2007年06月05日
プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
*(この稿は、故・大木金太郎さんの逝去の報に接し、HPに書き綴ったものの、改訂稿です。初出2006・10) 思い出すことなど。 敬称略にて。 国際空手道連盟極真会館の創始者で名誉総裁、初代館長でもあった、あの故・大山倍達存命の折り、果敢にも喧嘩を売った、日本人プロレスラーが居た。ひとりは云わずと知れた“燃える闘魂”アントニオ猪木。そうしてもうひとりが、あの本名・金一“キム・イル”こと大木金太郎である。 総合格闘技界がまだ世間的には“総合”と呼ばれていなかった、1975年(昭和50年)、日本プロレス崩壊後に、フリーとなった大木は、6月17日に記者会見を開き、 「力道山先生の名誉にかけても、空手家の大山倍達に挑戦する!!」と居並ぶ記者を前に突如、ぶちまけた。 ことの発端は、こう、である。 同6月8日付けのさる新聞の地方版に、大山の手記が掲載され、そこにこんな記述が踊った。 「日本プロレス界の王者、力道山さえも勝てなかったタム・ライスに私は勝った」 この文章を人伝えに聞いた大木は激怒。「俺の挑戦を受けるか?もしくは謝罪しろ!!」 その剣幕は、尋常では無かったと聞く。 もともと大木は、往年のプロレスファンの方々ならご存知のように、師・力道山と同じく、多国籍出身のプロレスラーである。韓国相撲の横綱格であった大木は、1958年(昭和33年)、力道山に憧れ、日本へと密入国、入国管理法違反で逮捕され、収容所から、力道山に嘆願書を出し、力道山の肝いりで、1959年(昭和34年)、日本プロレスに入門している。鬼のしごきと恐れられた力道山の課す特訓をそののち、若手三羽烏と謳われた故・ジャイアント馬場、アントニオ猪木らと共に耐え抜き、そんな地獄の特訓の最中でも時折、慈愛の目を手向けたという力道山の優しさが逝去のちも忘れられず、「我こそは力道山門下最強の男である」との普段からの自認と共に、師の「プロレスこそ、格闘技界最強である」という主義を誠、実証すべく、大山に喧嘩を売った。 大木には、目算もあったとされる。勝てぬとも相打ちには持ち込める。大木はデビュー5年目にして、あの“鉄人”ルー・テーズにシュートを仕掛け(渡米時のこと。時の日本プロレス社長の豊登から、もし世界と名のつくタイトルを取ったら、力道山襲名を許すとの言質に小躍りして喜んだ大木はNWA王座に挑戦の際、暗黙の了解を度外視、壮絶な果し合いの末、テーズのナックル、顔面連打によって破れているが)腕には相当の自負心を抱いていた。 こういった喧嘩まがいの試合スタイルから、当時の外国人レスラーからは「セメント・ボーイ」などとあだ名されたほどの実力者だった大木としては、その命を賭してでも、大山を潰すという、師を侮辱した者に対する敬虔なる思いの成せる業だったとしても、この果たし状を軽く受けてしまうほど、時の大山も子供では無かった。 当時、極真会館は全国各県に県本部を持つ傍ら世界各国に55の本部を持ち、大木が挑戦の狼煙をあげた、その年の11月には待望の『第1回オープン・トーナメント全世界空手道選手権大会』を開催すべく、大山は雑事に忙殺されており、いくら相手が著名なプロレスラーだとしても、「殺し合いである前に武道たれ」という、健全なる青少年育成の精神においても、他流試合を禁止していた見地から、やすやすと大木の挑戦を受けるわけにはいかなかった。 大山は、7月1日に記者会見を開き、 「昔は、メシを喰う為に、プロレスラーも名乗った。ライスに勝ったのはその頃で(昭和26年)力道山がアメリカでライスに負けても、日本では完勝(昭和31年)したことも知っている。私は力道山の友人で、彼を侮辱した覚えはなく、大木君がどうしてもというなら受けざるをえないが、出来れば争いは避けたい」と語り、手記を掲載した記者への配慮ともとれる言葉をも口にした為、それを諒として、大木は自身の挑戦を取り下げ、この問題はそれにて収束した。 あの猪木が、“柔道世界一”のルスカと(昭和51年・2月)“ボクシング世界チャンプ”のアリと(同年・6月)闘う、まだ、世間的には“異種格闘技戦”なる定義すら浸透していない以前のお話しだが、大木の師・力道山を偲ぶエピソードのひとつとして、ここに改めて筆記した次第である。 大木氏のご冥福を心よりお祈り致します。 *筆者注:この稿、菊池孝・章題「リング上でも私生活でもガチンコに徹した大木金太郎のセメント一代記」に改めて拠った。 (株)桃園書房刊『プロレス&格闘技 その時、現場記者は見た!』
