2007年03月18日
あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
*過去HPコラム・加筆訂正稿 牙城を崩した=猪木に、認められた。正しくは、そういう表現が‘プロレス的’ではあろうけれど・・・。 ハンセンが振り回すカウベルと、シンが銜(くわ)えるサーベルはまさにギミックがギミック足りえた時代の象徴であり、ゆえに脅えおののき逃げ惑う観客に、さらに罵声をあびせ、怒号渦巻く館内には、‘リアリティー’なる、まことにプロレス的な一種、独特の雰囲気が醸し出され、‘真剣に’見守るTV視聴者にはそれらがまさに一体の「空想劇」と見て取れ、視聴率は安定安泰。いやはや、いい時代だったですねぇとまたひとり、勘考とともに懐かしさばかりが際立つ・・・。(ダハハッ、また回顧趣味ッ!!) 倍賞リングアナのコールのあとに「サーベル・タイガー」の入場テーマ曲が流れ出し、まったく薄暗い館内を(この場合、地方会場がよろしい)悲鳴とともに右往左往、逃げ惑う観衆を追いつ、ときには追いつき殴り倒す。 ‘ロングホーン’の雄たけびとともにのっしのっしと花道登場。ブンブン、カウベルを振り回し(この場合も出来れば地方会場が相応しい)師匠・テリー・ファンクなる面影などいずこ、まさに荒馬のごとし入場シーンはその面構えにぴたりと符号している。 *続きは是非、こちらにて読了くだされば幸いに存じます。 ⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
posted by 美城丈二 |11:23 |
プロレス、この果て無き浪漫 |
この記事に対するコメント一覧
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
こんにちは。またきました。
シンって本当に怖かったです。ハンセンも。
シンは何やるかわからない感じがありました。そばにいる上田馬之助は本当に憎たらしかったし。上田に関しては『プロレススーパースター列伝』の馬場・猪木編のとき日プロクーデター時、猪木を裏切ったような書き方がしてあったので更に憎悪がましてたっけ・・・。今思えばメディアミックス?
1991.3.21スターケード・イン・東京ドーム。高校卒業しこの大会を見に行くためにバイトをしました。長崎から東京への夜行列車代、チケット代もろもろ。
今考えても良くわからないグレーテスト18クラブの決定戦。長州力対タイガー・ジェット・シン。衰えたとはいえシンの入退場時の暴れっぷりは凄かった。
僕のほうへ向かってきたシン。大慌てで逃げていたら、背中に激痛!
『座ってろ!』と木村健吾にたたかれました。
・・・無理だよ、稲妻。だれだって逃げるよ。と目に涙を浮かべていました。
また思い出話しちゃいました。
ちなみに、東京ドームでの野球観戦は経験ありません。福岡ドームでも野球よりプロレスのほうが先でした。こういう方って結構いるのでは?
posted by のり | 2007-03-19 09:49
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
のりさんは長崎ご出身!?、とすれば同じ九州人ということになりますね。私は宮崎生まれの鹿児島育ちですから。
のりさんを始め、多くの皆さんのお陰にて、ありがたいことに格式高いと評判の‘人気ブログランキング’格闘技部門にて、1位を獲得致しました。5位くらいがプレッシャーもかからず気分的にはよろしいのですが、誠に嬉しきことではあろうかとは思っております。やはり書くからには多くの方々に読んでいただきたいと思うのは人間の恒、でもあろうと思いますから。今後とも私なりの感覚を持って書き込んでまいろうと思いますので、どうぞ末永いお付き合いを!!宜しくお願いいたしますね。
さて私もまたまた、シンの思い出をひとつ。幼き時分にはただもう、怖いだけ、憎いだけの存在であったシンなのですが、おとなびてくる段になって私の心根の方も、変化なるものが現れまして(笑)・・・あまりシンを強く意識しなくなったのですね。その頃のお話しなのですが、あれは確か、私の高校時、私の郷里にて一夜の宿をとった新日本プロレスのご一行にまじってシンも無論‘別室’ではありますが、宿泊しておりましてね。
その際、おそるおそるサインをねだってみたところ、おやっ!?(笑)、破顔一笑、シンは誠に真摯にサインを私にくれたんですよ。 ふと、自分なりにシンの人間臭さというか、何がしかの葛藤を見た思いがしましてね、そのような記憶があるのです。ハンセン人気沸騰の時期で、あの‘誇り高きシン’にも何かしら、影が差したのかなと・・・。シンはその後、しばらくして全日に転出!!してしまいましてね。なんだか妙に哀しかった記憶も思い出されます。 シンはその全盛時、やはり、恒に24時間、シンであり、だからこそ、あの‘狂えるインドの虎’足りえたとも思うのです。まさにプロへッショナルなプロレスラーでは無かったかと。だからまた今更に‘ハッスル’に出るシンがもの哀しく感じられます。私ぐらいの感慨なのかも知れませんがね・・・。
