2010年11月30日

パク・ジュンギュ選手の涙

 4年前のドーハ。中東の笛に翻弄され、ハンドボールとは言い難い競技を
余儀なくされた男子韓国チームの選手およびスタッフたちは、今回のアジア
大会が開催される前にメディアに対し「審判が正しく笛を吹いてくれれば」
と念を押しながら「金メダルを獲得できる」と伝えていました。特にこの大会
韓国チームの旗手に選ばれ、メディアへの露出が高かったユン・キョンシン
選手は審判問題の再発を危惧し、人々の注意を促すかのように「審判」と
いう言葉を頻繁に口にしていました。

 アジア大会の優勝は、韓国の男子選手にとって非常に重要なものです。
 この大会の金メダルは兵役免除を意味するからです。

 韓国の男子は19歳から29歳の間に兵役に赴かなければなりません。
 しかし、兵役に赴いたと同じに値する国家に貢献した者には特例があり、
兵役免除となる場合があります。スポーツ分野の貢献では、アジア大会の
優勝がそのひとつであり、他にはオリンピックでのメダル獲得(3位内入賞)
が主な例としてあげられます。

 特にハンドボールはヨーロッパ勢が強く、オリンピックでのメダル獲得が
難しい競技で、アジア大会での優勝が選手たちに与えられた兵役免除へ
の一番の近道であり、唯一に等しい道でもあります。
 こういう書き方をすると「兵役を免除されたいがために優勝を目指して
いるのか」と思われてしまうかもしれませんが、そんな簡単な感情などで
片付けられるものではありません。

 20代、選手として最も成熟する時期
 その2年を奪われることを避けたい
 思う存分ハンドボールをしたい
 できれば海外に行って自分の力を試したい

 彼らの気持ちを代弁すること、表現することは私にはできません。

 しかし、以前元大同の白選手を取材した折、ハンドボールをやっていて
一番よかったと思うことは?という私の質問に、彼が真っ直ぐに目を見て
「軍隊に行かずにすんだこと」と答えた言葉の重い響き、その表情は今も
忘れることができずにいます。

 ドーハのアジア大会で優勝できなかった韓国チームの選手たちの中に、
年齢の関係等から尚武(サンム:国軍体育部隊)に行った選手もいます。
所属していたチームから離れ2年間尚武に赴いた後、別のチームに入った
選手もいます。
 
 今大会、皆が金メダルを目指していた、スポーツ選手として頂上を目標に
することは当然ですが、韓国男子選手にとっては「好きなところで、心から
愛する競技を自由にプレーする権利を得ること」への挑戦でもありました。


 
 優勝の瞬間。

 その数十秒前から韓国チームのベンチでは全選手とスタッフが肩を組み、
その瞬間を待っていました。

 笛が吹かれた瞬間、はじかれたようにベンチからコートに走り出す選手、
コート上にいた選手たちはベンチにいた選手たちの方へと向かい、互いが
引き寄せあうように抱き合っている中・・・

 パク・ジュンギュ選手はオ・ユンソク選手と肩を組みながら皆のもとへ
行こうと途中まで歩きましたが、それ以上進むことができず歩みを止めま
した。チームメートたちに背を向けて空を仰ぎ、ユニフォームを両手で握り
締める彼の目には涙が溢れていました。

 自然に輪になっていく韓国チームの選手たち、そこから少し離れている
パク・ジュンギュ選手に気付いたイ・サングック選手とユ・ドングン選手が彼
に歩み寄りました。二人はパク・ジュンギュ選手を支えながら輪の中へ導き、
他の選手たちは微笑みながら彼ら三人を待っていました。そうして完成した
選手たちの輪は、全選手の笑顔と涙で何度も円を描きました。

 メダル授賞式の後、パク・ジュンギュ選手と少し会うことができました。
 競技終了直後とは正反対の、最高の微笑みを浮かべてハイタッチをした
彼は、プレーと同様に人柄も本当に魅力的な選手です。


 競技中のコート、表舞台だけでなく、選手の輝きは裏舞台にもあります。
 そして、それらは皆さんが足を運んだ会場で見つけて欲しいです。

 その中で応援するチームが勝つ理由も負ける理由も、見えてくることが
あるでしょう。見えるが故に歯がゆいことも辛いことも出てくると思います。
 しかし、いつかそのチームが最上の喜びを得るときまで、会場へできる
限り足を運んで欲しい、声を出して応援して欲しいと思います。

