2007年06月30日
IGF・PROWRESTLING旗揚げ戦「闘今BOM-BA-YE」における感慨・第二稿
再び、IGF旗揚げ戦に言及したいと思います。「プロレスの復興」が一大テーマとして掲げられているゆえ、皆さん、辛口にならざるを得ないご様子。無理もありません。かつてあれほどの“熱を帯びた格闘絵巻”に酔いしれ、胸すく感慨を未だに無碍に捨て去ることも出来ず、両国、その地へと駆けつけられた方々も多数おられるわけですから。
今回は、あまりに難しい理屈をこねまわしてもと思い(笑)、一ファンとしてPPV放送にて猪木氏推薦試合からじっくり見させていただいた、いわば筆者なりの感慨、感想を素直に述べさせていただこうと思います。出来ますならば、筆者も両国に駆けつけ、まさに“生”の勘考をああでもないこうでもないと致したかったのですが、諸事情ございまして参れませんでした。長年、見続けてきた世界とは申せ、筆者にも無論、思い込みや或いは実際の格闘技経験者の方々から望めばとんちんかんな一方方向的な物言いもあるとは思いますけれど、私なりに思いの丈を述べさせていただこうかと思います。尚、他コラム等、極力、コメント返しを致したい儀、筆者なりの返礼も込めましてこれまでも続けておりますが、しばらくお待ちくだされば幸いに存じます。
まず感じることは、実際に両国に足を運ばれた方々と筆者等PPVをご覧になられた方々との“近視感の相違”と申しましょうか、おおむね、ご感想が分かれているという点。
たとえば、筆者が幼い時分に今は無き、国際プロレスの地方興行にて、あのロビンソンの“人間風車”を見たときの衝撃。誠に低空であり捕まえたかと思ったら矢継早に相手をマットに叩きつけていたかのような、素早さ。叩きつけられた方はすぐさま立ち上がれずよろめいていたり、うめいているさま。あれなんぞはTV画面では映しようによってはやはり、その衝撃性は伝わりずらいと思った経緯がございまして、長らくそういうことを感じつつTV画面をにらんだりしていた次第です。今回、レスナーが、スープレックスを大きく弧を描き投げるたびに、観衆はどよめきを挙げておりました。大きく弧を描くということは遠くの観衆にもよく判る攻防ということになり、けれどTV画面、見る方々によっては「あんまり効かねえよなぁ」と受身を十二分に取れる滞空時間なるものを察してそう思えてしまう。これなんかも実際に会場で目撃される方とTV画面を望む方との感慨の相違なるものが生まれてくる、ひとつのたとえであり、ふとそういう観点からの今回、違いもあるのかなと思ったりも致しました。(決してレスナーをけなしているわけではありませんのでご理解を!!)
Mr.ジョシュですが横綱相撲でしたね。上になり下になり、安田選手をいいようにコントロールしている。そのことにお客さんから感嘆の声も上がっておりましたね。筆者は素直に感銘を受けました。やはり元UFC史上最年少チャンプとのキャリアは伊達ではありませんね。幾度も決められる場面を引き伸ばし、まさにプロレス流でタップ勝ち。貫禄の勝利と思えました。そんなジョシュをIGFに引き寄せ、本気にさせるルール、相手をぶつけてみるのも一考かなと思われます。本気にさせられるかはともかくとして今回、筆者はこのジョシュvs小川を見たかったのですが・・・。
アングルですが、魅せてくれましたね。メーン試合が“猪木イズム”を包括しているのかどうかはともかくとしても楽しめる試合展開。まさに安心して見ていられるプロレスでした。ということは、そこに猪木氏が言うところの“怒り”は無いということになり、この場合の“怒り”とは予定調和を越えた逸脱しかねないプロレスの意なのですが、この辺りをどう考慮にいれられるかは識者に置かれて是非が分かれるところだと思います。私は猪木氏プロデュースであるなら、このふたりがセミでジョシュvs小川をメーンに持ってくる。どちらの試合が観衆を沸かすか、小川選手だってもう少し本気にもなるというものです?(笑)
さてその小川選手ですが、猪木氏が解説席で「天下を取れる器」と評しておられました。あれだけプロレスが出来ないと叩かれている小川選手を絶賛しているかのような猪木氏発言。今回参戦してくれたという安堵感を何がしか越えた期待をも感じたのですけれど、いかがなものなのでしょう?再び、時期を見て“ハッスラー”に戻るのか?否か!?そうなると本当に猪木プロレスは一代限りになるや知れず、暗澹たる思いにならざるをえないですね。筆者は小川選手に関しては以前から変にプロレスをやる必要は無しと論じている一群のひとりですから、今後の推移が気にはなります。
小原選手、安田選手、アレク選手、背水の陣とはまこと、今回の大会だったのであり、小原選手にはその覇気を感じた次第なのですが・・・。年齢的なものや長くリングから遠ざかってしまうと息があがると申しましょうか、とにかく体重移動、バランスの悪さを感じました。どうにかしたいという気持ちとは裏腹に何か足が揃わないと申しましょうか、前に出ない、出れない、小原選手の頭突きのように不器用でもがむしゃらに前に出ようとする覇気、プロレスの爽快感はそういうところにもあるはずだし、だからこそ見ている人々にも感動を与える試合が生まれる。小原選手、最後はツームストン、受身を取れない形で落としました。必死さが筆者には伝わりました。
