2007年03月30日
あの『ゴング』が、休眠した。『ゴング』すなわち、プロレス専門誌、『週刊ゴング』誌、休刊の報。『週刊ファイト』紙廃刊といい、プロレス界にはいまや逆風しか吹かぬ。殊更に大袈裟にものごとを論じるつもりはない。が、プロレス専門誌はこれにて一誌、のみ。やはり、この事態は、良くはない。識者、論じる通り、情報の一極集中化を招くからだ。情報は恒に、是があって非があって議論を招き、ファンを沸騰させうるからおもしろいのであり、ある一定方向の思索だけではえてして、それらが確かに道理を衝いていても話題にはなりにくいものだから。されど、多くの人々が思う通り、論じた通り、いまやインターネットの時代であり、‘もしや、その使命は尽きているのかも知れぬ’けれど、その論じ方次第ではまだまだファンをぐいぐい引っ張っていけるだけの専門誌ならではの情報力と思考能力を有していようと思うから、私は素直に「復刊」を望む派、だ。多くのプロレス論客を生み、多くのコアなファン、並びに新しいファンのニーズに答えようと奮闘なされた関係者に、私は「ひとまずご苦労様でした。『ゴング』は月刊時代からの購読者でした。ただ、これで終いとは思ってはおりません。どのような形でも復刊を強く望みます!!」この言葉を捧げたいと思います。私なりには『ゴング連射分析』等の企画物や、『ベストショット・ゴング』に代表される、グラフックの美しさが印象的、ですね。それにしても時代の二歩先を行った論調でプロレス者を刺激した『ファイト』紙と、プロレス心を清らかに高めてくれた『ゴング』誌、このまさに私のプロレス二大愛読書が、次々と矢尽き刃折れよう、なんて・・・。‘青春を帰してくれー!!!’なんて間違っても馬鹿な物言いは致しません。私はあの頃の青春思想に返りたいが為に、是非に復刊を!!望んでやまない、ひとりです。
『週刊ゴング』誌、休刊の報。
弊社発行の「週刊ゴング」は、本日3月14日発行の通算1168号をもって一時休刊のやむなきに至りました。読者、販売店、広告スポンサー各位をはじめ、長年にわたり弊社をご支援いただいてまいりました皆様に、心より感謝の気持ちを伝えるとともに、深くお詫び申し上げます。
弊社は、1968(昭和43)年、東京は千代田区神田での創業以来、皆様の温かいご援助に支えられ、プロレスを中心としたスポーツ雑誌の発行により業界の一翼を担うまでに発展させていただきました。
来年には創業四十周年を迎える予定でしたが、弊社をめぐる経済環境はバブル崩壊後より、いまだかつてない厳しさにさらされたため、経営は悪化の一途をたどってまいりました。
皆様のご協力とスタッフの努力が幸いし、「週刊ゴング」自体は購読部数を確保してまいりましたが、長引く不況の中、弊社自体の経営環境が悪化するとともに、今回すでに皆さまもご存じの通り、弊社代表前田大作の逮捕という不祥事に直面し、最悪の事態に追い込まれました。
創業と同時に創刊しました月刊誌「ゴング」は、1984(昭和59)年に月刊誌から週刊誌へと移行し、雑誌名も「週刊ゴング」と改め現在に至ったしだいです。
月刊誌「ゴング」創刊以来39年間、幸い各位のご理解ご協力を得ることができ、微力ながらも多くのプロレスファンの方々をはじめとして、社会一般の方々にもプロレスの情報をお伝えすることができたと自負しております。
来年1月には、創刊四十周年の節目を迎える予定でしたが、経営環境の悪化を克服することは容易ではなく、今回、読者の皆様をはじめ関係各位の方々の期待に添えることなく、多大なご迷惑をおかけする苦渋の選択を決断せざるを得ませんでした。
最後に、改めてこれまでのご愛読、ご支援に心からの感謝を申し上げるとともに、お詫びと休刊のご挨拶とさせていただきます。
39年間の長きにわたり、本当に有り難うございました。
2007年3月14日
株式会社 日本スポーツ出版社
取締役 内田 幸文
役員 一同
時代は恒に‘転ぶ’ものだ。だが、上記‘二誌(紙)’の廃刊・休刊はまさしくプロレス界にとっては、異常事態、だ。転んだ先に何がある?
