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  <title>美城丈二＠魂暴風；Soul storm ＊a martial art side</title>
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      <name>美城丈二</name>
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    <title>美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代”Act⑤【ローラン・ボックの“戦慄”】</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代　～時代の風が男達を濡らしていた頃” 　　Act⑤【ローラン・ボックの“戦慄”】 　 　『シュツゥットガルト（Ｓｕｔｔｇａｒｔ）の惨劇』 　この一語には、往年の猪木信者たちを色めきたたせるほどのかくも“衝撃性”を含んだ背景がある。後年、「地獄の墓掘り人」と称されるようになる、「欧州界の帝王」とも謳われたローラン・ボック（Ｒｏｌａｎｄ　Ｂｏｃｋ）と約２年半ほど前にｖｓアリを通過し名実共に「世界の猪木」と称されていたＡ・猪木との一戦は猪木の欧州遠征シリーズの決勝戦として組まれている。 　 　１９７９・１１・２６ 　西ドイツ・シュツゥットガルト・キーレスバーグ 　４分１０ラウンド制 　●Ａ・猪木（１０回判定）Ｒ・ボック 　シリーズ・２３日で６カ国を股にかける、国境越えの長距離移動、一日２戦を含めた全２０戦の過密なスケジュール、受身の取りづらい硬いマット、不慣れなラウンド制、時の欧州界を代表するかのような格闘家たちとの死闘、のちに様々な憶測と風評を呼んだ、このシリーズにあって猪木とボックの問題の一戦は、シリーズ顔合わせ、３度目のことであった。 【ボック最強論に対し、アンチテーゼを唱えておられた井上義啓氏・私達は井上氏によってボックの“負”の部分を知ることとなった】</content>
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    <issued>2008-05-05T10:15:00+09:00</issued>
    <modified>2008-05-10T22:17:47+09:00</modified>
    <title>美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代”Act③【Ａ・Ｔ・ジャイアントの“深奥”】</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代　～時代の風が男達を濡らしていた頃” 　　Act③【Ａ・Ｔ・ジャイアントの“深奥”】 　私が初めて“人間山脈”Ａ・Ｔ・ジャイアントを目の当たりにしたのは幼少時、ＴＶのブラウン管に映し出されたＳ・小林氏との一戦であったような気がする。記憶が定かでは無い。何かのトピックスとしての国際プロレスの映像。当時から既に体躯では小林氏を凌駕しており、幼心にも“見上げれば遙かなる大巨人”という印象を抱いた筈である。 　Ｂ・ロビンソンをシリーズエースに従え、我が地方へと転戦してきた折り、会場で見上げたジャイアントの馬鹿でかさに肝が冷えた筈ではあろうのに、奇妙なことに、実際に目の当たりにした姿態に私はなんだか温かい気持ちが自身の中で湧き上がってしまったことが未だに強烈な陰影と共にこの心根に深く記憶として刻み込まれている。断片だけだが、思い起こす度に不思議とあのジャイアントの姿態が私に日本人気質、化け物見たさという勘考を植え付けず、邪魔をせず、いわば良い陰影でしか捉えていないのは何故なのだろう？ 　もう自分には手に負えない、いわば後光がかった存在だとか、違う空気を吸い、放出しているだとか、いわゆる未知なるものに崇敬なる面持ちで接している、いたとでも言うべき按配だったのだろうか？ 　ゆえに、私はのち長くジャイアントに対して終始一貫、彼が冥土に臥されるまで、いや臥されたのちも好感以外の感情で彼をものしたことは無かった。　 【国際プロレス来日時の映像より。当時、公称２００ｋｇ以下とされていたが、それでも群を抜いた“大きさ”であった。】</content>
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    <issued>2008-05-04T11:55:00+09:00</issued>
    <modified>2008-05-04T10:59:26+09:00</modified>
    <title>この先、“新・全日本”の道を繋ぐ者「四角いジャングル・その光と影」</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　あくまでも、一プロレスファンの戯言として。 　新日本プロレス、０８・０４・２７「大阪府立」武藤敬司、９９年１２月１０日、天龍源一郎に敗れて以来の３０６１日ぶり、“新日本至宝”ＩＷＧＰ戴冠劇。まずは、この戴冠劇を受けてこの後の動向が注目される人物とは、かつて“闘魂三銃士”のひとり、蝶野正洋だろう。</content>
