2007年07月22日
貴重なスペースを割き恐縮ながら、どうしても一言ながら申し上げたくてここに一筆啓上させていただきます。今回、諸事情に拠り、コメント欄、TB欄をひとまず閉じさせていただく旨お知らせ致しましたが、筆者もまことに驚くほどの多くの方々からご声援のメールを頂き、拝読させていただいて込み上げてくる思いさえ抱かずにはをれませんでした。僭越なる物言いではございましょうが、個人的にお付き合いさせていただく方々以外の当ブログサイトのみにおける一読者の方々が、わざわざ誠に貴重なお時間を割かれてまで私なんぞに申し添えくださり、この心より御礼申し上げます。有難うございます。深謝致します。本来ならばおひとりも漏れをきたすことなくご返信致したきところではございましょうが、中には「ご返信は必要ございません。」とお書き添えの方もおられ、非常な感銘を受けております。
私なりに今後も精進すべく努めてまいろうと思います。次回から若干趣向を変えた新章も設け、今後も拙文ながらも私なりのコラムをものしてまいりたいと思いますので、今後とも変わらぬご支持賜れますれば筆者これ以上の喜びは無く、幸せかと存じます。ほんに皆さん、有難うございました。物書き冥利に尽きる!!この一語です。
管理者・美城丈二
posted by 美城丈二 |07:17 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年07月05日
幼き頃につぶさにプロレス専門誌(紙)に目を通していると、度々、ビリー・ライレージム(Billy Riley Gym)なる固有名にぶつかった。
ビリー・ライレージム・・・・・・
この出身の猛者たちは、倒されても執拗にまさに大蛇のそれのごとく諦めず相手に纏(まと)わりついてくるところから、通称・Snake pit(蛇の穴)として怖れられた。穴とは、ジムの創始者、ビリー・ライレーがイギリス・ランカシャー地方のウイガンという炭鉱の町出自であったところから、炭鉱、その穴のことを指す。
いくつかの識者のものするところに拠れば、このビリー・ライレーなる人物、誠に勇ましく強者であったらしく、当時(1920年代)、開かれた腕自慢の者たちの大会ではことごとく優勝をさらい、その大会にて得た賞金でジムをも創設したとされる。
そのジム、我こそはと道場破りも跡を絶たず、されどビリー・ライレーはその度にねじ伏せ、地方ならず時の国王すら知る存在でもあったとある識者は述べてさえおられる。
その闘い模様のスタイルはいわずと知れた地方名が附された“ランカシャー・レスリング”が主でランカシャーとはまた俗名、“シュート”とも呼ばれており、相手との信頼関係のもと行なう通常のレスリングとは違い、シュートレスリング、真剣勝負を基調としている。
出身者では、あの“神様”カール・ゴッチ、“人間風車”ビル・ロビンソン、“爆弾貴公子”ダイナマイト・キッドと錚々(そうそう)たる面子を輩出しており、なるほどと幼き時分にひとり、感慨に耽ったものである。
そんなビリー・ライレージムが廃れたのは、いわゆるショーアップされたプロレスが台頭し始めた時期に平行しており、過酷であまりに厳しい練習メニューを時のプロレスラー自体が敬遠し始めたことから起こっているという、悲しい現実・・・。
なにもショーアップされてしまったといっても関節技に終始するかのようなプロレスリングが“最上”と筆者は声高に述べたいというわけではない。
筆者はプロレスの“華”なるものはスープレックスに在りと思う論者のひとりなのだ。組み付き、相手が踏ん張ろうとしても強引に後方に投げ落とす。ねちっこいグラウンドテクニックも大向こうを唸らせる玄人好みの攻防ではあるが、この三者に限ってもその“スープレックス”の担い手であったわけだし、何より通常の試合を逸脱した闘い模様でも十二分にマニアを唸らせることが出来た。
要は、そういう基調、ベース(base;底辺)なるものが疎かになってしまったのでは無いか?と思っているだけである。
以前は地方の会場でもつぶさにその攻防を眺めていると、おやっ?と思えるシュートまがいの攻防によくぶち当たったものである。本気か!?こいつら?と腰をつい、浮かしてしまったことも度々、あった。それら攻防はけっしてベースを疎かにした鍛錬からはまたけっして生まれないとも思うのだ。
筆者は川の流れのごとし、まさに息をつく暇さえ与えぬかのような、まさしく“流れる攻防”もけっして嫌いでは無く、ただごつんごつんと大男が殴りあう光景にも色めき立ったものである。
薄暗い館内に映える大男たちの“腕くらべ”。遠く、1920年代のその攻防さえ鑑みれば、プロレスリングなる世界の攻防もまして他の格闘技に比すとも劣らぬ輝きを放出していると思えたのは、筆者固有の思いとは言い難いであろう。
魅せることも大事。己の意思をアピールすることも必要。対戦相手を光らせることもひとつのプロレスなるジャンルの“掟”ではあろうが、いまやこの基調、レスリング基本をないがしろにしたかのような、まさしくプロレスなるジャンルに対するリスペクト感のかけらも無い試合、裏で人知れず鍛錬に明け暮れているかのような感覚をまったく感じさせぬリング絵巻が横行しているかのようにもまま見受けられる昨今、幼き頃に筆者が遠く馳せた、あの思いという奴は一体、なんだったのか?との思いに至ってしまうこともしばしある。
筆者もまた老い朽ちてしまう、古いレスリングファンのひとりである。だから、ただの“オールドファンの繰言”だと十二分に認識し、また軒昂に糾弾する気ももはや毛頭無いが、願わくばせめてプロレスと謳う限りは、あの筆者らが幼き時分に夢見ていた、そのプロレスラーとしての矜持足れや、ひとかけらもあれ!!とは思うのだが、まさしく悲しいかな、いまや筆者のそんな嘆きは嘲笑われるだけだろうか?
“プロなのだから、プロとしての力量・技術をお見せする。それ以外はプロとは呼べない。”
全盛時のロビンソンの言葉である。筆者の心根の拠り所、代弁者とはまさに氏のこの思いだ。これぞ、筆者の知るプロレスラーの意気、生の声でもあろうかと思う。
☆皆様のご支持の賜物です。近日、第4弾、刊行を予定致しております。
⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side』
⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
⇒『ミルホンネット版魂暴風3忘れ難き青春の日本人レスラー篇』
posted by 美城丈二 |09:17 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
2007年07月02日
初出;1998・8
どこまでが本気なのか?よく解しがたいプロレスラーだった。その実力は折り紙つき。あのキラー・カール・コックスに伝授されたとされる垂直落下式ブレーンバスター(筆者はもともとブレーン・バスターは垂直落下式だとの認識があるのだが)を引っさげ、ダスティ・ローデスとの『ジ・アウトローズ』ではその悪役ぶりに全米のファンを熱狂の渦に巻き込んだ。
日本プロレスに1968年2月、初来日。国際、全日と経て、新日本、更にFMWと来日回数を伸ばした。
喧嘩っ早く、時のNWA王座にもっとも近い男と久しく叫ばれたが、とにかくむらっけのあるタイプだったらしく、そのファイトスタイルにも如実に現れ、意気揚々と“過激なプロレス”をこなすかと思えば、ハンケツをアピールしてみたりと誠に掴みどころの無い性格であり、ゆえに多くのプロレスファンから愛された。
☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。
美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』
posted by 美城丈二 |21:39 |
プロレス、この果て無き浪漫 |