田村選手。悲しいかな、多くの識者が述べられておられるように、まさに“U-STYLE披露試合”でした。必死でポイントを取りにいこうというがむしゃらさが見えにくい為、会場からも野次がやんやと飛んでおりましたね。田村選手参戦で、披露試合とは誠に勿体無い(笑)。水面下交渉が覗われ、悲しいですね(笑)。このU-STYLEルール、筆者は決して嫌いではないのですよ。もともとは“プロレスの曖昧性”拒絶に端を発しており、より競技性の導入は新しきファンを生む可能性を秘めてはおりますけれど、いかんせん、Uファイル会場ではなくこの一戦のみの闘い模様では、やはり“浮いた”感は否めませんでした。とはいってもだからこそ“披露試合”ではあるのでしょうけれどね。
IGF統一ルールなのですが、反則カウント、場外カウントは無しだと謳うのなら、実際カウントはとらない方が良いと思われます。紛らわしいことこの上ない。猪木流なんでもありってことで、思い切って安田選手、Mr.ジョシュを場外引きずりまわして、パイプ椅子ででもぶん殴れば良かったのにってまた論外なる意見というやつでしょうかね?。あと、オープン・フィンガー・グローブ、着用任意。誰か着けておられるファイター、おられましたっけ?(笑)。それだけ“思いっきり殴れという、猪木流親心”かなとも思われますけれど・・・。
今回も、どうしようもない昭和プロレス者の物言いということでひとつだけ。猪木‐藤原‐安田、このほんとにどうしようもない師弟愛、やはりぐっと胸打つものがございました。男同士が大衆の面前で抱き合う、どうも筆者も涙腺が緩んでしまうと申しましょうか、ああいうシーンはお約束と判っていても泣けてくる(このことに関しては困ったものだと筆者は常々自身を諌めてはおりますが・・・苦笑)。よほどの“不肖息子”なのかなぁ、安田選手?いろいろとにかく覗われます(笑)。
まだまだ、ものしたい事柄はございますがIGF旗上げ戦に接しこの稿、最後に述べておきたい事柄として、著名な識者の方々が、ほとんど成功であったと論じられておられるのには正直、驚きました。実数発表以外の会場ならではの“熱”を感じられてそう書かれておられるのか?他に他意がおありなのか、読了させていただいてもどうもちょっと筆者にはそうは思いがたかったというのが正直な感慨です。なのに反し、当サイトにコメントを寄せてくださったり、直接メール等をくださった方々のほとんどは批難否定的でしたね。
どちらにせよ、この道がまさしく点に終わるのか?継続していくのか?まだまだ流動的ではあるのでしょう。8月第二弾開催説はあっさり猪木氏が否定されました。願わくば、IGF、その道は無論、筆者と致しましては“プロレス”の復興に繋がる道たれとは思ってはおりますけれど・・・・。
長々と、筆者の感慨にお付き合いくださった方、大変恐縮、嬉しき限りです。
☆皆様のご支持の賜物です。近日、第4弾、刊行を予定致しております。
⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side』
⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
⇒『ミルホンネット版魂暴風3忘れ難き青春の日本人レスラー篇』
posted by 美城丈二 |22:37 |
魂暴風【pickup report】 |
2007年06月29日
筆者より;これからPPV等をご覧の方々はIGF旗揚げ戦における試合内容にも言及致しておりますゆえ、この先はまたの機会等にお読みくだされば幸いかと存じます。ご了承くださいませ。
「過去をけなすなんて
未来を自ら壊しているようなものじゃないか。
いまの君は、誰でもない、過去があったればこその
いまの君なんだから、もう少し自分を誇って良いのですよ」
忘れ難い、あるお方のその戒めのお言葉。先年、そのお方のお葬式に列席し、往時を思い起こした。まったく格闘技という世界を知らず、我が文筆の道を邁進なされたお方だから、黄泉の国において、弟子としての末席、その座に居座っていた私との観戦歴はもはやお忘れのことであるのかも知れぬ。
と、ふと思い描いていたところ、ここ最近、未亡人であられるお方の夫人と電話連絡がとれ、あまりにも以外なお言葉を頂戴して恐縮した。「奴には言うなよ」と言いつつも、さるお方、師は私との格闘技観戦の際の感慨をかなりしげしげとお語りになられていたという、驚き。「実はああ見えて、あなたからのお誘いを楽しみにしていたのですよ」
後日談とはこれだから厄介なのだ。自身の感じた感覚なるものとは明らかに違う色合いのものを提出してくる場合があり、たまに自身の考え違いに自身で憤慨なんてこともままあったりする。
もしかしたら、またそういういわば“嬉しい誤算”がありはせぬか?と思い惑いながら、筆者はIGFの旗揚げ戦を見つめ続けた・・・・。
見つめ続けたのちの第一声、言葉出ずにはたと考え込んでしまった。
(熱がいまひとつであった・・・
だが、とは思いつつも・・・)
旗揚げ戦的にはメンバーはもうこれで十二分なんですよと、語られておられる識者の方もおられ、ぐだぐだと長い膠着の試合を見せられるよりかはまだましではあったのかも知れない。
Mr.ジョシュはきちんと幾度と無く決められていた場面で先延ばしするという懐のある試合を見せつけたし、小原選手は小原選手で不器用この上ない、けれどなんとも見ていて爽快な頭突きをくらわし、石川選手はあの“バチバチ”を見せ付けて、Mr.アングルはタップするぞと思わせておいての逆転ギブアップ勝ち。実力差はいかんともしがたく無碍に敗れ去ったが安田選手は安田選手で藤原氏に張り手をくらい抱きつかれ、放送席での、あの猪木氏をも涙ぐませる始末。小川選手は小川選手でまたあまりに不器用ではあったけれど試合後の“闘魂ビンタ”はお約束。「まだ、ふたり、居るからな?」と猪木氏に暗示をかけられる。ただ統一ルール?と謳う場外カウント無しという“目新しさ感”はいまひとつ(実際、全盛期のシンのように無用に暴れまわっても“有り”なのです)。ハチャメチャさは感じない。無難に収まったかな?との印象。そういう意味合いでは皆、猪木氏に遠慮しているのかな?という気も致しましたが・・・。