 願うよりも祈るよりも、会場の声援は選手に直接届くものだから・・・。


= 追 記 =
 この大会で5人の選手が兵役免除の特例を得ました。
 年齢順にシム・ジェボク選手、ユ・ドングン選手、チャン・スヨン選手、
オ・ユンソク選手、パク・ジュンギュ選手です(ジョン・ウィギョン選手は
別の事情で既に兵役免除になっています)。



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posted by yuki |19:17 | Back Arena | コメント(1) | トラックバック(0)
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2010年11月20日

アジア大会前半を終えて

 11月12日に開幕し27日に閉幕予定のアジア大会。 
 半分の日程を過ぎました。

 毎回感じますが、日本国内での関心は低い。
 その低さも止むを得ない理由のひとつが、得られる情報の少なさだと私は思います。

 この時代、何か情報を得たいとき、インターネットを使う人がほとんどでしょう。
 テレビや新聞のような媒体から情報発信される時を待って受身の姿勢でいなくても、
ほぼオンタイムで自ら情報を求めることが可能です。
 しかし、スポーツやある特定の競技に関心を持っていて結果などを待ち望んでいる
熱心なファンやサポーター、自ら情報を求めようとする方々ですら、情報を得る場が
見つからずに難儀している様子がアジア大会には伺えます。


 以下、昨日までの上位3国のメダル獲得数です。

 1位 中国 金126 銀55 銅55 合計236
 2位 韓国 金 43 銀36 銅50 合計129
 3位 日本 金 24 銀49 銅51 合計124
 
 先日まで金メダル数は韓国が多かったのですが、合計数は日本が上回っていました。
しかし昨日の時点で獲得合計数も韓国に2位を譲りました。
 そのことに気付いたのは毎日何度か韓国のメダル獲得数を目にし、他国との比較表
も視界に入っていたからなのですが、それは私がスポーツに携わっているという特別な
理由ではなく、インターネットを立ち上げた際に開くサイトのひとつを韓国プロバイダーの
トップページに設定しているからで、韓国の方でネットを使う人々は私と同じ位の頻度で
目にしていることでしょう。

 韓国のネット大手プロバイダー2社(NATE, NAVER)のトップページでは獲得メダル数
を表示するバーがあります。この画像バーは一見して『アジア大会』とわかるもので、
そのバーをクリックするとアジア大会特集サイトのトップに飛びます。そこであらゆる
競技の情報が全て得られる非常に使い勝手のよいものです。
 またYahoo!Koreaでは、アジア大会が開催されてからYahoo!のロゴがアジア大会を
彷彿させる画像イメージになっており(例えば今朝は女子サッカーが描かれている)、
そこをクリックすれば、やはりアジア大会への特設ページに飛ぶようになっています。
 
 インターネットにアクセスして真っ先に目にするサイトをネットプロバイダーのホーム
ページやYahoo!にしている人の多さを考えれば、どれだけの効果があるかは想像に難く
ありません。
 NATEやNAVERのホームページの最新ニュースやフォトストーリーには大会期間中、
常にアジア大会関係のものがありネットを使う人が目にしないことはほぼあり得ません。

 一方日本は。
 大手プロバイダーの数社のトップページに、アジア大会を特集するサイトに繋がると
わかるような画像等は一切ありませんでした。

 人々の関心がないから、情報が少ないのか。
 情報が少ないから、人々の関心も少ないのか。
 考えればいたちごっこの、いずれにしても良い循環ではないことは確かです。


 今日からアジア大会は後半、多くの競技がクライマックスに向かっていきます。

 競技者の方々が全力を尽くすことができ、自らが目指すメダル獲得に結びつくことを
心から願いながら・・・こちらを記します。

posted by yuki |12:42 | Back Arena | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年06月10日

Time Out-do Myself

 自分なりに少し、大きな仕事に取りかかる前にブログを更新しておこうと思いました。
 このブログでは初めてになるでしょうか、私の昔話しにふれながら。
 (後日記:あ、以前にも書いていますね~)