posted by 美城丈二 | 2007-03-19 23:06
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
週刊プロレスにシンの自宅での取材が載ってました。大豪邸でした。家族で近くのレストランに出かけてました。
『ココのレストランは家族がバースデーだとケーキをプレゼントしてくれるんだ!』
確か子供の誕生日だったと思います。
シン、案外けちだな。と思ったと同時に狂虎にも家族がありやさしい人なんだ。と、親近感を持ちました。
posted by のり「 | 2007-03-20 13:26
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
美城さんの 猪木への想いが凄く感じられました。
私も何か本当に熱意が感じられるのがあればいいのですが・・・
のりさんとの対話なんか見てて面白いですね。
posted by ビリーブ | 2007-03-20 14:52
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
ビリーブさん、再びのお越し、誠に有難うございます。
私なりに想うことのひとつに、もしや“プロレス界の復興”は猪木自身が握っている、或いは解く鍵を持っている人物は、やはり猪木ではないのかな?とも考えているのですね・・・。
あのひとが“本気”になれば、あれだけの知名度のある人物ですし、実際、未だに世間への露出度も高いですしね、世間をぐいぐい引っ張っていくだけのバイタリティーが未だにあるとも想うのですよ。
手前味噌ながら、私の書くコラム、その根底に潜むものとは、間違いなく、きっと“プロレスというジャンル”に対する哀切感、この想いのみ。だから、やはりここまで落ち込んだプロレス界には是非、もっと大いなる形で復活してほしいと想うのですよ。ひと、それぞれ、思い思いの考えがあって良いと想いますが、私はやはり世間におもねる形でのプロレスごっこ、みたいなものではなく、屹然とリードしていくかのような形がもっとも望ましいだろうと。
だから、“強いプロレスラー”の出現はいままさに、私が望むものであり、今後ともそういう世界を希求しつつ、このコラムサイトも進めてまいろうかと想っております。
ちょっと、いや、かなり、分かりづらい感覚のお話しで 申し訳ありませんでした(笑)。私はただ、また“あの時代”のような一大プロレス格闘絵巻を見たいだけなのです。
今後ともお暇な折にでもお立ち寄りくださいね。丈
posted by 美城丈二 | 2007-03-20 23:14
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
確かに、後にも、先にもシンとハンセンだけですね。IWGPで引き抜いたブッチャーに引導を渡した試合で、猪木の残酷さを実感しました。猪木はブッチャー嫌いのようでしたね。猪木をロープに振って、肩でひっくり返そうとしたブッチャーに顔面蹴りを浴びせた試合です。しかも試合会場は地方でした。この、猪木の切れっぷりがいまだに猪木から離れられない魅力なんでしょう。ハンセンも猪木と闘っていた頃が何やらすかわかんなくて、パンチ1つが迫力ありましたね。当時生観戦したので(高校生のころ)、あまりの強さにあぜんとしたもんです。
posted by 123どえ~ | 2007-03-24 10:43
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
ブッチャ-は、猪木プロレス内包“最大最悪の外人被害者レスラー”だと想わずにはをれません。もともとブッチャ-引き抜きに関し、猪木は乗り気ではなかったとの元・営業部長、大塚直樹氏の証言もありますし、何より“ストロング・スタイル”にはそぐわないレスラーだと考えられますよね?そういった意味でもブロディしかり。あのなんとも言えない、馬場プロレス、全日本スタイルの間の悪さ、まったり感。
ただ、猪木の馬場憎し、そういった性格背景も考慮に入れた上での結論なのですが・・・。
ブッチャ-IWGP参戦表明、あの“川崎劇場”には踊らされる期待感は凄まじかったのですが・・・。IWGPのトーンダウンと共に沸騰した元・国際勢との死闘、その影でブッチャ-のプロレスラーとしての色は消し飛んでしまいました。
ですが、昨今、当時の名レスラーの死去がぞくぞくと海を越え、知らされる状況にあって、未だ健在なのは、やはり何よりかと。
