2007年05月30日
(これまで何十篇とこの試合に関することも、
そこかしこで書き留めてきたはずなのですが、
どうも感情が高ぶってしまうと申しますか、
自身の感慨の発露を止められそうにも無い為、
本稿は、筆者の思索ノートなるものを解きほぐしつつ、
この稿、進めてまいろうかと思います。感情流布な文章でしたら、
どうぞご容赦願えれば幸いに存じます。筆者)
「この二大決戦を知らぬ者に、S・小林とA・猪木を語ることなかれ!!」プロレスというジャンルの黄金期を知る、両雄の、往年からのファンはそう言って胸を張る。
折からの女子プロレス、ビューティーペアの大ブームに押され、低迷の域に瀕していた男子プロレス界にあって、日本全土に凄まじき熱を生み、一躍、大の大人たちがまさに血相を変え、時の蔵前国技館に大挙押しかけるきっかけとなった二大決戦。
1974年3月19日、及び同12月12日。
力道山VS木村政彦戦以来の日本プロレス界、その不文律を破る、日本人超大物同士の対戦はS・小林の意地と誇り、受けて立った猪木の心意気によって、当時、“昭和巌流島の決戦”とこぞってスポーツ紙が取り上げたほど注視を浴びた。
猪木は小林に最大級の敬意を表し、時の二大フェバリットホールドと謳われたジャーマンスープレックスと卍固めで激戦を制した。特に初戦でフィニッシュに用いたジャーマンスープレックスホールドは、猪木が渾身込めて小林をマットに叩き付けたが為、そのあまりの衝撃でブリッジした猪木の両足が一瞬、浮くという、誠に苛烈なフィナーレ。のちに長く信者の間で語り継がれることとなる、名勝負のフィナーレに相応しい衝撃の一シーンであったと言えよう。
☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』
posted by 美城丈二 |07:28 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年05月28日
本来は何事にも細やかな方だと、様々な識者の方々から聞かされた。
いくつもの世に上梓された書籍群なるものをつぶさに紐解いても、氏が、師として敬う山本小鉄氏と“プロレスの神様”Mr.カール・ゴッチの誕生日にはいまでも花をかかさず贈られるとの記述が見てとれ、氏の人柄が滲みでようお話しに、失礼ながらも氏の容相とはあまりにかけ離れた、ひととしての奥ゆかしささえ感じられ、微笑ましき思いをも抱かせられる。
“藤原組長”・・・。
氏は新日本プロレス在籍当時、猪木氏の付き人を務め、またそれは猪木氏の全盛時に比例していた時期でもあった為、猪木氏の猪木氏足らん在りようをつぶさに見てこられた方として、その、そこかしこでの当時の回顧録なるものは読了するに値し、興味が尽きない。
猪木氏の、一連の“異種格闘技戦”において、用心棒的存在であったのは有名な話しだが(かつて、猪木氏と藤原氏の関係を揶揄し、「怖いときは、藤原さん」と前田日明氏は指摘なされておられた)“我が閣下”と揶揄交じりで猪木氏を呼ばれるあたり、なんとも言い難い、氏の猪木氏に対する“ない交ぜ”の感情を通り越した誠に深い畏敬なるものが感じられて、往時の、“人気沸騰”の新日本プロレス、その一ファンであった私としては懐かしさばかりが際立ってしまい仕方が無い。
あの藤波辰巳(現・辰爾)戦でのデビュー以後、長らく“前座の鬼”であった。プロレスラーとしては佇まいが地味だとの理由から、なかなかチャンスが巡ってこなかった。
だが、一説によれば、あの“藤波vs長州”名勝負数え歌、その熱がやや醒め始めた頃に、思案した猪木氏が、藤原に指名し、入場花道に現れた長州を襲わせ、新たな遺恨作りを行い、これが大変な反響を呼び、氏は一躍、“時のひと”として脚光を浴びることとなる(更なる一説では、当初、この襲撃役は元・在籍の小杉俊二氏に命じたものを小杉氏が拒否。ならばと藤原氏に指名がかかったとの説がある)。
1984年2月3日、雪の札幌、鉄パイプ襲撃。鮮血に染まる長州力。試合は行う前にノーコンテストという裁定が下され、これを不服とした藤波選手が、札幌中島体育センター館外に駆け出し、「こんな会社、やめてやる!!」とあんに猪木氏の“アングル”を非難する言葉を吐いてしまったとされ、センセーショナルな話題を集めた。
だが、のち、多くの識者が論じられておられるように、この襲撃事件によって、長く前座に留まっていた氏が、長州の敵役とは申せ、一躍、メーンエベンターにのし上がったのは、まがうことも無き、事実であろう。
ラフファイトに終始しながらも要所要所で、ギラリと光るいぶし銀、道場で培った関節技を披瀝し、多くの、観戦暦の浅いファンに新たなプロレスの見方、視点を植えつけた。
長州選手のラリアットを切り返しての脇固め、随所随所で見せる関節の取り合い、応酬、まさに芸術品とも思えし、ヘッドシザースの妙技。猫も杓子もロープに飛ばしてのラリアット、その風潮傾向に“待った”をかけたとも思えし、その“職人芸”の数々。