二度目は無いかも知れないのだ。だからこそ、ここぞというものを見たかったという思いこそ本音だが、口さがない一チャネラーでは無い筆者としては、まぁ、諸々勘考のち仕方無いかな?とも思った次第です。
是非、Jさん等、実際に会場に足を運ばれたであろう方々の、“臨場感溢れる”ご感想、ご感慨等をお聞きしたいものですね。筆者の望んだサプライズは誠に無しではありましたが、久方ぶりに第一試合からしっかと見させていただきました。今回はあのかつてあしげく通った、両国に参ることが出来ず、TV観戦にての目撃談となってしまったことが、やはり残念ではありましたね。
次回、開催あるなら、この後の“密の深さ”に期待致したいと思います。
posted by 美城丈二 |22:25 |
魂暴風【pickup report】 |
2007年06月28日
“藤田ァァ~!! 出て来~いッッ!!!”
真の実力には筆者は?マーク、疑心いっぱいではあったがそんな筆者の意に反して当時、『霊長類ひと科最強』と謳われていた、あのケアーをアグレッシブに攻め立て、圧倒的な存在感を指し示した時、多くのかつてのプロレスファンからのPRIDE流れ者、すなわち筆者みたような連中は色めき立った、はずだ。
元新日本在籍のれっきとしたプロレスラー上がり、猪木氏のアレンジしたバージョンとは申せ、“炎のファイター”BOMBAYA入場曲を携えて勇躍躍り出でた。注視しないはずは無い、いやまさに注視したのだ!!。
くちさが無い者達に、師匠は現役時、八百長に揉まれていたくせに弟子達には真剣勝負を強いる、などと揶揄される蔑視論、どこ吹く風、その弟子のひとり、ひところの藤田にはやはり威風漂う“闘う者の、強さへの飽くなき追求心”が見て取れて、私なんぞにはあまりに猛々しく映り見え爽快そのものでさえあった。
まず面構えが良かった。強者特有の鋭い眼光は、或いはこれから這い上がろうとする武辺者は、恒にいまにも挑みかからんほどの鋭い眼光を有しているもので、格闘家としてはまったくこの威風は不可避なものであろうと考える。
時代としてもプロレス界衰退、MMA勃興という波にその背を押され、もともとレスリング全日本学生選手権4連覇という偉業をバックボーンに持つほどの男であるから、「挑戦、無論、ここぞと参る!!」とばかりに、PRIDEのリングへと猪突、邁進した。結果は云うまでもない。時代が彼を押し上げたと各論者は絶賛、ものしたものだった。
☆PRIDE GRANDPRIX 2000
開幕戦2000.01.30
○ ハンス・ナイマン
1R 2分48秒 ネックロック
☆PRIDE GRANDPRIX 2000
決勝戦2000.05.01
○ マーク・ケアー
1R終了 判定 3-0
× マーク・コールマン
1R 0分02秒 TKO(タオル投入)
☆PRIDE.10
2000.08.27
○ ケン・シャムロック
1R 6分46秒 TKO(タオル投入)
☆PRIDE.12
2000.12.23
○ ギルバート・アイブル
2R終了 判定 6-0
☆PRIDE.14
2001.05.27
○ 高山 善廣
2R 2分18秒 TKO(肩固め)
☆PRIDE.26
2003.06.08
×エメリヤーエンコ・ヒョードル
1R 4分17秒 スリーパーホールド
☆PRIDE無差別級GRANDPRIX2006開幕戦
2006.05.05
○ジェームス・トンプソン
1R 8分25秒 KO(スタンドでのパンチ)
☆PRIDE無差別級GRANDPRIX2006 2nd
2006.07.01
×ヴァンダレイ・シウバ
1R 9分21秒 TKO(タオル投入)
☆PRIDE男祭り2006FUMETSU
2006.12.31
○ エルダリ・クルタニーゼ
1R 2分08秒 KO
☆PRIDE.34
2007。04.08
× ジェフ・モンソン
1R 6分37秒 スリーパーホールド
PRIDE以後、そのPRIDEに限った戦績を見れば、またぞろくちさが無い者達はヒョードル戦のち「終わった!!」と弾劾するのかも知れぬ。だが、そういう見方をしたが最後、プロレス者はその希求癖を遂には枯渇してしまう事態に陥るというものだろう。この戦績を望めば、あらぬ水面下での“しがらみ”が見え隠れしており、藤田のけっして平坦では無かった“闘う男の、浪漫”まさしく性が感じ取れ、筆者にはあらぬ思いがふつふつと沸き立ってくる。
燃える闘魂、猪木イズム、最期の継承者・・・猪木現役時、最期の付き人であった彼は、いつしかそう、謳われるようになった。新日本からのPRIDE転出時、あの前田日明氏との遣り取りや猪木氏との因縁を経て、いつしか藤田にはそういう冠が附されることとなったのである。
(ここからは筆者のいつもの繰言です。そのおつもりで読了願えれば幸いかと存じます。)
そんな彼がいつの頃からか迷い始めていると筆者には見てとれて、胸中、穏やかではいられなくなった。次第に憂いが帯び始め、ファイトスタイルにもその迷いは如実に現れ、新日本のIWGP選手権者、再び戴冠のちそれらはまさしく顕著に誰しもに判る形で露わになってしまった。