私には見えるのだ。もしや不毛の時代が来るのではないのかと。私には聞こえるのだ。たとえ、何を大袈裟な、と思われても・・・よい。聞こえるよ、聞こえる。“プロレスの神様が泣いている”
posted by Jyouji Yoshiki |20:15 |
魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
2007年03月28日
ひとに歴史在り。
いくつかの‘あの時代’の証言者たちによる「回顧録」を紐解く。「回顧録」すなわち、転じて「未来への提言、主張」。売らんが為の商業誌ならではのまさに扇情的なタイトルは致し方ないとして目を瞑るが(特にそれはプロレス物の「回顧録」なるものに多いのだが)、「いまだからこそ明かそう」式の‘暴露本’的内容の書物には嫌悪感が、まず先に立つ。自身のみの感慨かもしれぬが、やはり「夢を破られた」みたような感覚が沸き立ち、空しさを感じてしまうから。たが、中にはおやっと心動かされ、「夢の続き」を見せてくれるかのような、「あの頃の夢を具現化」したかのような、識見豊かな良質のものもあり、興味は尽きない。
あの山本小鉄氏の‘現在・過去・未来’に対する識見などは、何度、読ませていただいても胸すく感慨を抱かせる。氏の‘嘆き節’は(失礼!!)、私の嗜好にぴたりと合い、欲する世界観にうん、うん、と素直に頷いてしまう、氏ならではの‘迫力’があり、が為、私は私なんぞなりに、これまで思い巡らしてきた徒然なるものをその文章に重ね合わせ、幾度と無く感慨ぶれる。
「回顧録」とはすなわち己の生き様を振り返る、いわば道の確認作業でもあろうかと思う。大迎に構える必要もないが、やはり‘ひとに歴史在り’で敬意を恒に払う必要性をも感じてしまう。私も含め、プロ格論者たちは、いいたいことをいいたいように、また書き殴ってもいるが、やはりそこにも節度をわきまえるという精神は必要で、ただ、自身のいいたいことをだらんと並べるだけでは、見る人によっては底が割れてしまう代物だということを肝にしかと銘じておかなければならないだろう。私も私なりに、非難・批判・中傷・暴論‘その一方的、咎(とが)’からは逃げおおせまい、役回りを背負う。心して思う事柄のひとつでもある。
そんな思いさえ抱かせる氏が、「あのふたりも困った奴らだった」と、嘆きつつも(再び、失礼の段、お許しを!!)愛好崩すのが、あの‘高野兄弟’のことである。
今日は、その兄、ジョージ高野氏のインタビュー(『プロレススキャンダル事件史3』宝島社刊。構成・文章はフリーライターの栗原正和氏に拠る)を改めて読ませていただいた折りの、私なりの感慨を書き綴ってみようかと、思う。ここにもまた「ひとに歴史在り」であろうとも思うがゆえに・・・。
ジョージ高野氏と申せば、やはり「ザ・コブラ」は外せない。初代タイガーマスク人気爆発、驚愕の、引退、そのあとを受けてのリング登場はやはり、氏自ら語るところに拠れば、「自分でも、最初から素顔でやったほうが良かったかもしれないなんて思ったりもしたよ」とある通り、凄まじきプレッシャーの中でのリング‘葛藤’でもあったようだ。あの当時、大抵のプロレス者たちは、初代タイガーと見比べており、これは形を変えた、あのボクシング界、アリとホォアマンにも通じる気脈とも受け取れようか。そんな氏が「コブラ」誕生の経緯を語り、そうして師・猪木氏に対する矜持を述べられている。「猪木さんがいたから、注目を浴びることが出来た。猪木さんから学ばせてもらった精神や技術だから、ファンに伝えることが出来た。師匠がいたから弟子がいる。猪木さんがいたから、ジョージ高野がいるんだ。」まして未だに「猪木近衛兵」としての思いも語られており、様々な紆余曲折、何故、SWSに転じたかも明かし、勘考は尽きない。