氏は、その後、氏をこよなく慕う、前田日明氏の『UWF』に移籍。移籍の際には、長年補佐してきた猪木氏を思うあまりに「断腸の思いです」なる言葉を発した。
そうして藤原組を設立し、船木誠勝氏や鈴木みのる選手らの面倒を見て、やがてフリーの立場となった。
その流転の人生は、けっして氏の望むものではなかったであろうと察する。氏の性格を鑑みれば、ひとつところでリング上の在りように集中していたかったはずなのだ。だが、ひとの生き様を司る“見えざるもの”の命によって、氏はそういう人生を歩まれてはこられなかった。氏を求める者が居る場所に、氏は求められるがままにいざなわれたと見るべきか。
時代の波がUWFなる“運動体”を押し上げたとき、“見えざるもの”は遂に、氏に“前座の鬼”では無く、“戦慄のテロリスト”でも無く、“関節技の鬼”としての領分を分け与えたかのようにも思える。
そうしてそれは同時に、プロレスなるものの魅力が、大型ファイターが肉弾相打つ攻防によって魅せる弩迫力性だけに留まらず、些細に思われがちなねちっこい関節の取り合いでさえも、見方によっては輝くものであるのだよという、立証を図らずも示したようで、誠に感慨深い。
雪の札幌長州襲撃事件。藤波選手にかみつくことによって長い低迷期から這い出した長州選手と、その長州選手を襲うことによって浮かび上がった“前座の鬼”はいまも時に黙々と対戦相手の腕を足を、極め続ける。
レスラー、それぞれの色、それぞれの流転人生。プロレス世界が見る者の心根具合で、何色にも変化する、まさに万華鏡にも似たり、とは誠に含蓄深し、言い得て妙なる言い回しであろう。
posted by 美城丈二 |15:45 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年05月19日
“叫び”はひとを、時に絶望の淵に堕とす。
“叫び”はひとを、時に慰撫する感情にも似たり。
TPG=たけしプロレス軍団。
ビリー&ガスパー=海賊男。
アントニオ猪木率いた“プロレス格闘集団・新日本史”において、一大汚点とも言うべき“暴動”大事変は、このふたつに極まる。物が飛び交い、怒号渦巻く館内。火をつける者さえ現れ、いつ果てるともしれない館内にあって、リングに必死の形相で駆け上がり、土下座し、ファンに詫びたのは、あの“新日本を誰よりも愛してやまぬと公言していた”ケロちゃんこと、田中秀和リングアナだった。
或いは、暴動は“時の不運”そう、断じて軽薄に吐き捨てなされた、お方もおられるかもしれない。だが、翻れば、それだけ、リング上の格闘絵巻にファンの心根をぐんぐんと引き込んだ“罪”はけっして軽くはなく、ましてはなはだ、重い、“十字架”のそれにも比する事柄でもあったろうと思う。
かえすがえす、“あの時代”のプロレス絵巻は遠くなったとの改めての、感慨。
まさに“猪木凋落”によって、その事件は起こったはずで、私も当時、やりきれない思いのもと、そのTVに映し出された事変を、見つめていたものだ。
猪木アングル、上手くいけばしめたもの。タイガー・ジェット・シン『伊勢丹襲撃事件』。まだまだ記憶に新しい、小川直也『vs橋本真也、1・4決戦』『アミン(当時の)大統領との仰天対戦計画』『モハメッド・アリとの格闘技世界一・世紀の大決戦』『増殖!!S・S・マシン』『観客不在の“巌流島”での闘い』まだまだ、挙げれば誠にキリが無い。
TPG、海賊男、あれはりっぱに猪木氏アングルの中において、失敗作の最たるものだ。TPGは、ベイダーという、ある種、未曾有の怪物を生んだが、無論、それは“後付け”の解釈に過ぎぬ。リング上を、“ファンの喜怒哀楽、その集積場”なんぞと定義しうるならば、あのアングルは、誠に誠に味の無い、ファンへの仇行為と断じられても致し方は無い。
それだけ、プロレスファンがリング上の絵巻に身を乗り出していた、熱く焦がれていた証左だと、
それだけ、プロレスファンが、“アングル”ではなく“ハプニング”或いは“アクシデント”と従えていた証拠だと、
論じる識者もおられるが、この見方はやはり、思い入れ持ち、感涙を傍らにおいて、TVに釘つけになっていた世代の人間にとっては、悲しい論評だと思わずにはをれない。
いつしか、あの時代は隅に追いやられ、時の“アングル暴き”が横行し、先のファンはまさしく無き崩し的にひとり去り、ふたり去り、消えていった。
現行のプロレス界を思うとき、あの時代の産物とも言うべき、“暴動、その在りよう”を思うとき、時代の隔世を思わずにもをれないが、あの時、果たして、その声あらん限り、叫んだ者達は一体、いま、どこに収束してしまったのかと、私は私なりに独り、憂う。
いまや、“総合格闘技”なる世界が幅を利かせ、まさしく、あれら“アングル”を必要としない時代に突入した。裏を返せば、それだけ、いまの格闘技ファンは試合結果なるものに敏で、性急性ばかりを追求する、底の軽いファンもまた多し?などと記すれば、またまたお叱りのコメントでも多数いただくことになるのであろうか?
