2008年04月06日

「有難う!!みちのくプロレス」地方巡業で改めて見知ったプロレスというジャンルの深奥

 
 「みちのくプロレス」さんがプロデュースする我が古里興行に妻と二人の子を伴って見に行って来ました。「みちのく」さんは当地、初お披露目、やはりザ・グレート・サスケ選手の登場の際は盛り上がっておりましたね。
 私の世代ではやはりサスケ選手、新崎人生選手が群を抜いて知名度を得ておりますが、私の子らのお目当ては“義経”選手。気さくにサインや握手に応じてもらえました。上の子は恥ずかしげにけれど嬉しそうに私に促されて握手を求めておりました。帰り際には出口で気仙沼二郎選手が「この雑誌は岩手だけで発売されているのですよ」と会場で売られていた『Standard』というスポーツマガジンの表紙絵、ご自身のお写真の横にサインを頂き、サスケ選手はもとより、野橋真実選手らのサインも頂いて、子供達は本当に嬉しそうでした。都心の会場ではなかなか触れ合う機会が少ないプロレスラーたちに地方の会場ではより身近に接することが出来る。地方巡業の愉しみのひとつがこのアットホーム感でしょう。ファンひとりひとりを大事に思い、接する。そういう「みちのく」さんらしい良い興行であったなと感じました。お客さんは六分の入り。やはり満員のお客さんで埋まった会場を子には見せてあげたかったし、選手にも満員の観衆の最中、試合をさせてあげたかったという思いこそ本音ではありますが、私が幼い時分に思い焦がれた感銘が少しでも子らにも伝えられたらという「親ばか」な感覚はともかく満足げな表情の我が息子たちを覗き見て連れてきて良かったなとひと安心、感慨を抱いた次第です。
 “相手の技を受ける”ことがプロとは申せ、きっちり受けるべきところは受け、対戦者の良さを引き出しつつ試合が終われば滴る汗ひとつ拭わず並んだファンに笑顔を振りまきつつサインや撮影に応じる。新崎人生選手以外ほとんどの選手が私と同じくらいの背格好、或いは低い選手が自身のそしてファンの夢を繋ごうと精力的な“姿勢”を見せる。時に一階席から二階席へとひとり、じっと試合の行方を見据えていた私は様々な感覚に囚われました。そして試合が終わればオフサイド、敵も味方の区別無く、ファン交流に努める。改めてプロレス興行の面白さ、深みを味わった一日となりました。 

 
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posted by 美城丈二 |15:54 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2008年03月24日

地方巡業という名のノスタルジー“あの、咽喉も嗄れんばかりに声援を送り続けた子供たちはどこへ行った!?”

 
 久しぶりに、多くの方々からリクエストを賜わるプロレスというジャンルのお話しです。(今回は自身が管理するブログサイトコラム、ミルホンさんブログコラム併用という形でざっくばらんに書かせていただこうかと思います。)

 総合格闘技の人気沸騰という波に押され、未だ人気回復の糸口すら掴めない底冷え状態久しいプロレス界。お客さんの入りも一部、復調傾向にあると報じられていたりしますが、まだまだ隆盛期と比べれば雲泥の差という状態でしょうね。地域密着型プロレス団体はともかくとしても、いわゆるメジャー系団体の地方巡業なるものもますますめっきり減ってしまいましたね。かつては、と言ってももう随分以前2、30年前までのプロレス興行と言えば当たり前のように異郷の僻地、そういう場所まで巡業としてやって来ておりました。それだけ日本各地、津津浦浦までその人気が浸透していた証左でもあろうかと思うのです。

 シリーズ自体がロングランで1ヶ月以上に渡って一シリーズが行なわれることも年に数回はありました。その内訳はたとえば九州シリーズだとか、東北シリーズだとか、各地方をまんべんなく興行していくスタイル。場合によっては今日はこの町、明日は隣町などという、それこそあまたの地方を順繰りに廻って行くだとか、新日本、全日本も結構、そういうことがありましたよね。

