2012年01月05日

“金狼”上田馬之助さん、思い出すことなど。②

上田
     “シューター”上田の実力  多くの関係者の談によって語られておりいまさら申すまでもないことだろうが、日本プロレス時代の道場“ガチンコ”神話は有名だろう。80年代以前のプロレス界ではいざとなれば“懐刀”を抜くがごとし、まして上田さんのように全米を又にかけて転戦していく日本人悪党だから、対戦者も容赦なく“実力査定”してくる。手荒なことをすればこちらも容赦はないぞ!とばかり、観客に見えない遣り口でお返しをすることで睨みを効かしたとされる。総合格闘技が現在のように一般まで認知される以前のお話しだから、蹴りや突きに対する防御のスキルはけして高くはなかっただろうが、受け止めるだけ受け止めてあとは捕まえてごろんと寝かし腕を取るなりして仕留めていく遣り方はいかにも往年のプロレスラーの風格を感じさせ、素敵だ。「さぁ、どっからでもかかってきな!」上田さんにピタリと符号する名調子というものだろう。  “狂虎”シン、その傍らの上田さん  私事で恐縮だが、高校生時、今で言う“ファンクラブ”紙みたいなものを仲間たちと手掛けていた私は、そのクラブ紙の目玉として“狂虎”T・J・シンのインタビューを思いついた。幼い頃からさる縁故もあっていよいよ実現する運びとなったが(遠征地の旅館にて)、いざ、シンを前にするとかなり緊張し、片言の英語もままならなかった。このとき、傍らで微笑されておられたのが上田さんで、上田さんは後年、方々で口下手だと揶揄されるおひとであったはずなのにこの時はそんな印象は受けず、色々と私に話しかけてくださり、サポートしていただいた。それでもなかなか緊張の糸はほぐれなかったが、帰りがけ「(これからも)プロレスをよろしく」と言われ、なんだか自分がプロレスファンの代表のように思われ、恥ずかしいやら嬉しいやら想いが溢れた記憶がある。後年、といってもかなりの年数が立ってからだった為か、「あの時の学生です」と話しかけても、残念ながら上田さんは私のことを全く覚えておられなかった!!だが、未だにあの日のことは私の記憶に鮮明に残っており、良い思い出のひとつです。  “お子様ランチ”プロレススタイルに言及  昔気質の職人、上田さんだから、マスカラス以後の飛んだり跳ねたりといったスタイルのプロレスに対し、けっして良くは思っておられなかったご様子。初代タイガーマスクのプロレススタイルを“お子様ランチ”だと評されたこともあったし、だがのちのプロレスは良くも悪くも初代タイガーマスクのスタイルが様々な形で影響を及ぼしたことは確かだろう。見るものを飽きさせないとされる、リング上で縦横無尽に動いていくスタイルや或いは同じ技を一試合で幾度も繰り出す闘い模様はまた非難の対象でもあるが、現行のプロレススタイルのほうがより相手の技を受けることによってリアルに一見客にも届くため、一概に非難だけを浴びせるわけにもいかない側面がある。じっくりと技の掛け合いを見せたり、或いは基本をないがしろにした、見よう見まねの使い手たちこそを指して上田さんは一言浴びせたと従えたい。      ※『シンvs上田、狂虎と金狼の競演!!両者が対立した夜』   yoshiki812-64693.jpg『美城丈二のセミファイナル』  よろしかったらご覧ください。   ※筆者注;この記事は筆者管理サイト“魂暴風;Soul storm”とのダブルポストです。          


