2012年01月05日

“金狼”上田馬之助さん、思い出すことなど。②

上田
     “シューター”上田の実力  多くの関係者の談によって語られておりいまさら申すまでもないことだろうが、日本プロレス時代の道場“ガチンコ”神話は有名だろう。80年代以前のプロレス界ではいざとなれば“懐刀”を抜くがごとし、まして上田さんのように全米を又にかけて転戦していく日本人悪党だから、対戦者も容赦なく“実力査定”してくる。手荒なことをすればこちらも容赦はないぞ!とばかり、観客に見えない遣り口でお返しをすることで睨みを効かしたとされる。総合格闘技が現在のように一般まで認知される以前のお話しだから、蹴りや突きに対する防御のスキルはけして高くはなかっただろうが、受け止めるだけ受け止めてあとは捕まえてごろんと寝かし腕を取るなりして仕留めていく遣り方はいかにも往年のプロレスラーの風格を感じさせ、素敵だ。「さぁ、どっからでもかかってきな!」上田さんにピタリと符号する名調子というものだろう。  “狂虎”シン、その傍らの上田さん  私事で恐縮だが、高校生時、今で言う“ファンクラブ”紙みたいなものを仲間たちと手掛けていた私は、そのクラブ紙の目玉として“狂虎”T・J・シンのインタビューを思いついた。幼い頃からさる縁故もあっていよいよ実現する運びとなったが(遠征地の旅館にて)、いざ、シンを前にするとかなり緊張し、片言の英語もままならなかった。このとき、傍らで微笑されておられたのが上田さんで、上田さんは後年、方々で口下手だと揶揄されるおひとであったはずなのにこの時はそんな印象は受けず、色々と私に話しかけてくださり、サポートしていただいた。それでもなかなか緊張の糸はほぐれなかったが、帰りがけ「(これからも)プロレスをよろしく」と言われ、なんだか自分がプロレスファンの代表のように思われ、恥ずかしいやら嬉しいやら想いが溢れた記憶がある。後年、といってもかなりの年数が立ってからだった為か、「あの時の学生です」と話しかけても、残念ながら上田さんは私のことを全く覚えておられなかった!!だが、未だにあの日のことは私の記憶に鮮明に残っており、良い思い出のひとつです。  “お子様ランチ”プロレススタイルに言及  昔気質の職人、上田さんだから、マスカラス以後の飛んだり跳ねたりといったスタイルのプロレスに対し、けっして良くは思っておられなかったご様子。初代タイガーマスクのプロレススタイルを“お子様ランチ”だと評されたこともあったし、だがのちのプロレスは良くも悪くも初代タイガーマスクのスタイルが様々な形で影響を及ぼしたことは確かだろう。見るものを飽きさせないとされる、リング上で縦横無尽に動いていくスタイルや或いは同じ技を一試合で幾度も繰り出す闘い模様はまた非難の対象でもあるが、現行のプロレススタイルのほうがより相手の技を受けることによってリアルに一見客にも届くため、一概に非難だけを浴びせるわけにもいかない側面がある。じっくりと技の掛け合いを見せたり、或いは基本をないがしろにした、見よう見まねの使い手たちこそを指して上田さんは一言浴びせたと従えたい。      ※『シンvs上田、狂虎と金狼の競演!!両者が対立した夜』   yoshiki812-64693.jpg『美城丈二のセミファイナル』  よろしかったらご覧ください。   ※筆者注;この記事は筆者管理サイト“魂暴風;Soul storm”とのダブルポストです。          


