2007年07月26日
“まだら狼”に逢いたい
随分以前からあの上田馬之助氏を思うあまり、私なりにお逢いして近況やかつてのプロレス界等についての懐かしいお話しなどをお伺いしたいものだと思っていた。 昭和の香りの漂う日本人プロレスラー、故・大木金太郎氏、ストロング小林氏と並び、それは私にとって“金狼”“まだら狼”そう、あの上田馬之助氏であった。 だが皆さんご存知の如く、上田氏は生命を落としてもおかしくはない危急ともいうべき大事故に見舞われ、その後遺障害を思うとき、お逢いすることが誠に躊躇(ためら)われた。 私事で恐縮だが、知人のおひとりがやはり話しを聞く段において目を背けたくなるほどの事故に遭遇され半身不随に陥り、術後も度々お見舞いに行かせていただいたが以前のような輝きを秘めた両の目が感じられず、その周囲の方々の心持ちを思うとき、いたたまれない思いに至った経緯もあり、誠に暗中複雑、お逢いすることが躊躇われた。 私の先年亡くなった実父もそうで私の幼い時分は普段、物静かではあっても一旦酒が入ると狂気じみた面構えになってぶん殴ってくるほどの親父であったが、その晩年大病を患って血色の良くない、まるで息子である私が望んですら他人かと見まがいかねないほどのやつれようを見せ付けられてこの心、なんとも言いようの無い思いにかきたてられたものである。 私は大変、恐縮なる勘考とは思いながらも、上田馬之助氏、氏にもそういう側面が予見されてお逢いすることが躊躇われ今日(こんにち)に至っている。
その現役時代、氏はまさに“近寄り難い”稀代の悪役レスラーであった。日本人であるにも関わらず“金髪”というギミック、猪木氏、故・馬場氏を向こうに回しその特異なキャラは当時のプロレスファンの憎悪を一身に背負っていた。 当サイトでも先般、氏のコラムをものしたところ、私が思っていた以上の反響があり、氏がいかに当時嫌われたか、いかに愛されていたか、勘考が新たに思われ、感慨もひとしおであった。 氏は、もう私のことはお忘れであろう。幼い時分からさる縁故もあって私は誠に多くのプロレスラーの方々と誼(よしみ)を通じる機会を得られたが、恐る恐るもあの“Mr.シン”にインタビューを敢行した際もそのお隣でにこやかに微笑んでおられた、氏。 忘れられぬリング上の絵巻としての一戦はそのシンとの一騎打ちやUWFイルミネーション戦、わけてもやはり猪木氏とのネールデスマッチが思い起こさせる。故・馬場氏、猪木氏という双璧をフォールするという栄冠をその手にしたのはあの天龍源一郎選手だったが、上田氏は日本人でありながら唯一両御大から腕を折られた(脱臼)相手としてまさしくギミックがギミックとしてまかり通った強烈無比な悪役レスラーであったとも思う。 日本プロレス時代からの因縁もあって両御大に手厳しくも優しい言をものされておられた、氏。はからずも当時氏が予告していた通りにプロレス界というジャンルは一敗地にまみれる、閉塞してしまうこととなってしまった。 いざとなればシュートに滅法強い、だが飽くまでも“金狼”というギミックに拘る。実際はとても物静かな印象、おひとであった。 どういうシュチュエーションであったか今では失念したが、いつぞやか幼い私の頭を撫(な)でてくださった記憶が今でもはっきりと思い起こされる。 (あの“まだら狼”馬之助氏にお逢いしたい。) あのなんとも言えない微笑が未だに私の胸中に巣食って離れ難い。
posted by 美城丈二 |15:45 |
プロレス、この果て無き浪漫 |


