標としては不適切である。
さて、今回のチリ戦である。どうにもぼくには評価が難しい。識者の意見に従いたいが、よくはなかったという選手の意見、まぁまぁという川淵氏の意見、お寒い結果というスポーツ紙の記事もあった。
ある部分でスピードも細かいつなぎもあった。シュートを決めていれば全然違った感想になったと思うと全体として悪いとも言えないのかもしれない・・・
個人的にはこの3試合はとにかくウォッチしてみたい。
岡田監督の言っていることがほんとうに実効性のある策なのか、実現性のある策なのか等々、まだよくわからない。
観念論になるが、「走るサッカー」とか「人とボールが動くサッカー」と言っているうちはまだ初級段階でサッカーの成熟した国には敵わないだろうと思う。
つまり、「走る」のも「人とボールが動く」のもサッカーでは当たり前のことだからだ。
この程度の目標をクリアした上で、さらに奥深い課題が出てくることだろう。それに達しているのがサッカー先進国なのだろうと想像する。
そうだもう一つ、創造性というものが実現できなければおそらくトップには近づけない気がする。
観客を驚かせ、対戦相手も驚かせる。そんなプレーが随所に出てこそ世界レベルのプレーと言えると思う。(実際バルセロナのサッカーとか見てると、ね。)
驚かすことは相手の裏をかくこととも通ずる。
ここはサイドチェンジだな、ここは誰それへのパスだなと観客に読めるようでは相手にも読まれるだろう。
世界を驚かせると大きなことを言う前に、相手のプレーヤーを驚かせることを考えてはどうか。
よほど具体的な策が必要とされると思うのだが。
posted by ぜつあつし |21:53 |
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2007年12月21日
いやぁ、正直がっかり。
就任したばかりだからしばらく様子を見ようというのがぼくの立場だったが、はじめて出したメッセージが「世界を驚かす」ではどうしようもない。
なんだか誰もつっこまないようだが、忘れちゃったのかな?
日本代表で「世界を驚かせる」というのはかつてジーコが言っていたことじゃないか。
ぼくはジーコジャパンは0-10で負けて世界を驚かすんじゃないかと皮肉ったが、ごぞんじのとおり06年ワールドカップでは単に弱小国というだけに終わり、よくも悪くも世界を驚かせることはできなかった。
またぞろおなじ轍を踏むつもりかしら?
たいしてトルシエが批判的な発言をしたというのは、これはエクセントリックな性格と言われるトルシエであるが、むしろまともな意見である。
アフリカなどでの監督実績もあるのだから、トルシエ監督のほうが岡田監督より国際的な常識があるのが当然とも言えるが。
こんな大ぼら発言を聞くと、「日本サッカーを日本化する」というオシム前監督の一見抽象的な目標のほうが「世界をおどろかせる」よりなんぼか具体的な目標と感じられる。
岡田監督もオシムをまねて記者会見で冗談など言っているようだが、まだ若い。加えて底が浅いと言わざるを得ない。
一応数試合は経過を見るべきだろうが、日本代表の将来像がしっかり定まらないようであれば、すぐにでも岡田監督はクビにするべきである。
posted by ぜつあつし |17:16 |
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2007年12月03日
今回はへりくつを考えるのがめんどうなのでそれを期待しておられるかたにはもうしわけない。
うそいつわりのない雑感のみ。
Jリーグ最終戦はおもしろかった。やっぱりああいうドラマがあるからおもしろい。
試合前はレッズが勝つだろう、アジアでもチャンピオンになったんだからJでもチャンピオンが当然と思っていたが、横浜のカズや「クビになった」ベテラン選手たちのがんばりを見て横浜を応援したくなった。
横浜FCは市民クラブとして成立したころからち気持ち的には応援していたので、あれだけの戦いができるんならリーグでももうちょっとがんばれよといいたくなった。
ただ、弱ったレッズだからこそできたのかもしれないな。
鹿島は磐田(や東京ヴェルディ)とおなじでもう過去のチームかと思っていたので優勝は正直意外だった。
監督がなかなかの手腕らしい、とは優勝してから後追いのように報道されている。いい気なものだ。
それにしても(レッズは負けたにせよ)鹿島とか赤いユニフォームのチームが強そうに見える。
日本代表も日の丸レッドの赤いユニフォームにすべきではないだろうか。
青にするという根拠がよくわからない。
日本代表といえば野球でもがんばっている。
ここ10何年はナベツネ(渡辺ツネオ?ツネヨシ?読売社主の)が嫌いで彼が影響力を持つ限りプロ野球は見ないことに決めているが、相手が外国なら別だ、と自分にいいわけをして韓国との試合を見た。
内容についてはいろいろなところで書かれているのでよしとして、とにかく「長すぎる」。韓国も日本とおなじ文化圏だからだろうか、おつきあいして長くなってる?みたいな。
野球で五輪といえば思い出すのは長島ジャパンで、長島監督不在につきユニフォームに一礼してから試合せよと中畑らが指示したとか、なかなか胸が悪くなるようなチームだった。オリンピックで思い通りの結果を残せなかったことには正直すっとしたのは本当のことだ。
星野監督に恨みがあるわけではないので日本チームが勝てば勝ったでうれしいが、またぞろちょっとお国のためとか言い過ぎるような気もする。
スポーツだからね。そうおおげさに考えなくてもいいんじゃないの?とかいいつつもサッカーのワールドカップにはそう安穏としておられない。
posted by ぜつあつし |10:02 |
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2007年11月25日
まったくもってひどいシナリオで、とても承服できない。
いきなり投げ出すなんてそんな不条理なことがあるか?