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2011年12月24日

“金狼”上田馬之助さん、思い出すことなど。①

 
悪役
 “まだら狼”何故、まだらなのか?  平成のプロレスファンは知らないだろうけれど、上田さんが70年代、国際プロレスに“凱旋”してきたとき、髪を金髪に染めておられたのだが、それが日を追うごとに脱色してしまい、まだらな紋様になってしまった。それを見た、当時の雑誌記者が“まだら狼”と命名したのがもともとの由来。このエピソードを私は上田さんから直接お教えいただいて「まぁ、髪を染めたのはいいんですけど、めんどくさくてですね……」とはにかみつつ、ご本人談(笑)。その後、雑誌に“まだら狼”と書かれたことを知ったご本人が「これじゃ、いかんと思ったわけです(笑)」その後はこまめに染め上げ、“金狼”というネーミングが定着した次第。  “コミッショナー”制度の確立  往時のプロレス誌・紙に上田さんのインタビューが掲載されるたびに氏が唱えていた制度。ひとつの機関を設け、各団体を支配下に置き、ライセンスを発行し、プロレスラーのステータス、地位向上を図る。日本のプロレス創世記、力道山時代はこの制度を設け、当時の自民党大物議員たちが関わっていたが、日本プロレス瓦解後は有形無形化した。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんの長らくの確執が為、この制度が再確立されていないのは遺憾だ!とふたりの御大にも物怖じせず切り込まれておられた。馬場さん、猪木さんも制度設立の為に何度か会談され、交渉を重ねた結果、合意書まで作成されるほど話しは進んだのだが、その直後に新日本がクーデター騒動に巻き込まれ、結局設立には至らなかった。その後も幾度か機運は高まったが、現在において未だ各団体を統制下に置くコミッショナー制度は確立されていない。  “ヒール”悪役としての生き様  70年代はプロレスファンタジーなるものがまだまだ通用した時代であったから、猪木さんや馬場さん、いわゆるベビーフェイス・善玉に対する日本人ヒールとしての立場はファンたちの憎悪の対象でしかなかった。悪役が居るから善玉は光るのだ!などというパラドックスがプロレスファンの間でもまずほとんど浸透していない時代。度を越した嫌がらせ等が絶えない為、日本の団体参戦時は定宿というものがなく、団体指定のホテルに仮住まいであった。だが、そんなホテルでさえ嗅ぎ付けて今で言うところのストーカーまがいの行動に出るファンもいたようで、気を緩める暇が無かったとされる。  上田さんが晩年を過ごされた大分県臼杵市は妻であられた恵美子さんの故郷。米国転戦時に日本では居場所の無い上田さんが「来るなら来い!」とだけ記した手紙を手渡し、恵美子さんは上田さんだけを頼りに米国へと渡米されたことは有名な話しだ。時代が移り変わり、ようやく上田さんは奥様の故郷で安住の地を得たのである。                                         ※筆者注;この記事は筆者管理サイト“魂暴風;Soul storm”とのダブルポストです。


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2011年12月21日

上田馬之助さん、黄泉の国に旅立つ。

 
上田
   さる知人から知らせを受けた。俄かに信じたくはなかったのだけれど……。私も様々な形で“金狼”“まだら狼”上田さんのことを書き連ね、そのいくつかは書籍化されたものに収められた。御大・馬場さんや猪木さんにずばり直言出来る方であったし、日本のプロレス界の行く末を常に案じられておられた。米国放浪の旅、国際、新日、全日、インディと参戦を続け、まさしくプロレスラーらしい生き様を見せてくれた方だったように思う。生命をも危ぶむ大事故を経て、あの往年の雄姿をリング上で垣間見ることはもはや叶わないのだろうか?と悔やまれても懸命なリハビリの様相は胸が熱くなるほどだった。いまはただ、その御霊が安らかであらんことをお祈りするのみ。大変、お疲れ様でした。そしてたくさんの“昭和プロレス”の思い出をありがとうございました。僭越ながら私もまたあなたのことを書かせていただきますね。心よりご冥福をお祈り致します。                                               合掌