 言うまでも無く、パブリシティという、興行論に根ざした経営体質改善によってもっとも公共に伝播し易い地上波TVの深夜枠移行が、悪く考えれば地方切捨てを生んだのでしょう。ゴールデン枠に毎週放送される場合に比べ、深夜枠は明らかにコアなファンでも無い限り見ようなどとは思いません。録画してまで見ようかという層にしてもこれもコアなファンに比重がかかる選択肢なのですから、いかにゴールデンという枠が宣伝効果を生んできたか、それは誰しもに考慮の及ぶ自明の理というものでしょう。ゴールデン枠には「どれ、そんなに面白いのであれば一度、見に行ってみようか?」などという地方在住の一見さんを生む土壌もあって、やはり深夜枠への撤退がプロレス巡業地方切捨ての一原因と見て間違いないでしょう。ゴールデン枠と深夜枠では放映権料も大きく違いますし、お客さんの入りも全然、隔たってきます。そうなると団体側はよりコストを落としたスリム経営を考えざるをえない。

 90年代新日本隆盛期、「闘魂三銃士」の時代は都市型集中興行形式で安定安泰経営がなされました。これらに反発するかのように生まれてきたのが、ザ・グレート・サスケ選手が先鞭をつけたみちのくプロレス地方特化型の経営方法論だったのですが、いまや地方によってはプロレス中継という番組自体すら放送されていない地域もあり、お客さんの閑散化はますます深刻な事態となってきております。

 そんなみちのくさんが我が古里で興行をまもなく打つのですね。東北地方発信で全国にその名が轟いたみちのくさんが、我が古里、南九州にやって来る。実はこれ、誠に貴重な興行で、当地初お披露目という実際、“快挙”ともいうべき興行です。地域振興の一環として行なわれるそうで私もふたりの子息を伴って見に行く予定です。

          (朝日新聞『ひと』欄より)
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posted by 美城丈二 |22:28 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年11月13日

“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念-その第2稿

 
 
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「臓器ひとつを取ってプロレスラーとして復帰したものを知りませんよ。この先、何が起こってもしらないから。・・・でも駄目だといっても復帰するんでしょ?」  そう、主治医に問われた小橋選手は、  「・・・はい。」  はにかむようにそう、返答したと言う。  先のマスコミ報道における横浜市立大学附属病院・中井川担当医との遣り取りのひとこまである。  室温40℃を越す道場での修練。体重を増やそうと考慮するが為のタンパク質過度の搾取が災いしたのか、8月時点での“数値”はかなり悪かったと報じられた。  「おなかがすいたら水か黒豆茶。ウーロン茶だと、カフェインが入っていて睡眠を妨害するから。」  それらひとつひとつの仔細な報道に「このひとというひとは・・・」と私は溜め息が途絶えなく吐き出るかのような思いの元、見つめてもきた。  腎臓がんからの驚異的とも言える復帰。  20007・12・2ノア日本武道館大会。  この“復帰”はそれだけで“事件”である。  復帰戦チケット売り出し、即完売という事実も納得のいく“現象”というものであろう。


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posted by 美城丈二 |08:55 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年09月17日

“千の顔を持つ男”ミル・マスカラス、筆者の幼児の記憶もまたそこに集う

 
 毎試合の度にオーバーマスクを投げ入れる。観客席で“奪い合い”に群がる子供達。だが、見守る大人達は眉をひそめるどころか、慈愛の眼差しを持って目を細めつつ“その光景”を見つめている。

 年に一度か二度の“待望”焦がれるプロレス興行。
 「おらが村にも“プロレス”が来た!!」

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posted by 美城丈二 |15:01 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年09月03日

美しき微笑のアンドレ

 
 ようやく、『アンドレがいた!―“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの黄金時代』 (エンターブレイン社・刊) プロレス・格闘技評論家として著名な門馬 忠雄氏のお作を読了することが出来た。何しろ、一応、書斎らしき体裁の部屋そこかしこにうずたかく積んである、ありとあらゆるジャンルの書物群の中から、この著作に触れることがようやくほんに叶った次第。

 氏の人柄を思わす癖の無い読みやすい文章体は、幼き時分から“執拗”なくらいに自身の文章体に拘ってきた私であろうのに、そういう思いを別個として忘れさせるほど、なんと読み終わって勘考が沸き立つ文章群であったことだろうか。