日本サッカーの日本化を完成しないうちに放り出してしまうつもりなのか?
見えていた道筋を消しゴムで消してしまうようなことはすべきではない。
説明もしないで手を引くのでは済まされない。
きちんと責任を果たすべきだ。
まず目を覚ますべし、それからこれからの日本代表の、あるいは日本サッカーのたどるべき道を語るべきだ。
あるべき姿とそこに至る手段をきちんと示すべきである。
これで放り投げてしまうようでは情けない。
いったん監督を引き受けたからには必ずそこまではやってもらいたい。
道筋さえ示してもらえば選手交代などは別の監督でもできるだろう。
オシムはまず目を覚ますべきである。
posted by ぜつあつし |02:07 |
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2007年09月28日
川淵キャプテンについては地位が上になってもファンの視点を忘れないのでそのことについては高く評価している。
しかし、時々判断をまちがう。まちがえることは愛嬌で済まされない立場でもある。(以前は中田浩二の移籍問題でまちがえた*。)
今回の川崎フロンターレ問題(Jリーグの試合で8人入れ替えた)もそうだ。
Jリーグ事務局に前もって規約違反が無いことを確かめたと言うのが事実なら、それは規約に違反していないのであって咎められる筋合いのものではない。
また「関係者と報道陣の前で慶大サッカー部の後輩である武田社長を怒鳴りつけた」(スポニチ紙)というJリーグの犬飼専務理事も実にみっともない。
先輩後輩で何をしてもいいというのはなんとも幼稚きわまりないと言わざるを得ない。
すでにお互い社会的にそれなりの立場を築いているのであるから対等の存在としてお互いを認めあわねばならないしお互いの立場を尊重すべきだろう。
また、犬飼氏はJリーグ事務局の責任者という立場を忘れている。
事務局がいいと言ったのなら、それは犬飼氏がいいと言ったのとおなじことなのだ。なぜなら事務局の責任を犬飼氏らが負っているのだから。
規約に反していないのに8人替えるのはは多すぎる、というのであれば元々規約がおかしいのだ。常に7人以下にせよ、と規約を変える必要があったということだ。
若しそうだとしても今回の規約は7人以下になっていなかったのだから川崎側にはいかな過失もない。
起こった事態に応じて規約以外の「暗黙の」決まりを認めては行けない。それは為政者(ではないが要するに権力側)の恣意的な判断を認めることになる。
また今回川崎が勝っていたら何も言われなかったとすれば何をか言わんやである。
勝てばOK、負ければダメ、という泥縄式の判断をするのでは、もともと根本的な理念が欠落していると言わざるを得ない。
川淵氏は「ファンをばかにしている」と言ったと伝えられているが、ファンがばかにされたと思っているかどうかまず川崎のファンに聞くのが先だろう。(本人が川崎のファンなら理屈は合っているが。)
川崎フロンターレのファンが抗議行動を起こしたというならそれは規約違反とは別の問題となる。
つまりこのような規約自体がファンを無視したものであり元来欠陥規約だということになる。規約を変えるべきだという話である。
契約が切れて移籍金なしで海外移籍するという中田浩二に対して鹿島アントラーズ側が不満を言い川淵Cはそういった形での海外移籍を問題視した。
しかしこれは元々あった規約を身内が困ったから変えようという発想で、原則論が欠如しているいきあたりばったりの意見であった。
(これについてはすべての規約を世界化すべしと某所で述べたが詳細は省く。)
posted by ぜつあつし |09:39 |
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2007年09月25日
まえの考察で気がついたのだが、日本代表選手はファンに対して、日本国民に対して、なんら責任を負っていない。
これはくりかえし指摘しておく必要があると思った。
責任を負ってない理由は先に書いたとおり国民に選ばれた選手ではないからだが、なぜそれをことさら指摘しておくべきなのか、といえば、「代表」の重圧に負けてはつらつとしたプレーができてないと思われるからだ。
たしか先週のサッカー雑誌に外人記者の意見が載っていてなかなか興味深かった。
「ゴールエリアで歩いている選手がいる!」というのはなかなか気づかない指摘だった。
「GKと1対1になるまでシュートを打たないつもりのようだ。」というシュートを打たないという指摘はさんざん言われてきたことだがやはり外人の目から見てもそうなのかと納得させられた。
いや、GKが目の前にいる場面でもあえて横パスをしてDFにひっかかる、というのはわたしは「柳沢病」と呼んでいるのだが、代表だけではない、先日のJリーグでもあったようだ。
なぜシュートを打たないか、といえばやはり、「はずして非難されるのがこわい」からではないか?