こういったインタビュー形式のものには、えてして本音の部分が隠されており、眉唾ものもあとを立たないが、私は彼の‘歴史’をうすらうすらと紐解く段になって想いが重なり、頷ける事柄が多々、あった。なにより、若き頃の彼を、若き日の私は、あの“上野毛”の道場でしかと目撃しているのだ。当時の私は、その異様とも思えし、練習風景を見て、唖然とし、「あの汗にはウソはあるまい」と感じ入った者のひとりだから、彼の“回顧録”には合点がいくことが多いのも自身、頷けよう、というものだろう。
「(SWS設立は)プロレス界にしてみたら大きなチャンスだった。でも、うまく歯車がかみ合わなかった。SWSが失敗だったなんて絶対に言いたくない。いま考えると、もっと話し合えたらと思う部分がたくさんある。いまはいろんなことがわかるようになったけど、あのころ、やっぱりオレは軍人を通してた。軍人てのは、禁欲的なところがあって、自分が儲けようともしないで、人も儲けさせない。当時、カネはあったのになぜもっとうまい使い方をしなかったのか、いまになって言われたりもするけど、ほんとうに知らなかったんだ。厳しい練習して強くなって、いい試合ができればいいっていうのが一番で、それ以外のことに頭が回ってなかった。ほんとうなら、自分が儲けて、人も儲けさせてやらなきゃいけない。軍人だけじゃやっていけないのが、世の中なんだって後になって気づいた。でも、軍人の気持ちも忘れることだって出来ないから、難しいところだよ」
SWS崩壊後も氏の流転は続いたが、未だにその気概は潰えてはいないようだ。「猪木さんがよく、バカになれって言うけど、オレはあの考え方が好きなんだ。いまオレはバカになれて良かったと思う。猪木さんの精神を受け継いでいってると思う。勿論、猪木さん、坂口さん、はじめ自分と関わってきた、すべての選手、すべての関係者に心から感謝している。(中略)『継承権』がある以上、なんらかのアクションは起こしていく。(中略)それもこれも、猪木さんの精神を伝えていかなきゃと思うから。猪木さんは師匠であり、父親でもある。ただ、こっちももう16やそこらの子供じゃないんでね(笑)」
SWSプロレスとは一体、なんだったのか?
部屋割り制度、すなわちジョージ高野一派の『パライストラ』元新日勢、そして天龍一派の『レボリューション』元全日勢、この構図だけでも時のプロレス内情に詳しい者には、折り合いなどつくはずがないと察せられる。そこに、更に谷津・若松一派として『檄』が加わる。田中八郎元メガネスーパー社長のファンもどき発想から生まれたものだから、所詮、上手くいくはずもなかったのだと簡単に論じてしまえるほどの、安っぽい金満プロレスだったのか、どうか?識者に拠れば、SWSこそプロレス界の未来を開く、いわば礎になれた、と見る向きもあるが、いまとなってはまさに砂上の楼閣というもので、この論調はやはり、今だからこその‘過去、振り返り’論調の域を出ていない。
だが、もしも続いていたら?もまた“if”なのであり、プロレスの歴史にその後、存していないのだから、SWSプロレスなるものの定義は、難解な論じごとということになり、そういう観点で見定めれば、上記の私の‘過去、振り返り’論調もただのそれこそ‘私の感想文’ということになってしまう。
プロレスは他の格闘技よりも、“人生を映す、万華鏡のようなもの”とも語られている。人生を映すとは、やはり内省的なものだから、“金満プロレス”と名付けられてしまったSWSプロレスが長続きしなかったのは道理かもしれないが・・・?。
「カネは大事だよ。でもそれだけがすべてじゃない」
SWSプロレスに己の理想を信じ、転じた男の苦悩が、私には見え隠れするが、いかがなものだろうか?
