2008年08月29日

チャンピオンズリーグ組み合せ決定!

昨28日に、チャンピオンズ・リーグの組み分けが行われました。A~Hまで、各々のグループについて、組み合わせエントリーの詳細はここでは割愛させていただきます(賢明な諸兄であるならば、どこかできっちりと情報確認されてますよね?)。

さて、毎年出現する「死のグループ」ですが、今年はどうでしょう?グループDの「リバプール」「PSV」「マルセイユ」「アトレチコ・マドリー」がそれに該当するのでしょうか?しかし、その他のグループを見渡しても、絶対楽勝と言えるグループなんてのはそうそうなくて、2強(と呼ばれる実績クラブ)にダークホースが挑むという図式のグループがゴロゴロしてます。

グループAの「パナシナイコス」や、グループHの「ゼニト・サンクトペテルブルク」なんかがそれに当りますか。

この中で一番「恵まれた感」があるのはどこでしょ?「バルサ」なんかそうかもしれんね。グラディオーラへの神様へのプレゼント・・・であればいいのですが。

さて、我らがシュンスケ。またまたマンUですか。このお陰で僕達はこれから何ヶ月もまた、あの、美しい、衝撃的なフリーキックを何度でもリプレーで見ることができるのでしょう。で、そのグループE。私としては是非「ビジャレアル」との試合をじっくりと見てみたい。「ビジャレアル」、数試合しか見ていないのですが、かなり「ええサッカー」してます。あのチームにシュンスケのあの右サイドのプレーがどこまで光るのか、めっちゃ興味あります。

しかし、こうやって見てるとあのミランがいないのに、それを感じさせない、豪華充実ラインナップ!ですよねぇ~~。

こういうマッチングを毎年毎年見られるヨーロッパの人々(我々はテレビ観戦だもんね)は幸せもんです。目も肥えるっちゅうもんです。そういう肥えた目でサッカーをとらまえる小学生や子供たち。そいつらが大きくなってまたピッチ上で、新たな驚きや新たな歴史を創造していく。

う~ん・・・この好循環に立ち向かうには我々はもっともっとサッカー環境を高めていかんといかんですな。

posted by 読裏クラブ |21:05 | 海外サッカー | コメント(0) | トラックバック(1)
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2008年08月28日

いよいよ始まる!「星読み」の醍醐味!

改めて言うまでもないですが、ついに始まりますな。最終予選が。我々サッカー狂が狂喜乱舞するこの本番!「最終予選」。そう、実際的には「最終予選こそが本番」なのですよ!では、その本番を楽しむ醍醐味を私なりにご説明しよう!!

8試合=5ヶ国のホーム&アウェーの最終予選、これこそが、サッカーフリークの醍醐味である(6試合=4ヶ国では少し少ないし、10試合6ヶ国ではちょっと長い。8試合がベストですかね)。これに比べれば「W杯」の1次リーグの3試合なんぞは「お遊び」に等しい(ちと言いすぎか)。何と言ってもこの試合数を数週間ではなしに、ロングランの9ケ月かけて闘うのだから(ドーハなんぞは一ヶ所集中開催で2週間弱で行われていましたが、あれは面白くないです。邪道ですな)。

一つの試合が終わったら次の試合まで短くて1ヶ月弱、長いと3ヶ月の間があく。この間がまた何とも言えず「いい!」感じなのだ。その間に我々はメンバーの入替えを討議し(当該試合で××な選手をこき下ろすのは言うまでもない)、相手国の情報を入手しまくり、そして・・・2試合目以降ぐらいから本格的に始まる「星計算(=勝ち点計算)」が待っているのだ。

サッカーの世界でこの「星計算(星読み)」ほど、楽しく、奥深いものはない!「こっちがもう勝ち点〇なわけやから、相手は〇〇〇に対しては「分け」狙いで「勝ち点1」を増やすやろう・・・まさか、リスクを負って「3」狙いではないはずや・・・その裏をついてこっちは「3」狙いで行くんか、それとも「分け」でええんか。いずれにせよ、「負け」は痛い。それだけは避けたい。そやけど、それは相手もそう考えてるはずやから(特にホーム側はその傾向が強い。ホームで負けるのは致命的だからだ)、こっちは攻めてもええんちゃうん?そう言うても、もうこっちは勝ち点〇もあんねんから、プラス「1」でも充分やねんし、これで万が一〇〇〇が〇〇〇に負けたら、引き分けでも充分やで~!とか・・・。

この堂々巡りを論議すんのが、非常に楽しい。もちろん「分け」狙いなら、「ボランチ」の人選は大きく影響するし、サイドに「中田浩」なんかが急遽呼ばれるかもしれん。W杯と違って、次の試合に誰を選ぶか・・・は全日本人選手から選択するオプションが取れるのだ。(W杯は登録限定されるからね)この論議も大変大変面白い。ミエミエの「分け」狙いならワントップでもいいわけである。だから、この最終予選に関して言うと、「ベストメンバー」という概念はない。「3」狙いか「1」狙いで、ベストメンバーは当然のように変化する。

念のために書くと、対戦相手は「オーストラリア」「バーレーン」「ウズベキスタン」「カタール」。彼らと「ホーム&アウェー」で2回づつ、合計8試合を行い、上位2チームがW杯確定!3位になったら、B組の3位(おそらくイランかサウジ)とアジア5位決定戦を行い、「オセアニア1位」とW杯出場権を賭けた大陸間プレーオフを行う。

