2007年05月22日

『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 ザ・ファンクス。往年のプロレスファンでその名を知らぬ者は居ないであろう。ある識者においては、日本プロレス、全日本プロレスと70年代から80年代、90年代までにおいても、長きに渡り、日本のプロレス界人気を支えた、最大の“表と影の功労者”とも論じられるほどの功績を残した、まさに荒ぶる“テキサス・ブロンコ”魂、兄・ドリーと弟・テリーのファンク兄弟。

 米国はテキサス・アマリロ地方に移住し、ドリー・ファンク・シニアというプロレスラーの父を持ち、兄・ドリーは1969年2月“時の世界最高峰”NWAチャンプ、ジン・キニスキーを破り、戴冠、のち、1973年5月、ハーリー・レイスに屈するまでの4年3ヶ月もの間、王者に君臨。この戴冠期間中に日本プロレスに凱旋。故・ジャイアント馬場氏との熱戦、そうして猪木氏が未だに生涯ベストバウトと自身評する死闘も含め、あの坂口征二氏との一戦も制しており、その実力は紛うことなく折り紙つきであった。その兄・ドリーを補佐するかのように恒に父と共にセコンド役として陣取っていた者こそが、あの弟のテリー・ファンクなるレスラー。

 “美しき親子愛”“美しき兄弟愛”兄・ドリーの、その実力とは裏腹な、セコンド役として陣取るシニア、テリー、ふたりのあまりのかまびすしさには、当時のプロレスファンは一様に拒絶反応を示し、ドリーの脆弱性が浮き彫りになってしまったが仇となって、爆発的な人気は得られなかった。ところが、どうであったか?その後年に弟・テリーの人気が急激に上がり、ファンク一家はまさしく、日本のプロレスファンの誰しもが認知する存在となったのである。

 懐かしきかな、1977年12月『世界オープンタッグ選手権』、誠に有名なブッチャー・シーク組との、右腕をフォークで突き刺されても不屈の闘志でリング上へと踊り込んできた、あの“甦った”一戦のちである。

 テリー人気は一気に火がついた。自ずと、兄・ドリーの評価それ自体も上がった。この辺りはまさに“日本人気質”そのもの。ひとつが“是”なら全てが“是”。無論、この視点から、兄・ドリーのその実力の再評価が始まったわけだから、一概には非難出来ないが、それにしてもこののちのちまでの、わけてもその弟・テリーの“引退地方巡業”フィーバーは凄まじいものがありましたよ。

 数々の“名シーン”を生み出し、作りつつ、テリーは去っていった。テリー自身も1975年12月のジャック・ブリスコ戦でのNWA戴冠劇を経るほどの活躍ぶりではあったが、全日本においては、ブッチャー、ブロディ、ハンセン、その“やられっぷり”で数々の“対戦者の時代”を作ったとも言いえようけれど、後年、テリーは自身の引退うんぬんに際し、記者の質問に答える形でこう、述懐している誌面を確かに私は読んだ記憶が、ある。「あの頃、確かに膝の状態は良くなかったが、手術し、うまくいけばまた、復帰する気だった」ここに、当時、多くのザ・ファンクス、ひいてはテリー自体をこよなく愛したファンとのあまりの事実誤認、認識の違いが浮き彫りになってくる。つまり、引退を表明したテリーに対し、多くのそのファンは「もはや、二度とリングには上がれぬほどの膝の状態、手術しても度し難いほどの重症。だから、もう二度とリング上のテリーは見れないのだ。だから今こそ、死ぬ気で応援せねば」と信じ込んでいた節があり、だからこそ、あのような大フィーバーを呼んだし、そのテリーの1年後の復帰にはやんやの大ブーイングが飛んだのだと私は従えている。当のテリーには、それは浅はかなる意見なのかどうか?米国人特有の気質から来るものなのか?自身の引退・復帰に対する罪の意識は少なそうで、その後も幾度か、引退を口にし、また復帰してもいる。

 翻って、ここに大上段に振り翳し、私はたとえば、当時の興行主の誠に上手い、ファン心理を煽った手法であったな、などと論じてみたり、或いは、テリー自身の精神性を今更なんだかんだと叩こうなどという、気もまったく無い。ただ、思うのは、テリーの引退をそれこそ自身の最期でもあるかの如く、重く受け止め、まさに枯れることも無い、滂沱の涙を流したファンの、その想いをいま、改めて鑑みるとき、せつない感慨が沸く、と言いたいだけに過ぎない。

