2010年10月06日

あいまいな基準

この仕事に就く前、水泳で「サメ肌水着」が流行ったことがありました。
好記録を生みだす水着として取り上げられるニュースを見るたび、「この水着を開発したり、購入する経済力がない国の選手はどうするんだろう」と思っていました。

この仕事に就いた今も、あいまいな基準や、あいまいな線引きに「どうして?」と思うことは少なくありません。

11月にアジア大会が開催されます。
五輪の次に、多くの選手が出場するアジア大会。
水泳や陸上など、明確な基準を設定し、それを突破した選手が出場する競技もあれば、あいまいな基準で選手が選考された競技もあります。

多くの人の目に触れる競技であれば起こらないような問題が、マイナースポーツと言われる競技の中では、いくつもいくつも起きています。
そして、幾人もの選手が犠牲になっています。

マイナースポーツと称される選手たちの多くが、遠征費や競技に必要な器具は自分で用意しなければならない状況です。
それでも海外の試合に転戦しなければポイントが獲得できないからと、実家の田畑を売った選手、30時間近くかけてヨーロッパを格安バスで回ったフェンシング選手がいます。
練習できる場所が限られているから、家から何時間もかけた場所に朝4時起きで車を運転して何百回も通い続ける射撃選手がいます。

4年に一度の五輪でメダルをとれば彼らは一躍スターとなり、競技の救世主として、連日連夜分刻みのスケジュールに追われます。
文句を言わず、ヘトヘトになりながらもそれをすべてこなす。
なぜなら、それがマイナーからメジャーへと、少しでも多くの人に競技を知ってもらうきっかけになると思って、信じているからです。

勝てばアジア大会に出場できるはずの大会で勝利したのに、協会や連盟のあいまいな基準によって、出場権を得ることのできなかった選手がいます。
驚いたのは、その選手が「選考会で勝ったのにアジア大会には出られない」と知ったのは、直接連絡を受けたのではなく、先に報道された記事を目にしたことがきっかけだったこと。

5年以上かかわってきた仕事が、突然中止になったことを、私もホームページを見て知ったことがありました。
あのときのショックと、がっかり感は今でも忘れません。

直接伝えられない人たちだからこそ、あいまいな基準を設けるのかもしれませんが、それがスポーツ界でまかり通ってしまうのは、何とも残念でなりません。



posted by tanaka yuko |22:20 | オリンピックに向けて | コメント(0) |
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2008年03月09日

加藤ゆか選手の挑戦

しばらく更新していませんでした。
すみません。
今後はもっと頻繁に更新しようと思っています。
重ね重ねすみません。

少し前のことになりますが、新聞で「プールで泳いだ後に目を洗うのはむしろ逆であり、目は洗わなくていい」という記事を拝読し、驚愕しました。
なぜなら、小学校から今まで、ウン十年にわたり、プールで泳いだ後は目を洗うというのは当たり前のことだったからです。
もちろん世の中ではさまざまな研究が成されているので、正解は1つではありません。
とはいえ、それまでは考えもしなかったことにとても驚かされました。

こうしたことは、スポーツの世界でも多々あります。
私が高校生の頃は、バレーボールでは15点マッチのサイドアウト方式でしたので、1本ミスをしても得点になることはありませんでした。
でも今は、サーブを1本ミスするだけで得点になり、そのサーブもネットに当たって相手コートに入っても問題ありません。

こんな例とは少し違うかもしれませんが、かつては「これが当たり前」であり「これが大衆が認める形」だったことが、覆ることがあります。
先日開催された水泳の「短水路日本選手権」で、50mバタフライ、100mバタフライで優勝し、日本新記録を樹立した加藤ゆか選手は、まさにそんな選手。
高校時代まで、上下の少ない彼女の泳ぎは従来の“うねり”を生かした泳ぎとは異なっており、「変わった泳ぎ方をする選手」と言われていたそうです。

そんな彼女が、山梨学院大学に入学以後、水中での上下動の少なさを生かすためのトレーニングを重ね、頭角を現すようになり、日本選手権やユニバーシアード、世界競泳でも少しずつ成果が形になり始めました。そして世界も、同じように上下動の少ない泳ぎが主流になり、「変わった泳ぎ方」だった加藤ゆか選手は「ムダのない泳ぎ方」をする選手へと周囲の評価も変わり始めます。

どんな評価のなかでも、彼女自身は自分のスタイルややり方を信じ、続けてきた結果が今であり、加藤選手は「負けず嫌いだから、絶対に自分がこうと思うものを曲げたくなかった」と言います。

4月の日本選手権、オリンピックへの選考会に向け、より速く泳ぐために、加藤ゆか選手の挑戦も続きます。
158cmと水泳選手にしては小柄な加藤ゆか選手。そのガッツとスピードにご注目下さい。

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posted by tanaka yuko |19:08 | オリンピックに向けて | コメント(0) |
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2007年12月14日

5年ぶりの優勝 【フェンシング日本選手権】

昨日から大分県日田市で開催されている、第60回全日本フェンシング選手権大会。
昨日は男女フルーレ個人戦が行われ、男子は太田雄貴選手(同志社大学)、女子は巻下陽子選手(秋田クラブ)が優勝を果たした。

世界ランキングは7位、周囲からも「フェンシング界始まって以来の逸材」と言われてきた太田選手も、2002年からは「日本一」を決めるこの大会では勝つことができず、
「いくら世界で戦えるといわれても、日本で勝てないもどかしさがあった。どうしても優勝したかった」
大きなウェイトを持った大会だった。