“MMAが人気なら、MMAを取り上げるべきだ”そう、某雑誌登場の際に語る、ブッチャ-発言を聞き及んで、なんともいえない悲哀感を感じました。かつての最上、トップ中のトップ、外人プロレスラー、特有のプライドを思うあまりに。
再度のご来訪、心より嬉しいです。コメント、誠に有難うございました。丈
posted by 美城丈二 | 2007-03-24 13:11
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
前回投稿した故井上編集長絡みで、シンのエピソードを一つ。
シリーズ最終戦の蔵前(蔵前国技館というと昭和ファンには懐かしい!)で、シンは上田氏(上田馬之助)とのタッグで一暴れしました。試合後の雑談で、井上編集長は上田氏から「明日5時に起きてシンとトレーニングする」という話を聞きました。井上編集長はその後ホテルに戻り、徹夜でその日の試合の原稿を書き上げました。時計を見たら午前4時です。ふと、「そういえば上田がシンと5時からトレーニングすると言っていたな。まだ、始発の大阪行き新幹線には時間があるからシンのホテルに行って見るか(週刊ファイトは大阪が本社)」と思いたったそうです。
シンと上田氏の泊まっていた京王プラザホテルに行ってみると、午前5時3分にホテルの入り口からシンが現れたそうです。そしてシンは井上編集長の姿を見つけると「ウエダも朝が強いからもう来るだろう」と語っていると、眠い目をこすりながら上田氏も現れたそうです。上田氏は井上編集長を見つけて呆れたように「あんたまさか来るとは、、、」と言って、「俺(上田氏)がシンに、『あんた(井上編集長)に朝5時からトレーニングすると言った』と言うと、シンは『わかった』と言って意地でも起きてきたと思うよ。わかる?トレーニングなんかどうでもいいのよ。シンはベッドでグーグー寝てたと言われることだけが嫌だったわけ。意地だけよ。」と語ったそうです。上田氏の話によると蔵前の試合の後、タニマチとシンと上田氏は飲みに行き、ホテルのベッドで眠りについたのは朝3時だったとの事。たった2時間の睡眠でプロとして嘘つきと言われたくないだけで起きてきたのです。しかも、井上編集長がホテルに本当に見に来るとはよもやシンも上田氏も思っていなかったでしょう。
シンはリングを降りてもずっとプロを演じていたわけです。このプロとしての姿勢があったからこそ引退後も何不自由のない暮らしを手に入れた成功したレスラーだといえます。
posted by h8671998 | 2007-03-24 19:07
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
のりさん、シンの大豪邸、拝見!!その記事は私も読みましたが、全盛時のシンらしからぬ佇まいに、ちょっと哀切感を覚えた記憶があります。子供たちに笑顔を振りまく、シン・・・。猪木VSシン・・・それもいまや遠い遠い時代のお話し。あの時代がいまや、夢のようですね。丈
posted by 美城丈二 | 2007-03-25 15:55
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
故・井上元編集長の‘喫茶店トーク’なるものによれば、猪木を追いかけてみたくなった試合とは、東京プロレス旗揚げ戦でのVSジョニー・バレンタイン戦なのだそうです。そんな氏が、ある意味、リング上での絵巻、その対極にあると思われるシンを認めてらっしゃったのは、いうまでもなく、「シンはベッドでグーグー寝てたと言われることだけが嫌だったわけ。意地だけよ。」このプロヘッショナルな精神を垣間見たからに相違ないと思われます。私も大人になるにつれ、いつしか、そのことに思い当たり、シンのシンたる凄さを感じ取った次第です。
良いお話しを再び有難うございました。今後とも是非、また、お越しくださいませね。丈
posted by 美城丈二 | 2007-03-25 16:07
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
前回シンの話だったので今回はハンセンの話を。
ハンセンの思い出深い試合というと、田園コロシアムのアンドレとの死闘、広島で猪木とのダブルラリアート、また変わったところでは、前出のボックとのタッグで、猪木、藤波組との戦いもあります。いずれにせよ、ハンセンの試合は見ていて、退屈のない試合でした。言うところの「ハイスパート=レスリング(長州と同系の試合の進め方です)」で、次から次に展開が変わるので飽きがなく、その流れの中で、水戸黄門の印籠の如く、最後はラリアートでした。
ラリアートも最初は、ロープに相手を投げ、返ってくる所に自分の肘をぶつける型だったのが、次第にロープに投げた後、自分も反対側のロープに飛び、アクションを付ける方法に変更し、ダイナミックさを添加しました。