 幾人かのアンドレとなじみのあるレスラー達とのインタビューページが挿入され、国際プロレス来日時よりアンドレと親交のあった著者らしい温かみが全編に渡って漂う、情のある一作であろうと思えた。

 いまや、私が望むプロレス関係の書物群と申せば、こういった異人レスラー達の“ひととなり”を知ることが出来る作品群に止めを指す。

 ここのところあまり眠る暇も無く、ただくたくた・・・、
 普段、煩瑣な日常に追われているから働き過ぎたと感じる自身の脳髄にはあまりにも心地良いのです。  



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posted by 美城丈二 |07:36 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年08月06日

“どうしても見たかった神様”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ その第2稿

 
 『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』


 遂に念願叶って見た“神様”の姿。

 手の取り合い、絡み合い。足の取り合い、絡み合い。Mr.ゴッチが猪木氏の背後に廻る。ざわめく背広姿の大人たち。 


 

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posted by 美城丈二 |09:53 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年08月02日

“どうしても見たかった神様”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ その第1稿

 
 『あれから遙か35年“私がどうしても見たかった”新日本旗揚げ戦・猪木vsカール・ゴッチ』

  
  1972年(昭和47年)3月6日
 新日本プロレス旗揚げ戦 東京・大田区体育館
  アントニオ猪木vsカール・ゴッチ


 幼すぎた私には思慮の外であった。小学年へと進み、ある縁故もあって多くのプロレスラーたちと交わるようになると、気心も働いて当時、NET(現・テレビ朝日)の『ワールドプロレスリング』中継や日本テレビの『全日本プロレス中継』を欠かさず見るようになった。
 新日本旗上げ戦はノー・テレビであり(我が地方において)、当時を回顧すれば故・ジャイアント馬場氏も未だ日本プロレスのひとであった。
 猪木vsシン、vs小林、vs大木・・・と、まるで夢遊病者のそれ、何かに憑(と)り付かれたかの如くテレビ画面を食い入る様に見つめる頃になると、私の中で“この猪木の、あの新日本の”旗揚げ戦を知りたい、見たいという欲求が次第に強く、大きくこの胸中を支配するようになっていった。
 当時から、既にMr.ゴッチは“神様”という異名をもって命じられてもいたし、何より幼くして興味を抱いたことにはありとあらゆる手段を用いても(とはいっても幼い人間の考える範囲までだが)執拗に究明せねば気が済まぬような性質もあって、私の中ではMr.ゴッチに対する幻想が加速するままに募っていった。

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posted by 美城丈二 |10:28 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月30日

馬場プロレスの本陣“私の中の王道記”その第一稿

 
 ジャイアント馬場は強者である。

 その懐は数々の事変に対し、思慮し、考察し、答えを導き出す。どこまでも「慎重穏士」と揶揄(やゆ)されたが、実際は容易に胸中を他者に明かさぬだけで、その心根は深い洞察の持ち主であり、そのリング上の絵巻においても誠に味わい深い空間を有した闘い模様であったのだと思える。

 若き日の私は「幾度と無く挑み、幾度と無く敗れても100回目に勝てば私は甦ってくる」と公言して憚(はばか)らなかった猪木の清さをよりプロレスラーとして好ましいと思っていたが、だからといって馬場自身をひいては馬場プロレスを批難することはまず爪の垢ほども無かったのである。

 かつてそういう私のスタンスに対し、「どっちつかずで下衆(げす)な奴と思われないだろうか?どちらか一方に偏っていた方がより支持を得やすく、考え方を統制し易い」と忠告してくださった方がおられた。どちらか一方に?到底、私には出来ぬ芸当に思えた。

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posted by 美城丈二 |01:23 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月26日

“まだら狼”に逢いたい

 
 随分以前からあの上田馬之助氏を思うあまり、私なりにお逢いして近況やかつてのプロレス界等についての懐かしいお話しなどをお伺いしたいものだと思っていた。

 昭和の香りの漂う日本人プロレスラー、故・大木金太郎氏、ストロング小林氏と並び、それは私にとって“金狼”“まだら狼”そう、あの上田馬之助氏であった。

 だが皆さんご存知の如く、上田氏は生命を落としてもおかしくはない危急ともいうべき大事故に見舞われ、その後遺障害を思うとき、お逢いすることが誠に躊躇(ためら)われた。