その師はいうまでもなく、格闘技とプロレスを棲み分けぬ主義のひとだ。無論、猪木氏の現役時を鑑みれば、それは至極妥当な帰結だろう。だが、実際にMMAにてリング上、相対した時、藤田、彼にはあきらかな現行プロレススタイルとの違いが感じられたはずだ。なにより猪木氏全盛時のそれとは、日々の修練、鍛錬方法からしてまったく違うのだから、当然と言えば当然の感慨であったのかも知れない。
氏が望んだ“棲み分けぬ格闘浪漫”を現行のプロレス世界に持ち込もうと企ててはみたが、あまりの価値観の相違を持って断念、それでも躍起になって自身の哲学を押し付けようとした師への反発?、遂には“最期の継承者”の道も断念?することとあいなった!?・・・。
私は藤田がIWGPチャンプにあってその方向性へと向えばまだ新日本の未来は明るいと見ていた大馬鹿者だったのだが、いまやそれも気泡と化してしまったようだ!?
この4月中旬から海外へと旅立ち、グアム、パラオに入り長期合宿を張っていたという藤田。いまや彼は何を目指して自身の“格闘浪漫”を紡ぐというのだろうか?
買収のち、先の見えぬPRIDEにあってこのまま意気地を貫き、たとえリングに一敗血にまみれてもそれ相応しいとは思うが、果たしてその道に飽くまでも拘ろうとするのか?
或いは・・・・・・?
ケアーを圧倒し、コーナーポストに駆け上がり吼えた藤田には万来の拍手と惜しみない喝采が四方八方からあがり、新しい世紀のプロレスラー誕生を予感せしめた。
まだ道はある。
「道は険しくとも、笑って歩もうぜ!!」(師、のほほんとそう、曰く・・・)
藤田和之・・・筆者は詮無い物言いではあろうが、或いは誠に僭越なる言いっぷりではありましょうが、“ただ一方的に勝てば良い”世界とは一線を画す世界に再び名乗りをあげてもらえぬだろうかという思いも未だに人知れずあるがいかがなものだろうか?
格闘家としての佇まいは近年、浮上してきた誰よりも屹立しているように感じられる、藤田和之という、男。このまま、静まっていてはあまりに勿体無い。筆者は思うのだ。師の“危急”を救うのは藤田和之、或いはあなたではなかろうかと?師はまさしく望んでいよう(口にこそ出されないが・・・)。
継承者とは遺伝子を享く者と悟りたし。
“藤田ァァ~!! 出て来~いッッ!!!”
posted by 美城丈二 |18:37 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
2007年06月24日
%size(2){やはりと言うべきか、IGF、猪木氏新団体の存立が危うい。旗上げ日をこの29日に控えているにも関わらず、まだメーンカードすら、どうなるかわからない状況である。
小川選手参戦は前後の経緯はどうであれ、IGFにとっては朗報ではあったが、小川選手が不用意?にもアングル戦をぶち上げてしまったが為、実は唯一の事前発表カードであった(6月24日現在)アングルvsレスナーの対戦カードが、やはり猪木氏特有の見切り発車カードではなかったのか?とくちさがない連中に勘ぐられる結果を生んでしまった。
私は、いまや猪木氏に関しても是々非々論者であり、それはもうどこでもはっきりと明言している。当サイトにおいて猪木氏のかつてのファイトぶりを取り上げる。それはかつての私の涙すら流したほどの“感銘ぶり”“思い込みぶり”を図らずも顕すものだが、だからといって現行の、或いは現役晩年時代の猪木氏すら是認されうるものである、という定義付けはとんでもない間違い、方向違いであろうと考える論者のひとりである。
前田氏がかつて蔵前の控え室で居並ぶ記者方々を前に叫んだ、
「アントニオ猪木ならなんでも許されるのか!?」
あの言葉はその後の私に大いなる楔を打ち込む、まさにアンチテーゼ足らしめた。真理を見つめる処断において過去のフィルターは上手く持ちいらねば、その目を曇らせる枷(かせ)にしかならないと思う。かつて涙するほどに感銘を得たものを私はその当時のままに賞賛はするが、だからといって今もそれ相応などという観念は、少なくとも私には無い。
猪木氏に関しては、かつてある識者が、
「私達は、猪木に関して我慢しうる持ち札を遂に使い切ってしまった」
と、嘆かれておられた。
あれほどどれほど、猪木氏は批難されてもどこ吹く風であるのだろう?私達、過去のいわば猪木氏の遺産を未だ保有する者達にしても、いつぞやかは消えていく代物でしか過ぎず、現代の格闘技ファンの心根を引き付けぬ限り、IGFの成功はけっして有り得ぬことくらいわかりきったことなのに、ちまちまと連日に渡ってあらぬ話題を提供したとしても混乱を起こすばかりで、果たして本当に開催するのか?開催できるのか?そのような勘ぐられようでは、まったくこの先、心許ない。
また未だに猪木氏が連日に渡り、話題を独占するかのような状況も、まあなんと頼りない、我がプロレス界であろうことかとも思う。時に変わって一面を飾るのはあの“ハッスラー”面々。
「一体、いつになったらプロレス界は反抗の狼炎を上げるんかい!?」
IGFは、昭和新日派を筆頭にチケット自体は、売れていると聞き及ぶ。つまりそれは無論、期待感以外の何物でもなく、いかにカード一戦ばかりの発表にも関わらず、どうにかしてくれという、かつてのプロレスファンたちの嘆きにも通じていようことなど明白であろうが、それにしてもこの期に及んでメーンカード自体が危ういという状況は、やはり笑止千万と嘲笑われても仕方が無い失態であろうと思う。
今回、転べばこれまでに比すとも劣らない批難轟々たる中傷を受けることだろう。とはいってもそのようなことは誰しもが判りきった論じごととして、筆者も当サイトにおいても散々、書き連ねてもきた。