posted by 美城丈二 |15:08 |
“魂暴風”popular request column |
この記事に対するトラックバック一覧
嵐、全日への直接謝罪「考えてない」 【所沢レッドアローズ公式ブログ】
昨年7月に大麻不法所持の容疑で逮捕された嵐が26日、都内で会見し「全日本ならびにプロレス関係者、相撲関係者の皆様に申し訳なかった」と謝罪した。現在は無我での復帰を目指し巡業に帯同し、裏方業務に精を出す段階。「藤波さんに『リングに上がるためにやらなきゃいけないことがある』と言われた。今日の会見もそれで開いた」と説明した。 それでも、全日本への直接の謝罪は「考えていない」。「ボランティアや社会福祉活動はやり方が分からない」という始末。「リングで頑張っている姿を見せたい」と言うが、その前にやるべきことが多いよ
この記事に対するコメント一覧
(事務局では、サービス全体の雰囲気醸成の為、全コメントをフィルター/目視チェックし、削除等しております。見逃し等も有りますので、ご不快な思いをされた場合は、事務局宛 support@plus-blog.sportsnavi.com にご意見頂けると幸いです。)
Re:“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
二日分のコメントにて失礼いたします。
Mr.マスカラス、大木金太郎氏ともに、
「エンターテナー」であり「強さ」を持ち合わせていたんですね。
人として、男として憧れます。
自分もそうありたいと願います。
この強さは、人としての『覚悟』を感じます。(今は"PRIDE"と呼ばれることが多いですが)
また、こうした真実を目撃、語り継ぐ方々へ敬意を表します。
これからも長く続けて頂きたく、また陰ながら応援させていただきます。
posted by みのる | 2007-05-27 00:34
Re:“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
みのるさん、こめんと、誠に有難うございます。僭越ごとながら、仰るとおり、受け継ぐべき精神は何も闘う本人だけにあらず。真摯にみつめてきた者だけに許される“時代の目撃者たち”にもその精神は流れていると思うのです。今後も自分なりに文筆業、研鑽を積んで参ろうと思います。どうぞ、末永くお見知りおき願えれば幸いに存じます。
追伸
みのるさんは、あのこれまでもコメントをくださった方と同人物であられますか?コメント、誠に度々、有り難うございます。お初めての方なら、非礼をお詫び致します。丈
posted by 美城丈二 | 2007-05-27 07:40
Re:“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
正直、大木金太郎はリアルタイムと呼ぶには少しだけ古く、アントニオ猪木との死闘を後日談として聞く程度。果たしてその実力は?美城さんのコラムに目を通したり、記録を紐解けば疑う余地もない。
一本足頭突き又は原爆頭突きという、今にすればとてもフィニッシュとしては少し地味な感が否めない。以前、プロレスの3大必殺技なるモノがあったと聞く。
ルー・テーズのバック・ドロップ
フリッツ・フォン・エリックのアイアン・クロー
ボボ・ブラジルのヘッド・バット
ヘッド・バットが3大必殺技に数えられるくらい、メジャーな技だったんですね。誰でも出来る代わりに、それ相応の説得力がなければ必殺技たり得ませんよね?