どちらかというとあまり器用な方ではないので、当時日本でしかハンセン型のハイスパートレスリング(日本式に言うと「猪突猛進型」?)は受けず、本国での活躍はあまり日本のファンの耳には届きませんでした。しかし日本では圧倒的にハンセンのスタイルは受けいられ、ロングホーンに共鳴する会場のファンが増出した事か。
ハンセンの試合の最大の特徴は、悪役ながらも凶器使用での暴走はほとんどなかった点です。
必ず自分の肉体を駆使しての暴走の範囲に留めるのが彼の流儀でした。だからこそ猪木に認められたのだと思います。
ミネアポリスでリックマーテル(だったと思う)を逆エビ固めで破り、AWAの世界チャンピオンになった時、うれしいながらも、なんでラリアートからのフォール勝ちではないのか(当時ラリアートは一部の米国エリアではあまりに危険という理由で禁止技だった)という点が彼の米国での境遇を露に象徴していました。
多分プロレスに世界史と日本史があれば、圧倒的に日本史に影響を与えた人物でしょう。
posted by h8671998 | 2007-03-25 19:09
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
“多分プロレスに世界史と日本史があれば、圧倒的に日本史に影響を与えた人物でしょう。”
スタン・ハンセン・・・まさに弩急(どきゅう)の外国人プロレスラー。新日本が育て、全日本でも大活躍した、底知れぬ強さと縦横無尽に動けるスタミナを兼ね添えた、恐るべきパワーファイター。
筋肉むきむきで、二・三分も動けば、「ああ、しんど」みたいなプロレスラーとは桁違いのまさに「ブレーキの壊れたダンプカー」でしたね。いまでも猪木のVSハンセン戦、DVDにてよく見るのです。
“ハンセンの試合の最大の特徴は、悪役ながらも凶器使用での暴走はほとんどなかった点です。”
まさに同意、です。ここにあの“シン”との最大の違いがありますよね。けれど、また“シン”のスタイルも私は好みでしたけれどね・・・。
話しが尽きないですね(笑)。いつもいつも、長文のコメント、嬉しき限りです。ところで、よろしければ、ペンネームをお知らせくださいませぬか?h8671998さんではおかしいですし、ね(笑)。宜しかったら、今後ともお付き合いくださいませね。丈
posted by 美城丈二 | 2007-03-28 23:38
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
はじめまして。
過日、私の稚拙な記事にトラックバックいただきましてありがとうございました。
美城さんの記事は昭和のプロレスへのリスペクトにあふれて
かつたいへん練りに練られた言葉で書き綴られて
おられるので、
たいへんおもしろく読ませていただいてます。
総合格闘技というジャンルが確立され、もはやプロレスとリアルな格闘技を同じ土俵で論じることは
ある意味でナンセンスな時代となり、昭和のプロレスを
愛するものとしては寂しい感じもしますが、
昭和のプロレスは『浪漫』の戦いであったと思います。
タイガージェットシンはサーベル振り回して
凶器使ってハチャメチャでしたが、でもしっかりした
レスリングの土台があって、実はべらぼうに腕力が強く、
いつだったか忘れましたがテレビで練習の風景を
流していて、両手でやるカール用のバーベルを
片手でやってたのを覚えてます。
真似してやってみたけど、「できるわけなかばい!」と思いました。
あの理屈を超えたバカ力って、強くなりたい男たちの浪漫だと、私はそう考えてます。
長くなりました。今後ともよろしくお願いします。
posted by あっき~ | 2007-04-03 23:41
Re:あの‘全盛時’猪木の牙城を崩した男「サーベルとカウベル・凶虎と不沈艦」T・J・シン、S・ハンセン、‘魂暴風サイト’にいよいよ登場!!
あっきーさん、こちらこそ、初めまして。コメント、嬉しく拝見させていただきました。浪漫と人間離れ・・・プロレスのそれはまさしく“魅力”のひとつでしょうね。そういうプロレスラーが絶えつつあり、私のコラムがただの“回顧趣味”に陥りそうで、ちょっと悲しい気分にもなりますよ。
「総合格闘技というジャンルが確立され、もはやプロレスとリアルな格闘技を同じ土俵で論じることは
ある意味でナンセンスな時代となり、昭和のプロレスを
愛するものとしては寂しい感じもします」
いつでも抜ける“真剣”を懐刀として、忍ばせつつ“木刀”で勝負し続けた昭和のプロレスラー達。
今後もあの頃の興奮を授けたくれた彼らへの私なりのご恩返し、プロレスコラムをどうぞ、宜しくご覧いただけるなら幸いに存じます。こちらこそ末永く宜しくお願い致します。丈
posted by 美城丈二 | 2007-04-05 22:41


