2007年01月27日
*コラム初出/2005・2
「俺はアントニオ猪木の子供だから、あのダメ親父を叱る権利がある。」
今週号(3月2日号)の週刊ゴングは、読み応えがありました。表紙に謳ってあるとおり、これまでの常識を覆す、驚異の頁数を前田日明、ひとりの為に割いております。巻頭ではGK金沢氏の前田氏へのインタビュー、そしてこのひとこそ、最強の二枚舌論客と言われるターザン山本氏の前田論。長州選手自身も前田氏を語っており、実際この特集はタイムリーかつ非常にうまく構成された、専門誌ならではの一冊であった、と想えます。
前田氏はいまだに、かつての旧UWF設立に端を発するところの一連のごたごたでの猪木氏への遺恨を腹に据えかねているらしく、ひいては遡って、愛弟子時代での猪木氏の理想論を引き合いに出し、批判している。
こういった前田氏の発言を、よく諌めていたのが、猪木氏の兄弟子ともいうべき、藤原氏だったのですけれど、前田節は冴えに冴え渡っており、読み下すと、いや、まったく爽快。表題の言葉を目にして、私は想わず、にやりとひとりごちしてしまった。様々な発言内容をゆっくりと吟味するようになぞってみると、あれだけのことをはっきりと言えるのは、現レスラー、元レスラー含め前田氏ぐらいだろうし、ましてこのひとも現状の格闘技界における諸問題を憂慮しているうちのひとりなのだな、ということが手に取るように感じ取れる。
「天龍さんも長州さんも凄いレスラーだと想う。だけど何歳だよ!若い奴らは何やってんだ!」
かつての格闘王が憂えている。
革新改革派、元新日本プロレスの営業部長・上井氏と、格闘技界に一言も二言ももの言う前田氏。長州選手も協力を快諾。実際は、すでに猪木氏と上井氏は裏でつるんでいる、などという、またぞろ、反猪木連合会の面々はかまびすしいけれど、これだけの面子、そうそう一同に介する機会はなかっただけに、議論伯仲されど、是非、空中分解だけは御免蒙りたい。
上井氏は、前田氏に協力を要請し、その快諾を得たとき、いの一番に猪木氏に、その旨を報告したという。その時の猪木氏の第一声は、「上井、頼むから前田を泣かせるようなことだけはするなよ」強い口調で、そう念を押したそうだ。
前田兄ィ!!頼みますから、ここはひとつまげて大人になって猪木さんと折りよくことを運んでほしい、と私はやはり願わずにはをれません(笑)。前田氏の発言を読み綴るたびに起こる、我がこころのカタルシス、けれど怖いですよ、
いえいえ上井氏プロデュース興行の行く末を想うときに、今後のことが怖い、と想うのですよ。
そして猪木さん、僕はここぞと進言します。あなたが全盛時、私達、あなたの信者に向かって唱えていた、プロレス最強論の糸口が、前田氏のこころづもりで、その一端を担えますよ。どうか、おふたり、仲良く仲良く(笑)。
いや、実際、このお二方、同席あいなれば危なすぎます、よ、いろいろな意味で(笑)
私の中で、久々の前田氏登場で、プロレスに対する長年の喝采転じて恩讐が、いま、少しずつ氷解しつつ、ある。願わくば、このまま一気に雪解けとなれば、よいのですけれどね。果たして今後いかなる展開となりますことやら・・・!?