(この稿は、前出、『プロレススキャンダル事件史3』宝島社刊。構成・文章はフリーライターの栗原正和氏に拠ったものです。改めて、ご了承ください。)
*ご指摘を受け、表記を変えた一文がございます。ご指摘、誠に、有難うございます。
posted by Jyouji Yoshiki |21:35 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年03月27日
昨年、12月13日、元『週刊ファイト』編集長で、I(アイ)理論として名高い、井上義啓氏が永眠、なされた。私が並み居るプロレス記者の方々の中で、その書かれる記事において、もっとも信頼を置く、‘活字プロレスの祖’とも知られた、お方だった。ネット上ながら、そのご冥福をこころよりお祈り致したき所存。
そんな氏の存命、私の幼き頃から『週刊ファイト』紙上で繰り広げられるところの、‘ファイト・ドキュメンタリー劇場’は分けても秀逸な文章群で、その先見の明、卓越したひどく文学臭に満ちた物言いは、毎回、私の欲する嗜好にぴたりと符号して、毎週、その発売を楽しみにしていたものである。
そんな氏が、いまや歴史上、伝説化している猪木の1978年11月25日(現地時間)西ドイツ・シュトゥットガルトにおいて行われた一戦、ローランド・ボックVS猪木に関するコラムをものされた雑誌が、我が手元にある。(株式会社MAX発行『格闘技完全裏の本』)
*この続きは、是非、こちらにてお読みくださいませ。
⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side 』
posted by 美城丈二 |07:12 |
“魂暴風”popular request column |
2007年03月23日
いまはされど、新日本の男。長州力。かつて、彼の一挙手一投足に歓声を上げた熱狂的長州信者も多い。時代を創り、そして自ら壊し、そのフライング的言動によって同業者、すなわち、レスラー達にそっぽを向かれたり、自身、離合集散を繰り返した。
だが、かくいう私も10代の頃、長州の生き様に易々と感化は受けずとも少なからずこの心、動かされた者のひとりだ。もう20年以上前になるが、当時、あの“ファイト”紙上にも“時の長州”を賛歌する文章を綴り、掲載していただいた記憶がある。
揶揄する向きは、「ゴッチイズムから逃げ出した、男」だとか、「結局は猪木には頭が上がらない」だの、「節操が無い」「金でいとも容易く動く、男」などと非難されてもきたが、実際、彼の体現しようとしてきた筈の“ハイ・スパットレスリング”がもはやリング上で実践出来ぬ以上、反論は露(つゆ)も返せないだろう。時代は風化していく。長州とて、その枷(かせ)は振り払えない。
一度、引退したときに、“あの、長州力”は終わったと見るべきか!?、ファンの夢も彼方へと遠のいた。猪木・馬場、両御大に刃を向けたが、矛は恒に、尻切れトンボ、鞘に収まることもなく、中途半端に投げ出すばかりとも、批判された。見ようによっては、“俺たちの時代”は傀儡(かいらい)に過ぎなかったのだとも、論じたら、‘時の長州信者’にお叱りを受けるだろうか?