“アングル”を“アングル”と思わずに“ハプニング”だと信じて、リング上を従えていた時代。武藤をあの地で襲った最初の海賊男の正体は“猪木そのひと”だなんぞと、まさに“アングル暴き”に奔走する類の人間にはけっして入り込んでいけない、ファン心理というものが、まがいものとしてではなく、真実として存していた時代。
その思いを、誰が哂えよう・・・。
その思いの丈を、誰が嘲笑しえようと言うのか・・・。
新日本・暴動事件史。それは、私にとって、誠に不可解な、けれど熱のある時代の産物でもあったのだよとの従え方の方が、いまは、かさねがさね恐縮だが、悲しい、そして誠に心地良い、従え方であろうとも思う。
その暴動の首謀者?が未だに、プロレス界に苦言を呈している、この事実!!だから、私は、こう、言いたいのだ!!
「アントニオ猪木!!いまこそ、本気になってくれ!!いまこそ、プロレス界の為に立ち上がってくれ!!」
かつての信者の、ひとによっては哂われよう、やるせない、この心の発露です。
posted by 美城丈二 |09:51 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年04月06日
“人間風車”VS“燃える闘魂”
もはや帰らぬ名勝負、ここに極まれり!!
片や同日、12月11日、力道山13回忌追善特別大試合と題し、オープン選手権開催シリーズの最中、日本武道館 にて、あの馬場氏が全日本プロレスあげての興行を行っていた。シリーズ開催前から、当時のプロレス専門誌・紙を賑わせた馬場氏、猪木氏の確執、論戦。オープン選手権シリーズに新日本勢の参戦を呼びかけたが、H.ホフマン等に代表される、シュートに強いと謳われていた参加予定メンバー表を見た新日本勢が、そこに“黒い謀略”の匂いを嗅ぎつけ、参加を見合わせたのだという、誠、信憑性有りしげな論陣を張る識者もおられるが、むげなるかな、後年、そんな種明かし、アングル暴きが論陣としてあがるほど、当時、猪木VS馬場、この舌戦は始終、プロレスマスコミのトップ記事として扱われたものだった。
「馬場さん、闘えよ!!どちらが日本一か、ファンは知りたがっている。日本のプロレスの“歴史”を覆すべく、そうしてファンへの“プロレス浪漫”として、またひとりの男としての“意気”の為、俺と戦ってくれ!!」そんな論調でまくし立てる、猪木氏。
「負けたときのことを考えたら、おいそれとは対戦受諾は出来ない。負けたら全日本プロレスに関わるすべての関係者、その家族まで責が及ぶ。彼らを路頭に迷わすわけにはいかない」そんな論調で対戦を拒む、馬場氏。
猪木氏の馬場氏への対戦要求は明らかに、プロレスの影、アングルを度外視した、掟破り発言で、馬場氏はそんな業界のルールを無視して、対戦を迫ろうとする猪木氏が許せなかった。「(対戦)出来るわけがないだろう」何度か、そんな言葉を吐き捨てるかのように呟く当時の馬場氏の目撃談を、幾人かの識者の回顧録で読み綴った記憶がある。
その意趣返し、「ならば猪木よ、出て来い!!」前もって12月11日に、蔵前国技館を押さえていたのは、新日本の方である。そうして「猪木VSロビンソン」戦を高らかにメインカードとして掲げてもいた。そこに“参戦せよ”との要求。
*続きは是非、こちらにて読了くだされば幸いに存じます。
⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
posted by 美城丈二 |22:23 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年03月23日