 私事で恐縮だが、知人のおひとりがやはり話しを聞く段において目を背けたくなるほどの事故に遭遇され半身不随に陥り、術後も度々お見舞いに行かせていただいたが以前のような輝きを秘めた両の目が感じられず、その周囲の方々の心持ちを思うとき、いたたまれない思いに至った経緯もあり、誠に暗中複雑、お逢いすることが躊躇われた。

 私の先年亡くなった実父もそうで私の幼い時分は普段、物静かではあっても一旦酒が入ると狂気じみた面構えになってぶん殴ってくるほどの親父であったが、その晩年大病を患って血色の良くない、まるで息子である私が望んですら他人かと見まがいかねないほどのやつれようを見せ付けられてこの心、なんとも言いようの無い思いにかきたてられたものである。

 私は大変、恐縮なる勘考とは思いながらも、上田馬之助氏、氏にもそういう側面が予見されてお逢いすることが躊躇われ今日(こんにち)に至っている。

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posted by 美城丈二 |15:45 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月22日

筆者・美城丈二よりの謹告

 
 貴重なスペースを割き恐縮ながら、どうしても一言ながら申し上げたくてここに一筆啓上させていただきます。今回、諸事情に拠り、コメント欄、TB欄をひとまず閉じさせていただく旨お知らせ致しましたが、筆者もまことに驚くほどの多くの方々からご声援のメールを頂き、拝読させていただいて込み上げてくる思いさえ抱かずにはをれませんでした。僭越なる物言いではございましょうが、個人的にお付き合いさせていただく方々以外の当ブログサイトのみにおける一読者の方々が、わざわざ誠に貴重なお時間を割かれてまで私なんぞに申し添えくださり、この心より御礼申し上げます。有難うございます。深謝致します。本来ならばおひとりも漏れをきたすことなくご返信致したきところではございましょうが、中には「ご返信は必要ございません。」とお書き添えの方もおられ、非常な感銘を受けております。

 私なりに今後も精進すべく努めてまいろうと思います。次回から若干趣向を変えた新章も設け、今後も拙文ながらも私なりのコラムをものしてまいりたいと思いますので、今後とも変わらぬご支持賜れますれば筆者これ以上の喜びは無く、幸せかと存じます。ほんに皆さん、有難うございました。物書き冥利に尽きる!!この一語です。
                             管理者・美城丈二

posted by 美城丈二 |07:17 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月20日

“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念

 
 先頃、小橋建太選手の癌闘病からの“復帰”に向けての声明
の報に触れて、その自身のプロレスラーとしての思いに懸ける執念を思うとき、絶句せざるを得なかった。

 2006年7月に腎臓癌に対し腹腔鏡下手術を施し、ほぼ1年後の先達て会見を行い、復帰戦のパートナーに高山善廣選手を指名、対戦相手には三沢&秋山組を掲げている。昨年、病で臥す直前に高山選手の脳梗塞(こうそく)からの復帰戦の相手として、三沢&秋山組との対戦(日本武道館)を予定していたのだが精密検査で腎臓癌が判明したことから、欠場を余儀なくされていた。

 1年後、小橋選手本人が「何が何でも高山選手と組んでやりたい」と表明し、対戦者には「三沢さんと(秋山)準とやるのがケジメ」と1年前の発表カードを希望している。

  ☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。
   美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
   ⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』   
 

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posted by 美城丈二 |12:31 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月13日

無邪気さと煌々とした目と大谷晋二郎選手

 
  ≪在る家族の肖像≫

 時にはこんなお話しも良いのかなと・・・。

 私には、ふたり息子が居る。
 小学校3年生と6年生。
 兄は、どちらかと言えばおとなしめの子であり、
 弟はわんぱく盛り、何かと喧(かまびす)しい。

 そんな長男である兄が、先達て息堰切って学校から帰ってきた。
 「パパ!!ただいま」
 元気な声に、本と戯(たわむ)れていた私が振り返った眼(まなこ)に飛び込んできたものとは、その長男が着ていた体操着いっぱいに描かれていた、文様だった。