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2011年12月24日

“金狼”上田馬之助さん、思い出すことなど。①

 
悪役
 “まだら狼”何故、まだらなのか?  平成のプロレスファンは知らないだろうけれど、上田さんが70年代、国際プロレスに“凱旋”してきたとき、髪を金髪に染めておられたのだが、それが日を追うごとに脱色してしまい、まだらな紋様になってしまった。それを見た、当時の雑誌記者が“まだら狼”と命名したのがもともとの由来。このエピソードを私は上田さんから直接お教えいただいて「まぁ、髪を染めたのはいいんですけど、めんどくさくてですね……」とはにかみつつ、ご本人談(笑)。その後、雑誌に“まだら狼”と書かれたことを知ったご本人が「これじゃ、いかんと思ったわけです(笑)」その後はこまめに染め上げ、“金狼”というネーミングが定着した次第。  “コミッショナー”制度の確立  往時のプロレス誌・紙に上田さんのインタビューが掲載されるたびに氏が唱えていた制度。ひとつの機関を設け、各団体を支配下に置き、ライセンスを発行し、プロレスラーのステータス、地位向上を図る。日本のプロレス創世記、力道山時代はこの制度を設け、当時の自民党大物議員たちが関わっていたが、日本プロレス瓦解後は有形無形化した。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんの長らくの確執が為、この制度が再確立されていないのは遺憾だ!とふたりの御大にも物怖じせず切り込まれておられた。馬場さん、猪木さんも制度設立の為に何度か会談され、交渉を重ねた結果、合意書まで作成されるほど話しは進んだのだが、その直後に新日本がクーデター騒動に巻き込まれ、結局設立には至らなかった。その後も幾度か機運は高まったが、現在において未だ各団体を統制下に置くコミッショナー制度は確立されていない。  “ヒール”悪役としての生き様  70年代はプロレスファンタジーなるものがまだまだ通用した時代であったから、猪木さんや馬場さん、いわゆるベビーフェイス・善玉に対する日本人ヒールとしての立場はファンたちの憎悪の対象でしかなかった。悪役が居るから善玉は光るのだ!などというパラドックスがプロレスファンの間でもまずほとんど浸透していない時代。度を越した嫌がらせ等が絶えない為、日本の団体参戦時は定宿というものがなく、団体指定のホテルに仮住まいであった。だが、そんなホテルでさえ嗅ぎ付けて今で言うところのストーカーまがいの行動に出るファンもいたようで、気を緩める暇が無かったとされる。  上田さんが晩年を過ごされた大分県臼杵市は妻であられた恵美子さんの故郷。米国転戦時に日本では居場所の無い上田さんが「来るなら来い!」とだけ記した手紙を手渡し、恵美子さんは上田さんだけを頼りに米国へと渡米されたことは有名な話しだ。時代が移り変わり、ようやく上田さんは奥様の故郷で安住の地を得たのである。                                         ※筆者注;この記事は筆者管理サイト“魂暴風;Soul storm”とのダブルポストです。


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2011年12月21日

上田馬之助さん、黄泉の国に旅立つ。

 
上田
   さる知人から知らせを受けた。俄かに信じたくはなかったのだけれど……。私も様々な形で“金狼”“まだら狼”上田さんのことを書き連ね、そのいくつかは書籍化されたものに収められた。御大・馬場さんや猪木さんにずばり直言出来る方であったし、日本のプロレス界の行く末を常に案じられておられた。米国放浪の旅、国際、新日、全日、インディと参戦を続け、まさしくプロレスラーらしい生き様を見せてくれた方だったように思う。生命をも危ぶむ大事故を経て、あの往年の雄姿をリング上で垣間見ることはもはや叶わないのだろうか?と悔やまれても懸命なリハビリの様相は胸が熱くなるほどだった。いまはただ、その御霊が安らかであらんことをお祈りするのみ。大変、お疲れ様でした。そしてたくさんの“昭和プロレス”の思い出をありがとうございました。僭越ながら私もまたあなたのことを書かせていただきますね。心よりご冥福をお祈り致します。                                               合掌


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posted by 美城丈二 |23:51 | プロレス、この果て無き浪漫 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2011年11月08日

たおやかな佇まい、まるで好々爺然としており。荒波の時代を駆け抜けた“地獄の墓堀人”ローラン・ボックインタビュー

 まるで好々爺?まるで世情人 ?とも表記すれば失礼というものだろうか?まさに荒波の人生航路を足早に駆け抜けてきた男の風格の体、何か、大きなことを終えた男の満足感然とした佇まいが備わっており、なんとも言えない感慨が沸き起こってきた。
 ローラン・ボック。そう、往年のプロレスファン、往年の猪木ファンには忘れようにも忘れ難い男。先達て発売のG SPIRITS 21号【辰巳出版刊】の巻頭特集としてあのボックへのロング・インタビューはけだし読み応え満載だった。そう、あのボックは生きていたのである。1982年元日、新春スペシャルとして猪木と対戦してのち、およそ30年。消息を絶ったとされる男は今一度、マスコミの眼前に登場したのだ。
G SPIRITS21
                             G SPIRITS WEB⇒http://www.tg-net.co.jp/gs/


