2008年08月26日

井上義啓氏について、想い出す事など。

  『プロレスに真実はないが、少なくとも、
  こうであった筈だとの思い込みは存在する。
  その思い込みが真実でなかろうと、
  そう感じ取った人の心には、それはまぎれもない真実となる。』

 プロレス衰退期・黄金期をその波の如し、時に厳しく時に深く時に破廉恥に荒々しく、そして時に芳しく支えてきた、いまや存しない週刊ファイト元・編集長、故・井上義啓氏の言葉である。

 私が学生時分、接見させていただいた時は誠に饒舌な方との印象があり、私とて寡黙な方では無くむしろ“語り部”と揶揄されるほどの当時“うざい”青年ではあったが、その話しぶりに聞き耳を立てるばかりで圧倒され放題であったとの記憶が鮮明に今でも脳裏に甦ってくる。

 振り返れば、時代というフィルターで覆い被さっている霞(かすみ)のような青春群像ではなく鮮烈な陰影を纏った、まさに“若き頃”の青春の一齣なのであり、胸中、思い出の一断片としてまた、氏との語らいも強烈な残像となって私に様々な哀感を未だに注いでくれもする。

 氏は、『猪木大新聞編集長』『猪木擁護会会長』などと反猪木派からよく批難なされてはおられたが、けっしてその猪木氏が彩るリング絵巻の騒乱ぶりに関し、いつもながらの擁護ぶりというわけではなかった。 試みに私が所有する、時の『週刊ファイト』においてもおかしい部分はおかしいときちんと批判なされておられる記述文は多々、見られ、特にUWF出現時以降のものにおいては時に強く、容赦無く、断罪なされてもおられる。

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posted by 美城丈二 |08:15 | 美城流追憶稿“あの忘れがたき、漢(おとこ)” |
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2008年08月25日

ここまで歩んでみたけれど“ひとそれぞれの黙示録”ブロディ死して20年

 ミスター・ポーゴ、いや、関川哲夫氏の回想録が佳境へとさしかかったようだ。

 13年振りの新日本プロレス・IWGPタッグリーグ
 ブロディ・20年目の真相告白
 FMW始動・大仁田厚との遭遇 

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                              「山口敏太郎事務所・くまき由佳画伯」  不思議な感覚が私の胸中に去来する。  幼少時からまずどのようなジャンルであろうとも興味を抱いた記述ものは読まずにはいられなかった性分の私であったゆえ、ポーゴ氏の赤裸々な自叙伝にも巡り会ったのかなとも感じてしまう。ご縁あって当シリーズの解説を承ったが、IWGPタッグ・ブロディ刺殺・FMW始動、そのどれもが私の未だ回想の只中に位置している案件だった。    期せずして、ポーゴ氏の肉筆原稿が私の手元へと届いたとき、往時への感慨がいっぺんに潮となって押し寄せてきたようで、私はほっと溜め息をつかずにはいられなかった。  もう既に20年という、月日が経てしまった。  ひとそれぞれの勘考。思い思いの感じ方がある中で、私もまた、あの“衝動”の只中であった若かりし日の出来事に哀切が重なる。  「幾度も幾度もこれまでそこかしこで書き連ねてきたこと」だが、未だに止め処も無くあふれてしまう、この感慨とは一体、なにゆえであろう。  かつての自身を窺い知る、旅。往時の記憶を手繰り寄せることはまた往時の自身の“在り処”がなんであったのか?時空を超えてそのことをまた探し求めることでもあるのだろう。  たとえささやかな道しるべにも未来を信じて生きる為に懊悩した自身の“影”が刻み込まれている。  『ある極悪レスラーの懺悔』  読了するたびに、そこに私はしかとかつての私を見出すのである。「未来への疾駆」その答えは過去の私自身が携えている。  ここまで歩んでみたけれど・・・・・・もう、あれから20年という月日が経つのですね。  ☆こちらも併せてご覧くださいませ。私なりに往時の記憶を辿っております。   ⇒『第1回・IWGPタッグリーグ戦雑感』


posted by 美城丈二 |12:12 | 魂暴風【pickup report】 |
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2008年08月15日

もはや語り尽くされた“未だ語り尽くされぬひと”~IGF・猪木ゲノムに寄す

 
 よく、読者の方々から、私の拙作に対する評価メールを賜ります。いつも有難うございます。Sさん、Mさん、そして多くの方々の心遣いに接し、改めて「有難きこと」としてこのサイト上でも御礼の言葉を述べさせていただきます。

 やはり、記すものに対し、恒に真摯な想いを傾けたいと考える段において、ひとりでも多くの方々に読んでいただきたいと思うのは“物書きとしての道理”でしょうから、私の拙作に対し、「私はこう、思うのですよ」といった按配のメール等を寄せていただけると、たとえその一文が批判的な事柄でも、次回への自身、租借になる為、有難いことだと考えております。

 今回は私なりに試みとして、拙作より『アントニオ猪木篇』を全文再掲載させていただこうかと思いました。特に好評を得たコラムですが、今後とも皆々様にご指導を賜れれば幸いかと存じます。


 『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
 Act⑭【アントニオ猪木という名の“巨星”】
  (今回は80年代に拘らず、筆者なりに現行の“猪木像”をも見据えて綴ってみました。)
 
  

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posted by 美城丈二 |08:36 | 時代の風・シリーズ“80’S プロレス黄金狂時代” |
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2008年08月08日

ジャンルでは無く個々の同一性が問われる時代“中邑真輔”総合参戦再び!!

  
 新日本プロレス・中邑真輔が揺れている。

 再びの総合挑戦のとき。「大晦日あたりかな?」と既に時期を示唆している為、出場の可否は問うまでもなく、大筋での合意はなされ、あとは対戦者が誰になるのか?ギャラに関する契約等済ませれば、本年暮れには地上波でその勇姿が見られるということになるのだろう。
 総合は無論、勝利を確約されたものではないから、4年ぶりの参戦は文字通り、中邑真輔の“個としての信念”が色濃く反映されたものであり、自身の今後を左右していく、ターニングポイント的な試合となるやしれない。
 もう、プロレスというジャンルを意識的に背負って闘う時代ではない。筆者の幼き時分には「プロレスか!?空手か!?」格闘技界を覆う“最強幻想”という悲壮感を与えるドラマツルギーがあったわけだが(だからこそジャンルに根ざしたファンの熱い視線を一身に浴びた次第だが)、いまはジャンルの特異性よりも個としてどれだけ力量を伴っているか?個々人の力量を査定していく、そのことを口にする識者も多く、背景論としてはジャンルvsジャンルという発想は盛り上がりにくい状況である。
 私は私で、いまやそれでも良いと考える者のひとりだから、変に意識せず大晦日は楽しみたいものだと思っている。
 悲しいことなのか、喜ばしきことなのか、時代は“個としての信念” により多く視線を注ぐ時代へと意向した。背負う物が大きければ大きいほど、ファンを熱くさせる試合が出来るとは限らないわけで、中邑選手にも大晦日以後、ひとつひとつクリアーしていき、あるときふと気づいたら自身のステータスが上がっていた、くらいの“軽やかさ”でも良いのではないか?
 

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posted by 美城丈二 |11:02 | 魂暴風【pickup report】 |
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2008年08月01日

プロレス・エキスポ!?彷徨えるプロレス界に朗報、来る!?

 
 観客動員減に苦しみ、未だ復興への糸口が見出しかねる状況を続ける、まさに“彷徨(さまよ)えるプロレス界”にあってこの報道は朗報なのであろうか!?「プロレス・エキスポ」各社報道から新日本プロレスHPを覗いて見た。

 ⇒新日本プロレスオフィシャルWEBサイト -NEWS-「「Pro Wres Expo 2008 in Japan」」について

 私みたいな昭和からのプロレスファンにとっては、「世界各国のプロレスラーが一堂に会し・・・・・・」などと聞くとあのもともとのIWGPの理念を思い起こしたりしてしまうのですが、いざ開催期日までまだまだ様々な紆余曲折が予想され、注目すれど実際どのような形に収束するのか?今後の推移が待たれるところですね。
 「争いの中から世界平和を!」拡大解釈すればオリンピックの理念にも通じ、まさに様々な閉塞状況、たとえば資金源に関し、滞ることがあってもたとえば毎年開催では無くとも、まさにオリンピックのごとく4年に一度の開催でも良いだろうと鑑みたりしておりますが・・・・・・、
 プロレスという奇特な競技ジャンルにおいて、勝敗をどうするか?といった、いわば各団体間の「思惑のすりあわせ」なる命題もあって、また未だに統一コミッションすら設立されていない状況下で、果たしてどのように収束し、開催されるのか、興味は俄然、沸く次第です。
 どちらにせよ、こういった各社報道から推測される「プロレス・エキスポ」なるイベントの理念は大変素晴らしいことだと私は思うので、是非、やるからには出来るだけ盛大にぶち上げても良い気がしております。
 「闘いの中から世界平和を!!」これはアントニオ猪木の現在進行形の理念なのですが、ならば猪木さんにも何らかの形で登場願いたいものです。
 「底が丸見えの底無し沼」まったく底が丸見えになってしまった感のある昨今、このイベントがそんなプロレス界の閉塞感を覆すほどの地盤足れ!!と私は願ってやみません。
 いくつものイマジネーションを見る者に起こさせるプロレスという名の格闘浪漫!!この「プロレス・エキスポ」発表概念からも何かしら、いやぞくぞくとイマジネーションが沸くではないですか!?(笑)。愉しみに10月24日を待たせていただこうと思います。

 ☆「プロレス・エキスポとは?」
 世界初の試みとなる“プロレス万博”はベンチャー企業の若手経営者らが設立した法人『フリーバーズ インターナショナル ジャパン』企画・発案によるもので、大野耕二郎代表取締役によれば1年後の中国・上海興行、更にはモスクワ、インド、カタールへの進出も視野に入れているとのこと。この一大イベントの第1回興行として「ProWres EXPO in Japan」と冠して今秋平成20年10月24日、25日、東京・両国国技館にて両日開催を予定(25日は昼夜興行)。
 ニュースソース⇒『週刊マット界舞台裏'08年8月07日号』

posted by 美城丈二 |10:36 | 魂暴風【pickup report】 |
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2008年06月30日

【筆者謹告】ある極悪レスラーの懺悔“ミスター・ポーゴ”自叙伝

ヤス・ウラノ選手
 『ある極悪レスラーの懺悔』  ミスター・ポーゴ著   武道・プロレス・格闘技ファイト!ミルホンネット配信  その、事のもともとの起因は様々な形でプロレス界に関わりを持たれる山本雅俊氏が、ミルホンネットさんに推薦され、今回、配信開始としていよいよ上梓される運びとなったもの。  ⇒『ヤマモブログ・My Dear Life』  ご縁あって、今回、筆者も解説者としてこの配信プロジェクトに参加させていただいた。もとより、実際に一字一句、あの“極悪大王”が携帯のメール文として打ち込み、ミルホンネットさんに送られてきたものが、今回の配信につながった事実が筆者に特別な感慨を抱かせたのは本当の話しです。筆者も、そんな著者であるポーゴ氏の熱意に負けぬよう、気持ちを込めて書かせていただいた次第。  今後も続々配信されようから、筆者も“昭和プロレス者”の末席に位置する者として、その続編刊行を愉しみに致しております。  プロレスとは、“人生の綾(あや)”をも映しだす、まるで手鏡のごとし・・・・・・。  ⇒『「ある極悪レスラーの懺悔(ZAN-GE)」配信開始!』  長年、様々な蔑視を受けてきたプロレス界。けれど、まことに多くの人々に共鳴を与えてきたこともまた事実でしょう。ひとの喜怒哀楽、そんなまるで自分の中の様々な感情を映しだしているかのような“人生の綾”をも導き出す、プロレスという格闘浪漫の世界を筆者なりにそこかしこで書きとめてきた者として深い溜め息と感銘がいま静かに筆者の胸に去来いたしております。


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2008年06月06日

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act④【スタン・ハンセンという“絵図”】

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”
  Act④【スタン・ハンセンという“絵図”】
 私に多くのプロレスの凄み、痛み、激しさ、苛烈なる世界の凄まじさを授けてくれた“稀代の異人”プロレスラーであった。
 初来日時、1975年9月・全日本プロレス初参戦時の記憶は残念ながら曖昧であり、微かにザ・デストロイヤーとのシングル戦を謁見して「ああ、そういえば・・・」といった印象しか思い出せない。
 やはり私の中においてはその2年後、あのWWWF(現・WWE)マットにおけるB・サンマルチノとの“首折り”騒動を経ての新日本参戦時、A・猪木との死闘がいまでもこの心に強烈な印象として残っている。
 
 利き腕の左腕では無く右腕で繰り出した方が見栄えが良い、と猪木が指示したとされる、あの奇声と共に繰り出される、大きく腕を振り上げておいてからのエルボー・スタンプ、まさに万力を込めるかのように後方に反り上げるボストン・クラブ、どどぉーと館内が一瞬にして凍りつくかのような勢いで飛び出すブルドッキング・ヘッドロック、NWF戦におけるエプロン越しに猪木を場外へと葬ったウエスタン・ラリアットの破壊力、「0・X秒の逆ラリアット」と時のマスコミを騒然とさせた猪木とのラリアット合戦、NWF封印、IWGPへの試金石となったお互いのコスチュームを賭けた猪木NWF最後の防衛戦、いまでも思い起こすたびにこの両の目に焼きついた攻防の数々が判然と記憶の彼方から甦ってくる。

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posted by 美城丈二 |13:58 | 時代の風・シリーズ“80’S プロレス黄金狂時代” |
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2008年05月20日

【昭和プロレスは何処?】義を貫き和を愛した“金網の鬼”「無骨を尊び人柄でファンを魅了した、国際の漢」ラッシャー木村

 ラッシャー木村と言えば筆者においては、どうしても“無骨”なイメージが先に立つ。その往年を知るファン、くちさが無い連中にかかれば「どんくさい」という揶揄する向きがあったことも事実だ。何より“金網の鬼”というネーミングである。甘いマスクや華麗極まる業師としてのイメージはファンに植え付けがたいものとなる。
 大相撲・宮城野部屋出身のプロレスラーが我が国初の「金網デスマッチ」を行なう。そこにあるのは薄暗い照明の下で繰り広げられる、大男ふたりのごつごつとした殴り合いが全てか?その朴訥とした人柄など窺い知る術も無い。またそれでも十二分にお客さんが入った時代である。

  監修・竹内宏介(元「月刊ゴング」編集長)、流智美(プロレスライター)に拠る『「不滅の国際プロレス1974-1981」DVD-BOX』を改めて見やる。昨年、購入したものだが、見る度に往時の断片的な記憶が尽きぬ感慨を抱かせる。“人間風車”ビル・ロビンソン、“元祖・怪物”モンスター・ロシモフことアンドレ・ザ・ジャイアント、“人間台風”ドン・レオ・ジョナサン、“岩石男”ジョージ・ゴーディエンコ、“鉄人”ルー・テーズ、“流血大王”キラー・トーア・カマタ、“放浪狼”ジプシー・ジョー、“神様”カール・ゴッチ、ダスティ・ローデスとデイック・マードック“ジ・アウトローズ”として全米を席巻することになるふたりの初来日映像、“帝王”バーン・ガニア・・・・往年のファンにとっては垂涎もののDVD-BOXだが、懐かしくも驚異の漢たちに混じってあのストロング小林と対峙したラッシャー木村の勇姿も垣間見ることが出来る。 
 
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posted by 美城丈二 |15:18 | 美城流追憶稿“あの忘れがたき、漢(おとこ)” |
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2008年05月18日

スポナビTBについて【お詫び】

 【拝読者の方々へ】
 過去コラムにおいて加筆・訂正中、誤って連続投稿掲載されてしまったようです。悪意はございません。新着コラム等を掲載される方々にご迷惑をおかけしました。ここに謹んでお詫び致します。申し訳ありません。  筆者・美城丈二

posted by 美城丈二 |17:46 |
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2008年05月14日

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代Act⑥【外伝・井上義啓氏について】

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”
  Act⑥【外伝・井上義啓氏について】
 《井上義啓氏『猪木は死ぬか!』に纏わる、思い出すことなど。》

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   発売当時、貪るように読みふけった記憶がある。  1982年、初版本。  だがいまや筆者の手元には無い。これまで幾度となく移を転じ漸く古里に落ち着いた次第だが、どこかに収め、どこかで無くしてしまったようである。  10代時分、筆者は井上氏のひどく文学臭に長けた文体、深い洞察力に裏打ちされた文章に魅了され、氏の編まれる記事、編集物の類いを好んで読み綴った。Y・Iと文章末尾、筆記がなされていなくとも、文体からすぐ氏の書かれたものだなという、感を察してじっと最後までそして幾度と無く読み返したものである。  週刊ファイト内、特に氏が自身を井沢編集長に置き換え筆記なさる「ファイト・ノンフィクション劇場」はけだしお気に入りで長くストックしてきた。80年代初頭、プロレスというジャンルの人気が高まるにつれ、氏の威勢もいよいよ高まって『猪木は死ぬか!』一冊の書物となって氏名義のいまでは大変な希少本が生まれた次第である。


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posted by 美城丈二 |21:58 | 時代の風・シリーズ“80’S プロレス黄金狂時代” |
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2008年05月10日

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act⑤【ローラン・ボックの“戦慄”】

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”
  Act⑤【ローラン・ボックの“戦慄”】
 
 『シュツゥットガルト(Suttgart)の惨劇』
 この一語には、往年の猪木信者たちを色めきたたせるほどのかくも“衝撃性”を含んだ背景がある。後年、「地獄の墓掘り人」と称されるようになる、「欧州界の帝王」とも謳われたローラン・ボック(Roland Bock)と約2年半ほど前にvsアリを通過し名実共に「世界の猪木」と称されていたA・猪木との一戦は猪木の欧州遠征シリーズの決勝戦として組まれている。
 
 1979・11・26
 西ドイツ・シュツゥットガルト・キーレスバーグ
 4分10ラウンド制
 ●A・猪木(10回判定)R・ボック


 シリーズ・23日で6カ国を股にかける、国境越えの長距離移動、一日2戦を含めた全20戦の過密なスケジュール、受身の取りづらい硬いマット、不慣れなラウンド制、時の欧州界を代表するかのような格闘家たちとの死闘、のちに様々な憶測と風評を呼んだ、このシリーズにあって猪木とボックの問題の一戦は、シリーズ顔合わせ、3度目のことであった。

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【ボック最強論に対し、アンチテーゼを唱えておられた井上義啓氏・私達は井上氏によってボックの“負”の部分を知ることとなった】


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posted by 美城丈二 |16:51 | 時代の風・シリーズ“80’S プロレス黄金狂時代” |
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2008年05月05日

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act③【A・T・ジャイアントの“深奥”】

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”
  Act③【A・T・ジャイアントの“深奥”】

 私が初めて“人間山脈”A・T・ジャイアントを目の当たりにしたのは幼少時、TVのブラウン管に映し出されたS・小林氏との一戦であったような気がする。記憶が定かでは無い。何かのトピックスとしての国際プロレスの映像。当時から既に体躯では小林氏を凌駕しており、幼心にも“見上げれば遙かなる大巨人”という印象を抱いた筈である。

 B・ロビンソンをシリーズエースに従え、我が地方へと転戦してきた折り、会場で見上げたジャイアントの馬鹿でかさに肝が冷えた筈ではあろうのに、奇妙なことに、実際に目の当たりにした姿態に私はなんだか温かい気持ちが自身の中で湧き上がってしまったことが未だに強烈な陰影と共にこの心根に深く記憶として刻み込まれている。断片だけだが、思い起こす度に不思議とあのジャイアントの姿態が私に日本人気質、化け物見たさという勘考を植え付けず、邪魔をせず、いわば良い陰影でしか捉えていないのは何故なのだろう?

 もう自分には手に負えない、いわば後光がかった存在だとか、違う空気を吸い、放出しているだとか、いわゆる未知なるものに崇敬なる面持ちで接している、いたとでも言うべき按配だったのだろうか?

 ゆえに、私はのち長くジャイアントに対して終始一貫、彼が冥土に臥されるまで、いや臥されたのちも好感以外の感情で彼をものしたことは無かった。 

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2008年05月04日

この先、“新・全日本”の道を繋ぐ者「四角いジャングル・その光と影」

 あくまでも、一プロレスファンの戯言として。

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 新日本プロレス、08・04・27「大阪府立」武藤敬司、99年12月10日、天龍源一郎に敗れて以来の3061日ぶり、“新日本至宝”IWGP戴冠劇。まずは、この戴冠劇を受けてこの後の動向が注目される人物とは、かつて“闘魂三銃士”のひとり、蝶野正洋だろう。


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2008年05月02日

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代”Act①【ジャイアント馬場の“覇道”】

 美城丈二・覚書「過去寄稿文より」こちらのカテゴリーでは過去寄稿文より再掲という形で改めて掲載させていただきます。

美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”
  Act①【ジャイアント馬場の“覇道”】

 故・ジャイアント馬場氏が私達に教えてくれたこと、それは忍耐ではなく辛抱でもなく、美しさであった、と書き始めればひとはどのように感じとめていただけるだろうか?

桜②
              【かつてプロレス界はファンタジーに溢れていた】  


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2008年04月18日

“歩く、ひとり民族大移動”まさに私達は見た!!プロレス界が誇った『最強の大巨人』アンドレ・ザ・ジャイアント

  初出:2007・6

 モンスター・ロシモフ、言うまでも無くのちに“人間山脈”とネーミングされた、アンドレ・ザ・ジャイアントの初来日時(1970年)、国際プロレスでのリングネームである。

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 この初来日時に、あのバーン・ガニアにその素質を見込まれ、乞われるままに渡米、AWA圏内をサーキットしながら、ガニアの指導を受けた。このガニアとの出会いが、ただの“でくのぼう”と評されたアンドレのレスラー人生を一変させた。一年後、国際プロレス主催の第3回・IWAワールドシリーズにおいて、“人間風車”ビル・ロビンソン、“神様”カール・ゴッチを押さえ、堂々の戴冠を得る。  ゴッチとの対戦では、当時としても既に2メートルをゆうに超え、200キロ近い巨体であったが(アンドレは、悲しいかな、巨人病の典型でその後も身長・体重ともに増え続けるという、生まれながらの性を背負っていた)、多くのファンはあの巨体をどういなすのか、注目の決戦となり、有識者の指摘によれば、見事、ゴッチは完璧なジャーマンで投げつけたが、その時、レフェリーは失神していたが為、変わって飛び出してきたサブ・レフェリーにゴッチがカウントされ、敗れるという波乱を生んでいる。  しかし、当時の大人たち、プロレスファンはアンドレのその部類の強さを認め、讃えたはずだ。いまでも残る、一葉の写真。表彰式でのアンドレのなんともいえぬ微笑がそれをまざまざと物語っている。その横に並んだ、ロビンソンとゴッチのこれまた納得づくとも思えし、笑顔。あのまさに“プライド”の塊とも揶揄されたロビンソン、ゴッチがふくよかに笑って写真に納まっている姿にはなんとも言えぬ感慨を抱かせる。この一葉を望むだけでも、残念ながら、その試合をまったく記憶に留めていない私にですら、いかにアンドレの強さが顕著であったか、窺い知れよう。  そうしてその微笑の底から覗く、ひととしての優しさ。強きものが強きものを知る、強きものこそが持つ、慈愛なる精神。まさにその瞬間を捉えた貴重な一葉の写真であろうと思う。  大昔から、プロレスほど世間から、“常識”という目をそそがれ、野蛮だ、八百長だなんだと疎外されてきた格闘ジャンルも無い。その誠に特殊な競技にのめりこんでしまった者達は、ときにひとによっては口泡吹かし抗弁し、時に怒りを胸に潜めつつ反論し、時にフンとただその一々説明せねばならぬ状況に嫌気がさし、横を向いた。  そのような時でもあの、アンドレの有無を言わさぬ大男の佇まいはなんと、プロレスファンに溜飲を下げさせたものか。  「あの、アンドレを見よ!!」  「あのプロレスラーに勝てる格闘家が居るのか!?」  私は幼い時分からアンドレの痛められっぷりに、なんともいえない「怪物退治」というプロレスファンの中でさえ巣くっている、蔑視の目というものが介在しているさまを見出してしまって、そのやられっぷりはほどなく好まざるものになってしまっていた。  いつぞやか、私も子供ながらにその“悲鳴”が演技であると察してはみても、なんだか度し難い想いが込み上げてきて、見ていられなくなってしまったのだ。  後年、そんなアンドレの、実際、演技とはとても思えぬ“醜態”をも見てしまったとき、私は殊更に“巨人”なるものの悲哀を見るようで忍びなかった。試合が経過すればするほど、そのスタミナのロスが露呈してくる。足がもつれ、自身から勝手にマットにくず折れてしまうアンドレ。物心ついた時分に見たアンドレとはあきらかに違う、異体。  (ああ、あれはもしや、もはや・・・)  成人した私の中で翳ってきた思い、憂い。  のち、アンドレは故・馬場氏に乞われ、全日本プロレスに参戦。もはや、あの頃のアンドレに、あの“プロレスラーの強さとしての象徴”その影は微塵も感じられなかった。  1993年1月27日、逝去、享年47歳。  黄泉の国で静かに横たわるMr,アンドレはいまや何を夢見、何の往時を振り返っているのだろう。  ロビンソンとも違う、ゴッチとも違う、テーズの色とも違う、まさに強さという域を超越した“凄み”・・・。  私は今でもこう、思って止まない。 「Mr,アンドレ。プロレスの“凄み”を有り難う。プロレスの“強さ”を有り難う。あなたこそ、プロレス界史上最強のプロレスラーでした」と。プロレスは何も“強弱”ばかりを競う格闘浪漫ではないのだ。その底に見る“悲哀”・・・。若くしてそのことに踏み込めた私は誠に幸せ者である。 ☆筆者・電子書籍最新作、配信開始です。20080422-01.jpg  ⇒『魂暴風anthology-Act1 The best selection』  *Thought・10’s chapter title  『はじめに道ありき“新日本プロレス道場編”』  『もはや甦ることは無い   “人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントの微笑』  『12歳の疾走“ミル・マスカラスに想いを馳せた、片路48km”   いまもきっと胸に棲む、青春の瞬間(とき)』  『“プロレスの凄みを引き出す”猪木、天龍、小橋が体現してみせた   vs“不沈艦”スタン・ハンセン戦』  『脆さと優柔不断ぶり“師に反発し、師をこよなく愛した両雄”   藤波辰爾とジャンボ鶴田』  『“最強”かつてそこに執着した、在るファンが見た一夜の幻!?   小川直也とは一体、何者であったのか!?』  『「プロレス道に悖(もと)る」猪木の求心力を著しく貶(おとし)めた、   あの事件“前田日明”【長州力顔面襲撃事件】』  『“Is it cheerful?(やぁ、元気かい?)”未だ忘れられぬ名優!!   “狂犬”ディック・マードック』  『“立ち上ってくる妖気”踏みとどまることを知らぬ小橋建太という、執念』  『“アルバトロス殺法”キラー・カーン“あほうどりが奏でたプロレスラーとしての   矜持ゆえの夢”』    


posted by 美城丈二 |17:55 | “魂暴風”popular request column |
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