2008年11月04日
美しさはしなやかさなり“藤波辰爾”往時の記憶~IGF参戦に寄す(その後編)
度重なる負傷。 特に89年6月22日、ビッグバン・ベイダー戦後の 腰痛悪化欠場は有名だ。椎間板ヘルニアで1年3ヶ月という 長期欠場を余儀なくされる。ドラゴンボンバーズや飛龍革命の未遂、どれも当初の目的を 鑑みれば中途で頓挫しているように思わせるが、 藤波らしい、周囲に配慮した、レスラーらしからぬ温厚な性質が 災いした結果であり、プロレスというジャンルを大局的に 見定めることが出来る識者においては それもこれも「むべなるかな」という ことになる。 いまではアングルではなくリアルとの定説がある、 長州力以下維新軍団の大量離脱騒動でも 「ここで藤波までが離脱すれば 間違い無く、新日本は潰れる」と言われる 最中、踏みとどまったのは何故だろう!? 一旦は離脱の仕掛けに応じたと漏れ伝わる 藤波の真意。 藤波を悪く言う人間は 必ず、その優柔不断ぶりをそしるが いまの新日本の黎明期、その支柱を支えた との認識を持つ私としては とても彼を責められない。 「無我ワールド・プロレスリング」の旗揚げ。 そこに見えるのはその支柱の象徴でもあった 師匠・アントニオ猪木のオーナー職辞任という 影がちらついたからと鑑みるのは 果たして私だけだろうか? 西村修との確執が表面化し、彼が辞していこうとも 多くを語らなかった藤波辰爾という男の真実。 若手に混じってリング作りを手伝っていた 会場における藤波の後ろ背。
新日本プロレスという、 一時代を築き、 プロレス界の王者に君臨した 一大メジャーの栄華を思うとき、 藤波は欠くことが出来ぬ スーパースター。 そんな藤波が巡り巡って またあの猪木のIGF、 そのリング上に立つ。 「ノスタルジーに浸ってはダメなんだ。 プロレスはすごいっていうのを見せないと。 それにはお互いがやりたくない相手と戦わないと。 お客さんはもう、古いのを見たくない。 “今”のすごいのを見たいんだよ。ジョシュでいいじゃんフフフ」 (11・24 IGF7における藤波の対戦者に 話しが及んだ際の猪木コメント) ただ一方的に勝てば良いという、 総合格闘技出身のジョシュにも 命題が突きつけられた格好だ。 藤波は果たして何を見せるのか!? 或いは何も見せられないのか!? その背にはあの、のちに“プロレス界の大河”とも 謳われた黎明期の新日本、 その暗い、観客の少ない閑散な会場で繰り広げられていた、 リング上の息遣いをも 睨みつつ、 私はその会場に 足を運ぼうと思っている。 「藤波さん、お帰りなさい」
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posted by 美城丈二 |21:52 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
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