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2009年02月08日

ある雑感【INOKI SPIRAL】猪木に狂う!?往年の信者がその螺旋の先で、やはり行き着く闘いとはこの一戦なのか!?猪木vsアリ

 
yoshiki812-69549.jpg
 プロレス界という潮流を大きく逸脱した闘い模様。世間をも驚愕(きょうがく)させた一大ビッグイベント。  往年のアントニオ猪木の戦い模様においてやはり外せない一戦と言えばvsM・アリ戦ということでもあるのでしょう。    昨日、テレビ朝日開局50周年記念番組の一環として「伝説スポーツ名勝負 壮絶!!舞台裏の真実」内にて猪木vsアリ戦が取り上げられておりました。私もしばし筆を休め、久しぶりにゆっくりとテレビ画面を見つめることが出来ました。プロボウラー・中山律子さんの12投連続ストライクパーフェクト、故・須田開代子さんとのライバル闘争篇を経ていよいよ猪木vsアリ、伝説の一戦の舞台裏が一部分ではありましたが、明かされておりました。  内容自体はいまや多くの格闘技ファンが見知る内容以上のものではありませんでしたが、懐かしい、思い起こせばこのシーンは覚えがあるなだとか、様々な想いがよぎった次第です。    秘蔵の、とまではいかずとも、いつぞやか目にした記憶がある猪木の姿に、やはりこの一戦に賭けていた猪木自身の並々ならぬ意欲、野心とでも言うべきものでしょう、そういったものがまさしく全身からほとばしっているとでも表現したくなるほどの“意気軒昂”ぶりが際立っておりましたね。“ビッグマウス”アリに対し、冷静沈着さを装いつつも“プロレス界の元祖パフォーマー”猪木らしいマイク応戦の一部始終。    吼(ほ)えるアリにはらわたが煮えくり返っているはずなのに穏やかげに応酬する猪木。往年の猪木信者にはまさにその頬もほころびかねない“絵”だったのかも知れません。  今更ながら振り返れば、様々な検証ごとがこの一戦のち、多くの関係者によって披瀝されており、無論、ジャンルを背負っているが為にどちらも負けるわけにはいかないのですから、引き分けという結果は「さにあらん、いた仕方無し」ということではあるのでしょうけれど、当時は勿論、私を含め、まず大抵の人間はどういう結果に落ち着くのか?興味津々でした。  特にプロレスファン、まして猪木派のプロレスファンにとってはなんとしても猪木に凱歌が上がってほしかった、そういう思いこそ私も強く意識しつつ見つめていたはずなのですから、無残かな、淡く、或いは深く私の願望は気泡と化し、一戦後は涙した記憶がございます。  (何故だ!?何故、猪木は寝転がってばかりだったんだ!?)  当時は、この思いがまさしくぐらぐらと胸中を駆け抜け、幼いながらに苛立つ自身を抑えることに必死になっていたような・・・・・・。  過日、休みが明けて学校へゆくとクラスの幾人かが、私に対して「猪木は逃げてたよな?」このようなことを言って馬鹿にしてくる。腹立たしいやら悔しいやら、なんだかない交ぜの感情が私自身に襲ってきた、そういった想いがまた鮮明に想い出されました。


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2008年11月04日

美しさはしなやかさなり“藤波辰爾”往時の記憶~IGF参戦に寄す(その後編)

 
 度重なる負傷。
 特に89年6月22日、ビッグバン・ベイダー戦後の
 腰痛悪化欠場は有名だ。椎間板ヘルニアで1年3ヶ月という
 長期欠場を余儀なくされる。

yoshiki812-55002.jpg
 ドラゴンボンバーズや飛龍革命の未遂、どれも当初の目的を  鑑みれば中途で頓挫しているように思わせるが、  藤波らしい、周囲に配慮した、レスラーらしからぬ温厚な性質が  災いした結果であり、プロレスというジャンルを大局的に  見定めることが出来る識者においては  それもこれも「むべなるかな」という  ことになる。  いまではアングルではなくリアルとの定説がある、  長州力以下維新軍団の大量離脱騒動でも  「ここで藤波までが離脱すれば  間違い無く、新日本は潰れる」と言われる  最中、踏みとどまったのは何故だろう!?  一旦は離脱の仕掛けに応じたと漏れ伝わる  藤波の真意。  藤波を悪く言う人間は  必ず、その優柔不断ぶりをそしるが  いまの新日本の黎明期、その支柱を支えた  との認識を持つ私としては  とても彼を責められない。  「無我ワールド・プロレスリング」の旗揚げ。  そこに見えるのはその支柱の象徴でもあった  師匠・アントニオ猪木のオーナー職辞任という  影がちらついたからと鑑みるのは  果たして私だけだろうか?  西村修との確執が表面化し、彼が辞していこうとも  多くを語らなかった藤波辰爾という男の真実。  若手に混じってリング作りを手伝っていた  会場における藤波の後ろ背。 


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2008年11月04日

美しさはしなやかさなり“藤波辰爾”往時の記憶~IGF参戦に寄す(その前編)