 私はすぐ合点がいった。
 その日は、長男の小学校に、来る地域のプロレス興行の為にPRがてらゼロワンMAXの選手たちが、訪問に訪れるとの話しを聞きかじっていたから、
 「凄いな。これは誰のサインか?」
 と満面笑み崩す長男に尋ねた。
 「大谷選手だよ」
 「そうか?これは?」
 長男は怪訝な顔つきになった。
 「大森選手かな?田中選手かな?高岩選手かな?」
 と、私が合いの手。 
 「・・・忘れたよ」
 「そうか?大谷選手はなんか言ってたか?」
 「うん。ちいさい頃は病気ばかりで身体が弱かったって言ってた」
 私も知る、大谷選手のエピソードである。
 

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posted by 美城丈二 |17:45 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月08日

“殺人風車”ゲーリー・オブライト「リング上では別人!!を地でいったフルネルソンの驚愕」

 
 既に伝説化しつつある。時代の移り変わりは速い。

 彼のことをリアルタイムで目撃した世代も遠のきつつ、ある。
 それだけ吸引力を失くしたプロレス界ということになるのであろう。
 まさしく“活況”が無い。彼はそんなジャンルの最期の煌花か!?

 見知らぬファンも増えつつある。だが、いまは良い時代だ。ネットではからずもその一端を望むことは出来る。

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posted by 美城丈二 |22:05 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月05日

“最強を追い求めて”『時代と共に消えうせたライレージムの末路』

 幼き頃につぶさにプロレス専門誌(紙)に目を通していると、度々、ビリー・ライレージム(Billy Riley Gym)なる固有名にぶつかった。

 ビリー・ライレージム・・・・・・
 この出身の猛者たちは、倒されても執拗にまさに大蛇のそれのごとく諦めず相手に纏(まと)わりついてくるところから、通称・Snake pit(蛇の穴)として怖れられた。穴とは、ジムの創始者、ビリー・ライレーがイギリス・ランカシャー地方のウイガンという炭鉱の町出自であったところから、炭鉱、その穴のことを指す。

 いくつかの識者のものするところに拠れば、このビリー・ライレーなる人物、誠に勇ましく強者であったらしく、当時(1920年代)、開かれた腕自慢の者たちの大会ではことごとく優勝をさらい、その大会にて得た賞金でジムをも創設したとされる。

 そのジム、我こそはと道場破りも跡を絶たず、されどビリー・ライレーはその度にねじ伏せ、地方ならず時の国王すら知る存在でもあったとある識者は述べてさえおられる。

 その闘い模様のスタイルはいわずと知れた地方名が附された“ランカシャー・レスリング”が主でランカシャーとはまた俗名、“シュート”とも呼ばれており、相手との信頼関係のもと行なう通常のレスリングとは違い、シュートレスリング、真剣勝負を基調としている。

 出身者では、あの“神様”カール・ゴッチ、“人間風車”ビル・ロビンソン、“爆弾貴公子”ダイナマイト・キッドと錚々(そうそう)たる面子を輩出しており、なるほどと幼き時分にひとり、感慨に耽ったものである。

 そんなビリー・ライレージムが廃れたのは、いわゆるショーアップされたプロレスが台頭し始めた時期に平行しており、過酷であまりに厳しい練習メニューを時のプロレスラー自体が敬遠し始めたことから起こっているという、悲しい現実・・・。

 なにもショーアップされてしまったといっても関節技に終始するかのようなプロレスリングが“最上”と筆者は声高に述べたいというわけではない。

 筆者はプロレスの“華”なるものはスープレックスに在りと思う論者のひとりなのだ。組み付き、相手が踏ん張ろうとしても強引に後方に投げ落とす。ねちっこいグラウンドテクニックも大向こうを唸らせる玄人好みの攻防ではあるが、この三者に限ってもその“スープレックス”の担い手であったわけだし、何より通常の試合を逸脱した闘い模様でも十二分にマニアを唸らせることが出来た。