それより何より、以前のプロレスラーの方々もそうですが。この人は何か『凄さ』を感じます。リアルタイムでアントニオ猪木との名勝負と謳われる死闘をこの目にしたかったですね。
posted by ビリー・ジャック | 2007-05-27 08:29
Re:“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
ビリー・ジャックさん、お休み?の日にもお越しくださり、嬉しき限りです。
猪木vs大木戦、vsS・小林戦共に、私にはどんぴしゃりです(笑)。私の地方では当時、3日遅れ、月曜日の夜8時からの放映で、リアルタイムに見ています。特に、大木戦では、大木に向って、(得意の頭突きを)まさに“打ってこい!!”とマットに片膝付き、顔をあげ、あのお馴染みの“かかってこい!!”と身構えるガッツポーズにはしびれましたね。額からしたたりおちてきた鮮血があまりにリアルで、亡き父も身構えてまんじりともせず、見ていたなという記憶がございます。大木戦や小林戦、この辺りは、私、DVDにて見返す度に、子供心に戻れますね。当時は負けたら、そこで終わりという、誠にシビアな時代背景がありました。大の大人がどちらが勝つかと、真剣に議論し合っている時代でもありました。だから、私は、口幅ったいのですが、猪木プロレスの全盛期に間に合った、最期の目撃者世代なのですね。ですから、そんな猪木氏の全盛期の凄みを知らぬ世代に、猪木氏の悪口を言う権利は無いと思っておりますけれどね・・・まぁ、それを言ってはお終いでしょうかね?(笑)。
ああ、大木戦、百遍でも語れますよ(笑)。普段、しかつめらしいことを言っている私でも幼い時分、TVを見つめ、涙に暮れていた時代がございます。大木役の友人がブロック塀にわざと頭突きを打つ振りをして、猪木役の私に“一本足頭突き”を打ってくる。私、すかさず片膝を付き、倒れ掛かってもあごを突き出し、見栄をきるポーズ!!(笑)・・・誠に懐かしき、青春譜の一ページです。
さる空手家の方が、喧嘩で勝つ極意は“頭突き”に有りとも申されております。私の幼き時分でも、思いっきり頭突きをされると、その痛みといったらなかったです(そんな馬鹿なじゃれごともしておりました・・・苦笑)。つまり、一般の人々にもリアリティーのある、説得力のある、技、プロレス技だと思うのです。初期のUFCでも当初は認可していましたが、あまりに危険という理由で、禁じ手にしています。無論、高度にスキルの発達した現代の“総合”では、その間をいかに詰めるかにかかっていますので、相手を倒してからの攻防がより実践的ではありましょうが、どちらにせよ、そのいまや禁じ手にしている技を往年のプロレスラーたちは、思いっきり、プロレスの凄みを引き出す為にまさに“受け続けた”わけで、感慨もあらたに致す次第でもありました。
誠に思い、尽きませんね(笑)。今後とも、お暇な折に是非、お越し願えれば、望外の喜びと誠に感じ入っております。コメント、有り難うございました。丈
posted by 美城丈二 | 2007-05-27 10:15
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
一応、普通の会社勤め故、本日は休みとなっております。がしかし、このコラムには休みはありません。もちろんプロレスだって“いつ何時、誰の挑戦でも受ける!!”です。会社のパソコンから、自宅のパソコンから、方法は幾らでもあります。それだけ楽しみにしてるんですよ。いつからか、ここにコメントする事が一つの楽しみであり、ライフワークに成りつつあります(笑)
いやぁ~、羨ましい!ホントに羨ましい限りですね。そうですよね!アントニオ猪木の真骨頂はあの“かかってこいポーズ”ですよね!痺れますね~。
大木金太郎に対しても熱いですね。今度はDVDを何とか手に入れてその当時を少しでも味わいたいと願っております。
posted by ビリー・ジャック | 2007-05-27 18:18
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
大木金太郎と言えば一本足頭突き!かっこよかったなぁ。当時はボボブラジルのココバットとどちらが世界一の石頭なのか小学生当時友人と議論していました。
プロレスの視聴率が軽く20%を超えてた時代ですからね。力道山曰く「プロレスをやらせれば馬場、レスリングをやらせれば猪木、セメントをやらせれば大木。」と”若手三羽烏”を評価していたそうです。当時の日プロには猛者がゴロゴロいましたからね。星野勘太郎、山本小鉄、上田馬之助などなど。そんな中で大木も”猛者”としての逸話は数多いですよね。晩年は韓国プロレス界の発展に尽力していた韓国の英雄
。力道山を誰よりも敬愛していたのは大木金太郎だったのではないでしょうか。改めて故人に合掌。
posted by 鈴木敏朗 | 2007-05-27 21:03
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
ビリー・ジャックさん、再び三度のコメント、誠に嬉しいです。大の大人が血相を変えて、食い入るようにTV画面を見つめていた時代、あの“熱”は、たとえれば、当時、流行った楽曲を聞く度に味わう、幼き頃への郷愁にも似た感慨から来る“熱”でもあろうと思えます。あの“熱”はいまやどこへと消えてしまったのか?もはや嘆くよりも、前を向いてIGFということなのでしょうかね?(笑)