 私は学生のとき、東京大学白ばら会合唱団というサークルに所属していました。
 大学に入学して新しく何かを始めたいと考えていて、じゃあ最初に勧誘されたところに
入部しようとかなり安易な発想だったのですが、たまたまこのサークルの友人が私を門
で見つけ(同い歳で1年先に大学に入学した友人、私は留学留年の1年遅れ)、勧誘して
きたのでした。
 恥ずかしいお話しですが、勧誘されてまさに「運命か!」と思いました。
 随分前に失恋してまだあきらめがついていなかった相手の大学であったこと、その人の
部活動の練習場がサークルの練習場と徒歩圏内だったこと(やはり書いていて恥ずか
しい・・・)ですが、とにかくこれは運命だ!と入部したわけです。

 このサークルはかなり本格的に合唱に取り組んでいて、当初の目的?はすぐに失せ、
歌うことに魅力を感じるようになっていきました。大学4年はサークル活動に費やしていた、
費やしてしまった・・・(しまった、なのか?)とも言えます。

 ところで、このサークル、春夏に合宿があるのですが、夏の合宿最後の晩には学年毎
にミュージカルをします。私は歌ではあまり貢献できなかった(正直上手い人多すぎ!
な学年だった)のですが、高校時代文芸部ということもありミュージカルで脚本・演出を
担当しました。
 生みの苦しみはあるものの、ひとつの舞台が成功したときの喜びに勝るものはあり
ません。お笑いOK、お涙ちょうだいもあり、簡単にはばれないような伏線をひきまくって
最後に持っていくというのは、脚本家の楽しみでもあり・・・夏合宿のミュージカル作成は
本当に楽しいものでした。

 しかし、4年になると・・・卒業前の一大イベント、卒業公演というものがあります。
 都内の小さめのホールを借りて行い、4年生がこれで有終の美を飾るというもので、
相当な力をいれてミュージカルを披露しなければなりません。
 この脚本、あらすじは大体夏頃に決めていたのですが、なかなか筆が進まない。
 秋になっても、冬になっても・・・。
 編集長のような立場の学年代表がいたのですが、彼からは催促の電話がかかる
ようになり、とにかく逃げ続け、海外に逃亡しました。というのは卒業記念旅行だったの
ですが、編集者には何も告げずに出かけるくらい・・・催促から逃げたかったという状態
でした。原稿持って機内で格闘し・・・なんで引き受けちゃったんだろうと人生にこのとき
1度だけ書くのを放棄したくなりました。
 運良く旅行先で色々なことがひらめき、帰国してからあっという間に仕上げましたが、
やはり息抜きというものは必要なんだということ、そして、アマチュアながらも小説家の
大変さが身にしみてわかった、今思えば実り多い(?)大学4年でした。
 

 と、いうように、私は書き始めると一気に仕上げるタイプです=途中で雑念が入ると
長引いてしまうタイプです。
 しかし仕事以外の日常生活もあり、ひとつのことだけに没頭するわけにはいかない環境
の中で今は書き続けるしかありません。
 また、言葉が出てこなかったり、上手く表現できなかったり、辛いことは本当に多いの
ですが、「楽しみにしている」と待っている人がいるから、書いていけるのでしょうね。
(あ、某5名の方々・・・先月号の記事のときには、ありがとうございました。楽しみですと
いう言葉が何よりの励みでしたよ!いいプレッシャーになりました!)
 
 そんなわけで・・・少しブログを休止(いつものことですね!)しますが、こちらで完了の
報告ができる日を目指して、全力を尽くそうと思います。

 いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。
 短い情報関係はツイッターでつぶやきますので、よかったらフォローしてください。

posted by yuki |11:35 | Back Arena | コメント(2) | トラックバック(0)
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2010年02月09日

ガンとの戦い 1/2

 以前のブログに記したことのありました、ハンブルク所属のオレグ・ヴェリィキィ選手
(ウクライナ生まれ、ドイツ国籍)がヨーロッパ選手権開催中の今年1月23日、故郷の
ウクライナで亡くなりました。享年32歳の若さでした。

 2003年に皮膚がんの告知を受け、1年に及ぶ闘病生活を終えて再びコートに戻った
オレグでしたが、その後は幾度もの怪我との戦いを繰り返すことになりました。そして
2008年にがんが再発。そのときも懸命にリハビリを続け1年後に復帰、ハンブルグ対
キールの試合に出場できるまでになってもいました。

