2007年03月23日

時代の目撃者・シリーズ‘あのアングルの向こう側’「俺はおまえの噛ませ犬じゃないぞ!!」維新の雄たけびが旋風を呼び込んだ、あの瞬間。長州力、俺たちの時代!!

 いまはされど、新日本の男。長州力。かつて、彼の一挙手一投足に歓声を上げた熱狂的長州信者も多い。時代を創り、そして自ら壊し、そのフライング的言動によって同業者、すなわち、レスラー達にそっぽを向かれたり、自身、離合集散を繰り返した。


 だが、かくいう私も10代の頃、長州の生き様に易々と感化は受けずとも少なからずこの心、動かされた者のひとりだ。もう20年以上前になるが、当時、あの“ファイト”紙上にも“時の長州”を賛歌する文章を綴り、掲載していただいた記憶がある。

 揶揄する向きは、「ゴッチイズムから逃げ出した、男」だとか、「結局は猪木には頭が上がらない」だの、「節操が無い」「金でいとも容易く動く、男」などと非難されてもきたが、実際、彼の体現しようとしてきた筈の“ハイ・スパットレスリング”がもはやリング上で実践出来ぬ以上、反論は露(つゆ)も返せないだろう。時代は風化していく。長州とて、その枷(かせ)は振り払えない。

 一度、引退したときに、“あの、長州力”は終わったと見るべきか!?、ファンの夢も彼方へと遠のいた。猪木・馬場、両御大に刃を向けたが、矛は恒に、尻切れトンボ、鞘に収まることもなく、中途半端に投げ出すばかりとも、批判された。見ようによっては、“俺たちの時代”は傀儡(かいらい)に過ぎなかったのだとも、論じたら、‘時の長州信者’にお叱りを受けるだろうか?

 


 長州の反乱、藤波への宣戦布告は無論、プロレス内アングルであり、みな、三味線だ。ああいうアングルを持ち出し、「やれ!!」と号令をかける猪木の才覚は、果たして懐の深さ、成せる技、と見るべきか、否か!?‘王道’ジャイアント馬場内プロレスではやはり当座、躊躇すべき、アングル。猪木独自のアングルとはすなわち、当の猪木が裏で頷かぬ限り、存在し得ぬアングルということになるが、タイガーマスク登場、メーンに猪木見参、その合間にしてはどきついアングルではあったとしても、大いなる一時代を築くには十二分な“名勝負数え唄”ではあったと言い切れる、はず。何より、レスリング全日本チャンピオン出身。相手の技を受けることを前提とした‘プロレス村特有のしきたり’に苦悩し続けた長州の「ここしか俺が浮上するチャンスはありえない」と躍起になり、掴み取ったスターの座。藤波を破り、WWE(当時WWFインターの)ベルトを巻いた彼は、ふとこう呟いたものだ。「俺の人生にも、こんな時があってもいいだろう?」

 長州はその後、右へ左へ、行ったり来たり、動かざること山のごとし、まさにその主義を嘲笑うかのように動き続けたが、再び三度の“新日本・下野”はあるのだろうか?

 哀しいかな?プロレス界という力動勃興、その歴史において、時代を盗り損ねた張本人は、私なりに推察するに“長州、その本人”であろうと想う。だからこそ、その後進、武藤、蝶野、橋本にその想いを託したとも推察出来る。あくまでも良識という感覚で見定めた場合という、注釈付きだが・・・。

 いまや黒舟来襲、グレイシー柔術以後沸騰した格闘技ブームの影で、暗澹無碍(あんたんむげ)と化した感のある、暗黒無残なプロレス界にあって、WJ共々、砕けた長州の理念は、今後、どう推移するか?。かつて皆々、長州には酔った。だが、起き掛けのあのなんとも言い難いけだるさにも似た“虚無感”が今後、更に“言いようの無い絶望感”に変わらぬことを願う。何かがまた起ころうとしているプロレス界にあって、長州、彼はどこへと彷徨(さまよ)うとしているのか、留まるのか?果たして・・・!?

 

 再び、一筆、致します。私もかつて、長州力という大酒を盃にて、たらふく飲み、酔いに酔ったこともある、やからのひとり、一群なのです。

 *HPコラム/2005・10
 『求めたのは原風景!? 』

  禁断という名の踏み絵をいとも簡単に踏み越えてゆこうとする、新日本プロレスという団体には、有り得ないという言葉自体、存在しないのか!?先の長州力現場監督復帰。あれほどアントニオ猪木をけちょんけちょんに罵倒、足蹴にして出ておきながら、「士気が堕ちている。現場には厳しさが必要」という観点から、リストラという切り札をちらつかせながらの勇躍復帰。ケリー・サイモン社長の三顧の礼、罵詈雑言の相手方、オーナー・猪木さん自体が了承なのだから、どこから揶揄されても長州選手自身は何食わぬ顔で通せる。実社会ではけだし有り得ない。有り得ないからこそ、プロレス団体なのか!?、有り得ないことを起こすからこそ新日本プロレスなのか!?かつてこの団体は、現役のボクシングヘビー級チャンプをリングに上げた。オリンピック金2連覇の、柔道の猛者も上げた。腕も折るわ、更に「プロレス最強論」に必要とあらば、あの隆盛最華の頃の極真空手にも喧嘩を売ったりもした。時のアミン大統領との仰天対戦計画。観客不在の巌流島決戦。だがだが、多くのプロレスファンが魅せられたのは、やはりそこに勝負論、リング上の凄まじき戦い模様がきちんとおまけではなく、未曾有の一番としてあったればこそ。ファンの信用を取り戻すことは容易なことではないだろうけれど、しばし静観、じっと「時の声」が聞こえてくるまで待つこととしよう。誰かが言っていましたよ。「あの隆盛を取り戻したいとか悠長なことを言っている場合じゃない。ただ、今をどうするか、だ!!」と。それでもいいじゃないですか!?、やはり時間はありません。 