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    <issued>2008-05-02T17:06:00+09:00</issued>
    <modified>2008-05-10T22:17:09+09:00</modified>
    <title>美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代”Act①【ジャイアント馬場の“覇道”】</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　美城丈二・覚書「過去寄稿文より」こちらのカテゴリーでは過去寄稿文より再掲という形で改めて掲載させていただきます。 美城丈二の“８０’Ｓ・プロレス黄金狂時代　～時代の風が男達を濡らしていた頃” 　　Act①【ジャイアント馬場の“覇道”】 　故・ジャイアント馬場氏が私達に教えてくれたこと、それは忍耐ではなく辛抱でもなく、美しさであった、と書き始めればひとはどのように感じとめていただけるだろうか？ 　　　　　　　　　　　 　　【かつてプロレス界はファンタジーに溢れていた】 　</content>
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    <issued>2008-04-18T17:55:00+09:00</issued>
    <modified>2008-04-22T22:55:41+09:00</modified>
    <title>“歩く、ひとり民族大移動”まさに私達は見た！！プロレス界が誇った『最強の大巨人』アンドレ・ザ・ジャイアント</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　　初出：２００７・６ 　モンスター・ロシモフ、言うまでも無くのちに“人間山脈”とネーミングされた、アンドレ・ザ・ジャイアントの初来日時（１９７０年）、国際プロレスでのリングネームである。 　この初来日時に、あのバーン・ガニアにその素質を見込まれ、乞われるままに渡米、ＡＷＡ圏内をサーキットしながら、ガニアの指導を受けた。このガニアとの出会いが、ただの“でくのぼう”と評されたアンドレのレスラー人生を一変させた。一年後、国際プロレス主催の第３回・ＩＷＡワールドシリーズにおいて、“人間風車”ビル・ロビンソン、“神様”カール・ゴッチを押さえ、堂々の戴冠を得る。 　ゴッチとの対戦では、当時としても既に２メートルをゆうに超え、２００キロ近い巨体であったが（アンドレは、悲しいかな、巨人病の典型でその後も身長・体重ともに増え続けるという、生まれながらの性を背負っていた）、多くのファンはあの巨体をどういなすのか、注目の決戦となり、有識者の指摘によれば、見事、ゴッチは完璧なジャーマンで投げつけたが、その時、レフェリーは失神していたが為、変わって飛び出してきたサブ・レフェリーにゴッチがカウントされ、敗れるという波乱を生んでいる。 　しかし、当時の大人たち、プロレスファンはアンドレのその部類の強さを認め、讃えたはずだ。いまでも残る、一葉の写真。表彰式でのアンドレのなんともいえぬ微笑がそれをまざまざと物語っている。その横に並んだ、ロビンソンとゴッチのこれまた納得づくとも思えし、笑顔。あのまさに“プライド”の塊とも揶揄されたロビンソン、ゴッチがふくよかに笑って写真に納まっている姿にはなんとも言えぬ感慨を抱かせる。この一葉を望むだけでも、残念ながら、その試合をまったく記憶に留めていない私にですら、いかにアンドレの強さが顕著であったか、窺い知れよう。 　そうしてその微笑の底から覗く、ひととしての優しさ。強きものが強きものを知る、強きものこそが持つ、慈愛なる精神。まさにその瞬間を捉えた貴重な一葉の写真であろうと思う。 　大昔から、プロレスほど世間から、“常識”という目をそそがれ、野蛮だ、八百長だなんだと疎外されてきた格闘ジャンルも無い。その誠に特殊な競技にのめりこんでしまった者達は、ときにひとによっては口泡吹かし抗弁し、時に怒りを胸に潜めつつ反論し、時にフンとただその一々説明せねばならぬ状況に嫌気がさし、横を向いた。 　そのような時でもあの、アンドレの有無を言わさぬ大男の佇まいはなんと、プロレスファンに溜飲を下げさせたものか。 　「あの、アンドレを見よ！！」 　「あのプロレスラーに勝てる格闘家が居るのか！？」 　私は幼い時分からアンドレの痛められっぷりに、なんともいえない「怪物退治」というプロレスファンの中でさえ巣くっている、蔑視の目というものが介在しているさまを見出してしまって、そのやられっぷりはほどなく好まざるものになってしまっていた。 　いつぞやか、私も子供ながらにその“悲鳴”が演技であると察してはみても、なんだか度し難い想いが込み上げてきて、見ていられなくなってしまったのだ。 　