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posted by 美城丈二 |20:45 | 美城丈二のThe・scrap≪日和見主義で行こう≫ | コメント(2) | トラックバック(0)
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2011年07月08日

プロレス小僧が地上に甦る日!?①~美城丈二の“プロレス・ララバイ”

 野球小僧と同様、プロレス小僧も今や昔、以前は、といっても彼方、大昔、放課後になると草原で野球ごっこに高じる少年が居たように、たとえば学校の休み時間、クラスにひとりはプロレスごっこを始め出す少年が居たものでした。

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posted by 美城丈二 |12:42 | The series『美城丈二のプロレス・ララバイ【lullaby】』 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年11月14日

80'sプロレス黄金狂時代Act2~時代の風が男達を濡らしていた頃

yoshiki812-202984.jpg
『美城丈二の80'sプロレス黄金狂時代Act2~時代の風が男達を濡らしていた頃』

 ひとそれぞれの昭和プロレス。 
 “僕らがリングを一身に見つめていた頃” 
 ひとそれぞれのプロレス浪漫。 
 “時代は変わろうとも普遍に続く想いが在る” 

 読み手の方々が想い想いの時間に浸っていただけたらと 
 考え、気持ちを傾けて書き記しました。 
 美城丈二・ミルホンネット発、最新作上梓出来!!
 僭越ながら是非、この機会に“美城丈二の世界”に
 触れていただけたら幸いです。

Act①【上田馬之助という名の“常識”】 
Act②【前田日明という名の“夢幻”】 
Act③【長州力という名の“屹立”】 
Act④【往時の新日本・黄金コンビの一翼、坂口征二の“堂々”】 
Act⑤【タイガーマスク、意思としての“異形”】 
Act⑥【“悪の正太郎君”若松市政とスーパーストロングマシーン】 
Act⑦【ダスティ・ローデスという名の“異能”】 
Act⑧【武藤敬司という名の“転生”】 
Act⑨【ミル・マスカラスという名の“立地”】 
Act⑩【ジャンボ鶴田の“自制”】 
Act⑪【過ぎ行く“闘魂伝承”の時代・橋本真也】 
Act⑫【UWFという名の“血塊”】 
Act⑬【ブルーザー・ブロディ、最期の“瞑想”】 
Act⑭【90年代プロレスの変容・グレート・ムタ登場と闘魂三銃士の“煌き”】 
*特別巻末収録 
【追悼・ラッシャ-木村】 
【追悼・山本小鉄】 

 ※既に発売以来、多くの方々から筆者宛、メール等を賜りました。この稿を借りまして謹んで御礼を述べさせていただきます。誠に、皆さん、有難うございます。今後の執筆の糧にさせていただきます。  


 
 

   
      


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posted by 美城丈二 |03:30 | 時代の風・シリーズ“80’S プロレス黄金狂時代” | コメント(0) | トラックバック(0)
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2010年10月06日

【追悼】「あっ、ちょっと待ってください」新日本野毛道場での山本小鉄さんとの想い出と関川さんのあの話し。

【追悼】「あっ、ちょっと待ってください」新日本野毛道場での山本小鉄さんとの想い出と関川さんのあの話し。

☆先達て2010年8月24日に山本小鉄氏が低酸素性脳症の為に逝去されました。筆者なりに哀悼の想いを込め、生前の氏との想い出を思いつくままにひとつ披瀝させていただこうかと思います。