いまはされど、新日本の男。長州力。かつて、彼の一挙手一投足に歓声を上げた熱狂的長州信者も多い。時代を創り、そして自ら壊し、そのフライング的言動によって同業者、すなわち、レスラー達にそっぽを向かれたり、自身、離合集散を繰り返した。
だが、かくいう私も10代の頃、長州の生き様に易々と感化は受けずとも少なからずこの心、動かされた者のひとりだ。もう20年以上前になるが、当時、あの“ファイト”紙上にも“時の長州”を賛歌する文章を綴り、掲載していただいた記憶がある。
揶揄する向きは、「ゴッチイズムから逃げ出した、男」だとか、「結局は猪木には頭が上がらない」だの、「節操が無い」「金でいとも容易く動く、男」などと非難されてもきたが、実際、彼の体現しようとしてきた筈の“ハイ・スパットレスリング”がもはやリング上で実践出来ぬ以上、反論は露(つゆ)も返せないだろう。時代は風化していく。長州とて、その枷(かせ)は振り払えない。
一度、引退したときに、“あの、長州力”は終わったと見るべきか!?、ファンの夢も彼方へと遠のいた。猪木・馬場、両御大に刃を向けたが、矛は恒に、尻切れトンボ、鞘に収まることもなく、中途半端に投げ出すばかりとも、批判された。見ようによっては、“俺たちの時代”は傀儡(かいらい)に過ぎなかったのだとも、論じたら、‘時の長州信者’にお叱りを受けるだろうか?
長州の反乱、藤波への宣戦布告は無論、プロレス内アングルであり、みな、三味線だ。ああいうアングルを持ち出し、「やれ!!」と号令をかける猪木の才覚は、果たして懐の深さ、成せる技、と見るべきか、否か!?‘王道’ジャイアント馬場内プロレスではやはり当座、躊躇すべき、アングル。猪木独自のアングルとはすなわち、当の猪木が裏で頷かぬ限り、存在し得ぬアングルということになるが、タイガーマスク登場、メーンに猪木見参、その合間にしてはどきついアングルではあったとしても、大いなる一時代を築くには十二分な“名勝負数え唄”ではあったと言い切れる、はず。何より、レスリング全日本チャンピオン出身。相手の技を受けることを前提とした‘プロレス村特有のしきたり’に苦悩し続けた長州の「ここしか俺が浮上するチャンスはありえない」と躍起になり、掴み取ったスターの座。藤波を破り、WWE(当時WWFインターの)ベルトを巻いた彼は、ふとこう呟いたものだ。「俺の人生にも、こんな時があってもいいだろう?」
長州はその後、右へ左へ、行ったり来たり、動かざること山のごとし、まさにその主義を嘲笑うかのように動き続けたが、再び三度の“新日本・下野”はあるのだろうか?
哀しいかな?プロレス界という力動勃興、その歴史において、時代を盗り損ねた張本人は、私なりに推察するに“長州、その本人”であろうと想う。だからこそ、その後進、武藤、蝶野、橋本にその想いを託したとも推察出来る。あくまでも良識という感覚で見定めた場合という、注釈付きだが・・・。
いまや黒舟来襲、グレイシー柔術以後沸騰した格闘技ブームの影で、暗澹無碍(あんたんむげ)と化した感のある、暗黒無残なプロレス界にあって、WJ共々、砕けた長州の理念は、今後、どう推移するか?。かつて皆々、長州には酔った。だが、起き掛けのあのなんとも言い難いけだるさにも似た“虚無感”が今後、更に“言いようの無い絶望感”に変わらぬことを願う。何かがまた起ころうとしているプロレス界にあって、長州、彼はどこへと彷徨(さまよ)うとしているのか、留まるのか?果たして・・・!?