予選プールから相手を寄せ付けず、危なげなくエリミナシオン・ディレクト(決勝トーナメント)へ進出。準決勝では昨年の優勝者であり、普段から一緒に練習をしている福田佑輔選手(警視庁)と対戦するも、
「(太田の)勢いに対応することができなかった」
と福田選手が語るように、前半から攻めに転じて先行し、15-10で勝利。決勝では千田健太選手(中央大学)を15-10で下し、5年ぶりの栄冠を手にした。

北京オリンピックに向け、メダル獲得を視野に入れ、日本フェンシング協会は今年から思い切った強化プランを打ち出している。
ナショナルチームの拠点を「国立スポーツ科学センター」とし、これまで練習拠点が関西だった太田選手や、女子日本代表の菅原智恵子選手(宮城クラブ)、川西真紀選手(香川クラブ)など、男女フルーレ代表選手も近隣に住まわせ、フェンシングに専念できる環境をつくった。また、専任コーチとしてクロアチアのオレグ・マチェイチュクコーチを招聘し、さらに強化に努めた。
その結果、
「これまでは強化合宿でなければ練習できなかったような、レベルの高い選手と普段から一緒に剣を合わせることで、質の高い練習ができるようになった」(太田選手)
「技術面、精神面はもちろん、あまり重点を置くことができずにいたウェイトトレーニングも専門スタッフの指示のもとで、目標を絞って取り組むことができるようになった」(菅原選手)
効果は如実に表れ、男子フルーレ団体はワールドカップ5大会で金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得し、世界ランキング1位にも輝いた。

「身近に世界ランク1位の男子がいることが刺激になり、自分たちも高い意識を持てるようになった」(川西選手)
女子団体フルーレも、今週・ロシアで開催された世界選手権では、団体戦で3位に入り、世界選手権では日本フェンシング界初のメダル獲得という栄誉を成し遂げた。

来年のオリンピックに向け、着々と成果を上げているフェンシング界。
それぞれの選手の高い意識や、努力の積み重ねによって得られたものであり、金銭面・環境面におけるスポンサーの存在など、支援体制が整えられたことも大きい。

だが、「躍進」の中心にいるのはやはりこの人、太田選手だろう。
「太田選手は、高校生でアテネオリンピックに出場するなど、常に先陣を切って僕らの道を切り開いてくれた。彼の存在が、高いモチベーションを保つことに大きな役割を担ってくれている」(市川恭也選手・警視庁)

結果を残すことで多くの人から注目を集めたい。
これから始めようとする選手や、今フェンシングをやっているという選手には
「僕を目標にしてほしい」
と言い切る。

世界選手権では10位に終わり「しばらく剣も持てないほど落ち込んだ」と振り返るが、この経験もきっと北京に続く糧となるに違いない。
「フェンシング界始まって以来の逸材」であり「天才」が、きっと何かを成し遂げる。そんな気がしてならない。



全日本フェンシング選手権の太田選手


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posted by tanaka yuko |13:55 | オリンピックに向けて | コメント(0) |
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2007年09月27日

残り10ヶ月

しばらく更新していなかったら、いろいろな方から
「更新して下さい」
とせっつかれました。
すみません。
ということで、ワールドグランプリ以来、ひっそり更新です。

8月中旬以降も、あちらこちらへ駆け巡りの日々は続きました。

大阪での女子バレーワールドグランプリ取材の後、高校生のバレーボールを続けて取材。
冷房などあるはずない体育館で、汗だくになりながらも、やっぱり高校生取材はいいなぁと奮い立たせた大阪の日々。

後半は某バレーボールチームへ、前十字靱帯損傷からの復帰をテーマに受傷経験のある選手とトレーナーさんへの取材。
「みんな大事な大事な選手。1人として必要のない選手などいない」
という、とてもシンプルだけど重みのあるトレーナーさんの言葉がズシリと響く。

9月に入ってからも全国行脚は継続。

上旬は、愛知県豊田市で開催されたハンドボール男子オリンピック予選取材。
5大会ぶりの五輪を目指す日本代表チームの戦い。
自国開催という利と何とか活かさせようと、自発的に発足したサポータークラブ。
競技は違うながらも、「オリンピック」を目指す仲間の応援に訪れたソフトボール選手。
4年に1度の戦いは、さまざまな場所で、さまざまなことが繰り広げられていた。
またも韓国の壁に屈したけれど、きっとこの大会でつかんだものがこれからにつながっていくはず。
そんな希望も持たせてくれた。

でも、その日は関東地方に台風直撃。
新幹線が止まった名古屋で、1件もホテルが空いていない現実を突きつけられ、人生で初めて「途方にくれるとはこういうこと」を体感。
奇跡的に動いた新幹線に乗り、深夜2時、ようやく帰宅。

中盤から後半も取材が続く。
リーグ開幕まで3ヶ月を切った某女子バレーチームへの取材。
ついこの間リーグが終わったばかりで、シーズンが終わったばかりという印象だったのに、気づけばもうリーグがすぐそこに近づいている。
今ある戦力でどう戦うか。
鍛錬期から、煮詰める時期へと移行し始めている。

そして先週。
フェンシングの取材でJISSへ。
取材した媒体がまだ形になっていないので、ここでは細かいことは控えますが、来る北京オリンピックへ向け、非常に楽しみな選手でした。
1人でも多くの人に、彼のことを知ってもらいたいと思えるようなものを持った選手でした。
楽しみです。

北京オリンピックまで残り10ヶ月。
代表枠が決まり始め、代表権を得た人もいれば、逃した人もいる。
これから、その戦いが本格化する人たちも。

あの台風からこれだけの日が経ってしまったように、10ヶ月はきっとあっという間に違いない。


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posted by tanaka yuko |17:05 | オリンピックに向けて | コメント(0) |
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