 日本人レスラーに目を転じれば、まさに華々しき引退式までやってのけてのちの復帰、この様相にとどめを刺すレスラーと言ったら、もう、大仁田厚議員以外、他にあるまい。彼はまた自身のその“軽薄ぶり”を逆手に取り、ファン心理を彼特有の“荒々しさ”で上手く自身に注視させ、復帰後も人気を博したが、

 彼だけでは無く、アニマル浜口氏の復帰劇や、あの長州力選手の復帰劇等、引退声明⇒引退式⇒復帰、その背景をよく知っていよう者たちでさえ、そのベクトル自体を疑問視する向きがあるのだよと、この稿では改めて記述してはおきたい。

 私が、かつてリアルタイムでTVの画面なるものを眺めながら、開いた口が塞がらない、ぽかんと呆(ほう)げて見てしまったのは、かく言う、テリー・ファンクの復帰戦なるものでした。あのあと、私の周りではよく聞かれたものです。「だから・・・プロレスは・・・」一時、反論せず、口を閉ざしていたこともまた事実ですね。

posted by 美城丈二 |11:04 | プロレス、この果て無き浪漫 |
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この記事に対するコメント一覧
Re:テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

テリー・ファンク。

リビング・レジェンドと呼ばれるこの人もきっと死ぬまでプロレスラーなんでしょうね。

小学生の頃、テリーのマネをしてまぶたの上に絆創膏をはってました。もちろん怪我もしてないのに。本当は白い大きなやつを貼りたかったんですが、そんなものもちろんなくて普通のカットバンでした。

まぶたを少しふさいだ状態でプロレスごっこに励んだものでした。

posted by のり | 2007-05-22 13:34

Re:テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

引退→復帰→引退。まったくです(笑)

だけど、それもプロレスの範疇ではないでしょうか?時には一本筋の通った男気も必要。時には、自分の大罪など何処吹く風の如き軽薄さも必要。
常人では計り知れぬ器の大きさを見せられるのがプロレスですよね?少し、擁護し過ぎなのは百も承知。

私としては人気の頃、ハンセン・ブロディとのタッグ戦が印象的で、ハンセン・ブロディが強すぎる為、どうしてもファンクスに肩入れしてしまう。ファンクスはどちらかというと、私の好きなプロレスをしない方でしたが。
変に陽気なアメリカンでプロレスと言うよりアティチュードが人気の弟テリー。玄人受けする渋みがあり奥の深い、そして地味な兄のドリー。それ故か、強烈なフィニッシュ・ホールドが思いつかない。スピニング・トゥホールド?テキサス・クローバーホールド?いやいや、ドリーはエルボー・スマッシュ。テリーはテキサス・ジャブからのコンビネーションといった感じです。これらも、フィニッシュという訳では無いですけど。ちなみにファンクスの子牛の焼印押しって見た事無いですが、やってましたか?

アントニオ猪木との死闘を繰り広げた頃のドリーを生で見たかったなぁと、このコラムを読みつつ感慨に耽る。

ファンクスも、そうなろうとしてもなれない華やかさがある名タッグでした。


大仁田厚は私の中で、もっとも認められないプロレスラーの1人。しかし、あの精神、立ち振る舞いはまさにプロレスラー。強さ等を超越した所に大仁田厚のカリスマはあったのでしょう。私は理解しようとしてませんでしたけど(苦笑)

話はそれますが、テレビやメディアでのプロレスラーの扱いの酷さは目に余ります。もう少しプロレスを理解し、敬意を払って対応して貰いたいものです。それだけ、『品格』が落ちているんでしょうね、悲しいですけど。

posted by ビリー・ジャック | 2007-05-22 13:53

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 のりさん、ビリー・ジャックさん、いつもコメント、有難うございます。
 日本人気質なるものには、やはりかけがえのない心の拠り所、純真性なるものがあると思うのです。それはきっと今でも・・・。それだけに私もやはり疑ったわけですよ。「えっ!?じゃぁ、あの引退フィーバーはなんだったの?」と。そのぐらい、新日派には、苦々しきは、羨ましきは、『世界最強タッグ』の豪華さと、マスカラス、テリー、ブッチャーらの人気ぶり(笑)。ひどく荒い表現で、一言で論じるならば、テリー引退式で流した涙の置き所を失くしたファンは、静かにプロレスなるジャンルから去って行った・・・度し難いものですね。好きなものを、非難されるということは・・・。