後年、そんなアンドレの、実際、演技とはとても思えぬ“醜態”をも見てしまったとき、私は殊更に“巨人”なるものの悲哀を見るようで忍びなかった。試合が経過すればするほど、そのスタミナのロスが露呈してくる。足がもつれ、自身から勝手にマットにくず折れてしまうアンドレ。物心ついた時分に見たアンドレとはあきらかに違う、異体。 　（ああ、あれはもしや、もはや・・・） 　成人した私の中で翳ってきた思い、憂い。 　のち、アンドレは故・馬場氏に乞われ、全日本プロレスに参戦。もはや、あの頃のアンドレに、あの“プロレスラーの強さとしての象徴”その影は微塵も感じられなかった。 　１９９３年１月２７日、逝去、享年４７歳。 　黄泉の国で静かに横たわるＭｒ，アンドレはいまや何を夢見、何の往時を振り返っているのだろう。 　ロビンソンとも違う、ゴッチとも違う、テーズの色とも違う、まさに強さという域を超越した“凄み”・・・。 　私は今でもこう、思って止まない。 「Ｍｒ，アンドレ。プロレスの“凄み”を有り難う。プロレスの“強さ”を有り難う。あなたこそ、プロレス界史上最強のプロレスラーでした」と。プロレスは何も“強弱”ばかりを競う格闘浪漫ではないのだ。その底に見る“悲哀”・・・。若くしてそのことに踏み込めた私は誠に幸せ者である。 ☆筆者・電子書籍最新作、配信開始です。 　⇒『魂暴風anthology-Act1 The best selection』 　＊Ｔｈｏｕｇｈｔ・１０’s　chapter title 　『はじめに道ありき“新日本プロレス道場編”』 　『もはや甦ることは無い 　 “人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントの微笑』 　『１２歳の疾走“ミル・マスカラスに想いを馳せた、片路４８ｋｍ” 　　いまもきっと胸に棲む、青春の瞬間（とき）』 　『“プロレスの凄みを引き出す”猪木、天龍、小橋が体現してみせた 　　ｖｓ“不沈艦”スタン・ハンセン戦』 　『脆さと優柔不断ぶり“師に反発し、師をこよなく愛した両雄” 　　藤波辰爾とジャンボ鶴田』 　『“最強”かつてそこに執着した、在るファンが見た一夜の幻！？ 　 小川直也とは一体、何者であったのか！？』 　『「プロレス道に悖（もと）る」猪木の求心力を著しく貶（おとし）めた、 　　あの事件“前田日明”【長州力顔面襲撃事件】』 　『“Is it cheerful?（やぁ、元気かい？）”未だ忘れられぬ名優！！ 　　“狂犬”ディック・マードック』 　『“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念』 　『“アルバトロス殺法”キラー・カーン“あほうどりが奏でたプロレスラーとしての 　　矜持ゆえの夢”』 　 　</content>
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    <issued>2008-04-13T11:36:00+09:00</issued>
    <modified>2008-04-13T18:09:13+09:00</modified>
    <title>アンドレやハンセンの影でひっそりと煌いた“流星”その名はマスクド・スーパースター</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　初出：２００７・９ 　空前のスカイ・ハイブームを生み出した“仮面貴族”ミル・マスカラス人気への嫉妬心からだったのか！？、或いは女子プロ人気に対する敵愾（てきがい）心もその影ではあったかも知れぬ。とにかくひとつひとつのシリーズを好評のうちに終わらせねばならぬ。時の新日本プロレスは『流星仮面』マスクド・スーパースターの売り出しにかかった。 　既にその名はスーパースター、 　入場時にはお茶目にデフォルメされた似顔絵をあしらったＴシャツを着て、勇躍、登場！！。決め技は全日本系で言うところの“ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ”であり、ワンハンド・バックブリーカーや往年のドン・レオ・ジョナサンばりに見栄えの良いハイジャック・バックブリーカー等を多用してあの藤波辰爾辺りをブンブン振り廻していた。後年、ＷＷＥ（時のＷＷＦ）にてまさに怪力を“売り物”にした『ザ・デモリッションズ』を結成したが、日本では“人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントや“ブレーキの壊れたダンプカー”スタン・ハンセンの影に隠れ、今一歩、人気が上がらなかった。</content>
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    <issued>2008-04-13T11:08:00+09:00</issued>
    <modified>2008-04-13T12:18:40+09:00</modified>