 美しさはしなやかさなり・・・・・・
 1978・1・23MSG●カルロス・ホセ・エストラーダ
 WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級タイトルを奪取。
 来る同年3・3帰国第一戦●マスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)
 どちらも制したのは、藤波の乾坤一滴、渾身の
 ドラゴン・スープレックスであった。
 人気は俄かに沸騰。
 甘いマスクにいかにも日々の鍛錬を思わせる
 ビルドアップされた姿態。
 時のマスコミはカール・ゴッチ仕込のレスリングテクニック、
 綺麗に上体をそらせて孤を描く、見事というほかはない
 スープレックスの凄まじさに
 “ジュニア界のアントニオ猪木”
 さもしなやかに動き回るリング上の闘い模様が
 まるで龍が舞うようだと形容し
 “ドラゴン藤波”とも
 はやしたてた。
yoshiki812-53893.jpg
 (写真提供:ミルホンネット)  あれから、早30年・・・・・・  時の移ろいは振り返る暇さえも与えぬかのように  あっというまに積年を刻んでしまった。  


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posted by 美城丈二 |21:25 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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2008年10月15日

机上の夢物語、或いは幼い時分の視点。「棚橋・中邑・後藤、複数スター制に陽はまた昇るか!?」

 ただの妄想以下・・・その1。(飽くまでも一ファンの戯言ですからそのお積りで)

 
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 現(49代)IWGP王者、武藤敬司を王者から引きずり下ろすのは蝶野正洋。武藤と同格、或いは匹敵する色気のあるレスラーは現行の新日本マットにあって蝶野か長州ということになり、長州では時代があまりに逸している為、蝶野しか有り得ないだろうという、妄想。  蝶野のワンポイントのち、いよいよ凱旋帰国の棚橋がその政権を奪取し、当分は棚橋時代が続く。  棚橋はどうも“ナルシストキャラ”が板に着いてきつつあるが、“受け”を主体とする試合運びも含め、軌道修正を計ってくるだろうという、読み。ただし、この軌道修正は“強い”新日本復活の軌道修正では無く、切れた、吹っ切ってなりふり構わず猛進する、何が起こるか判らない、先の展開が読めない新日本往時のスタイルへの転換(血しぶきでもあげてキラーと化すなんてのが良い)。  武藤を返り討ちにした時点で、その棚橋に電撃参戦のあの小川直也が挑む。この小川をも破り、更にあの安田忠夫、藤田和之までをも破った棚橋は喝采を浴び、ここに真の“棚橋時代”が訪れる。  中邑は本年大晦日、満を持して総合参戦。その結果いかんでは継続参戦を果たし、総合でも勝てるプロレスラー像を目指す。  後藤洋央紀は棚橋とのライバル闘争に一敗地にまみれ、ペイントレスラーかマスクマンに転進し、棚橋を破る“快挙”を成し遂げる。  棚橋、中邑、後藤。独自色濃い、またあの闘魂三銃士時代を彷彿とさせる、誠に突っ込みどころ満載の複数スター制時代が到来。  嗚呼、ここに私があまり好まない複数スター制ながら新日本はマット界の盟主に返り咲く。  ・・・・・・ほんにそうなったら嫌だなぁという妄想以下の夢物語なのですが気にしないでいただきたい(笑)。こういう妄想以下のお話しも幼い時分はプロレスを語るうえで、“先読み感”があって、また楽しみなおしゃべりのひとつでもありました(勿論、大はずれでも全然、構わないわけで)。  無論、上記のようなことにはなりがたいでしょうが、現行の新日本マットは90年代プロレス黄金期の華・武藤敬司をその象徴とも言えし、IWGP王者に据えたことで何かと先の展開が面白くなってきましたね。ひところの低迷期を脱し、いよいよ来年以降、新日本、いやプロレス界がひたひたと反抗の狼炎をあげそうです。全日本との合流を含め、マット界再編の動きも感じられ、いまこそ時代を担うスターの出現を待望している次第です。  プロレスという、世間からバッシングを受けがちのジャンルに魅せられ、早、40数余年。少しでもその面白さを、私ながらの拙文とは申せ伝えられないものかと僭越なる物言いとは感じながらも腐心してまいりましたが、じっとじっと待った甲斐があったかな?(笑)。見ていて鮮烈なるマット界の復活を切に希望致す次第でもあります。どろどろとした人間関係の縮図を見るような、そんな醜聞記事を読むのはもうこりごりですよ。他団体との抗争を目玉にするのでは無く、自前のスターで興行をまかなう、マット上の更なる活性化。プロレス界復活の起爆剤はこれに尽きると私は信じて疑いません。


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2008年10月09日

(雑感)革命前夜・以後「藤波vs長州“名勝負数え唄”