 お二方、誠にお忙しき中、コメントを度々投稿くださって、筆者、嬉しき思いでいっぱいです。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-22 15:23

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

ははは(笑)

日中に何やってんだ?という感じですよね。

仕事柄、机のパソコンに向かっている時間が主なので、ブラウザ上にはここのブログが表示されています。「おっ?何か新しいコメント入ったな?」と、いかにも仕事をしてるかの様に、コメントを入れています。

そんなに暇なのか?と、言われそうですが、仕事はメリハリが大事だと思っています。やる時はやる。ぬく時は抜く。プロレスだって常に大技ばかりではお腹一杯になりますよね?大技、小技、それを含めたコンビネーション。そして流れ。

日々是プロレスです(笑)


そう言えば新日派の私には世界最強タッグだけは全日の豪華さが目に付きました。それに加えて、MSGタッグは何とも寂しかったような気がします。

アンドレのパートナーのハンセンはハンセンでもスウェードって、誰だよ!?ってな、具合でした。

posted by ビリー・ジャック | 2007-05-22 17:02

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 まさしく、人生是プロレスでもあろうかと!!(苦笑)。

 スウェード・ハンセン?ジェネ・グレイと言うレスラーもおりましたよね(笑)。全日本の豪華外国人プロレスラー、来日はまさに多くの識者が指摘しているように、プロモーター、故・馬場氏の力量と申すべき、しろものなのでしょうね。ゆえに抗するように、猪木氏は自らの手でシン、ハンセン、ホーガンを育てた。どちらがどう、と今更、申し上げませぬが(笑)、馬場vs猪木、この両者の緊張感を上回る舌戦も他に比類無きでしょう。この緊張感こそ、「あいつにだけは負けてなるものか」という、意地を生んだはずで、現行のプロレスに欠けている世界ではないでしょうか?
 『あの頃は面白かった』一日も早く、そこから脱したいものです。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-22 17:45

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

テリーには騙されましたよ。仲間がビデオでオープンタッグを何度も見ていたときに、カミソリで自分で切っているのにきずいたんですよ。25才位の時でした、それを言われたのは。今は40代です。当時は小学生で、デパートのテレビ売り場まで見に行った事がありますよ。ちなみにビデオはまだ世の中にありませんでした。でも今見ても感動できます。

posted by テキサスブロンコ | 2007-05-22 19:19

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

「でも今見ても感動できます。」
 僭越なる物言いではございましょうが、この言葉が全て、かと。オープンタッグ、私もリアル世代ではございますが、この試合自体は後年、何かの折りに見て、やはり少なからず、“感動”を覚えましたね。プロレスを偏見の目でしか、眺められない層には、あの興奮は解せ無いしろものでしょうね。

 テキサスブロンコさん、コメント、誠に有難うございます。あの頃の“直撃世代”へ向け、そうしてその下の世代、ひいては若い世代の方々へ語り継ぐ思いあり、と信じ、私は日々、執筆しております。今後ともお見知りおきくだされば、幸いです。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-22 19:56

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

テリーがプロレス浪漫街道へ導いてくれたんですよ。UWFにも熱狂しました。
長州対天龍も最高です。天龍革命で、原と二人で巡業の移動を別行動したと言う記事を読んだ時は、興奮しましたよ。馴れ合いを嫌ったんですよね。ハンセン、アンドレ、ベイダーの迫力。タイガーマスクの華麗さ。夢がありましたよね。
中でも一番好きな試合は、新日のイルミネーションマッチ5対5で猪木軍が勝つ試合です。前田の方が好きだったのに、木戸と高田対猪木の2対1になった時に猪木を応援し、勝ってしまいました。あれは面白かったなあ。

posted by テキサス | 2007-05-22 21:42

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 テキサスさん、再びのお越し、誠に嬉しき限りです。僭越なる物言いではございましょうが、私とおんなじ、プロレス者ですね!?(笑)。確かに以前のプロレス世界には、華があり、怖さがあり、強さを論じ、浪漫がふんだんに詰まっていたような気が致します。見る者、ひとりひとりの感性に訴えかけてくるかのような、多種多様な彩がありました。今後も私は、そんな色とりどりの世界を私なりに真摯にものしていこうと思っております。今後ともお見知りおき願えれば幸いです。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-23 08:37