長州の反乱、藤波への宣戦布告は無論、プロレス内アングルであり、みな、三味線だ。ああいうアングルを持ち出し、「やれ!!」と号令をかける猪木の才覚は、果たして懐の深さ、成せる技、と見るべきか、否か!?‘王道’ジャイアント馬場内プロレスではやはり当座、躊躇すべき、アングル。猪木独自のアングルとはすなわち、当の猪木が裏で頷かぬ限り、存在し得ぬアングルということになるが、タイガーマスク登場、メーンに猪木見参、その合間にしてはどきついアングルではあったとしても、大いなる一時代を築くには十二分な“名勝負数え唄”ではあったと言い切れる、はず。何より、レスリング全日本チャンピオン出身。相手の技を受けることを前提とした‘プロレス村特有のしきたり’に苦悩し続けた長州の「ここしか俺が浮上するチャンスはありえない」と躍起になり、掴み取ったスターの座。藤波を破り、WWE(当時WWFインターの)ベルトを巻いた彼は、ふとこう呟いたものだ。「俺の人生にも、こんな時があってもいいだろう?」
長州はその後、右へ左へ、行ったり来たり、動かざること山のごとし、まさにその主義を嘲笑うかのように動き続けたが、再び三度の“新日本・下野”はあるのだろうか?
哀しいかな?プロレス界という力動勃興、その歴史において、時代を盗り損ねた張本人は、私なりに推察するに“長州、その本人”であろうと想う。だからこそ、その後進、武藤、蝶野、橋本にその想いを託したとも推察出来る。あくまでも良識という感覚で見定めた場合という、注釈付きだが・・・。
いまや黒舟来襲、グレイシー柔術以後沸騰した格闘技ブームの影で、暗澹無碍(あんたんむげ)と化した感のある、暗黒無残なプロレス界にあって、WJ共々、砕けた長州の理念は、今後、どう推移するか?。かつて皆々、長州には酔った。だが、起き掛けのあのなんとも言い難いけだるさにも似た“虚無感”が今後、更に“言いようの無い絶望感”に変わらぬことを願う。何かがまた起ころうとしているプロレス界にあって、長州、彼はどこへと彷徨(さまよ)うとしているのか、留まるのか?果たして・・・!?
再び、一筆、致します。私もかつて、長州力という大酒を盃にて、たらふく飲み、酔いに酔ったこともある、やからのひとり、一群なのです。
*HPコラム/2005・10
『求めたのは原風景!? 』
禁断という名の踏み絵をいとも簡単に踏み越えてゆこうとする、新日本プロレスという団体には、有り得ないという言葉自体、存在しないのか!?先の長州力現場監督復帰。あれほどアントニオ猪木をけちょんけちょんに罵倒、足蹴にして出ておきながら、「士気が堕ちている。現場には厳しさが必要」という観点から、リストラという切り札をちらつかせながらの勇躍復帰。ケリー・サイモン社長の三顧の礼、罵詈雑言の相手方、オーナー・猪木さん自体が了承なのだから、どこから揶揄されても長州選手自身は何食わぬ顔で通せる。実社会ではけだし有り得ない。有り得ないからこそ、プロレス団体なのか!?、有り得ないことを起こすからこそ新日本プロレスなのか!?かつてこの団体は、現役のボクシングヘビー級チャンプをリングに上げた。オリンピック金2連覇の、柔道の猛者も上げた。腕も折るわ、更に「プロレス最強論」に必要とあらば、あの隆盛最華の頃の極真空手にも喧嘩を売ったりもした。時のアミン大統領との仰天対戦計画。観客不在の巌流島決戦。だがだが、多くのプロレスファンが魅せられたのは、やはりそこに勝負論、リング上の凄まじき戦い模様がきちんとおまけではなく、未曾有の一番としてあったればこそ。ファンの信用を取り戻すことは容易なことではないだろうけれど、しばし静観、じっと「時の声」が聞こえてくるまで待つこととしよう。誰かが言っていましたよ。「あの隆盛を取り戻したいとか悠長なことを言っている場合じゃない。ただ、今をどうするか、だ!!」と。それでもいいじゃないですか!?、やはり時間はありません。
*HPコラム/2004・10
『長州いわく「俺は今でも天下の長州力だ」』