 
 「あっ、ちょっと待ってください」
 新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』が金曜20時ゴールデンタイムで放送されていた時代、小鉄さんは解説席で傍らの実況担当・古舘伊知郎氏にそう、告げると颯爽と場外フェンスを飛び越え、リング上へと向かったものだった。大抵は大試合、ファン注目の一戦で試合が終盤へと差し掛かり膠着状態に陥った時。
 メーンレフェリーが何らかのアクシデントを受け、試合を引き続き裁けなくなった時、当時、新日本の審判部長という肩書きも背負われていた小鉄さんは解説という立場を超え、リング上へと向かっていかれた。ファンは反則裁定やレフェリー不在のノーコンテスト裁定が下ることを怖れ、興奮したボルテージも一気に冷めた様子だったが、小鉄さんがリング上へと駆け上がることで一気に溜め息は安堵の歓声へと変り、試合の行方にまた集中することが出来た。当時既に、小鉄さん登場までもが“アングル”だとマニアックに指摘する者も居た事は事実だが、そういう“糾弾”を浴びる以前に試合自体のボルテージも高かった時代だったから、そこまで言及せず、純粋に結果を愉しむファンの方が大多数であったように思われる。

 小鉄さんの登場がいやがうえにも試合の佳境を思わせ、会場の熱気を一段とヒートアップさせる。“憎い演出”と一言で片付ければそれまでだが、そういった感覚をも飛び越えた“勝負論”が確かにあの頃の闘い模様にはあったような気がする。リング上へと駆け上がる小鉄さんの後ろ背にファンの真摯な視線が突き刺さっていたような……プロレスファンタジー、そんな熱い時代の一幕。確かに小鉄さんは体現者のひとりとして“新日本プロレス”を背負われていたとの認識を強く抱く。

新日本
   ☆小鉄さんから筆者が戴いた新日本プロレス創立30周年記念パーカー(現在は筆者の長男が愛用)   私ごとで恐縮だが、高校卒業後、上京ののちのさる一日の出来事。私は上野毛の新日本プロレス道場前に居た。幼い時分から焦がれていたプロレスラーの修練場。当時既に様々なメディアによって映し出されていたその道場の中を一度は覗いてみたかった。“何故、身を削るほどに己に枷(かせ)を与えねばならないのか?”練習メニューを含め、大いに勘考を抱き続けていた。  幼い時分から縁故もあって幾人もの、プロレスラーの方々の人となりに接してきた。それでなくても同世代でも小さい部類であった私にはまるで雲を突くのではないのかとも思わせた大柄な体躯。なのに接すると慈愛のような微笑を湛え、みなみな優しい言葉をかけて頂いた。そんな自身の憧れの対象であったプロレスラーという職種の人間に対し、世間一般の人々は“八百長をする人間”として蔑視の眼を向けていた。幼心になんだか怪訝な気がした。世の中の人々が考えるプロレスというジャンルに潜む、ある真実。成長期を向かえ、私は私なりに考えを逞しく巡らせた。プロレスというものをただたんに“八百長”という言葉で片付けて良いものだろうか?  そうして上京したら、きっと道場を覗いてみたい、その練習風景を見て、自身の想像を結論として決定付けてみたかった。  私自身も若かったのだと回顧する。今から思えば一心に物事をこうだ!!と決め付けるきらいが無いとは言えなかった。だが、プロレスリングというものに対する世間の蔑視の目は違うと考えていた。少し大袈裟な言い方が許されるなら若き日の青春譜。自身がこうだ!!と思うことをまた信じてもみたかった、疑うことは自身を否定するようで怖かったのだとも今では思える。根拠は無いが、道場に行けば何かが一変に氷解すると思いつめてもいたはずだ。


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posted by 美城丈二 |23:35 | 美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 | トラックバック(0)
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2010年10月02日

「あっ、ちょっと待ってください」新日本野毛道場での山本小鉄さんとの想い出と関川さんのあの話し。Act③

 そんな新日本プロレス道場の想い出と共に小鉄さんと言えば筆者には後年、知己を得た関川哲夫(ミスター・ポーゴ)さんとのことを思い出す。
 関川さんに纏わる新日本プロレス退団の真相は『ある悪役レスラーの懺悔』講談社刊『ある極悪レスラーの懺悔④誰にも言わなかった新日退団の真実 』ミルホンネット刊に詳細 が書かれているからここではもう詳述は避けるが、ひととしての綾というか、言葉の綾と言おうか、誤解によって退団を余儀なくされた経緯は痛々しい限りだ。小鉄さん、関川さん、僭越なる物言いではあろうが、筆者にとってはいずれもどうこう悪評を連ねることなど出来ぬほどのお人柄だけに、詳細を知ってどうなんだろう?と暗澹たる想いに至ったことは事実だ。それだけに小鉄さん逝去後、関川さんが長年の想いを封じ、小鉄さんへの哀悼の意を表されておられる姿勢には何かしら救われるような想いを抱いた。
 