再び、一筆、致します。私もかつて、長州力という大酒を盃にて、たらふく飲み、酔いに酔ったこともある、やからのひとり、一群なのです。
*HPコラム/2005・10
『求めたのは原風景!? 』
禁断という名の踏み絵をいとも簡単に踏み越えてゆこうとする、新日本プロレスという団体には、有り得ないという言葉自体、存在しないのか!?先の長州力現場監督復帰。あれほどアントニオ猪木をけちょんけちょんに罵倒、足蹴にして出ておきながら、「士気が堕ちている。現場には厳しさが必要」という観点から、リストラという切り札をちらつかせながらの勇躍復帰。ケリー・サイモン社長の三顧の礼、罵詈雑言の相手方、オーナー・猪木さん自体が了承なのだから、どこから揶揄されても長州選手自身は何食わぬ顔で通せる。実社会ではけだし有り得ない。有り得ないからこそ、プロレス団体なのか!?、有り得ないことを起こすからこそ新日本プロレスなのか!?かつてこの団体は、現役のボクシングヘビー級チャンプをリングに上げた。オリンピック金2連覇の、柔道の猛者も上げた。腕も折るわ、更に「プロレス最強論」に必要とあらば、あの隆盛最華の頃の極真空手にも喧嘩を売ったりもした。時のアミン大統領との仰天対戦計画。観客不在の巌流島決戦。だがだが、多くのプロレスファンが魅せられたのは、やはりそこに勝負論、リング上の凄まじき戦い模様がきちんとおまけではなく、未曾有の一番としてあったればこそ。ファンの信用を取り戻すことは容易なことではないだろうけれど、しばし静観、じっと「時の声」が聞こえてくるまで待つこととしよう。誰かが言っていましたよ。「あの隆盛を取り戻したいとか悠長なことを言っている場合じゃない。ただ、今をどうするか、だ!!」と。それでもいいじゃないですか!?、やはり時間はありません。
*HPコラム/2004・10
『長州いわく「俺は今でも天下の長州力だ」』
今週号の週刊ゴング(10・13号)の巻頭特集はGKこと金沢編集長による長州力インタビューです。相変わらずの長州言語で意味不明、脈略の無い単語が飛び交い、金沢氏がクエスチョンする形で標準言語化してくれるので、なんとか長州の言いたいことが見えてくる。私は長年の猪木シンパで、けれど長州選手に、なんら嫌悪感は抱いていない。やはりこの人も、一大、自身の時代を作った人なので(そう、思いたい!!)、なんだかんだ言いながらも畏敬の念はある。交流戦はやらないほうがいい、対抗戦をやるべきだ、うんうん、頷く私。ハッスルポーズはとらない、それはたいした問題じゃない、うんうん、やっぱりだからこその長州力かな?と思いつつ読み進むうちに、この人特有のプライドの有りようが察せられる。俺は今でも天下の長州力ですよ、というあたりちょっと痛々しいけれど、それでこそ長州力ということなんでしょう。それにしても、ページにして6頁弱の巻頭記事が、こう、つっかえつっかえ意味不明の長州言語にかかると、えらく長く感じることか、猪木嫌いが猪木氏の言っていることが全く解らないというに等しい感覚に陥りそうになる。私はやはり猪木シンパだからか、猪木氏の言っていることはたとえ恣意的な発言でもよく解る。たとえるならミスター長島氏のシンパが長島さんの言っている言語、文章をすらすら理解できるように、言わばそれと似た感覚だろうか?長州選手はWJで躓き、けれどいまだ、ど真ん中をゆくと発言してはばからないが、この先、再び、新日本のリングに上がることはあるのだろうか?上がるなら、どういった形で!?。猪木氏によって更迭され、新日本を去った長州選手、維新時代の輝きを、けれど求めるのは酷というものだろう。 ならば、今でも長州シンパだと思っている方々は、彼に何を求めているのだろうか?私はふとそれを知りたいと思った。
posted by Jyouji Yoshiki |22:00 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
2007年02月17日
プロレスに‘アングル’は付き物である。‘アングル’とはつまり、その興行を成功裏に進める為の手段、手管、企て。 では、この本来ならば世間に喧伝されてはならない性質のものが、いついかなる形で流失し始めたかと申せば、どの辺りから?となるや!?
初代タイガーマスク、佐山氏の『ケッフェイ』辺りからか、或いはミスター高橋氏の『流血の魔術、最強の演技』辺りからか・・・
とは想い巡らしてみても、要はそれ、根っからのプロレス者には、そんな詮議などどのみち、どうでもよいのだ。胸焦がす、弩動の抗争劇が、それこそ血湧き肉踊るほどの迫真性をもって、我が身に迫ってきたならば、その時点で、そのプロレス者には、‘アングル’は‘アングル’としての効力を失い、‘ハプニング’になり得る。
だから、プロレス者に、所詮、昔をどうこう今更言ったところでプロレスなんて八百長でどうたらこうたら・・・はい、だから何!?で終い。熱く語れる者こそ、幸せであろうとプロレス者たちは胸を張る。
*この続きは、是非、こちらにてお読みくださいませ。
⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side 』
にて。
posted by 美城丈二 |14:43 |
時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |