2007年08月06日
“どうしても見たかった神様”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ その第2稿
『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』 遂に念願叶って見た“神様”の姿。 手の取り合い、絡み合い。足の取り合い、絡み合い。Mr.ゴッチが猪木氏の背後に廻る。ざわめく背広姿の大人たち。
posted by 美城丈二 |09:53 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』 遂に念願叶って見た“神様”の姿。 手の取り合い、絡み合い。足の取り合い、絡み合い。Mr.ゴッチが猪木氏の背後に廻る。ざわめく背広姿の大人たち。
posted by 美城丈二 |09:53 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』 1972年(昭和47年)3月6日 新日本プロレス旗揚げ戦 東京・大田区体育館 アントニオ猪木vsカール・ゴッチ 幼すぎた私には思慮の外であった。小学年へと進み、ある縁故もあって多くのプロレスラーたちと交わるようになると、気心も働いて当時、NET(現・テレビ朝日)の『ワールドプロレスリング』中継や日本テレビの『全日本プロレス中継』を欠かさず見るようになった。 新日本旗上げ戦はノー・テレビであり(我が地方において)、当時を回顧すれば故・ジャイアント馬場氏も未だ日本プロレスのひとであった。 猪木vsシン、vs小林、vs大木・・・と、まるで夢遊病者のそれ、何かに憑(と)り付かれたかの如くテレビ画面を食い入る様に見つめる頃になると、私の中で“この猪木の、あの新日本の”旗揚げ戦を知りたい、見たいという欲求が次第に強く、大きくこの胸中を支配するようになっていった。 当時から、既にMr.ゴッチは“神様”という異名をもって命じられてもいたし、何より幼くして興味を抱いたことにはありとあらゆる手段を用いても(とはいっても幼い人間の考える範囲までだが)執拗に究明せねば気が済まぬような性質もあって、私の中ではMr.ゴッチに対する幻想が加速するままに募っていった。
posted by 美城丈二 |10:28 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
あのMr.ゴッチ氏が冥土に臥されたようだ。様々な識者の方々が哀悼の儀を述べられておられる。多くの毀誉褒貶と共にその人生を謳われた方であり、プロフィール等は割愛させていただくが、Mr.ゴッチが日本のプロレス界の発展に貢献したその“実績”は紛うことなき事実であろう。日本プロレス・新日本プロレス・全日本プロレス・藤原組・パンクラス・UWF・・・・・もう、関わった、教えを乞うたプロレスラーの数を上げたらきりが無い。 “プロレスの神様”という存在はご存知の通り日本のプロレス界だけで通用したギミックである。だが実際に、四六時中、いかに素手で相手を殺せるか、その戦法を考えていたひとだったらしく、筆者にはかの藤原喜明氏の回想談が思い出された。氏は、フロリダのゴッチ道場で教えを乞うた、その義理を重んじ毎年、Mr.ゴッチの誕生日には花を欠かさず贈られておられる。
posted by 美城丈二 |14:26 |
魂暴風【pickup report】 |
ジャイアント馬場は強者である。 その懐は数々の事変に対し、思慮し、考察し、答えを導き出す。どこまでも「慎重穏士」と揶揄(やゆ)されたが、実際は容易に胸中を他者に明かさぬだけで、その心根は深い洞察の持ち主であり、そのリング上の絵巻においても誠に味わい深い空間を有した闘い模様であったのだと思える。 若き日の私は「幾度と無く挑み、幾度と無く敗れても100回目に勝てば私は甦ってくる」と公言して憚(はばか)らなかった猪木の清さをよりプロレスラーとして好ましいと思っていたが、だからといって馬場自身をひいては馬場プロレスを批難することはまず爪の垢ほども無かったのである。 かつてそういう私のスタンスに対し、「どっちつかずで下衆(げす)な奴と思われないだろうか?どちらか一方に偏っていた方がより支持を得やすく、考え方を統制し易い」と忠告してくださった方がおられた。どちらか一方に?到底、私には出来ぬ芸当に思えた。
posted by 美城丈二 |01:23 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