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posted by 美城丈二 |18:30 | 美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 | トラックバック(0)
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2010年09月27日

「あっ、ちょっと待ってください」新日本野毛道場での山本小鉄さんとの想い出と関川さんのあの話し。Act②

 新日本プロレス野毛道場。
 尋ねがてら着いた道場を前にしてなんだか得も知れぬ興奮をきっと覚えていたことであろう。今からもう25年以上前のお話し。名を知る、ある若手のプロレスラー達(当時!)が道場へと出入りしていた光景と、なんとも声を掛けがたかったことを今更ながらに鮮明に思い出した次第。

 ほどなくして小鉄さんが大きな車(当時はキャデラックだったか?)から、のそりとその姿を現した。勿論、当時既に現役を退いていた小鉄さんではあったが、様々な識者がそこかしこで語られておられるように筆者の目には現役時と寸部違わぬ体躯に思えた。そう、威圧感で気押されして、お逢いした際にと道すがら考えていた台詞は吹っ飛んだはずだ。
 「あの……すみませんがプロレスファンのものですが、練習風景を見学させていただいても構いませんか?」
 そう、あっさりと言えたか、どうか?
 「いいよ。見たいだけ見ればいい」
 この時、小鉄さんからの返答はそのような承諾の意とその場を離れ際に告げられた、
 「……ここは戦場だからな」との呟き。
 筆者を見知っておられたから、そう仰ったのかどうかまでは判然としない。だが、確かに“戦場”という言葉を筆者はこの時、耳にしている。
 この戦場だからなとの言葉は当時、文章の下書きとしてメモを書き連ねていた雑記帳にも帰宅後に記した記憶があり、僭越なる物言いではあろうが、よほど筆者の心に届いた言葉であったのだなとの想い。
 プロレスラーがリング上を指し、“戦場”と呟くのなら解せるが、道場を“戦場”と呼ぶ理由とは?

パーカー
  ☆長年のプロレスファンとして筆者が小鉄さんから認識を賜った証しゆえの贈り物だと自負している次第。  


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posted by 美城丈二 |07:57 | 美城丈二の「僕らは格闘探偵団」 | トラックバック(0)
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2010年09月19日

「あっ、ちょっと待ってください」新日本野毛道場での山本小鉄さんとの想い出と関川さんのあの話し。Act①

 ☆先達て2010年8月24日に山本小鉄氏が低酸素性脳症の為に逝去されました。筆者なりに哀悼の想いを込め、生前の氏との想い出を思いつくままにひとつ披瀝させていただこうかと思います。

 
 「あっ、ちょっと待ってください」
 新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』が金曜20時ゴールデンタイムで放送されていた時代、小鉄さんは解説席で傍らの実況担当・古舘伊知郎氏にそう、告げると颯爽と場外フェンスを飛び越え、リング上へと向かったものだった。大抵は大試合、ファン注目の一戦で試合が終盤へと差し掛かり膠着状態に陥った時。
 メーンレフェリーが何らかのアクシデントを受け、試合を引き続き裁けなくなった時、当時、新日本の審判部長という肩書きも背負われていた小鉄さんは解説という立場を超え、リング上へと向かっていかれた。ファンは反則裁定やレフェリー不在のノーコンテスト裁定が下ることを怖れ、興奮したボルテージも一気に冷めた様子だったが、小鉄さんがリング上へと駆け上がることで一気に溜め息は安堵の歓声へと変り、試合の行方にまた集中することが出来た。当時既に、小鉄さん登場までもが“アングル”だとマニアックに指摘する者も居た事は事実だが、そういう“糾弾”を浴びる以前に試合自体のボルテージも高かった時代だったから、そこまで言及せず、純粋に結果を愉しむファンの方が大多数であったように思われる。

 小鉄さんの登場がいやがうえにも試合の佳境を思わせ、会場の熱気を一段とヒートアップさせる。“憎い演出”と一言で片付ければそれまでだが、そういった感覚をも飛び越えた“勝負論”が確かにあの頃の闘い模様にはあったような気がする。リング上へと駆け上がる小鉄さんの後ろ背にファンの真摯な視線が突き刺さっていたような……プロレスファンタジー、そんな熱い時代の一幕。確かに小鉄さんは体現者のひとりとして“新日本プロレス”を背負われていたとの認識を強く抱く。

新日本
   ☆小鉄さんから筆者が戴いた新日本プロレス創立30周年記念パーカー(現在は筆者の長男が愛用) 


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2010年08月29日

我が“鬼軍曹”

 私にとって“道場”とは 
 新日本プロレス上野毛道場。 
 あの猪木さんが自宅を改装して作った、 
 あの“道場”。 
 その道場内、 
 朦朦たる湿気と蒸気の狭間で 
 まさに鬼の形相をして 
 腕組み、 
 ギロリと睨みを利かせていたのが、 
 山本小鉄さんだった。 

 “道場”とは 
 その道を極める為に設置された居所。 

 その“道場” 
 の論理を必死に守ろうとした…… 

 小鉄さん、 
 「あなたはそんなひとでしたね」 
  
 いまはただただ 
 「ゆっくりお休みくださいませ。 
  大変、ご苦労様でした」 
 そう、言葉をかけさせて 
 いただきます。 

 僭越ながら、小鉄さん、 
 「あなたのあの腕組みがさまざまな
 有為のプロレスラーを生み出したのだな」 
 私はそうも考えます。 

 心より 
 ご冥福をお祈り致します。 
 合掌

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posted by 美城丈二 |23:56 | 魂暴風【pickup report】 | トラックバック(0)
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2010年08月29日

小鉄さん、逝く。

  元プロレスラーで
  現 ・新日本プロレス顧問、
  山本小鉄氏が
 28日午前6時42分、
 低酸素性脳症の為、お亡くなりになったとの報を
 受けました。
 享年・68歳。

 ☆2010年08月29日 
  【訃報】新日本プロレスリング、山本小鉄さんが逝く 
  新日本プロレスオフィシャルWEBサイト -NEWS-

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posted by 美城丈二 |17:58 | 魂暴風【pickup report】 | トラックバック(0)
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2010年08月01日

暗闇でしか無い!?“いや、ならば己で光を手繰ってやろう”小川直也が往く!!『ジャンボ鶴田☆三度目の夢』

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『ジャンボ鶴田☆三度目の夢』の著者・高尾淳氏と小川直也選手(著者の承諾を得て掲載)  あの小川直也選手が筑波大学大学院へと“進学”した。  この“進学”をお膳立て、  プロデュースしたのは  我が知人で作家の高尾淳氏である。  


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2010年05月24日

【昭和プロレスは何処?】義を貫き和を愛した“金網の鬼”「無骨を尊び人柄でファンを魅了した、国際の漢」ラッシャー木村

 プロレスリング・ノアの終身名誉選手会長に就任されておられたラッシャー木村さん(68)が24日未明、腎不全による誤嚥性肺炎の為、逝去なされた。ここに哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り致します。合掌

 下記文章は、当ブログサイトにおけるラッシャー木村さんに関するコラム再掲作を今一度、トップ記事として掲げたものです。



 ☆本年5月(2008・5)に掲載し、多くのメールコメントを賜りました「ラッシャー木村篇」をここに再掲載させていただきます。いつもながらのご声援、ほんに嬉しき限りです。有難うございます。日々の執筆の糧にしております。


 ラッシャー木村と言えば筆者においては、どうしても“無骨”なイメージが先に立つ。その往年を知るファン、くちさが無い連中にかかれば「どんくさい」という揶揄する向きがあったことも事実だ。何より“金網の鬼”というネーミングである。甘いマスクや華麗極まる業師としてのイメージはファンに植え付けがたいものとなる。
 大相撲・宮城野部屋出身のプロレスラーが我が国初の「金網デスマッチ」を行なう。そこにあるのは薄暗い照明の下で繰り広げられる、大男ふたりのごつごつとした殴り合いが全てか?その朴訥とした人柄など窺い知る術も無い。またそれでも十二分にお客さんが入った時代である。

  監修・竹内宏介(元「月刊ゴング」編集長)、流智美(プロレスライター)に拠る『「不滅の国際プロレス1974-1981」DVD-BOX』を改めて見やる。昨年、購入したものだが、見る度に往時の断片的な記憶が尽きぬ感慨を抱かせる。“人間風車”ビル・ロビンソン、“元祖・怪物”モンスター・ロシモフことアンドレ・ザ・ジャイアント、“人間台風”ドン・レオ・ジョナサン、“岩石男”ジョージ・ゴーディエンコ、“鉄人”ルー・テーズ、“流血大王”キラー・トーア・カマタ、“放浪狼”ジプシー・ジョー、“神様”カール・ゴッチ、ダスティ・ローデスとデイック・マードック“ジ・アウトローズ”として全米を席巻することになるふたりの初来日映像、“帝王”バーン・ガニア・・・・往年のファンにとっては垂涎もののDVD-BOXだが、懐かしくも驚異の漢たちに混じってあのストロング小林と対峙したラッシャー木村の勇姿も垣間見ることが出来る。 
 
20080520-00.jpg


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posted by 美城丈二 |21:01 | 美城流追憶稿“あの忘れがたき、漢(おとこ)” | トラックバック(0)
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2010年05月23日

“プロレスの凄みを引き出す”猪木、天龍、小橋が体現してみせたvs“不沈艦”スタン・ハンセン戦

 “魂暴風” popular request columu
 初出;2007・5 
 
 或いは異名が“ブレーキの壊れたダンプカー”。見知らぬ人々は何を連想するというのか!?

 実は、繰る日も繰る日も“受け”続けることによって、その“宝刀”ウエスタン・ラリアットの凄みをもっとも引き出したのは、あの“長州力”だったのだ、とは若かりし頃の私の弁。

 ・・・とは、申せ、ハンセンにはやはり思い入れが根強い。実際のプロレスの弩迫力性をこれでもかこれでもかと、見せ付けてくれた、かつての外人プロレスラーと申せば、私はやはり、スタン・ハンセンかなとも、いま、改めて勘考。

 *続きは是非、こちらにて読了くだされば幸いに存じます。
   ⇒『ミルホンネット版魂暴風2感涙のトップ外国人レスラー篇』
 *☆筆者・電子書籍ベストセラー作、誠に嬉しき限りです。20080422-01.jpg
 ⇒『魂暴風anthology-Act1 The best selection』
 *Thought・10’s chapter title
 『はじめに道ありき“新日本プロレス道場編”』 
 『もはや甦ることは無い
  “人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントの微笑』 
 『12歳の疾走“ミル・マスカラスに想いを馳せた、片路48km”
  いまもきっと胸に棲む、青春の瞬間(とき)』
 『“プロレスの凄みを引き出す”猪木、天龍、小橋が体現してみせた
  vs“不沈艦”スタン・ハンセン戦』 
 『脆さと優柔不断ぶり“師に反発し、師をこよなく愛した両雄”
  藤波辰爾とジャンボ鶴田』 
 『“最強”かつてそこに執着した、在るファンが見た一夜の幻!?
   小川直也とは一体、何者であったのか!?』 
 『「プロレス道に悖(もと)る」猪木の求心力を著しく貶(おとし)めた、
  あの事件“前田日明”【長州力顔面襲撃事件】』
 『“Is it cheerful?(やぁ、元気かい?)”未だ忘れられぬ名優!!
  “狂犬”ディック・マードック』
 『“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念』
 『“アルバトロス殺法”キラー・カーン“あほうどりが奏でたプロレスラーとしての
  矜持ゆえの夢”』  



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posted by 美城丈二 |11:55 | “魂暴風”popular request column | トラックバック(0)
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