今週号の週刊ゴング(10・13号)の巻頭特集はGKこと金沢編集長による長州力インタビューです。相変わらずの長州言語で意味不明、脈略の無い単語が飛び交い、金沢氏がクエスチョンする形で標準言語化してくれるので、なんとか長州の言いたいことが見えてくる。私は長年の猪木シンパで、けれど長州選手に、なんら嫌悪感は抱いていない。やはりこの人も、一大、自身の時代を作った人なので(そう、思いたい!!)、なんだかんだ言いながらも畏敬の念はある。交流戦はやらないほうがいい、対抗戦をやるべきだ、うんうん、頷く私。ハッスルポーズはとらない、それはたいした問題じゃない、うんうん、やっぱりだからこその長州力かな?と思いつつ読み進むうちに、この人特有のプライドの有りようが察せられる。俺は今でも天下の長州力ですよ、というあたりちょっと痛々しいけれど、それでこそ長州力ということなんでしょう。それにしても、ページにして6頁弱の巻頭記事が、こう、つっかえつっかえ意味不明の長州言語にかかると、えらく長く感じることか、猪木嫌いが猪木氏の言っていることが全く解らないというに等しい感覚に陥りそうになる。私はやはり猪木シンパだからか、猪木氏の言っていることはたとえ恣意的な発言でもよく解る。たとえるならミスター長島氏のシンパが長島さんの言っている言語、文章をすらすら理解できるように、言わばそれと似た感覚だろうか?長州選手はWJで躓き、けれどいまだ、ど真ん中をゆくと発言してはばからないが、この先、再び、新日本のリングに上がることはあるのだろうか?上がるなら、どういった形で!?。猪木氏によって更迭され、新日本を去った長州選手、維新時代の輝きを、けれど求めるのは酷というものだろう。 ならば、今でも長州シンパだと思っている方々は、彼に何を求めているのだろうか?私はふとそれを知りたいと思った。
posted by Jyouji Yoshiki |22:00 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年03月22日
*“魂暴風”popular request column
HP掲載時、ご好評を賜った、格闘技コラムをこちらのカテゴリー欄にて再掲致します。
『はじめに道ありき-新日本プロレス道場編』初出/HPブログ記事/2004・8
まったくの私心シリーズ PART1
かつて格闘技界最強とうたわれた集団があった。その名はアントニオ猪木率いる新日本プロレス。道場長、山本小鉄。藤原、佐山、前田、高田、そして坂口、小林、長州、藤波。最強はプロレスか、空手か?k-1もPRIDEも無い混迷の時代に、最強をうたいそして飽くなき修練に終始した団体、それが新日本プロレスであったろうと思える。
当時、猪木はことあるごとに「誰の挑戦でも受ける」と標榜していた為、道場破りがあとをたたなかったらしい。それら果敢な猛者供を完膚なきまでに組みふしたのが、猪木の弟子達である藤原、佐山、前田、そして山本小鉄であったという事実。数々の関係者の証言によってそれらはすでに神格化された言わば真実だが、それにしても何故それほどまでに新日本のレスラーは強かったのか?答えは言うまでも無く常に有事に備えた練習に日々明け暮れていたからに他ならない。
☆この続きは、是非、こちらにてお読みくださいませ。
⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side 』にて。
posted by 美城丈二 |12:22 |
“魂暴風”popular request column |
2007年03月18日
*過去HPコラム・加筆訂正稿
牙城を崩した=猪木に、認められた。正しくは、そういう表現が‘プロレス的’ではあろうけれど・・・。
ハンセンが振り回すカウベルと、シンが銜(くわ)えるサーベルはまさにギミックがギミック足りえた時代の象徴であり、ゆえに脅えおののき逃げ惑う観客に、さらに罵声をあびせ、怒号渦巻く館内には、‘リアリティー’なる、まことにプロレス的な一種、独特の雰囲気が醸し出され、‘真剣に’見守るTV視聴者にはそれらがまさに一体の「空想劇」と見て取れ、視聴率は安定安泰。いやはや、いい時代だったですねぇとまたひとり、勘考とともに懐かしさばかりが際立つ・・・。(ダハハッ、また回顧趣味ッ!!)