 要は、そういう基調、ベース(base;底辺)なるものが疎かになってしまったのでは無いか?と思っているだけである。

 以前は地方の会場でもつぶさにその攻防を眺めていると、おやっ?と思えるシュートまがいの攻防によくぶち当たったものである。本気か!?こいつら?と腰をつい、浮かしてしまったことも度々、あった。それら攻防はけっしてベースを疎かにした鍛錬からはまたけっして生まれないとも思うのだ。

 筆者は川の流れのごとし、まさに息をつく暇さえ与えぬかのような、まさしく“流れる攻防”もけっして嫌いでは無く、ただごつんごつんと大男が殴りあう光景にも色めき立ったものである。

 薄暗い館内に映える大男たちの“腕くらべ”。遠く、1920年代のその攻防さえ鑑みれば、プロレスリングなる世界の攻防もまして他の格闘技に比すとも劣らぬ輝きを放出していると思えたのは、筆者固有の思いとは言い難いであろう。

 魅せることも大事。己の意思をアピールすることも必要。対戦相手を光らせることもひとつのプロレスなるジャンルの“掟”ではあろうが、いまやこの基調、レスリング基本をないがしろにしたかのような、まさしくプロレスなるジャンルに対するリスペクト感のかけらも無い試合、裏で人知れず鍛錬に明け暮れているかのような感覚をまったく感じさせぬリング絵巻が横行しているかのようにもまま見受けられる昨今、幼き頃に筆者が遠く馳せた、あの思いという奴は一体、なんだったのか?との思いに至ってしまうこともしばしある。

 筆者もまた老い朽ちてしまう、古いレスリングファンのひとりである。だから、ただの“オールドファンの繰言”だと十二分に認識し、また軒昂に糾弾する気ももはや毛頭無いが、願わくばせめてプロレスと謳う限りは、あの筆者らが幼き時分に夢見ていた、そのプロレスラーとしての矜持足れや、ひとかけらもあれ!!とは思うのだが、まさしく悲しいかな、いまや筆者のそんな嘆きは嘲笑われるだけだろうか?

 “プロなのだから、プロとしての力量・技術をお見せする。それ以外はプロとは呼べない。”

 全盛時のロビンソンの言葉である。筆者の心根の拠り所、代弁者とはまさに氏のこの思いだ。これぞ、筆者の知るプロレスラーの意気、生の声でもあろうかと思う。


 ☆皆様のご支持の賜物です。近日、第4弾、刊行を予定致しております。
  ⇒『ファイト!ミルホンネット版魂暴風*a martial art side』
  ⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
  ⇒『ミルホンネット版魂暴風3忘れ難き青春の日本人レスラー篇』


 

posted by 美城丈二 |09:17 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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2007年07月02日

「Is it cheerful?(やぁ、元気かい?)」未だ忘れられぬ名優!!“狂犬”ディック・マードック

 初出;1998・8

 どこまでが本気なのか?よく解しがたいプロレスラーだった。その実力は折り紙つき。あのキラー・カール・コックスに伝授されたとされる垂直落下式ブレーンバスター(筆者はもともとブレーン・バスターは垂直落下式だとの認識があるのだが)を引っさげ、ダスティ・ローデスとの『ジ・アウトローズ』ではその悪役ぶりに全米のファンを熱狂の渦に巻き込んだ。

 日本プロレスに1968年2月、初来日。国際、全日と経て、新日本、更にFMWと来日回数を伸ばした。

 喧嘩っ早く、時のNWA王座にもっとも近い男と久しく叫ばれたが、とにかくむらっけのあるタイプだったらしく、そのファイトスタイルにも如実に現れ、意気揚々と“過激なプロレス”をこなすかと思えば、ハンケツをアピールしてみたりと誠に掴みどころの無い性格であり、ゆえに多くのプロレスファンから愛された。

  ☆お蔭さまで誠に多くの有識者の方々からご支持の声を賜っております。是非、この続きはこちらにて読了いただければ幸いに存じます。
   美城丈二著作・ミルホンネットタイアップ
   ⇒ 『魂暴風5/優しみと矜持を持つ男達篇』 

posted by 美城丈二 |21:39 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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