 藤波vs長州“名勝負数え唄”
 往年のプロレス黄金期、古館伊知郎アナが絶叫していた、いまではただたんに回顧と呼ばれてしまいかねない時代のお話しなのですが、先だって、とある雑誌を読み綴っておりましたら、この稿も掲げられておりまして、色々と検証なされてありました。
 まさしく多くの識者の方々が指摘なされておられるように、あの闘い模様こそ、日本のプロレスの有り様を変えたと申しますか、あの辺りからプロレスリングスタイルが大きく変わっていきましたね。技と技の間に溜めを作らないというか、矢継ぎ早に次の技をしかけていく。ひとつひとつの技の重みが無くなってもったいないですよぉと嘆いておられたプロレスラーのお話しを当時もじっくりと私なりに伺った記憶もあるのですが、当時はやはり「けんか腰でいい!!」という声が圧倒的で、そういう意見の方が大多数でもありました。
 いわば、それまでのプロレス特有の相手の呼吸が整うのを待つ、いわゆる“間合い”なるものが、ただたんにスローモーに思えて退屈に感じていた層が振り向くきっかけを与えてくれたスタイルであり、通と呼ばれていた方々はそこに“溜め”という言葉を持ち込んで「いやいや、技と技の合間だけでなく、ひとつの技自体をしかけていく場合でもひとつひとつのモーション、その間自体にさまざまな勘考が沸くものです」などと語られてもおられたのですが、
 じゃあ、あんたは面白くなかったの?と聞かれたら、いや、全然、食い入るようにリング上を見つめておりましたよ、と私は多分、いまでもそう、お答えするでしょう。この辺りは私の私らしい、曖昧と申しましょうか、情けないところで、とにかく当時は、幼い時分から好きだった世界が、あの初代タイガーマスク出現やこの名勝負数え唄のヒットによって、大変な賑わいようで、それまでいつ会場に足を運んでも四分五分だった観客数が超満員、そちらの方が嬉しかった記憶もございまして、やはり、昔から私は二律離反、“溜め”のあるプロレススタイルと“間合い”を排除したプロレススタイルをも好んでみていた。こういう感覚が未だに強いからか、あんたの書くものはいつも相反しているなどと揶揄されたりするゆえんなのでしょうが、より良く捉えてくださる方は「それだけプロレスというジャンルがお好きなんでしょう」とちょっとこそばゆい言葉をかけてくださりもする。

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posted by 美城丈二 |09:25 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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2008年04月06日

「有難う!!みちのくプロレス」地方巡業で改めて見知ったプロレスというジャンルの深奥

 
 「みちのくプロレス」さんがプロデュースする我が古里興行に妻と二人の子を伴って見に行って来ました。「みちのく」さんは当地、初お披露目、やはりザ・グレート・サスケ選手の登場の際は盛り上がっておりましたね。
 私の世代ではやはりサスケ選手、新崎人生選手が群を抜いて知名度を得ておりますが、私の子らのお目当ては“義経”選手。気さくにサインや握手に応じてもらえました。上の子は恥ずかしげにけれど嬉しそうに私に促されて握手を求めておりました。帰り際には出口で気仙沼二郎選手が「この雑誌は岩手だけで発売されているのですよ」と会場で売られていた『Standard』というスポーツマガジンの表紙絵、ご自身のお写真の横にサインを頂き、サスケ選手はもとより、野橋真実選手らのサインも頂いて、子供達は本当に嬉しそうでした。都心の会場ではなかなか触れ合う機会が少ないプロレスラーたちに地方の会場ではより身近に接することが出来る。地方巡業の愉しみのひとつがこのアットホーム感でしょう。ファンひとりひとりを大事に思い、接する。そういう「みちのく」さんらしい良い興行であったなと感じました。お客さんは六分の入り。やはり満員のお客さんで埋まった会場を子には見せてあげたかったし、選手にも満員の観衆の最中、試合をさせてあげたかったという思いこそ本音ではありますが、私が幼い時分に思い焦がれた感銘が少しでも子らにも伝えられたらという「親ばか」な感覚はともかく満足げな表情の我が息子たちを覗き見て連れてきて良かったなとひと安心、感慨を抱いた次第です。
 “相手の技を受ける”ことがプロとは申せ、きっちり受けるべきところは受け、対戦者の良さを引き出しつつ試合が終われば滴る汗ひとつ拭わず並んだファンに笑顔を振りまきつつサインや撮影に応じる。新崎人生選手以外ほとんどの選手が私と同じくらいの背格好、或いは低い選手が自身のそしてファンの夢を繋ごうと精力的な“姿勢”を見せる。時に一階席から二階席へとひとり、じっと試合の行方を見据えていた私は様々な感覚に囚われました。そして試合が終わればオフサイド、敵も味方の区別無く、ファン交流に努める。改めてプロレス興行の面白さ、深みを味わった一日となりました。 