倍賞リングアナのコールのあとに「サーベル・タイガー」の入場テーマ曲が流れ出し、まったく薄暗い館内を(この場合、地方会場がよろしい)悲鳴とともに右往左往、逃げ惑う観衆を追いつ、ときには追いつき殴り倒す。
‘ロングホーン’の雄たけびとともにのっしのっしと花道登場。ブンブン、カウベルを振り回し(この場合も出来れば地方会場が相応しい)師匠・テリー・ファンクなる面影などいずこ、まさに荒馬のごとし入場シーンはその面構えにぴたりと符号している。
*続きは是非、こちらにて読了くだされば幸いに存じます。
⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
posted by 美城丈二 |11:23 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年03月18日
*過去コラム、訂正加筆稿。
少しでも格闘技なるジャンルを実際に身を持ってかじったものなら、人間の(それも鍛え上げた肉体であればあるほど)肘、膝がいかにひとを殺す道具になりえるか、察しがつく。UFCは肘を了承し、PRIDEは膝を解禁とした。金網と四角いリングなる違いはあれど、一歩間違えばいつか死人が出る!?
強さを追求するが為、己を戒め、修練に努める。「誰が一番強いのか!?」という目と、「いまに死人が出ますよ」という考え、思考はやはり相容れぬ矛盾を内包しているとは思うが、いかんせん、が為、筋肉隆々、増強剤を打ちまくり、弛緩剤を飲んで痛みを出来るだけ和らげようとする精神はやはりどこか歪んだ観念だとも思う。
かつて「霊長類人科最強」などと賞賛されても、あの肉体の異様とも思えし造りにはまったく勘考が沸かなかった。見れば一目瞭然、薬づけの身体に私は興味など覚えなかった。ナチュラルさこそ感嘆ものなのであり、ゆえにこそ、そのたたずまいが風格を呼ぶ。
「なんでもあり!!」を謳うなら、「ならば、噛み付き、目つき、頭突き、金蹴り、それも解禁してみなよ」と暴言も吐いていた。「そのうち、どこぞの市井の腕自慢、サラリーマンが増強剤をバンバン飲んで総合界に殴り込み、バッタバッタとチャンピオンをなぎ倒す時代が来るかもよ」とも。
相手をなぎ倒し、組みふし、失神させよう行為は、ただそれだけに着目するあまり、大金をそそぎこもうとすれば、終いにおかしな人間を創造し、その根底をも揺るがす。
私は恐い。昨今の格闘技大ブームが!!その礎を作ったものは、確かに‘プロレス界’ではあるが・・・、筋肉隆々、嗚呼、いつからみんな、おんなじ体つきのレスラーばかりになってしまったのか!?人間のその一生、生成するホルモンなるものを約四分の一時間にて生成出来るとの識者の声もある、増強剤乱用。禿げるわ、息がすぐあがるわ、体調が悪くなり、血の尿は出るわ、終いには終始、精神が安定せず、また今度は安定剤を飲むわ、これじゃあ、その寿命も長続きはしませんわな。
金が金を生む、世界的MMA勃興、大ブーム。人間、目の前に大金積まれたら、そりゃあ、性格も捻じ曲がりますよね?(苦笑)。
されど、このブーム、何事も見えぬまま?にますます、その隆盛は続いていくことであろう。私は私をいまこそ戒めたい。「男の浪漫」それだけに気をそそいではけっしていけないと。
posted by 美城丈二 |09:25 |
美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 |
2007年03月10日
「いまにプロレスというジャンルは、消滅する」
「細々と、やれ保守的にコップの中の争いばかり。何故、打ち出そうとしない!?格闘技界という大海原に!!」
「世間の耳目を牽くほどの大花火をいまこそ打ち上げないと、もはやプロレスというジャンルの再生は無いですよ」
「一年後、二年後、プロレスなるものを全く見なくなる輩は多いだろうけれど、反対に世界的なMMA勃興、ブームで興味を持って見るひとは増えるでしょうね」
「哀しいかな、プロレスというジャンルから一歩も出れないんですよ。プロレス村っていうか、平成のプロレスファンって。プロレスというジャンルを本当に愛してはいないんですよ。今後、いまのままでは、まさにプロレスカルトに過ぎないね。無くなってしまうという危機感が感じられない」
ムフフッと闇の、お声・・・・・・。
先頃、アントニオ猪木(64)自らが、社長就任を表明した、噂の新団体「IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)」とは、一体、どこへ向かおうとしている団体なのか!?格闘技色の濃いプロレス、いわゆる、あのUFOの焼き直しに過ぎぬのか!?