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

暴れん坊の弟と、冷静沈着な兄。
昭和日本の兄弟愛を常に感じさせてくれる兄弟で、兄がほしかった自分は憧れの的でしたね。
グレーシートレインや亀田トレインはファンクスのパクリだろうと勝手に思ってます。
連れてくる弟子達も豪華で、”喧嘩番長”ディックスレーター、テッドデビアス等々・・。
我がジャンボ鶴田のUNチャンピオン時の好敵手生産工場でした。

話は変わりますが、大仁田厚から始まった復帰劇、本当に勘弁してもらいたいです。大仁田ファン、FMWファン、ハヤブサファン、長州ファンみんな巻き込んで裏切っておいて自分は国会議員ですか?

選手、団体に自分の人生を照らし合わせ、感情移入するのがプロレスです。引退→復活繰り返すのも人生劇場でいいでしょう。
それをやりたければ、自分のファンが全員納得するだけの説得力が無いといけませんよ。
ファンを置き去りにする裏切り行為は絶対に許さない!売名行為の為にプロレスを利用する輩が多すぎる!
本当に悲しい現実です・・・・。

アントニオ猪木の復活!誰も望んでいませんよ。分かっているとは思いますけど・・・。

そう考えると、船木選手の復活もファンは望んでいないのでしょうか?

書けば書くほど矛盾だらけになってしまうので、ここらへんで失礼します。

posted by J | 2007-05-23 11:37

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 ファンのもう一度、その勇姿が見たいという願望と引退したからには全盛時の勇姿を留めていてほしい、と思う気持ちは私ならずとも皆、有しているものだと思いますよ。はからずも、私もその主張は相矛盾しております。ただ思うに、相撲界やプロ野球界に引退声明⇒引退式⇒復帰、などというベクトルは存在していないという、事実。このままプロレス界だけは、ジャンルの鬼っ子で良い(別次元)という想いが強まれば、引退⇒復帰、それでもまた是、ということになるのでしょうね。
 かつて、私の周囲に居たテリーの熱烈なファン、彼の「裏切られたよね」と呟いたときのやるせなさそうな視線・・・私は未だに忘れ難いものがあります。
 Jさん、いつもながらのコメント、誠に有難うございます。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-23 22:31

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

テリーファンクといえばもう世界オープンタッグにつきると思います。開幕戦の後楽園ホールでの馬場、鶴田組対”史上最凶コンビ”ブッチャー、シーク組の試合後の乱闘に馬場組の助っ人として乱入!血まみれになりながらの絶叫。テリー神話が始まった瞬間です。
”欧州最強コンビ”ロビンソン、ホフマン組との対決などなど、夢の対決続出の中での流れの中での最終戦蔵前国技館での”史上最凶コンビ”との決勝戦。私的には一番盛り上がったシリーズです。開幕戦から最終戦までが一本の線になってましたよね。(後の四天王全盛期のチャンピオンカーニバルも心に残ってますが
。)極端に言うと”その後のテリー”は”おまけ”ですね。ハンセン、ブロディ戦での”やられっぷり”はなかなかでしたけど。”引退試合”も「ふーん」て感じでした。本来テリーて”別の味”があったレスラーだった様な気がします。良くも悪くもオープンタッグでキャラクターと言うかイメージが固まっちゃいましたよね。その点、「70年代最強」と謳われた兄ドリーは地に足を着け、”その後”も、その実力をきっちりと魅せつけたと思います。

posted by 鈴木敏朗 | 2007-05-30 00:23

Re:『テキサスの荒馬』テリー・ファンクに捧げられた“いつ、果てることを知らぬ涙”とその行方

 鈴木敏朗さん、こちらにもコメント、有り難うございます。時代背景というものがあり、そういう“正義感”と申しましょうか、テリー・ファンクを売り出すに最適な適役も居たわけで、ドラマ作りが容易な時代でしたね。対立概念の根本は、正義VS悪、ですし、テリーとブッチャー或いはシークは、この概念にすっぽりと収められました。そういったテリーが人気が上がることによって、兄・ドリーのテクニシャンぶりが再評価されたのは、嬉しかったですね。以前から、地味だけれど、幼心に、上手いレスラーだと思っておりましたから。玄人受けする兄と、新しいファンを開拓した弟。ある意味、生涯、忘れることがないであろう、ふたりですね。コメント、誠に有り難うございます。丈

posted by 美城丈二 | 2007-05-30 07:49