鈴木敏朗さん、いつもながら、コメント、嬉しき限りです。プロレスラーとしての矜持と申しましょうか、プライドの在りようが凄まじいお方でしたよね?大木選手は。私の中で忘れられない“日本人”プロレスラーですよ、氏は。昭和の時代を彩った名レスラーたちが、次々と黄泉の国へと旅立たれておられる。やはり、淋しさは禁じ得ませんね。
お二方、コメント、誠に有り難うございます。丈
posted by 美城丈二 | 2007-05-28 12:02
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
不躾で申し訳ありません。
何度かコメントを書かせていただいております、同じ「みのる」です。
僕は主に坂口征二の役でしたが(小学生ながらブレーンバスターを猪木役の友人:Y君に掛けたりしてました。)
僕自身も頭が大きく、石頭でもあったので、大木金太郎も好きでした。
もちろん原爆頭突も飛び出すプロレスごっこをしていた口です:笑
posted by みのる | 2007-05-29 01:47
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
みのるさん、わざわざ、コメント返し、恐縮です。
「僕は主に坂口征二の役でしたが(小学生ながらブレーンバスターを猪木役の友人:Y君に掛けたりしてました。)僕自身も頭が大きく、石頭でもあったので、大木金太郎も好きでした。
もちろん原爆頭突も飛び出すプロレスごっこをしていた口です:笑」
我が家の息子、ふたり、どちらも小学生なのですが、いまだに猪木氏のものまねをよくやって見せますよ。私の影響大なのですが(笑)、見ていて、自身の幼いころを思い出し、思わずふいて(笑って)しまいます。以前は必ずクラスにひとりならずふたり三人と、プロレスラーのまねごとをする子供がおりました。まさに隔世の感、ひとしおですね。プロレスに限らず、格闘技界の未来を担う子供達、いつまでも浪漫漂う世界であってほしいと願わずにはをれません。コメント、誠にありがとうございました。今後とも、お見知りおき願えれば幸いに存じます。丈
posted by 美城丈二 | 2007-05-29 12:27
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
大木金太郎って名前でもう勝ってますよね。
強そうだし、覚えやすいし。
こういった解りやすいインパクトって必要です。
かっこいい名前やニックネームも良いですが、覚えられないと何にもなりませんし。
posted by のり | 2007-05-30 10:50
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
鈴木敏朗さん、のりさん、いつもながら、コメント、恐縮です。大木選手の武勇伝もこれはもう、ここには載せられないものも含め、凄まじいものがありますよね(笑)仰られるように、私も力道山をもっともこよなく愛した弟子とはあるいは大木氏ではなかったのかなという思いもございます。VS猪木戦、VS馬場戦、日本プロレスに対する拘り、往時を鑑みると、まさに『昭和のプロレスラー』そのものという威風を感じられる名レスラーだったと思いますね。コメント、誠に有り難うございます。丈
posted by 美城丈二 | 2007-05-31 10:03
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
掲示板の方に1度書き込ませていただきましたが、此方の方では初めてコメントさせて頂きます。
力道山没後の日本プロレスの内情を記したプロレス記者の著書を読んだことがあります。
、大木の一本足頭突きを嫌がった外人レスラーの苦情を、ある役員がレフェリーのユセフトルコに伝えたところ、「やつは頭突きの衝撃で、目の網膜が剥離しかねない危険をおかしてあの技を出してるんだ。そんなやつに頭突きを使うな!なんて言えるか」(大意)とつっぱねたとか。
ユセフ氏自身、喧嘩っ早く腕っ節にも自信があった人のようで、後に警察沙汰になったことまであるようですが、強者は強者を知るとまでは言いませんが、当時のレスラー気質を窺わせるいい話ではあります。
posted by KAKI | 2007-06-05 20:10
Re:プロレスラーとしての誇り、意地!!“原爆頭突き”大木金太郎、師を偲ぶ、荒ぶる野心
KAKIさん、誠にコメント、嬉しき限り、美城です。
野武士というのでしょうか?時代と言ってしまえばそれまでですが、プロレスラーとしての意気地を感じるエピソードは数知れないですね。そういう気骨のあるプロレスラーが本当に少なくなりました。
大木金太郎、私なりの哀悼稿です。勝っても負けても頭突き、そこに氏なりの気骨を感じたものでした。
コメント、有り難うございました。今後ともお見知りおきくださり、末永いお付き合いが出来ますれば幸いです。丈
posted by 美城丈二 | 2007-06-05 22:30













