2010年10月12日
サッカーには非常に疎いのですが、先日、前橋育英高校サッカー部の山田監督を取材する機会がありました。
同校OBの松田直樹選手や、細貝萌選手の高校時代の話を例に、山田監督の「指導論」をうかがう中、一番興味深かったのはこの一言です。
「指導者の仕事は、その選手が持っている才能や長所に気付いて適材適所に導くこと。そこから伸びるかは選手次第。でも一流になれる選手は必ずそこで努力している」
サッカーに限らず、指導者のひと言というのは実に重みがあります。
「なぜ」を説明すること。
そして納得させること。
サッカーの戦術はよくわからないことばかりですが、指導者が考えることに競技の違いはないもの。
深いひと言を聞くたび、そんなことを改めて感じます。
posted by tanaka yuko |16:46 |
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2006年09月21日
物心ついて最初に見たオリンピックが何だったか、覚えていますか??
私にとっては最初に見た(覚えている)オリンピックは小学校2年生のときのロス五輪。ラジオ体操が休みになったとき「オリンピックだからお休みなんだよ」と言われ、本気にしたら単に日曜日だった。でもそんな理由で妙に「オリンピック」というものを意識するようになった気がする。
それから4年後のソウル。
時差もないし、給食の時間にテレビをつけながらオリンピックを見る。
水泳の鈴木大地選手の金メダルに先生たちがえらく興奮していた。
そのソウルで、今で言うハンカチ王子の斉藤選手並みに“アイドル”だったのが、体操の池谷・西川、清風コンビだった。
さわやかなルックスと笑顔、テレビにもたくさん出ていたし、雑誌にも取り上げられていた。それから4年後のバルセロナも含め、体操といえばこの2人。そう言っても過言ではなかったと思う。
ソウルから18年、バルセロナから14年と何日かが過ぎた昨日、西川大輔さんに初めてお会いした。
あの頃の印象と変わらず、とても誠実で真摯な方だった(紳士でもありました)。
都内某所の喫茶店での取材にもかかわらず、周囲を気にすることもなく、こちらを気遣いながら、1つ1つ質問に答える。
現役時代はケガが少ない選手だったと言いながらも、鎖骨の亜脱臼や、足首の靱帯損傷、腰痛など、現役時代の話をいろいろと聞かせてくれた。
今は指導者として母校で指導にあたる。
そして、母校の体育の授業もいくつか受け持っている。
私たち世代からすれば、“あの”西川さん。学生の反応は? と問うと、
「もうみんな僕のことなんて知りませんよ」
あの頃テレビでよく見た笑顔でそう言った。
いくらケガが少ないとはいえ、自身の身体が競技を行う道具でもある体操競技。大小や箇所の違いこそあれ、ケガは絶えない。
「痛い思いをしなくていいのは楽だけれど、伝えること、育てることというのは本当に難しいものですね」
指導者となった今を、西川さんはそう語る。
選手を経て、指導者へ。
現役時代とはまた違う困難と戦いながら進んでいく。
posted by tanaka yuko |15:18 |
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