2007年10月30日

この、ご一文は本当に貴方が書かれたものですか!?拝啓、西村修殿

 
 男には、言いたくても言えない事もあります。
 これ以上は言わないのが仁義だという事もあります。

 私が悪者になる事で、それで気が済むのなら
 全てが丸く収まるのならばどうぞ私が悪いと、
 そういう事にしておいて下さい。

 ただ、これだけは言わせていただきたい。
 無我を守って来たのは私です。
 無我は私です。
 これだけは、七度生まれ変わっても絶対に譲れません。

   西村修のフリーバード~翼あるもの~[オフィシャルブログ]より

  私は敢えて誤解を怖れず、またこれはりっぱな個人攻撃だとのそしりを受けかねよう、今稿において西村修という一プロレスラーに対して問うてみたい、思いがある。

 「この、ご一文は本当に貴方が綴られたご一文ですか?」と。悲しいかな、明らかに筆者なりの経験則から講じるならば、この一文は心にどこかやましい感覚を有した人間が吐く一文であろうかと鑑みる。誠に僭越ごとながら若年の折り、立場は違えど、私とて聖人君子などでは無く、苦い過去において筆者自らが語った言葉とおんなじ科白(せりふ)なのです。かつてのそんな若輩の私を思い返し、私は自身のこの一言を恥ずべき事といまでは悔いております。

 
 私が悪いのです。私が悪かった。そういうことで事態が丸く収まるなら私が悪者だとそういうことにしておいてほしい・・・。

 西村修選手電撃全日本移籍における様々なマスメディア報道、並びに西村修選手自らの発言録等を仔細に読ませていただいたりしているが、上記の言葉にぶつかって筆者自身、考えあぐねてしまった。こういう発言もある。

 (無我ワールドの)反省会はあの世でやりましょう。

 これら発言が本当に西村選手自らに拠るものであるとするならば、私は今後、西村選手個人を声援など一切しない。「黙して語らず」という感覚も決して美徳な感覚とは思い難いが、ひととして発して良い言葉といけない言葉はやはり有るはずだ。プロレスというジャンル自体が未曾有の危機的状況にある昨今、なんとかしてひとりでも多くの“観覧者”を招こうと額に汗し、日々刻苦なされておられる方々に対する配慮のひとかけらも感じられぬ言葉に思えてしまった。

 言葉尻だけを捉えて何を言う!?と大変なそしりを受けそうであるが、一連の関係各位のお言葉を筆者なりに鑑みたうえにおいて、今回の西村修選手の移籍に絡む“後日談”なるものは見れば見るたび、読めば読むたび大きく私に失望を与えるものである。

 プロなのだから、大枚はたく場所に行くのは当然なのだ!!という発想は真理を得ているように思わせて実際はきちんと配慮を持って臨まねば、「ファンあってのプロ」という観点を置き去りにする行為であろうと思う。本来ならばこういうごたごたはウラで密やかにやってほしかった。
 「すみません。私の考える“無我”の世界とは明らかに違う状況に陥ってしまいました。藤波さんとも話し合いましたが残念ながら思想的に折り合いがつきませんでした。そんな私に手を差し伸べてくださったのが全日本の武藤社長でした。すみませんが、“無我ワールド”を離脱し、“全日本”に移籍させていただきます。」このくらいの大人の見識とも言うべき一言を発しつつ、あとは黙して語らず、全日本参戦ともなれば、事はこんなには大きくならなかったことだろう。つまり、西村選手にはそういった、いわば“大人としての了見”を思わす感覚を少なくとも私は感じていたから、誠に今回の移籍に関する一連の発言うんぬんには失望とまた怒りさえ感じてしまわざるをえなかった。自身の識見もまだまだだなと悲しいかな、私は私さえも責めたい気分に陥ってしまった。

 多くの関係者・当事者が西村選手の一連の発言に対し、「それは違う。」と指摘なされておられる。どちらを支持するかはファンに委ねられたまさしく“特権”ではあろうが、“無我”という概念自体をとり間違っているとしか思えぬような西村選手の今回の移籍に関する発言の数々。

 淋(さみ)しいものである。かつて私に、いや私達に大いなる勘考を抱かせてくれた多くのレジェンドレスラー達。ドリー・ファンク・ジュニア、ヒロ・マツダ、ジャック・ブリスコ・・・ets。ことあるごとに彼らに対する“リスペクト”を口にされてこられた西村修選手。騒動後も“引き合い”に出され、自身のいま胸中を語っておられるけれど・・・。「猪木とドリーのコピーに過ぎぬ!!」そういう嘲(あざけ)りに対して筆者は筆者なりに擁護(ようご)してまいった経緯なるものがあるが、上記、一連の“後日談”には胸打たれる思いが伴ってはまいりませぬ。

 裏事情なんて本当はどうでもよいことなのです。こういう、いわば“ファン置き去り”のごたごたはウラで本当に密やかにやっていただきたい。たとえよしんば百理に一理、西村修選手にあっても真実を露見させて失望と怒りを生むくらいなら、まさしく黙して語らずの方が大人としての了見、識見が感じられ、尊ばれるというものです。

 私も忸怩(じくじ)たる思いでいっぱいなのです。「お前、何様のつもりよ!!」敢(あ)えてそう思われても良いとこの心、律して今稿をここにアップさせていただきます。  筆者・美城丈二
   

posted by 美城丈二 |09:06 | 魂暴風Personal【格闘技の在り処】 |
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