  *HPコラム/2004・10
 『長州いわく「俺は今でも天下の長州力だ」』 

 今週号の週刊ゴング(10・13号)の巻頭特集はGKこと金沢編集長による長州力インタビューです。相変わらずの長州言語で意味不明、脈略の無い単語が飛び交い、金沢氏がクエスチョンする形で標準言語化してくれるので、なんとか長州の言いたいことが見えてくる。私は長年の猪木シンパで、けれど長州選手に、なんら嫌悪感は抱いていない。やはりこの人も、一大、自身の時代を作った人なので(そう、思いたい!!)、なんだかんだ言いながらも畏敬の念はある。交流戦はやらないほうがいい、対抗戦をやるべきだ、うんうん、頷く私。ハッスルポーズはとらない、それはたいした問題じゃない、うんうん、やっぱりだからこその長州力かな?と思いつつ読み進むうちに、この人特有のプライドの有りようが察せられる。俺は今でも天下の長州力ですよ、というあたりちょっと痛々しいけれど、それでこそ長州力ということなんでしょう。それにしても、ページにして6頁弱の巻頭記事が、こう、つっかえつっかえ意味不明の長州言語にかかると、えらく長く感じることか、猪木嫌いが猪木氏の言っていることが全く解らないというに等しい感覚に陥りそうになる。私はやはり猪木シンパだからか、猪木氏の言っていることはたとえ恣意的な発言でもよく解る。たとえるならミスター長島氏のシンパが長島さんの言っている言語、文章をすらすら理解できるように、言わばそれと似た感覚だろうか?長州選手はWJで躓き、けれどいまだ、ど真ん中をゆくと発言してはばからないが、この先、再び、新日本のリングに上がることはあるのだろうか?上がるなら、どういった形で!?。猪木氏によって更迭され、新日本を去った長州選手、維新時代の輝きを、けれど求めるのは酷というものだろう。 ならば、今でも長州シンパだと思っている方々は、彼に何を求めているのだろうか?私はふとそれを知りたいと思った。 

posted by Jyouji Yoshiki |22:00 | 時代の目撃者・シリーズ“あのアングルの向こう側” |
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市民権とは何か? 【人生是格闘の連続也。】

プロレス市民権を獲得しよう!という志を持って、アントニオ猪木が自ら回転体となって世間を掻き回して30余年が経ちます。1973年のタイガー・ジェット・シンによる猪木・倍賞美津子夫妻新宿伊勢丹前襲撃事件を端緒とすればですけど。 その後、柔道王ルスカ戦を皮切りに、世紀の一戦(当時は凡戦とも評されましたが)と謳われたモハメド・アリ戦、極真カラテの"熊殺し"ウィリー戦、世界マット統一IWGP構想〜ホーガン戦舌出し失神KO事件、その後プロレスファン・猪木信者を熱狂(錯乱?)させた出来事・事件、マッチメイクは1998年

2007-03-25 23:39 | 続きを読む
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Re:時代の目撃者・シリーズ‘あのアングルの向こう側’「俺はおまえの噛ませ犬じゃないぞ!!」維新の雄たけびが旋風を呼び込んだ、あの瞬間。長州力、俺たちの時代!!

長州が理想を追い求めれば追い求めるほど、表に出てくるのは「契約」「金銭」等、現実問題ばかり。
そしてハッスルに登場。彼は教えてくれた「理想だけでは飯は食えないんだよ。」と。
ファンに「夢」を与え、それを何度も壊してきた長州。
でも彼に「天下」を取ってもらいたいと思う気持ちが消えないのは何故なんでしょうか?

posted by J | 2007-03-26 09:14

Re:時代の目撃者・シリーズ‘あのアングルの向こう側’「俺はおまえの噛ませ犬じゃないぞ!!」維新の雄たけびが旋風を呼び込んだ、あの瞬間。長州力、俺たちの時代!!

 長州の悪い意味での“ラリアット・プロレス”はやはりその後、あまりかんばしくない結果を生みましたよね?。猫も杓子もラリアットみたいな現象を生んでしまい、レスラーの無個性化を増殖させました。ただ、長州に“その咎(とが)”は無し、というのが私なりの意見ではあります。フェバリット・ホールドの無い時代・・・。真似る方が悪い!!!。

 ‘理想だけでは飯は食えないんだよ。’
 ‘彼に「天下」を取ってもらいたいと思う気持ちが消えないのは何故なんでしょうか?’

 僭越ながら、私なりに思う一感慨として、90年代プロレスの興亡、その影に長州を感じてらっしゃるからではないかな?と思われますが、いかがでしょうか?無くてはならない存在だったと思うし、“孫弟子”闘魂三銃士が巣立ったとき、もたげてきたものが、またぞろ“自身の野心”だったのではないか?だが、その野心もまたまた潰えた・・・。

 転じて、長州に“悲運”を感じられて、そう思われるのかもしれませんね・・・?

 私もまた、長州にまぼろしを見た、かつての彼の“援者”です。

 いつもほんに、コメント、誠にありがとうございます。丈

posted by 美城丈二 | 2007-03-28 23:59