 
20080330-00.jpg
 


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2008年03月24日

地方巡業という名のノスタルジー“あの、咽喉も嗄れんばかりに声援を送り続けた子供たちはどこへ行った!?”

 
 久しぶりに、多くの方々からリクエストを賜わるプロレスというジャンルのお話しです。(今回は自身が管理するブログサイトコラム、ミルホンさんブログコラム併用という形でざっくばらんに書かせていただこうかと思います。)

 総合格闘技の人気沸騰という波に押され、未だ人気回復の糸口すら掴めない底冷え状態久しいプロレス界。お客さんの入りも一部、復調傾向にあると報じられていたりしますが、まだまだ隆盛期と比べれば雲泥の差という状態でしょうね。地域密着型プロレス団体はともかくとしても、いわゆるメジャー系団体の地方巡業なるものもますますめっきり減ってしまいましたね。かつては、と言ってももう随分以前2、30年前までのプロレス興行と言えば当たり前のように異郷の僻地、そういう場所まで巡業としてやって来ておりました。それだけ日本各地、津津浦浦までその人気が浸透していた証左でもあろうかと思うのです。

 シリーズ自体がロングランで1ヶ月以上に渡って一シリーズが行なわれることも年に数回はありました。その内訳はたとえば九州シリーズだとか、東北シリーズだとか、各地方をまんべんなく興行していくスタイル。場合によっては今日はこの町、明日は隣町などという、それこそあまたの地方を順繰りに廻って行くだとか、新日本、全日本も結構、そういうことがありましたよね。

 言うまでも無く、パブリシティという、興行論に根ざした経営体質改善によってもっとも公共に伝播し易い地上波TVの深夜枠移行が、悪く考えれば地方切捨てを生んだのでしょう。ゴールデン枠に毎週放送される場合に比べ、深夜枠は明らかにコアなファンでも無い限り見ようなどとは思いません。録画してまで見ようかという層にしてもこれもコアなファンに比重がかかる選択肢なのですから、いかにゴールデンという枠が宣伝効果を生んできたか、それは誰しもに考慮の及ぶ自明の理というものでしょう。ゴールデン枠には「どれ、そんなに面白いのであれば一度、見に行ってみようか?」などという地方在住の一見さんを生む土壌もあって、やはり深夜枠への撤退がプロレス巡業地方切捨ての一原因と見て間違いないでしょう。ゴールデン枠と深夜枠では放映権料も大きく違いますし、お客さんの入りも全然、隔たってきます。そうなると団体側はよりコストを落としたスリム経営を考えざるをえない。

 90年代新日本隆盛期、「闘魂三銃士」の時代は都市型集中興行形式で安定安泰経営がなされました。これらに反発するかのように生まれてきたのが、ザ・グレート・サスケ選手が先鞭をつけたみちのくプロレス地方特化型の経営方法論だったのですが、いまや地方によってはプロレス中継という番組自体すら放送されていない地域もあり、お客さんの閑散化はますます深刻な事態となってきております。

 そんなみちのくさんが我が古里で興行をまもなく打つのですね。東北地方発信で全国にその名が轟いたみちのくさんが、我が古里、南九州にやって来る。実はこれ、誠に貴重な興行で、当地初お披露目という実際、“快挙”ともいうべき興行です。地域振興の一環として行なわれるそうで私もふたりの子息を伴って見に行く予定です。

          (朝日新聞『ひと』欄より)
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2007年11月13日

“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念-その第2稿

 
 