 「必ずコートに戻る」
 微笑んで答え、ガンと闘い続けたオレグ。

 2008年の再発後2度目のリハビリ中でしたが、カラーラインアリーナに車椅子で来て
チームを応援している姿を一度見かけました。顔色は決して良くはなかったのですが
明るい表情でチームメートや関係者の方々と話し、観客席から聞こえる「オレグ!!」
「戻って来い!」というサポーターの声援に手をあげて笑顔で答えるオレグを見ながら
"きっと克服する"と確信に近い希望を抱きました。
 2度コートに戻ってきた彼でしたが・・・体調は完全に良くなってはいなかったそうです。

 ウクライナ国籍では国家代表として59、ドイツ国籍を取得後は38の国際試合に出場し
活躍したオレグの死を悼み、1月24日、ヨーロッパ選手権第1試合のドイツ対フランスの
競技場では試合前に黙祷が捧げられました。

 故人のご冥福を心から祈り、こちらを記します。

posted by yuki |14:44 | Back Arena | コメント(2) | トラックバック(0)
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2009年02月26日

WC, not World Championship...

 (お食事中の方は後で読んでください・・・)

 世界選手権から帰国した後、膀胱炎を患いました。
 明らかな血尿で痛みもあり、私にしてはかなり珍しく早い時点で病院に。
 医師から「もっと早く来なくちゃだめですよ、相当痛いでしょうに」と、以前どこかで
聞いたことあるような言葉を言われました。以下、その後の会話です。
 
 医師 : 「まあ、若いからすぐに治りますよ。
        (以下、薬の説明・・・私は聞いていない)
        ・・・ということで」
  私 : 「あの・・・」
 医師 : 「なんですか?」
  私 : 「私、若いんですか?」(素朴な疑問でした)

 先生に爆笑されたことは言うまでもありません。
 しかし先生も負けていませんでした。

 医師 : 「(笑いを噛み殺しながら)人間として見たときに、若いほうですよね」

 少し考えて「ん?」とひっかかるところはありましたが、医師相手に2度つっこむのは
さすがに迷惑だと思った(他の患者さんを見なくちゃいけませんしね)ので止めました。

 後日ですが、某選手に膀胱炎のことを伝えました。彼女は 

 「試合に夢中になってお手洗い、我慢していたとか?」
 
と冗談半分で言ったのですが、ずばり正解!
 
 学生時代からそうだったのですが、家を出てから帰宅するまであまり行くことはなく、
デンソー時代は会場入りしてから体育館でお手洗いに行くことが稀でした。
 乗り物、特に飛行機に乗っているときは自ら避けますし・・・。

 今回のクロアチアでは男子は見つかっても女子が見つからない、どこかもわからず、
行けなかったような・・・そんなこんなをやっていたら、とうとう患ってしまいました。
 初めてですが自業自得なわけです。

 頂いたお薬のおかげであっという間に治ったのですが、膀胱炎は患うと結構辛いので、
皆さん、お手洗いはこまめに行ってくださいね。


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posted by yuki |23:59 | Back Arena | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年12月28日

もう一度

 眠れず震えが止まらず・・・こちらを記します。
 
 ヨーロッパ・ハンドボール連盟(以下EHF)で主に対外メディア担当として働く知人が
先日亡くなったことを知りました・・・享年33歳の若さで。

 彼女とはヨーロッパ選手権を通じて出会いました。主催側であるEHFの海外プレス担当
だった彼女と顔を合わせることは多く挨拶を交わすうちに、試合後のインタビュー前の待ち
時間などに少しずつ話すようになりました。今年1月、日本では中東の笛が大きく取り沙汰
されていた再試合の近い頃、EHFの人々もそのことは当然知っていましたから、日本や
韓国、アジアのハンドボールの話しなど、立ち話しながらも話題は尽きませんでした。

 2月に私がチャンピオンズリーグ関連でドイツに赴いたとき、彼女は偶然プライベートで
観戦に来ていて、お互いに「あれ?!」と驚いた再会になりました。そのとき取材に来て
いたドイツ人のメディアの知人が私と彼女の共通の知り合いでもあったので、2人から
アジアの事情を聞かれ、私もヨーロッパのことについて聞いたりで、誰もいなくなった
静かなプレスルームで少し冷めてきたコーヒーを飲みながら、ハンドボールの話しに
花を咲かせていました。

 その後ウィーンにあるEHF本部を訪れる機会があったのですが、出迎えてくれたのは
彼女でした。そのときは時間もたくさんあったので様々な話題にふれ、プライベートな話し
にもなりました。彼女の家族、好きなチーム、EHFで働くに至るまでの経緯など・・・既に
数回顔を合わしていることやヨーロッパのハンドボール関係に共通の知り合いが複数
いることが、話しやすい間柄とさせていたのだと思います。彼女は思いやりに溢れて
明るく、優しい笑顔の素敵な女性でした。

 北京五輪でもEHFから派遣されたメディア担当として忙しそうに働く彼女を見ました。
 観客席から声をかけたので叫びながらでしたが、少し会話をして

 「会えて良かった。今度はヨーロッパで、かな?」

 そう聞いてきた彼女に、「多分ね。近いうちにまた!」と答えた私。 
 コズコフ氏もそうでした、北京が最後になるとは想像もつかずに・・・。

 もう一度、会いたかった。彼女のことを記事にしたかった。
 ハンドボールの世界で、裏舞台で働くことに生きがいを見出し、それを誇りにしている
と言った彼女のことを書きたかった。私たちがいつも会う舞台裏を綴りたかった・・・。

 眠れないまま、朝を迎えています。
 またしばらく、こちらの更新ができないかもしれません。
 近々こちらに記そうと思って伝えていた方々・・・ごめんなさい、後日にまた。

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posted by yuki |05:00 | Back Arena | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年11月03日

Have a break!

 英語教師的うんちくをひとつ。
 生徒にbreakfastという単語を覚えてもらうとき、

 break(それまでに続いていた状態を終わりにする、壊す) + fast(断食)

 「夜(眠りについてから)は物を食べないでしょう?断食してるってことなのだけど、
それがfast、breakはその状態を壊す・終わりにする。つまりbreakfastで朝ごはん。
夜からの断食の状態を終わりにするのが『朝ごはん』だからね」

と説明します。同時に名詞としての"break=休憩・しばしのお休み"をキットカットの
CMのひと言を例に出しながら教えていました。タイトル、そのままですね。

 さて、しばし、ブログの更新をお休みします。
 これからしばらくの間、集中してやりたいことがあるからなのですが、こうして記して
おかないとどうも気になってしまいます。いつも訪問してくださる方々に感謝しつつ・・・
 
 しばしのお休みの前に、breakにまつわる話題を書きます。

 私が97年男子ハンドボール世界選手権熊本大会でクロアチアチームのサポートに
入っていたのはご存知の方も多い(?)かと思います。
 毎食の後、ほとんどの選手が食事の席で、食事会場を出た廊下のソファーで、下の
ロビーで、コーヒーを飲みながら寛ぐcoffee breakを欠かしませんでした(クロアチア
ではカフェでお茶をしながらゆっくり会話を楽しむということは文化のひとつになって
いると言えます。昔はよくバーバラとカフェで2時間3時間まったり過ごしたものでした)。
 私もスケジュール調整に追われていないときには一緒にコーヒーを飲んでいた訳
ですが、当時流行っていたこと・・・私に対して選手の間で流行っていたことの1つに
右肩(もしくは左肩)をとんとんとして去っていく、というものがありました。単独犯でも
見破れない私。複数の選手が共犯で行った場合などは「???」状態。金メダリスト
はこういうことも得意なんだと妙に感心したものでした。私が仕返しを試みても悲しい
身長差には叶わず、腕を捕まれたり、噛み付かれそうになったり、散々でした。
 思い出に残るのはピペ(イルファン・スマイラジッチ)で、私がとんとんと叩いた肩の
(しっかり先を読んで)反対を見てにっこり私に笑いかけたこと。
 誰一人として騙すことができなかった私でした・・・。

 それから11年後の2008年8月。北京五輪でのこと。
 ハンドボールの試合会場でレンメさんを見かけました。会える確立は本当に少ない
はずなのに結構な回数で会えたのですが、そのうちの2回は私が先に見つけました。
 いつも声をかけるだけでは味気ないと思い、幸い真後ろにいた私は右肩を叩いて
左から抜けようとしました。・・・が、右肩を叩く直前に気付かれ、タイミングが悪いこと
に、そのいたずらをしようとしたことすらも見抜かれてしまったのでした。
 にやりと笑ったレンメさんは指をちっちっちと振りひとこと

 「レフェリーにそれは無理だねえ」
 (注:レンメさんはハンドボール男子決勝を吹いた国際レフェリーです) 

 私が悪いのか、私が選ぶ相手が悪いのか・・・。

 このいたずらが成功した暁には、絶対にこちらに記したいと思います。
 ただし、私の意地があるので、ハンドボール関係者限定でトライします!!!


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posted by yuki |02:05 | Back Arena | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年09月12日

食欲の秋

 今、腹痛を抱えながら、こちらを記しています。
 あらかじめお伝えしておくと、よくあることなので、心配は無用です。 
 私の腹痛の原因は必ずといっていいほど、以下いずれかの理由でして・・・

 「消費期限切れのものを(危険を承知で)食べた」 
 「食べすぎ」

 今回は前者です。
 よく友人に「また?」「わかってるのに食べたんでしょ」とばっさりきられるの
ですが、消費期限切れのものを捨てることができない。これは確実にまずい
とわかっていながら口にしてしまう(単に味見をせずにはいられない)変な人
なのかもしれません(においでわかったら、さすがにやめますが)。特に好物
の刺身系・・・すぐに食べればよいのに「お楽しみ♪」と冷蔵庫にとっておいて
存在を忘れてしまう。そして気付いた頃には期限切れなわけですが、においが
なければ食べてしまうのですね。「わさびで消毒してるし~」と訳のわからない
理由付けをして後でおなかを痛める、これを幾度となく繰り返しています。

 きっぱりはっきり、自業自得なわけです。

 デンソー時代に食べすぎはよくありました。
 バーバラは接待の席やパーティなどで好まない日本食が出ると

 「ゆき、食べる?」

とまわしてくれました。それを(当然なのかしら?)私はありがたくいただきます。

 「ゆきさん、小さいのによく食べますよね~」
 (全く同じこと、今年4月にブンデスの選手にも言われました。体格的にその人に
だけは言われたくなかったのですが・・・)

 みんなはシーズン中に食事制限もあるのでバーバラは1番最初に私に聞いて
くるのです(常に席が隣でしたし)。

 「無理して食べなくていいんですよ~、残していいんですよっ!」
 
 量的に信じられなくなってくると、選手の子達は私に注意を促してくれました。
 この制止を無視し腹痛をおこした場合は、部屋でひとり静かに耐えていました
(これは当然です)。基本的にしばらく耐えていると治るのです。
 捨てることができない、もったいないと意識することは、自分では悪いことでは
ないと思っているのですが、腹痛を抱えると周りに心配をかけてしまいますね。

 話しがあちこちに飛びました。
 食欲の秋ですが、皆さん、食べすぎや消費期限切れのものには気をつけて
ください。私のように(恐らく)胃腸が慣れている人も珍しいと思いますので・・・
 
 こちらを書いているうちに、すっかり治りました(丈夫なのです)!

posted by yuki |22:17 | Back Arena | コメント(4) | トラックバック(0)
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2008年06月14日

右回り240度の裏話 3 "More than 10 years ago..."

 ここしばらく男子ハンドボール最終予選の関係で、他のスポーツを見る機会も余裕も
ないまま過ごしておりました。日本に帰国してすぐに男子バレーボールが五輪出場権
を得たという朗報を耳にして植田監督を真っ先に思い出しました。

 今回は植田監督のお話しを。

 ザダルではバーバラと長い長い話しをしました。
 ザダル入りした当日、予定時刻を1時間以上も過ぎて到着したのにも関わらず(これ
は避けようのない事態・・・バスが・・・)笑顔で待っていてくれた彼女。その日はホテル
に送ってくれて、すぐに自宅に戻っていきました。
 翌5月30日の朝、迎えにきてくれた彼女は旧市街を案内してくれ、ランチには手作り
のラザニアでもてなしてくれました・・・とってもおいしかったです(彼女はとっても料理
が上手なんですよ)。その後は私の(知人の)ためにご主人共々あちこちに電話をして
くれていたのですが、その合間にたくさんの話しを・・・語りつくしました。
 
 その中で、植田監督の話題にもふれました。

 当時のデンソーの吉田国昭監督は人脈が広く、植田さんとも親しい間柄でした。
 あの頃は新日鉄でしたが、チームでブロック練習をしに訪れたことがあり、そのとき
のことをバーバラはよく覚えていました(新日鉄には中垣内選手もいて、バーバラは彼
の大ファンだったからです)。
 私の記憶の中に鮮明に残っているのは、植田さんがバーバラの父であるイエリッチ
コーチ(デンソーのコーチ、クロアチア女子代表の監督、旧ユーゴの元代表選手)に
意見を求めたこと。私の記憶が正しければ植田さんは英語で話しかけて、当時の日本
男子バレーについて訊ねていたはずです。どちらかというとイエリッチコーチの方が
英語が苦手なので途中で通訳に入ったのですが、植田さんはとても勉強熱心で誠実
な方という印象を受けました。あのとき、直感的に植田さんが将来全日本を背負うこと
になるのではないかと思ったものです。
 
 バーバラはかなりの記憶力の持ち主(要は才女)で、「うわ!そんなことまで!!」と
いう程、色々なことを覚えています。植田さんのリードブロック指導のこと、中垣内さん
のユニフォームのこと、私の失態等も全て彼女のメモリの中、消去はされません。

 「植田さんは男子代表の監督をしているんだよ。今まさに最終予選の真っ只中・・・」
 「え?わ~そうなんだ!父に伝えておくね。驚くだろうなあ・・・」
 
 10年以上前の話題が現在に結びついて、バーバラは嬉しそうに笑っていました。

 男子バレーが五輪出場権を得たのは16年ぶり。そんなに長い年数だったと思えない
のは、バレーはワールドカップ等でメディアへの露出が高いせいでしょうか。

 バレーボール、男女両チームに心からの祝福を・・・五輪でさらなる飛躍を祈って。

posted by yuki |00:48 | Back Arena | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年06月13日

右回り240度の裏話 2 "Mr. Sky... SOLA san"

 今回は男子ハンドボール世界最終予選の裏のお話しを。
 ブラド・ショラさん(クロアチアGK、元代表)について綴ろうと思います。

 ショラさんとは2006年欧州選手権のスイスで知り合いました。
 会った回数は少ないものの、その少ない回数の中で、結構濃い話しや情報交換など
をしているので、かなりの親近感があります。お互い立場が似ているということが一番
の理由なのでしょう。

 さて、そのショラさんは、今回はコメンテーターとして会場入りしていました。
 バーバラによると、ショラさんの解説は的を得ていて、しかも切り口が独特で非常に
聞き応えがあるとのこと。
 
 初日、クロアチア対日本戦でのお話しです。
 
 サポーターの人たちが、最初にウェーブを始めたとき。
 ほぼ同時に2箇所から始めてしまったらしく、円形のザダル・アリーナでは、ほとんど
間がなくウェーブを繰り返すことになってしまい(つまりふたつの波ができたため、1つ
去ったらまた1つという、連続の波になった)、そのウェーブを作っていた一人でもある
バーバラいわく「息つく間がなくてかなり大変だった~!」そうです。
 どうもそれに気付いたショラさんがサポーターへのコメントとして「波はひとつのほう
がいいんじゃないかな」と話したそうです。翌日からはクロアチア国旗を持った人々が
誘導役としてアリーナをひと周りし、ひとつのウェーブを作るようになりました。
 
 ショラさんはそのコメントの前に「ザダルの人々は応援の練習をしたのかい?本当に
素晴らしいまとまりだね!」と伝えています。彼はあの堂々とした外見ですが、いつも
サポーターや周りの人に気を配る、優しい紳士でもあります。
 
20080608 地域住民に開かれたキャンパス、立命よいとこ一度はおいで
  (メイン・サポーターの近くでクロアチアを応援するバーバラ。裏話しは続きます)


posted by yuki |10:17 | Back Arena | コメント(0) | トラックバック(0)
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