*編集後記
このコラムは私のHPにて2005・2月に書かれたものです。その後はみなさんのご存知の通り。ご理解、ご了承、くださいませ。
美城丈二
posted by 美城丈二 |18:19 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年01月25日
*HP記事初出/2004・6
‘少年の日に見た、いまでも忘れがたき情景。それは地方の暖房などというものは無い、ガタガタと震えるようなかじかむ寒さの最中、見上げればすっくとコーナーポストに聳え立っていた一人の偶像的象徴。ただきらきらと照明に煌いて、僕のこころは憧れだけを際立たせていた。’
佐山聡氏と言えば、格闘技分けても80年代プロレスファンにはお馴染みの、初代タイガーマスクとして名高い。プロレス界最後の隆盛と呼ばれる、その時代にあって一世を風靡し、プロレスブームではなくタイガーマスクブームだとも、当時叫ばれた。ひどく荒く一言で、その試合スタイルを評すれば、「アニメの動きを現実のリングで体現した男」ということになるのだろう。 猪木-新間営業本部長(当時)という、黄金の新日本を引っ張った名うてのコンビが、漫画のタイガーマスクの原作者であった故梶原一騎氏から、「実際のリングにタイガーマスクを実現させたいのだが・・・」と打診され、新間氏が猪木氏に「誰がいいでしょう?」と尋ねると猪木氏は、すぐさま当時イギリス遠征中の佐山氏の名を出したと言われる。
その時の猪木氏いわく「あいつしかやれる奴はいねぇだろう」
*続きは是非、こちらにて読了くだされば幸いに存じます。
初集、2集ともに、好評発売中です。(プロレス・国内欄にて)
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⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
posted by yoshiki812 |19:35 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年01月24日
『己の研鑽こそ、武道!!』初出/2003・5
極真空手の創始者、故・大山倍達氏の冠がついた月刊誌を読んでおります。デジタル月刊誌と称し、大山氏の肉声インタビューや秘蔵の写真が多数掲載され、大山氏のファンであられた方には、垂涎ものの雑誌です。
以前、このBLOG(他・HP)でも取り上げたのですが、私の幼き頃、史上最強の格闘家といえば、いの一番に大山氏の名が挙がるほど、著名でした。梶原一騎氏原作の漫画「空手バカ一代」の空前のヒットを受けて、各マスコミにひっばりだこになられた時も、泰然となされていて、子供心にも、その威風というか、風格がはっきりと感じとれました。
若き頃、空手修行の旅に出られ、世界中の強者とあいまみえられた。猛牛との素手での格闘、そこからついた名は「牛殺し」。素手で、ビール瓶を真っ二つ、一撃で相手の命を絶つ聖拳、そこからついた名は「ゴッドハンド、神の手」。
いまや格闘技の世界は、私の幼き頃と違い、ただたんに野蛮な競技だと蔑視する風潮から脱し、市民権をしかと得たような気がします。それらは、故大山氏が推奨された「健全なる肉体には健全なる精神が宿る」という発想が、広く一般に浸透したから、と考えるのは私特有の邪推でしょうか?
私の認識が浅はかなれば、大変恐縮なのですが、いまだ極真の大会では、顔面への攻撃を禁じ手にしていると聞きます。これは故・大山氏の「空手とは人を殺めるのではなく、自身の精神を研鑽する為の武道に過ぎない」という発想に拠るものらしいのです。
よってK-1等に出場した極真の猛者達は、その顔面への攻撃によって、あえなく沈んでゆく。見ていて歯痒いと想いながらも、故・大山氏の精神を鑑みれば、それもいたしかたないのかなとも想ったりもします。
格闘技ブーム全盛の今こそ、その精神意義が問われます。あの大山氏が生きておられれば、現在の格闘技ブーム全盛をどう問われるだろうかと、思案しきり。格闘技もエンターティメントの一部だと単純に思考して、入場時、奇抜な格好で、それも踊りながらリングに上がろうかという輩を見ると「格闘技を、ファンを馬鹿にするな!!」という感情がふつふつと湧いてきます。
己、その心の研鑽こそ武道。年々、華美で賑やかになる格闘技会場を睨みつつ、何か一番大切なものを置き去りにしているような感覚を受けるときがままあるのは、私だけなのでしょうかね?
故・大山氏が草葉の陰で泣いている、とでも申せば、そんな大袈裟な、と想われる言い草なのでしょうか!?
知り合いの主催する空手道場に詣でて、無邪気な子供達とじゃれていると、この子供達にはせめて、故・大山氏の精神を、と感じるのは私だけではありますまい。
時代はやがて風化、していく。誰しもが感じるご宣託みたいな感覚なのでしょうけれど、いつぞやか大山倍達という名も消え去るときがあるのでしょうか!?
posted by 美城丈二 |10:52 |
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