2009年06月28日
三沢プロレスの遠き向こう
三沢プロレスの遠き向こう 文筆家・美城丈二 三沢光晴・ノア代表の今回、信じがたいリング上での“死”は殉死であろうか。一報を聞き及んだ僕には少なからず、そういう思いが充満して仕方なかったです。現代という時代と等しく、耐性の無くなったファンによって過酷な闘いを強いられ続けた果てに今回の“死”が横たわっているような気がしてならなかった。
プロレス界の歴史を辿れば、あの藤波vs長州「名勝負数え歌」の一大センセーションの影に隠れたプロレススタイルの変異。日本人vs外国人という構図を変えたばかりでなく、ロープに必要以上に振ってみたり、投げ落とす、飛ぶ、跳ねる、同じ技の繰り返し、これらのいわゆるマスコミ各誌によって喧伝された“ハイスパート”なレスリングによってプロレスのスタイルは大きく変容してしまったと思う。殊更にこのスタイルの変異を責める積もりはないのです。それまでの四分、五分の入りであった観客があの一大ブームで超満員のお客さんを呼び込んだ。幼い時分からやや閑散としていた会場を埋め尽くす状況に素直に自分のことのように喜んだ僕も居たのですから。心を傾けるジャンルの隆盛を喜ばないファンなんて居ないのです。 良くも悪くもプロレススタイルが変異した象徴的闘い模様は藤波vs長州の闘いに根ざしていた、それは僕自身のそんな観客増をまさに目の当たりにした記憶をなぞるものでもあります。 こののち、それら闘い模様に楔(くさび)を打ち、もっと本来のお互いの技量を比べあうようにプロレスリングのベース、関節技をひとつの支柱としてレスリングを展開してみようと計った闘い方こそ、UWFスタイルではなかったでしょうか?。そして次の世代が“ハイスパート”なレスリングスタイルを凌駕(りょうが)する形で一時代の栄華を誇った闘い方こそ、あの「四天王プロレス」ということになるのではないか?。 これでもか、これでもかと大技を繰り出し、まるで果てることが無いのではないのか?と思わす程の2・9カウントを繰り返す攻防。受身の上手さ、それは普段の修練の賜物以外の何物でもなかったのでしょうが、大技がぽんぽんと飛び出す闘い模様は、じっくりと寝技や繋ぎ技に目を凝らそうと計るファンまでは生まなかったのではないか?そういう見方を思わすスタイルとも思えました。また大技が矢継ぎ早に放たれるということはまるでプロレスゲームをしているような感覚、生身の選手の痛みを感じ取れない、たとえば痛みを察せることが出来てもその感覚がスプリングの効いたマットゆえにこそ、ああ、いとも続けざまに技が出せるのだろう?と安易に曲解するファンだって居たのではないでしょうか?そのような事柄を思い起こさせるスタイルのようにもまま見受けられました。おのずと時代は静謐(せいひつ)にじっくりと関節の取り合い、探りあいに終始する、余韻が残る日々日常を淡々と映すかのようなドラマを欲さず、或いはそういう地味な攻防に厭(あ)きたのか、さもクライマックスだらけか?と思わす程の迫力ばかりが目に付きかねないハリウッド大作系のドラマを選んだかのようでした。 70年代、けっしてそのリング上は大向こう受けする大技の連発だけに終始するような闘い方だけではありませんでした。ただ殴り、蹴り、そして最後に息を飲む程の、ひとつ、大技が繰り出される。それだけで終わってしまった大試合だって存在していたのです。にも関わらず、人々は拍手喝采(かっさい)を心から贈りました。繋ぎ技に妙味を見出すファンも多かったこととプロレスラー側自体に技ひとつひとつに対する拘りがあったからです。オリジナリティも尊重され、ひとつの興行でまず他のプロレスラーの必殺技を真似して使うレスラーもおりませんでした。前座から中座、高座とメーンエベントへと向かうにつれファンの高揚感をあおっていく興行システム。前座では自身のレスラーとしての立場をわきまえ、また試合の組み立てを理解する為に、ただ殴りあうだけの試合がほとんどでした。メーンでも安易な大技連発に頼らず、じっくりと技の掛け合い、外し合い、ロープブレイクにおける選手間の緊張感を安易に選手同士が離れないことによって演出してみたりと、平淡になりやすい試合の起伏をそういったアクセントをつけることによって緊迫感を持たせたりしてファンの意識を逃さない試合作りを行(おこな)っておりました。 時代が何故、そのようなスタイルの変異を生んだのか?そこにはプロレスという奇特でかつ世間から白眼視され続けてきたプロレスファンの一部、それらを陰湿に考え込んでしまいかねないファンの一部が、一見の人々にもその凄み、面白さがよりわかり易く浸透するスタイルを求めたからでしょうか?というよりも、何故、プロレスラーが試合のスタイルまでファン側の要求に簡単に応える必要があったのでしょうか?全盛期の猪木はまさに“顔芸”などと揶揄(やゆ)する向きもおられましたが、ただ館内を要所要所で睨(にら)み付けるだけで観客の注視を一身に浴びる工夫を行ったりしていました。つまり、大技を連発させなくても観客を唸(うな)らせる、気持ちを高揚させる試合作りのヒントはいくつもあったのです。 私はプロレスというジャンルに魅せられて、焦がれ続け、見定めて、既に35年以上の歳月が経ちました。それだけに今回の三沢光晴代表の“死”はあまりにも苦々しく、忸怩(じくじ)たる思いすら抱いている者のひとりです。何故、こんな悲しい出来事が起こってしまうのだろう?ただたんにプロレスというジャンルが実はやはり死と隣り合わせなのだ、などという、もうそういう次元以上の何か?が作用したとしか思えません。悲し過ぎる出来事でした。 私は三沢光晴代表のファンとまではいかない、プロレスファン内としては一傍観者の位置に過ぎない者です。こういう言い方が適切なのかどうか、生前、三沢ファンだと公言した記憶が無い者です。ただですが、あの故・馬場氏の直弟子として、そして“四天王プロレス”という一時代を築いた一ファイターとして、更にノアという新日本と分かつほどの勢力を誇る団体を束ねる長としての三沢光晴代表に畏敬の念は持ち合わせている者のひとりでした。そんな三沢代表とはついぞ生前、面識が適わなかったのですが、いつかはお逢いしたその暁にはこういう質問を尋ねてみたかったとの思いがございます。 「僭越ながら、三沢さんは本当はもっと違うレスリングスタイルをやりたかったのではないですか?」 これは僕なりの邪推かも知れませんが、「四天王プロレス」は三沢代表の本当にやりたかったスタイルでは無かったような気がしていたのです。もう、そんな僕のある意味、おこがましい、大それた質問もいまとなってはまさしく絵空事、闇の中になってしまいました。 改めて三沢光晴氏のご冥福を心よりお祈り致します。合掌 (今回、自身のブログサイトに拙作を掲載するにあたり、一部文章表記を加筆・訂正しております。本稿は、ミルホン・ネット刊『マット界舞台裏6・25号』掲載文・改訂版です。)
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posted by 美城丈二 |15:18 |
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