    <title>『爆弾貴公子』ダイナマイト・キッド“思わず、私は誰彼となく問いかけてしまいそうになる。「誰が為の・・・・」”</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　初出：２００７・６ 　世に出回るプロフィールでは、１８０ｃｍ 、９８ｋｇ、けっして大型のファイターでは無い。コーナーポスト上から繰り出す、誠にスピーディーなダイビング・ヘッド・バットに代表される、空間を広く扱った、後方の観客にもそれと判らしめるダイナミック且つ華麗なる技、そういった飛び技を駆使し、氏は名を成した。 　言わずと知れた、初代タイガーマスク、最初にして最上最高の仇敵手。マーク・ロコ扮す“暗闇の虎”ブラック・タイガー、そして“虎ハンター”と称された小林邦明、プロレス界最大のスーパーヒーローゆえに、ライバルもひしめきあっていた。　</content>
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    <issued>2008-04-06T15:54:00+09:00</issued>
    <modified>2008-04-08T21:26:02+09:00</modified>
    <title>「有難う！！みちのくプロレス」地方巡業で改めて見知ったプロレスというジャンルの深奥</title>
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    <content mode="escaped" type="text/html">　 　「みちのくプロレス」さんがプロデュースする我が古里興行に妻と二人の子を伴って見に行って来ました。「みちのく」さんは当地、初お披露目、やはりザ・グレート・サスケ選手の登場の際は盛り上がっておりましたね。 　私の世代ではやはりサスケ選手、新崎人生選手が群を抜いて知名度を得ておりますが、私の子らのお目当ては“義経”選手。気さくにサインや握手に応じてもらえました。上の子は恥ずかしげにけれど嬉しそうに私に促されて握手を求めておりました。帰り際には出口で気仙沼二郎選手が「この雑誌は岩手だけで発売されているのですよ」と会場で売られていた『Standard』というスポーツマガジンの表紙絵、ご自身のお写真の横にサインを頂き、サスケ選手はもとより、野橋真実選手らのサインも頂いて、子供達は本当に嬉しそうでした。都心の会場ではなかなか触れ合う機会が少ないプロレスラーたちに地方の会場ではより身近に接することが出来る。地方巡業の愉しみのひとつがこのアットホーム感でしょう。ファンひとりひとりを大事に思い、接する。そういう「みちのく」さんらしい良い興行であったなと感じました。お客さんは六分の入り。やはり満員のお客さんで埋まった会場を子には見せてあげたかったし、選手にも満員の観衆の最中、試合をさせてあげたかったという思いこそ本音ではありますが、私が幼い時分に思い焦がれた感銘が少しでも子らにも伝えられたらという「親ばか」な感覚はともかく満足げな表情の我が息子たちを覗き見て連れてきて良かったなとひと安心、感慨を抱いた次第です。 　“相手の技を受ける”ことがプロとは申せ、きっちり受けるべきところは受け、対戦者の良さを引き出しつつ試合が終われば滴る汗ひとつ拭わず並んだファンに笑顔を振りまきつつサインや撮影に応じる。新崎人生選手以外ほとんどの選手が私と同じくらいの背格好、或いは低い選手が自身のそしてファンの夢を繋ごうと精力的な“姿勢”を見せる。時に一階席から二階席へとひとり、じっと試合の行方を見据えていた私は様々な感覚に囚われました。そして試合が終わればオフサイド、敵も味方の区別無く、ファン交流に努める。改めてプロレス興行の面白さ、深みを味わった一日となりました。 　 　</content>
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    <issued>2008-03-29T16:53:00+09:00</issued>
    <modified>2008-04-23T23:30:06+09:00</modified>
    <title>“超獣”『ブルーザー・ブロディ　私の、知的反逆児 』、そして私は盟友、スタン・ハンセンのその後をも思った。</title>
    <link href="http://www.plus-blog.sportsnavi.com/yoshiki812/article/149" rel="alternate" type="text/html"/>
