2007年07月22日

四度(よんたび)、未だ忘れ難き“あの船木誠勝”

 
 かつてUWFに出向いた者は選ばれしひとであった。それはつまり、時代がプロレスのいい加減さにそろそろ辟易してきた“背景”と重なる。
 
 あの猪木氏が世間に対する“屹立概念”として昂然と対峙出来なくなりつつあったとき、あの時代は“象徴”としての存立の揺らぎを猪木氏に与えたとも言い換えられる。

 つまり、猪木氏が世間の蔑視の目に対してプロレスファンの主張を代弁する形で存立している限り、UWFは寿命を引き伸ばすことは出来なかった(Uがたとえクーデター騒動の渦中にあった猪木氏の受け皿団体としての発信だったのだとしても)。 

 
 UWFは変貌を遂げてきた。
 変貌を遂げ、猪木氏の掌(たなごころ)から転げ落ちたとき、遂にはその後に起こる現行の“総合”に通じる“U”も始まったのだと思う。
 そのような“背景”があるからこそ、あのヒクソンvs高田だってその後、存したのだ。

 だから、容易にあの“UWF”を否定するのは間違いだ!!
 アメリカンナイズされたプロレスの“強さへの回帰”は筆者は“UWF”から始まっていると信じる一群のひとりである。

 その黎明期にあの猪木氏は存したが、その猪木氏を指していまの“総合”の黎明と見る向きもあるが、これも正しい。

 一本の支流がやがて大河となる。様々な批難・中傷の最中、踏みとどまった者も正しい。そこに“信念”無き者こそ、悪なのだ。その論点の芯核から目を背けないで頂きたい。


 すみませぬが、私はそういう立場に立つ人間です。是々非々論者です。自身の主張が絶対的だとは思わぬ人間です。ただ、批難されたら立ち向かいます。


 プロレスファンが慾する一大“大河”浪漫(プロレスファンでは無い者からすれば、それは辟易感いっぱいの戯言だろうが)“旧UWF”で留まっていたらその後の“総合”はあんな大河には成り得なかっただろう。世間を少なくとも巻き込んだのである。俄(にわ)か総合好きだろうが技術論や現行MMAのスキルの高さを引き合いに出したがる御仁にしても、筆者が言いたいことは、世間に注視させた事実を否定するべからず!!ここに尽きる。

 UWFにしても、その影でどんな思いの元、日々、修練に明け暮れていたか見知っているのか?リング上だけの現象ばかり追いかけても、ひとの心に潜む悲哀など察すれまい。いまだけを見つめても答えなど無いはずだ。過去に遡って講じることもせず、ただたんに自身の好みだけで好悪を語るなかれ!!


 “PRIDE”は栄えた。
 栄枯必衰のさた、なんてひとの世の常だ。かつてのプロレスというジャンルがそうであった。かつてのキックボクシングがそうであった。かつての空手がそうであった。だが、そのどれもが“世間の遡上に上り、時の格闘ファンに感銘を与えた、溜め息をつかせた”ことは紛(まが)うことも無き真実である。
 
 その根本事象、まさに吸引力(観客を5万人、6万人と集めた事実)から目を背けてはならない。それだけ多くの大人が子供が老若男女が動いたのだ。なけなしのお金を投じて見に行ったのだ。この事実は動かし難い。そこに“何か”があったからこそ、“心、引き寄せられる何か”があったからこそ、と講じなければ論点がずれる。この事実はあまりにも大きいと私は思う。紛(まが)いものなら、誰もなけなしの金など投じないのだ。いくつもの批判はその渦中でも起こった。だがそこにそんな批判を上回るほどの言い古された言葉だろうが、血と汗の結晶とも言うべき“闘い”があったからこそ、世間を巻き込んでいけたのだとも思える。だから、今でもあの頃の宴(うたげ)は美しいのである。その光と影を見つめることこそ、後進に託された義務でもあろうと思う。批難・批評など誰でも出来る。その代わりにその事象の影に潜む真実はたとえ裏切られたと悟っても晒(さら)さねばならぬことはある。ただたんに自身の好悪で文句を並べる前に、まずはその足元を見よ!!なのだ。

 支流はやがて大河になった。
 その大河の礎になった源流の先、それこそ支流こそ、“UWF”である。

 その“UWF”に己の未来を懸けて身を投じた、船木誠勝という男の“意気地”をいまこそ私達、多くのかつての格闘技プロレスファンは真摯に見定めてあげねばならない。

 猪木氏の“揺らぎ”が起こり始めたとき、純朴なプロレスファンであった船木誠勝がリングに上り始めた。

 現行の(当時の)プロレス絵巻に疑念を感じたその視線の先に、あの前田日明氏が立ち現れたのである。

 あの前田氏と船木氏は、自分たちが起こした“大河”の流れ、行く末に不満があるのならば、修正せばならぬ義務も負うのだと思う。それは“選ばれし者”の宿命である。多くの民を好むと好まざるに限らず導いた者のそれは宿業である。古くからのプロレスファンの代弁者足りえたふたりなのだから(そう思わぬアンチ派も多いのだが)ここは己の義を信じ、邁進していただきたい。

 本心をぶちまければ、これ以上、プロレスの世界が諌(いさ)められる、貶(おとし)められる屈辱は耐え難いものがあるが、ただ、だからと言ってプロレス回帰では無く、飽くまでも自身が見定めた、或いは信じた道だとするならば、そこに“何”があるか、筆者はそれこそ見定め、衝(つ)いていくなり、賞賛するなり、きちんと言(げん)、ものしたい。

 いまの“総合”こそかつてのプロレス回帰だとする説を吐く識者もおられる。誠に複雑なる胸中に至らざるを得ない説法だとも思える。

 私なりに望んでいきたい。見定めたい。

 船木誠勝の“復帰”にはそういう思いさえ込められているのだと、筆者は氏をやみくもに批難する論者に咬みついてやりたい。

 あまりの恐縮、再びの言葉だが、
 「船木、頑張れ!!」
 「そして、勝て!!」と
 私は、声を限りに発したい。
 
 あなたが流した汗の先に、詣でる。
 大晦日のリングの観客席にて、
 私達はあなたを静かに待ちたいと思います。

 誠に僭越なる物言いではありましょうが、
 かつて船木誠勝に焦がれた者よ、
 そうして多くのかつてのプロレス信者たちよ、
 いまこそ集おう!!
 大晦日のリングに立つ船木誠勝は、
 かつての皆が焦がれたプロレスというジャンルを
 その背に追い、立つのだとも言い換えられよう。

 このプレッシャーこそ、「選ばれし者の宿命」それである。

 そこを超えるだけの力量を有している、未だあなただと思うから、私も“必死”にならざるを得ない。

 真の勇者は何事にも「強く、あれ!!」なのです。
 いまこそ、あの“プロレス界の象徴”を超える好機なり!!

posted by 美城丈二 |00:12 | 魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
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