「飽くまでもプロレス団体である」とも報じられたが、PRIDE的興行手法が当たり前になった昨今、プロデュースではなく、団体として立つ意義が、やはり見出しにくく、先行き不透明、まして今更感は拭えまい。
大抵の猪木アレルギー病者は「せいぜい一、二度やって終わり」と非難轟々!!
かつて「時代の空気をもっとも読むことが出来るプロレスラーこそ、猪木だ」とまで評されたその猪木自身が、いまや平成のプロレスファンにはそっぽを向かれ続け、果たして前途は洋々と、言いえるのか、どうか。
くちさがないチャネラーには「どのみち、珊瑚だの電気だの、猪木の‘見果てぬ夢’に金を送り込む為の資金稼ぎの団体」と罵られ、挙句、新日本プロレスの親会社・ユークスが所有する‘猪木肖像権及びなんたらかんたら’を買い戻せなかった腹いせにぶち上げた団体構想とも揶揄されてしまう、始末。
何故、全盛時の猪木があれほどプロレスファンに支持され、喝采を浴びたかはご承知の通りだ。「大法螺を吹くことで世間の耳目を牽き、ふだんプロレスなるジャンルを蔑視している層までをも巻き込む形で一大ムーブメント化させ、またその大法螺に見合うだけの格闘絵巻をリング上で自ら体現した」からこそ、である。猪木のあとに猪木無し、と言ってしまえば元も子も無いが、要はどういった陣容でどういった布陣を配するか、IGFの命運は、言うまでも無くそこに懸かっているはずで、いまぽんと全盛時の猪木を現代に呼び戻せる無いものねだりなどあり得ないのだから、ならば水面下交渉が噂される中邑真輔の出撃や先頃、HERO’S参加が発表された柴田勝頼といった‘格闘プロレス’を成しえることができそうな面子の獲得は、急務となる。
名誉顧問には、‘元祖・過激な仕掛け人’新間寿氏、参謀にはあのターザン山本!氏、GKこと金沢克彦氏といった‘業界筋’が加わるといった、まったくもってデマ臭いエセ情報まで流れる始末の、イノキゲノム。‘リアルジャパンプロレス’の佐山氏との連携まで囁かれ、まったくもって外野はかまびすしい。
やるならアントニオ猪木、マッチメーカー&道場長兼務ぐらいの覚悟をもって挑まねば、いまや猪木ブランドだけではまったくもってお客は集まらないのだから、そのぐらいの‘本気度’が欲しい、というもの。まこと乗り出せば、‘勇者’はきっと現れよう。あの‘時代’に熱狂させられた私たち世代の人間は、今後とも確実に隅へと追いやられていくのだから、立ち上げるからにはまさしく‘まったく色のついていない新しい層’をふんだんに取り込むぐらいの決意で挑まねば今の‘時代’‘空気’すら読めないとまたあざ笑われてしまうことだろう。
ユークスによる「業務妨害」と称した訴訟問題にも発展しかねない、「違約金を払ってでも引き抜きしますよ」なる記者会見発言。されば次報を待つこととしよう。
posted by 美城丈二 |21:16 |
プロレス、この果て無き浪漫 |