「どれほどの意気地か、どれほどの本気度か?」
筆者は思う。猪木氏が望むべくカードを並べられぬなら、今からでも遅くは無い。開催はそれこそ大笑いされても良い、回避すべきだ。中途半端にお茶を濁すより、回避した方が間違いなく賢明であろうと思う。
悲しいかな・・・時代は刻一刻と進んでいる。見方によってはかつてのプロレス絵巻を取り上げる当サイトの姿勢は“かつての一ファンの個人愉悦”マスターベーションに過ぎず、早くそこからかつてのファンを引きずり上げて欲しいとも思うのだ。
はっきりと申します。IGFはプロレス界を取り巻く現行状況、そういう意味合いにおいても期待せざるをえません。だが、あまりの曖昧模糊、イノキイズムの“一端”も感じられぬものなら、私は見たいとは思いません。
IGF観客動員の為に、様々なメディアを駆け回り、くだらぬ駄洒落と共に愛想を振りまく・・・
猪木さん、かつての信者として、それはあまりに淋しい光景です。
「本当ならば、見たくはありませんでしたよ」
☆魂暴風・新日本哀歌
⇒『はじめに道ありき-新日本プロレス道場編』
posted by 美城丈二 |08:26 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
2007年06月21日
“熊殺し”
時代が時代であった。
あの“ゴッド・ハンド”故・大山倍達総裁の血を享く者。
“燃える闘魂”
時代が時代であった。
あの“日本プロレス”の開祖と呼ぶに相応しい故・力道山の血を享く者。
どちらも“負けられぬ”背景があった。平成仲良し闘いごっこ(笑)では無い。
苛烈であった。負ければ団体が消滅しかねない切迫感があった。
片や、極真を破門されたとはいえ、明らかにその“空手”を背負っていた。
のち、プロデューサー・真樹日佐夫氏は、この試合を評して一般人を前にしてあれほどの血を賭けた闘いを知らない、と語られておられる。
“空手か!?プロレスか!?”この“血”を賭けた、争いの峻烈性。
☆この続きは是非、こちらにてご覧くださいませ。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風・最強神話“流転”篇』
posted by 美城丈二 |19:42 |
美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 |
2007年06月19日
%size(2){実は、彼ほど従えがたいプロレスラーもいないのかもしれない。なまじっか、筆者は筆者なりに氏の新日本入門当時からの幾多、様々な変遷史みたいなものをつぶさに見もし、察してもいるつもりだから、先のハッスル登場とあいなって、ひとり、考え込んでしまった。
ある機会にある場所で、「もはや常人ならまともに歩くこともままならぬ」その両膝の破綻ぶりを筆者なりに述べて、それでもリング上にてムーンサルトを放ち続ける氏に、感嘆と賞賛をなればと、ものした。
入門当初、そのあまりの鍛錬の過酷さゆえに、何度も辞めようと意を決したそうだが、そのたびにあの小鉄氏に“センス”を見込まれて引き止められた話しは有名で、ある種、のちの“レスリング・マスター”と謳われることになる氏をもってしても「ローマは一日にして成らず」なるものかと勘考すれば、感慨もあらたというものであろう。
若手時代の“武勇伝”にもこと欠かず、あの前田氏が氏を賞賛するのも頷ける。おいそれと“ジキルとハイド”博士と怪人を演じているわけではない。確かなバックボーンというフィルターを見定めていればこそ。
そんな氏の新日本在籍時、人気絶頂の氏を指して一言ぶったのは、まさしく、かつての新日本総帥・猪木氏である。いわく、「済まないという気持ちが先に立つ。本当ならば、彼が若手の時代にもっと手取り足取り、伝えたかったものがあった」
猪木氏流の檄。けっして“武藤敬司のプロレススタイル”を肯定してのそれでは無い。だが当時、筆者には猪木氏らしい含みはあれど、温かい師弟関係としての投げかけた言葉に柔らかさを感じ、ひとりごちた。認められぬものではあるが、無碍に否定出来ないほどに、既に突き抜けているから良いということだろう。そういう響きを猪木氏の言葉尻に筆者は感じたりもしたものだ。
それからのち、氏は大量離脱後の全日本の“竪(たて)”となり、崩壊を救い、自ら社長就任をもって、氏、創造するところの“パッケージ・プロレス”を推し進める。
だが、他の団体共々、無論、こう冷え切ったプロレス界においては安泰では無い。武藤色が色濃くなればなるほど、昔からの全日本ファンは離れていったし、ひところくちさが無い面々には“第二新日本プロレス”とも揶揄された。当の新日本が身売り話しで“ガタ崩れ”した際は真しやかな合併話しが水面下で交渉されていたという辺りは、無論、今となっては知らぬものがいないくらい、有名な話しだろうから、今後も観客動員数等で苦戦を続けるようなら、またぞろ大きな動きが起こるかも知れない。
“ハッスル”登場にもあらぬ噂はあとを立たぬが、あまりのお笑い劇場に擦り寄らぬ限りにおいては、氏の世界を保つことは出来るだろう。
“ハッスル”に関しては、氏の昔からのファンならずとも年季の入ったプロレス者たちには、そうして翻ってプロレスラー自身においても“良い意味で従えれば踏み絵”になったし、今後もなることであろう。
小川選手も故・橋本選手も
悪い意味で“擦り寄った”と嘲笑われた。
或いはもともとがそうだったのだ!!とも指摘・糾弾を受けた。
長州選手は、己の世界を保ったとされる。
天龍選手はいかようか!?
川田選手はどう、捉えよう?
妖しく光る、プロレス世界の“陰と陽”。“ハッスル”でも独自の世界を貫けるなら、筆者においてはまた「武藤敬司」は是、なのである。見せてほしい!!。筆者にとっては現行のプロレスラーと呼ばれる一群の中で、氏、彼だけは“最後の砦”なのだと書き連ねたならば何を大迎なと、何故にそうまで!?とまさしく嗤われる物言いであろうか?
posted by 美城丈二 |18:59 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年06月13日
%size(2){“坂口征二最強説”有識者において、この論説を唱えた者は数知れない。実際に戦ったプロレスラー自身においても、そう賞賛なさる御仁は甚だしいほどに多い。“坂口征二最強説”そのことを論じることはまたある側面、プロレス界の裏面史を語ることでもあろうと思う。
vsUWF戦士攻防戦、坂口氏は、かけた前田氏や藤原氏のアキレス腱固め等、いわゆる“足関”技をひょいとさも大儀なく立ち上がって防ぎ、見守る観客のどぎもを抜いたものである。あの当時、私はそれが自身、携わってきたプロレススタイルに対する誇り、そうして対戦者への意気地に感じられて、見ていて爽快でさえあった。無論、終始、痛がる真似もできたはずで、されど坂口氏は“この野郎”とばかりに仁王立ちし、当時、既に現役のレスラーとしては“眠りかけていた意気地”から目覚めたかの如く、聳え立ってみせた。
あれはもしや、かつて“日本柔道界最強”と謳われた、“真剣勝負”の場で培われた“意気地”にも通じるものであったのかも知れない。プロレスというジャンルの特有性、プロレス界デビュー当初、“敢えて受ける”という流儀にお世辞にも順応しているようには思えなかったという有識者の声、声、声。にも関わらず、その自身が携わってきたスタイルなるものの根底をも揺さぶらん勢いで、UWF戦士が挑みかかってきた時、その眼前で立ちふさがったのは・・・誰あろう、坂口征二、そのひとではなかったか!?
UWFこそ本物のプロレスだ!!
いや、待てよ。この“俺”を忘れてもらっては困る・・・。
☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』
posted by 美城丈二 |10:58 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年06月08日
「プロレス道」とは、一体、いかなるものなのか!?ひとによっては意見の分かれる定義付けなるものなのだろう。筆者は「プロレス道」とは、
相手との信頼関係における、敢えて受けることによって成り立つ精神。鍛え上げた肉体と肉体をぶつけあい、そこから希求されうる強さへの飽くなき創造精神。
このような感覚で、
大雑把にそう、定義付けしているのだが・・・。
つまり、“暗黙の了解”を是認したうえでなければ成り立たない定義、論理ということになり、
では、はて、あの処断は一体、なんだったのだろうと、またまた筆者は、ひとによってはもうどうでもよいことだろうとも思えし、あの事件(1987年11月9日・後楽園ホール)を本稿の論題として取り上げてみたくなった次第。
未だ、私においては霧の中、あの前田日明氏、新日本プロレス“業務提携時”における長州力顔面襲撃事件に対する忸怩たる、想い。
☆この続きは是非、こちらにてご覧くださいませ。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風・最強神話“流転”篇』
posted by 美城丈二 |10:08 |
美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 |
2007年06月07日
「今、リアルジャパンは格闘技に力を入れており、今後格闘技部門にどんどん進出していく予定。掣圏真陰流師範・桜木裕司は、先日、ロシアのパンクラチオン大会(頭突き、金的ありルール)で勝利、そして、プロレスラーが本当の実力を持ち、どんどんK-1、PRIDE、パンクラチオンに出て、勝つ。そのような強いプロレスラーを育成している。『武道+精神論』、『技術+精神論』がつけば、すごいプロレスラーになる。エンターテインメント的な要素ばかりではダメだ。林社長とはこの部分で議論が一致しました。必ず、強い選手、良い選手を出します!」
目前に迫った、6・8リアルジャパンプロレス後楽園ホール大会を前に今大会から業務提携が決まったハッピー241(スカイパーフェクTV 241Ch.)の親会社であるトランスデジタル株式会社(代表・林氏)との共同記者会見の席で、掣圏真陰流総監・佐山聡氏はそう、語っておられる。
佐山聡氏に関しては、筆者なりに、これまで多くの場所、機会にて、僭越ごとながら自論と共に記述させてもらってきた。一般的には未だに初代タイガーマスクの印象が色濃いが、筆では尽くし難いほどの流転の日々を繰り返されてこられたであろう氏の道程は、或いはこの稿をお読みくださる方々の方が詳しいのかも知れない。
その格闘技にかける情熱、理想、ひいての格闘理論は恒に「5年、10年、先をゆく」と多くの有識者が指摘なされたように、まさしく的を得ており、いままた再び虎の仮面をつけ、その武道精神、追求なさるところの掣圏真陰流普及に奔走なさっておられる。
今大会がCS放送ながら無料放送されることは、なにより普段、氏の
追求なさる世界観に関心の薄い層にアピールすることにも繋がり、良いことであろうと思う。
私事ながら20代前半の折り、通い詰めた、三軒茶屋近郊にあった「スーパー・タイガージム」の佇まいが想い出せれ、往時がまた懐かしく偲ばれる。あれ以来でも既に20年以上の歳月が流れてしまった。「飽くなき追求心」既にその理想郷はもしや更に5年、10年先に進まれているやしれないが、佐山氏の“いま”を私なりに見届けたいと思う。
6月10日(日)21:00~23:00
スカイパーフェクTV 241Ch.
【ハッピー241】にて無料放送を実施。
☆YAHOO!スポーツナビ ・ニュース
☆初代タイガーマスク・佐山サトル
⇒Official blog『虎の穴』
☆当サイト“初代タイガーマスク”関連コラム
(電子書籍収録稿)
⇒『長き憂憤の果て“初代タイガーマスク、その勇姿の名は佐山聡”』
posted by 美城丈二 |10:12 |
魂暴風【pickup report】 |
2007年06月05日
*(この稿は、故・大木金太郎さんの逝去の報に接し、HPに書き綴ったものの、改訂稿です。初出2006・10)
思い出すことなど。
敬称略にて。
国際空手道連盟極真会館の創始者で名誉総裁、初代館長でもあった、あの故・大山倍達存命の折り、果敢にも喧嘩を売った、日本人プロレスラーが居た。ひとりは云わずと知れた“燃える闘魂”アントニオ猪木。そうしてもうひとりが、あの本名・金一“キム・イル”こと大木金太郎である。
総合格闘技界がまだ世間的には“総合”と呼ばれていなかった、1975年(昭和50年)、日本プロレス崩壊後に、フリーとなった大木は、6月17日に記者会見を開き、
「力道山先生の名誉にかけても、空手家の大山倍達に挑戦する!!」と居並ぶ記者を前に突如、ぶちまけた。
ことの発端は、こう、である。
同6月8日付けのさる新聞の地方版に、大山の手記が掲載され、そこにこんな記述が踊った。
「日本プロレス界の王者、力道山さえも勝てなかったタム・ライスに私は勝った」
この文章を人伝えに聞いた大木は激怒。「俺の挑戦を受けるか?もしくは謝罪しろ!!」
その剣幕は、尋常では無かったと聞く。
もともと大木は、往年のプロレスファンの方々ならご存知のように、師・力道山と同じく、多国籍出身のプロレスラーである。韓国相撲の横綱格であった大木は、1958年(昭和33年)、力道山に憧れ、日本へと密入国、入国管理法違反で逮捕され、収容所から、力道山に嘆願書を出し、力道山の肝いりで、1959年(昭和34年)、日本プロレスに入門している。鬼のしごきと恐れられた力道山の課す特訓をそののち、若手三羽烏と謳われた故・ジャイアント馬場、アントニオ猪木らと共に耐え抜き、そんな地獄の特訓の最中でも時折、慈愛の目を手向けたという力道山の優しさが逝去のちも忘れられず、「我こそは力道山門下最強の男である」との普段からの自認と共に、師の「プロレスこそ、格闘技界最強である」という主義を誠、実証すべく、大山に喧嘩を売った。
大木には、目算もあったとされる。勝てぬとも相打ちには持ち込める。大木はデビュー5年目にして、あの“鉄人”ルー・テーズにシュートを仕掛け(渡米時のこと。時の日本プロレス社長の豊登から、もし世界と名のつくタイトルを取ったら、力道山襲名を許すとの言質に小躍りして喜んだ大木はNWA王座に挑戦の際、暗黙の了解を度外視、壮絶な果し合いの末、テーズのナックル、顔面連打によって破れているが)腕には相当の自負心を抱いていた。
こういった喧嘩まがいの試合スタイルから、当時の外国人レスラーからは「セメント・ボーイ」などとあだ名されたほどの実力者だった大木としては、その命を賭してでも、大山を潰すという、師を侮辱した者に対する敬虔なる思いの成せる業だったとしても、この果たし状を軽く受けてしまうほど、時の大山も子供では無かった。
当時、極真会館は全国各県に県本部を持つ傍ら世界各国に55の本部を持ち、大木が挑戦の狼煙をあげた、その年の11月には待望の『第1回オープン・トーナメント全世界空手道選手権大会』を開催すべく、大山は雑事に忙殺されており、いくら相手が著名なプロレスラーだとしても、「殺し合いである前に武道たれ」という、健全なる青少年育成の精神においても、他流試合を禁止していた見地から、やすやすと大木の挑戦を受けるわけにはいかなかった。
大山は、7月1日に記者会見を開き、
「昔は、メシを喰う為に、プロレスラーも名乗った。ライスに勝ったのはその頃で(昭和26年)力道山がアメリカでライスに負けても、日本では完勝(昭和31年)したことも知っている。私は力道山の友人で、彼を侮辱した覚えはなく、大木君がどうしてもというなら受けざるをえないが、出来れば争いは避けたい」と語り、手記を掲載した記者への配慮ともとれる言葉をも口にした為、それを諒として、大木は自身の挑戦を取り下げ、この問題はそれにて収束した。
あの猪木が、“柔道世界一”のルスカと(昭和51年・2月)“ボクシング世界チャンプ”のアリと(同年・6月)闘う、まだ、世間的には“異種格闘技戦”なる定義すら浸透していない以前のお話しだが、大木の師・力道山を偲ぶエピソードのひとつとして、ここに改めて筆記した次第である。
大木氏のご冥福を心よりお祈り致します。
*筆者注:この稿、菊池孝・章題「リング上でも私生活でもガチンコに徹した大木金太郎のセメント一代記」に改めて拠った。
(株)桃園書房刊『プロレス&格闘技 その時、現場記者は見た!』
posted by 美城丈二 |15:08 |
“魂暴風”popular request column |
2007年06月04日
「7万人の観衆を敵に回して、命の遣り取りをする。そんなこと、私には到底、出来ませんよ」
とは、あのプロレスラー・藤原喜明氏の弁。
1976(昭和51)年12月12日
カラチ・ナショナル・スタジアム
格闘技世界一決定戦
アントニオ猪木(3R1分5秒 TKO)アクラム・ペールワン
実際に、その時の模様を映像にてご覧になられた方も多くおられよう。アントニオ猪木、まさに“戦慄のセメントマッチ”格闘技世界一決定戦の一環試合である。
☆この続きは是非、こちらにてご覧くださいませ。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風・最強神話“流転”篇』
posted by yoshiki812 |12:02 |
美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 |
2007年06月02日
謎があまりにも多い。だから憶測と推測でものは書けない。
・・・にも関わらず、様々な場所で“好み”という視点から、氏はまた様々な人間たちによって論じられてきた。猪木vsアクラム・ペールワン戦等もその範疇であるといえよう。ひとによっては私がMr.ゴメスについて語れば、また猪木寄りかと嗤われそうだ(苦笑)。
VT草創期、とはいっても昨今のK-1、PRIDE勃興の時代の話しではない。昭和40年代前半から50年代にかけてブラジルVT界9年間無敗を誇った男と称されている。ただ、これとて実際は判らない。あのヒクソンの400戦無敗なる定義に限りなく近い“記録ならざる記憶”かもしれない。
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posted by 美城丈二 |22:01 |
美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 |
2007年06月02日
☆魂暴風【pickup report】
小川直也は本当に猪木IGFの旗上げ戦、そのサイドロープを跨(また)ぐ気になったのだろうか?
本日付、東京スポーツ裏一面には、小川直也『ハッスル封印』IGFへ参戦との報が踊っていた。IGF三銃士とも称されている、アングル、レスナー、ジョシュに対し、日本人大物プロレスラーの登場が望まれる、との私の思いは果たして今後、どう推移していくのだろうかと注視していたが、やはり、あの小川は動いた!?
船木、柴田担ぎ出しの為、前田と会談を持った猪木だったが、交渉は決裂。水面下での中邑、そして藤田参戦交渉は暗礁?に乗り上げ、そこへ急転直下、猪木‐藤波会談が実現した。更にサプライズとも言うべき小川直也、参戦!?の報、もうひとりの大物、長州の動向も鑑みれ、選手としてはどうかとは思うが、まさに水面下で大いなるうねりが起こっていることは事実であろう。
くちさがないチャネラーは、「何が今更、IWGPだ!!」とのたまわっているが、理念としては正しい方向性だと思える為、これはまさに平成の、21世紀における、あらたなる新・新日本プロレスの勃興、そう、IGF=『聖・新日本プロレス』過激の上を行く、“苛烈なプロレス”誕生の予感が現実のものになりつつある!?と言えなくもない。
要は理論・理屈を正す(正当化・具現化)、証明化するほどのプロレス絵巻が見せられるか!?そこにかかっていると言っても過言ではないだろう。
いまや、閉塞し、一歩も外へと歯向かわぬプロレス界において、PRIDE衰退期に合わせたかのような、この動き。真しやかな噂、MMAルール要求とのレスナー側、報道もあり、予断は許さない。果たして更にどんな動きを見せるのか!?流れを生み出すのか!?
「頓挫するに決まってる!!」そんな蔑視の声を超えてこその猪木IGFのリングであってほしいと願わずにはいられない。 (敬称略)
☆当サイト・小川直也選手関連コラム
⇒『“最強”かつてそこに執着した、在るファンが見た一夜の幻!?小川直也とは一体、何者であったのか!?』
☆当サイト・藤波辰爾選手関連コラム
⇒『まさに独立独歩・嵐、次期シリーズ参戦拒否でも示された藤波辰爾の“探求する独自性”』
posted by 美城丈二 |21:33 |
魂暴風【pickup report】 |