20071113-00.jpg
「臓器ひとつを取ってプロレスラーとして復帰したものを知りませんよ。この先、何が起こってもしらないから。・・・でも駄目だといっても復帰するんでしょ?」  そう、主治医に問われた小橋選手は、  「・・・はい。」  はにかむようにそう、返答したと言う。  先のマスコミ報道における横浜市立大学附属病院・中井川担当医との遣り取りのひとこまである。  室温40℃を越す道場での修練。体重を増やそうと考慮するが為のタンパク質過度の搾取が災いしたのか、8月時点での“数値”はかなり悪かったと報じられた。  「おなかがすいたら水か黒豆茶。ウーロン茶だと、カフェインが入っていて睡眠を妨害するから。」  それらひとつひとつの仔細な報道に「このひとというひとは・・・」と私は溜め息が途絶えなく吐き出るかのような思いの元、見つめてもきた。  腎臓がんからの驚異的とも言える復帰。  20007・12・2ノア日本武道館大会。  この“復帰”はそれだけで“事件”である。  復帰戦チケット売り出し、即完売という事実も納得のいく“現象”というものであろう。


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2007年09月17日

“千の顔を持つ男”ミル・マスカラス、筆者の幼児の記憶もまたそこに集う

 
 毎試合の度にオーバーマスクを投げ入れる。観客席で“奪い合い”に群がる子供達。だが、見守る大人達は眉をひそめるどころか、慈愛の眼差しを持って目を細めつつ“その光景”を見つめている。

 年に一度か二度の“待望”焦がれるプロレス興行。
 「おらが村にも“プロレス”が来た!!」

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posted by 美城丈二 |15:01 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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2007年09月03日

美しき微笑のアンドレ

 
 ようやく、『アンドレがいた!―“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの黄金時代』 (エンターブレイン社・刊) プロレス・格闘技評論家として著名な門馬 忠雄氏のお作を読了することが出来た。何しろ、一応、書斎らしき体裁の部屋そこかしこにうずたかく積んである、ありとあらゆるジャンルの書物群の中から、この著作に触れることがようやくほんに叶った次第。

 氏の人柄を思わす癖の無い読みやすい文章体は、幼き時分から“執拗”なくらいに自身の文章体に拘ってきた私であろうのに、そういう思いを別個として忘れさせるほど、なんと読み終わって勘考が沸き立つ文章群であったことだろうか。

 幾人かのアンドレとなじみのあるレスラー達とのインタビューページが挿入され、国際プロレス来日時よりアンドレと親交のあった著者らしい温かみが全編に渡って漂う、情のある一作であろうと思えた。

 いまや、私が望むプロレス関係の書物群と申せば、こういった異人レスラー達の“ひととなり”を知ることが出来る作品群に止めを指す。

 ここのところあまり眠る暇も無く、ただくたくた・・・、
 普段、煩瑣な日常に追われているから働き過ぎたと感じる自身の脳髄にはあまりにも心地良いのです。  



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posted by 美城丈二 |07:36 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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2007年08月06日

“どうしても見たかった神様”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ その第2稿

 
 『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』


 遂に念願叶って見た“神様”の姿。

 手の取り合い、絡み合い。足の取り合い、絡み合い。Mr.ゴッチが猪木氏の背後に廻る。ざわめく背広姿の大人たち。 

 ☆この稿、続きは拙作版、所有です。
 ⇒『魂暴風⑥「伝説光臨篇」』


 

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posted by 美城丈二 |09:53 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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2007年08月02日

“どうしても見たかった神様”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ その第1稿

 
 『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』

  
  1972年(昭和47年)3月6日
 新日本プロレス旗揚げ戦 東京・大田区体育館
  アントニオ猪木vsカール・ゴッチ


 幼すぎた私には思慮の外であった。小学年へと進み、ある縁故もあって多くのプロレスラーたちと交わるようになると、気心も働いて当時、NET(現・テレビ朝日)の『ワールドプロレスリング』中継や日本テレビの『全日本プロレス中継』を欠かさず見るようになった。
 新日本旗上げ戦はノー・テレビであり(我が地方において)、当時を回顧すれば故・ジャイアント馬場氏も未だ日本プロレスのひとであった。
 猪木vsシン、vs小林、vs大木・・・と、まるで夢遊病者のそれ、何かに憑(と)り付かれたかの如くテレビ画面を食い入る様に見つめる頃になると、私の中で“この猪木の、あの新日本の”旗揚げ戦を知りたい、見たいという欲求が次第に強く、大きくこの胸中を支配するようになっていった。

 ☆この稿、続きは拙作版、所有です。
 ⇒『魂暴風⑥「伝説光臨篇」』

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posted by 美城丈二 |10:28 | プロレス、この果て無き浪漫 | トラックバック(0)
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