『妙なる武辺』 時代がサムライたちを呼ぶのではなく サムライたちが時代を呼ぶのだと信じていた少年 貪(むさぼ)るように結果速報号を読んだ それは確かにあの頃 そんな時代を照射させていた ファイト紙とゴング誌、そしてプロレス誌 三紙(誌)ではなかったか 真夏の夜の祭典 誰がその裏で蠢(うごめ)くアングルを知っていたのか だがそんなことよりも ただ世情において それがはしにもかからぬ うすっぺらい事象だったのだとしても その少年にとってはめくるめく 夢の領域とも言うべき 一戦であったのだという事実がいまでは あまりにも懐かしい 黄金のプロレスブームはそののちに訪れた 世情で皆が囃し立てたとき 少年は少しだけ胸を張った それ見たことかという 不遜な思いの外であり ただ自分が焦がれた世界が 世間に注視されたことが仄かに ただただ嬉しかったのである あれ以来 また何事も無かったかのように 「蔑視の目」 は繰り返されていった されど少年のこころはあの日のまま 不変である まるで世情に抗するように 反論を口角飛ばしてやり返すといった次元にはもはや無く ただあの一戦が 少年にとって きっとその生涯ずっと 忘れられぬ胸の高鳴りであったのだと いまや自身で察しているに相違ないから そういう想いを抱きつつ 少年は遂にいまや成熟し老いつつさえある かつての少年が “時代がサムライたちを呼ぶのではなく サムライたちが時代を呼ぶのだ” と想い続けたまさしくそのサムライたちに対し 取るべき道は そう ひとつしかないのじゃないか あの頃を あの心根に巣食う格闘浪漫を 自分なりの言葉でものしてみたい・・・ 真夏の夜の祭典 「誰が!! 忘れようにも忘れられようか!?」 1994・8 初出稿
posted by 美城丈二 |09:27 |
新章『時空を超えた“格闘者”たち』美城丈二・格闘詩篇 |
先般、さる永田裕志選手の大ファンですと名乗るお方から、「何故、永田裕志は時代を取り損なったのですか?美城さんの忌憚無いご意見をお聞かせください。」なるメールを頂き、誠に言葉窮した。困ったな、弱ったな、忌憚無いご意見と言われても、どこまで忌憚無い意見を記述してよいものやら、筆者、大いに考えあぐねた次第である。
posted by 美城丈二 |15:38 |
魂暴風【pickup report】 |
随分以前からあの上田馬之助氏を思うあまり、私なりにお逢いして近況やかつてのプロレス界等についての懐かしいお話しなどをお伺いしたいものだと思っていた。 昭和の香りの漂う日本人プロレスラー、故・大木金太郎氏、ストロング小林氏と並び、それは私にとって“金狼”“まだら狼”そう、あの上田馬之助氏であった。 だが皆さんご存知の如く、上田氏は生命を落としてもおかしくはない危急ともいうべき大事故に見舞われ、その後遺障害を思うとき、お逢いすることが誠に躊躇(ためら)われた。 私事で恐縮だが、知人のおひとりがやはり話しを聞く段において目を背けたくなるほどの事故に遭遇され半身不随に陥り、術後も度々お見舞いに行かせていただいたが以前のような輝きを秘めた両の目が感じられず、その周囲の方々の心持ちを思うとき、いたたまれない思いに至った経緯もあり、誠に暗中複雑、お逢いすることが躊躇われた。 私の先年亡くなった実父もそうで私の幼い時分は普段、物静かではあっても一旦酒が入ると狂気じみた面構えになってぶん殴ってくるほどの親父であったが、その晩年大病を患って血色の良くない、まるで息子である私が望んですら他人かと見まがいかねないほどのやつれようを見せ付けられてこの心、なんとも言いようの無い思いにかきたてられたものである。 私は大変、恐縮なる勘考とは思いながらも、上田馬之助氏、氏にもそういう側面が予見されてお逢いすることが躊躇われ今日(こんにち)に至っている。
posted by 美城丈二 |15:45 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
(関係者にとっては言わずもがななことではありましょうが・・・) ゲノムに執拗に拘るあまり、プロレスというジャンルが本来持つイズムの多種多様性、それら個々のダイナミズムなるものを削(そ)いではなるまい・・・ 先の“仮面貴族”ミル・マスカラス、IGF第2弾興行参戦か!?という報に接し、私がふと勘考した思いのひとつである。 もともとIGF立ち上げの根本思想、一大テーマは底冷えしたプロレス界復興を謳ってもいるのだから、ここは素直にあの“スカイ・ハイ”の入場テーマ曲をIGFの会場で爪弾いてもよいのではないかと私は考えた。 要はメーンがピシッと締まるかどうかであろうと思う。先の6・29第1弾興行がそれなりにまずまずの高評価を得たのはある程度以上の参戦メンバーを擁立し得たという側面以外にメーン試合がだれる(もたつく)こともなくほどよく締まったからで、多くの識者が指摘している通りである。
posted by 美城丈二 |07:59 |
魂暴風【pickup report】 |
貴重なスペースを割き恐縮ながら、どうしても一言ながら申し上げたくてここに一筆啓上させていただきます。今回、諸事情に拠り、コメント欄、TB欄をひとまず閉じさせていただく旨お知らせ致しましたが、筆者もまことに驚くほどの多くの方々からご声援のメールを頂き、拝読させていただいて込み上げてくる思いさえ抱かずにはをれませんでした。僭越なる物言いではございましょうが、個人的にお付き合いさせていただく方々以外の当ブログサイトのみにおける一読者の方々が、わざわざ誠に貴重なお時間を割かれてまで私なんぞに申し添えくださり、この心より御礼申し上げます。有難うございます。深謝致します。本来ならばおひとりも漏れをきたすことなくご返信致したきところではございましょうが、中には「ご返信は必要ございません。」とお書き添えの方もおられ、非常な感銘を受けております。 私なりに今後も精進すべく努めてまいろうと思います。次回から若干趣向を変えた新章も設け、今後も拙文ながらも私なりのコラムをものしてまいりたいと思いますので、今後とも変わらぬご支持賜れますれば筆者これ以上の喜びは無く、幸せかと存じます。ほんに皆さん、有難うございました。物書き冥利に尽きる!!この一語です。 管理者・美城丈二
posted by 美城丈二 |07:17 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
かつてUWFに出向いた者は選ばれしひとであった。それはつまり、時代がプロレスのいい加減さにそろそろ辟易してきた“背景”と重なる。 あの猪木氏が世間に対する“屹立概念”として昂然と対峙出来なくなりつつあったとき、あの時代は“象徴”としての存立の揺らぎを猪木氏に与えたとも言い換えられる。 つまり、猪木氏が世間の蔑視の目に対してプロレスファンの主張を代弁する形で存立している限り、UWFは寿命を引き伸ばすことは出来なかった(Uがたとえクーデター騒動の渦中にあった猪木氏の受け皿団体としての発信だったのだとしても)。
posted by 美城丈二 |00:12 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
伊達や酔狂で吐ける文句じゃない。 40を臨もうかという人間が “復帰”すると公の場で 明言したという、事実。 あのヒクソンの名を真っ先にあげた、 “あの船木誠勝”の その胸中を思うとき、 己の人生を四角いリングに懸けた ひとりの人間の“妄念”を強く感じる。
posted by 美城丈二 |11:35 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
先頃、小橋建太選手の癌闘病からの“復帰”に向けての声明 の報に触れて、その自身のプロレスラーとしての思いに懸ける執念を思うとき、絶句せざるを得なかった。 2006年7月に腎臓癌に対し腹腔鏡下手術を施し、ほぼ1年後の先達て会見を行い、復帰戦のパートナーに高山善廣選手を指名、対戦相手には三沢&秋山組を掲げている。昨年、病で臥す直前に高山選手の脳梗塞(こうそく)からの復帰戦の相手として、三沢&秋山組との対戦(日本武道館)を予定していたのだが精密検査で腎臓癌が判明したことから、欠場を余儀なくされていた。 1年後、小橋選手本人が「何が何でも高山選手と組んでやりたい」と表明し、対戦者には「三沢さんと(秋山)準とやるのがケジメ」と1年前の発表カードを希望している。 ☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。 美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ ⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』
posted by 美城丈二 |12:31 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
真摯に多くの方々が私の“船木復活檄”とも言うべき論稿にコメントを手向けてくださる。そしてまた多くの自身宛メールも頂く。誠に有難うございます。今回の記述にあたり、その旨、表記させていただきます。本来ならこれまでの自身の慣例通り、おひとりずつコメント返しさせていただくところ、ただ、中には心無い、論稿とはあきらかにかけ離れたかのようなコメントもまま見受けられるが為、今回はコメント返しの意も込めまして、再び記述させていただきたく思いました。是非、ご理解くださいませ。
posted by 美城丈二 |09:55 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
新日本からUの聖地へ。そして藤原組を経てパンクラスを旗上げ・・・。 やはり、というべきか、 船木誠勝が復帰宣言を発した。 今回は公の場、先の7・16HERO’Sのリング上で。そうして翌日には会見を開き、本年大晦日、「Dynamite!!」にて復帰戦を行う旨、公約した。 以後、大晦日まで一切の芸能活動を封印し、復帰戦に備えるという。 あのヒクソン戦、多くの日数を割き、ヒクソンひとりの為に神経を研ぎ澄ませてきた、あの獅子の如し目を既にしていた。
posted by 美城丈二 |23:03 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
柴田勝頼が猛々しい。 先達てマスコミ報道で目の当たりにした、柴田勝頼選手の真摯にサンドバックを打ち込む姿を垣間見て、私は素直に「頼もしいな」と思った。 トレーナーとして指導にあたる船木誠勝氏の「長い時は1時間半ぶっ通し打ち込んでいるときもある」なる発言は、氏の人柄を思うとき、まさしく取材用の“絵的”練習風景を思わすことも無く、多くの識者が語っておられるように柴田選手への“期待感”を大いに募らせるものであった。 もともとが「強くなりたい、強くありたい」と思い続け、練習メニュー等もひとつひとつ改善していこうという姿勢のもと、日々鍛錬に明け暮れておられる氏、また柴田選手であるのだから、誠に僭越なる物言いではあろうが、その流す汗はやはり“嘘はつかない”ものであって欲しいと思うのだ。 「倒しに行かなければ、試合なんかしなくていい」 7・16『HERO’S』を目前に、オフィシャルでそうはっきりと明言する柴田選手に最注視である。
posted by 美城丈二 |20:42 |
魂暴風【pickup report】 |