    <content mode="escaped" type="text/html">　☆『ブルーザー・ブロディ　私の、知的反逆児』バーバラ・グーディッシュ＆ラリー・マティシク／共著　田中雅子／訳（東邦出版刊）を読ませていただいてつらつらと思ったこと。 　おそらく、妻で無ければここまでは語れまいと思われる告白体に生々しさが横溢し、一気に時を２０年前に遡らせる。 　 　読み綴るままに感じることは、「やはりブロディはフランク・グーディッシュという一己のひとであったのか？」という、あまりにも“らしい”その生き様がありありと投影されており、息が詰まるほどの切迫感がまるで自身のことのように生々しく往時を回想させてしまう、点。二人目の子息を流産し、その８日後にブロディがプエルトルコの地で冥土に臥されたとの衝撃告白は、ファンならずとも胸が詰まるほどであった。 　普段、日常のブロディを、妻として身近に接してこられたひとで無ければ告白することが出来ぬであろうと思われる、その迫真性にしばし思いが滞り、のちふつふつと感慨が沸き立って仕方無くなる。 　あれは、時の週刊プロレスの表紙であったろうか？棺の中でまるでメシアの如く両の瞼を閉じたブロディの在り様。あまりの、突然の悲報に驚かざるをえなかった記憶がまるで昨日のことのように甦り、思い起こされる。</content>
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      <name>美城丈二</name>
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    <issued>2008-03-24T22:28:00+09:00</issued>
    <modified>2008-03-31T17:34:59+09:00</modified>
    <title>地方巡業という名のノスタルジー“あの、咽喉も嗄れんばかりに声援を送り続けた子供たちはどこへ行った！？”</title>
    <link href="http://www.plus-blog.sportsnavi.com/yoshiki812/article/147" rel="alternate" type="text/html"/>
    <content mode="escaped" type="text/html">　 　久しぶりに、多くの方々からリクエストを賜わるプロレスというジャンルのお話しです。（今回は自身が管理するブログサイトコラム、ミルホンさんブログコラム併用という形でざっくばらんに書かせていただこうかと思います。） 　総合格闘技の人気沸騰という波に押され、未だ人気回復の糸口すら掴めない底冷え状態久しいプロレス界。お客さんの入りも一部、復調傾向にあると報じられていたりしますが、まだまだ隆盛期と比べれば雲泥の差という状態でしょうね。地域密着型プロレス団体はともかくとしても、いわゆるメジャー系団体の地方巡業なるものもますますめっきり減ってしまいましたね。かつては、と言ってももう随分以前２、３０年前までのプロレス興行と言えば当たり前のように異郷の僻地、そういう場所まで巡業としてやって来ておりました。それだけ日本各地、津津浦浦までその人気が浸透していた証左でもあろうかと思うのです。 　シリーズ自体がロングランで１ヶ月以上に渡って一シリーズが行なわれることも年に数回はありました。その内訳はたとえば九州シリーズだとか、東北シリーズだとか、各地方をまんべんなく興行していくスタイル。場合によっては今日はこの町、明日は隣町などという、それこそあまたの地方を順繰りに廻って行くだとか、新日本、全日本も結構、そういうことがありましたよね。 　言うまでも無く、パブリシティという、興行論に根ざした経営体質改善によってもっとも公共に伝播し易い地上波TVの深夜枠移行が、悪く考えれば地方切捨てを生んだのでしょう。ゴールデン枠に毎週放送される場合に比べ、深夜枠は明らかにコアなファンでも無い限り見ようなどとは思いません。録画してまで見ようかという層にしてもこれもコアなファンに比重がかかる選択肢なのですから、いかにゴールデンという枠が宣伝効果を生んできたか、それは誰しもに考慮の及ぶ自明の理というものでしょう。ゴールデン枠には「どれ、そんなに面白いのであれば一度、見に行ってみようか？」などという地方在住の一見さんを生む土壌もあって、やはり深夜枠への撤退がプロレス巡業地方切捨ての一原因と見て間違いないでしょう。ゴールデン枠と深夜枠では放映権料も大きく違いますし、お客さんの入りも全然、隔たってきます。そうなると団体側はよりコストを落としたスリム経営を考えざるをえない。 　９０年代新日本隆盛期、「闘魂三銃士」の時代は都市型集中興行形式で安定安泰経営がなされました。これらに反発するかのように生まれてきたのが、ザ・グレート・サスケ選手が先鞭をつけたみちのくプロレス地方特化型の経営方法論だったのですが、いまや地方によってはプロレス中継という番組自体すら放送されていない地域もあり、お客さんの閑散化はますます深刻な事態となってきております。 　そんなみちのくさんが我が古里で興行をまもなく打つのですね。東北地方発信で全国にその名が轟いたみちのくさんが、我が古里、南九州にやって来る。実はこれ、誠に貴重な興行で、当地初お披露目という実際、“快挙”ともいうべき興行です。地域振興の一環として行なわれるそうで私もふたりの子息を伴って見に行く予定です。 　　　　　　　　　　（朝日新聞『ひと』欄より） 　　　　　　</content>
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