単純すぎる意見だとは思うが、どうもそれはひとつの原因として否定できないと思う。
ここに書いたことだが、スイスに先制されてから積極的にゴールに迫るようになった、オリンピック代表は1点早々と先制してから消極的になった、というのは作戦的なことはあるとしてもどうも上に上げたと同様の心情があったのではないかと疑う。
「やらなきゃどうせだめなんだからやって失敗しても非難されないだろう」「へまをしたら非難されるだろうからなるべく安全に行こう」
といった具合に。
そこで日本代表の必勝策が浮かんでくる。
それは、
「まず一点相手に取らせる!」
という作戦だ。
そうすれば日本人選手はひるまず消極的にならず安全を賭してでも勝負するようになるだろう。
(もちろんこれは冗談である。わからない人はいないと思うが・・・。)
で、結局何が言いたいかというと、選手にこう伝えたいということ。
みなさんは国民になんの責任も負ってないのだから、のびのびと好きなようにプレーしなさい。小学生の時のように無心でゴールを目指して、そして自分の創造性をうんと発揮しなさいということ。
サッカーは観客に見せるスポーツ、あえて言えばひとつのショーなのだからぜひ観客を魅了するプレーを期待したい。
(もちろんスポーツとしての本質、勝つということ、ゴールを目指すという本質に従ってのプレーを見たいのだ。)
posted by ぜつあつし |01:13 |
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2007年09月23日
もし日本代表チームが日本サッカー協会代表だったらどうか、と考えた。
日本代表対ブラジル代表ではなく、日本サッカー協会代表対ブラジルサッカー協会代表の試合。
なんとも奇妙だが?
いや実のところ、FIFAのワールドカップでも日本国民が直接選んだコーチと選んだ選手が出るわけではない。あれは日本サッカー協会が選んだコーチとそのコーチの選んだ選手が出ているわけだから日本サッカー協会代表チームのほうが名称としてはむしろふさわしいはずだ。
しかし、もし日本代表でなく日本サッカー協会代表チームだったら、われわれはまったく熱狂できないだろう。
どこのサッカー協会が世界一になろうと、そんなの関係ねぇ、わけである。
「ああ、そうですか、今回の世界協会杯はブラジル協会がとりましたか・・・」てなことになる。
ただ、いったん日本代表を名乗ったら、彼らの立場は一変する。
そのチームは「われわれ」のチームとなり、勝敗はわれわれ国民の勝敗となる。
賞賛、感動、落胆、よろこび、その他もろもろの感情をひきおこすことができるようになる。
そして応援の声と同時に批判も受けるようになる。
落胆させれば怒りの声が飛ぶ、というわけだ。
これは実に不思議なことで、われわれは一度も監督の人選について相談されたことが無い。
ただ勝手にわれわれの代表である、と宣言されてしまっているだけなのである(笑)。
さてそこで、代表選手は批判すべきでない、というひとたちの話だ。そういった声は「お国のために戦っているんだから批判すべきでない。」という代表チームを自国の「軍隊」視するところから生まれるように思われるのだがどうだろう。
(いちおう言っておくが、この議論に今の日本に軍隊があるかどうかは関係がない。)
もちろんスポーツは戦争ではないし、試合の前後には握手をしなければならない。戦い終わればどこかのチームの同僚であり、いつか同僚となるかもしれない相手なのだから、選手にとっては相手は国の仇ではない。
(北朝鮮チームの選手にとっては違うかもしれないが・・・。)
じつは軍隊が「お国のため」にあるものという考え方自体が間違っているのだが、私の経験ではかなり意識の高い人でもそれに気づいていないことが多いように思う。
軍隊は国民が対外(国)的に意思を示すための存在だと思っているのだ。
じつは軍隊は国民の人権を守るために国民が税金で雇っているパブリックサーバントの一種であり警察や消防と変わらないのだが、そういうと怪訝な顔をされることがあるのである。
サッカーあるいはスポーツ(たとえばオリンピック)日本代表も、べつに国家の威信を示すためにプレーするわけではない。
いやそれは国民から委ねられたわけですらなく、ほんとうは彼らには何の義務もないのである。
以前、たしか石原慎太郎が日本代表チームのコーチは日本人であるべきだというような意味のことを言っていたように記憶する。
ひょっとすると帰化選手についても否定的なことを言っていたかもしれない。
(まことに滑稽なことに、大学でプレーした彼は自分はサッカー選手としては2流だったと言っていた。わたしはむしろ作家として2流だと思うのだが。)
サッカーチームが人種で決められるとは普通の人はもはや思っていないが、代表チームを批判すべきでないという意識には「おらが軍隊」意識がしのびこんでいるように思う。
わたしはむしろ彼ら(協会か、あるいは選手たちか)は、国民・人々の応援を得、観客から入場料を得ることのトレードオフとして批判を受ける立場にいることを甘受せざるを得ないだろうと思う。
批判と応援は表裏であり、不可分である。
批判したくならないチームとは応援もしたくないチーム(協会代表チームのように)なのだから。
posted by ぜつあつし |02:44 |
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