ちゅうことは・・・そう。誰が考えても、ちょっと考えれば解ることなのだが、・・・そう。2位以内に入ればいいのである。最悪3位でもいい!要は4・5位以外ならいいのである。何故わざわざこんな面倒臭いことに字数を費やしたかというと、この「闘い」は相手より「勝ち点」を1点でも上回れば、(今回は3位よりも1点でも上回れば)オッケーなのである。

さて、前置きが長くなったが、これからこの最終予選を「論理的」に予測していこう。2位以上に残るために、勝ち点は何点必要であろうか?「え?8試合全部勝って、勝ち点24!とちゃうの!?」って?「チッ!チッ!甘~~~い!」そんな計算は成り立ちまへん。それではその理由を説明しよう。「勝ち点24」ということは、言い換えると「8連勝」ということである。これは実は非現実的な数字なのだ。何故か?8連勝するためには、7連勝しなければならない。そして7連勝するためには、6連勝しなければならない。この論理に異を唱える人間は非論理的な人間だ。そのような人間を私は相手にしない。では、論理的な人間だけに次の説明を続けると、この6連勝の前の5連勝ぐらいから、前述の「星取」が微妙に影響を及ぼしてくるのだ。つまり・・・5連勝した時点での勝ち点は15。(もちろん4連勝の時は勝ち点は12)

勝ち点最高記録を狙う必要はさらさらない。ということは5連勝した時点で(もしかしたら4連勝でも)「次の試合で『引き分け』れば、2位以上が論理的に確定!!!」という状況が絶対出てくるからだ。その時に「僕達はそんな姑息な計算はしませ~~ん!全部勝つつもりでやりま~~す!」なんて言うのは「アマチュア」の世界であり、「高校サッカー」のレベルである。我々はプロだ!あと勝ち点1を取りにいけばいい状況で「3=勝ち」を狙う必要はまったくない!「分け」ればいいのだ!極端に言えば「闘莉王」「中澤」「寺田」「高木」の4バックを引いてもいいし、それでも不安ならその前の位置のボランチに「中田」と「鈴木」を配し、その前に何なら「宮本」をザルツブルグから呼びよせて、この辺りに入れて頑張らせるのもいい。万全を期すために前のワントップは当然異常な労働力を誇る「巻」を据え置く。「点を入れる必要のないサッカー」はかくも豪華なディフェンスラインを実現させる。

この時点で6連勝の可能性はぐっと、減少する。この同じ理由で5勝1敗(勝ち点15)も非現実的だ。何故か?そう。我々が4連勝した時点で同じように4連勝している相手は論理的にいない。すると、4連勝目から5連勝目の動機付けが限りなく落ちる。次の5戦目もどうしても勝たなくては!という状況には絶対にないからだ。5勝1敗で考えられるのは、〇〇●〇で5戦目を迎えて(この場合次の5試合目はどうしても勝たなくてはならない場合が圧倒的に多い)〇(勝ち)、ここまでで予選通過が確定しない場合にこの6つ目を「勝ち」に行く場合だが、今回の場合は2位以上が確定なので、4勝1敗の勝ち点12の時点で「次の試合に絶対勝たなくては!!!」という状況にはおそらくならない。

すると、理論的に考えると、今回の勝敗から「8勝0敗」と「7勝1敗」が消える。(同様の論理で「7勝1分」も消えるのは聡明な読者には説明を要さないだろう)

本命の勝ち点は5勝2分1敗。勝ち点17と読む。おそらく当確ラインはグループ総勝ち点60から引き分け(4試合?ぐらい)を引いた52、それの三分の一(2位以上ということはグループ総勝ち点合計の三分の一以上で2位確定ですからね)、17か18点ぐらいじゃないだろうか?あくまで当確ラインとは2位以上のことを指しますから。だから、これが「本命」ではないか?と、思ってます。「6勝2敗」の勝ち点18というラインもあるんですが、どうも引き分けが1試合もないというのは考え難いもんで。でも、「5勝1分2敗なら」ならちとやばい!(16なんでね。ギリギリアウトかも)

このようにサッカーでいかに一つの「引き分け」が重要なポイントになるのか、これで聡明な読者はおわかりいただいたろう。そう!「引き分け」がサッカーの醍醐味であり、文化を形成するのだ。引き分けの美学・・・「なんやあれ!あれでもサッカーか?え?」という批判に対し(つまり攻めずに守ってばっかしのチームを指して言います)「はん!悔しかったら俺らより勝ち点上回ってみぃや~~~!」と言う優越感の美しさである。

だから、岡田さん、あんまり「背水」「背水」って言わないほうがええと思うのよ。あくまでアウェーでしょ?「分け」でもええと思うのよ。あんまり気張って「背水」しちゃうと、何かもし万一「アウェーのバーレーン」でもしもの結果が出たときに、「もう終わり」みたいな雰囲気になっちゃうでしょ?あと8ヶ月もあるんよ。残りがね。その間の山や谷のほうがよっぽど苦しくて大変なんやから。

さて。。。あああ・・・いよいよ始まるんやなぁ~~。この「勝ち点計算」の醍醐味が!うれしいなぁ。わくわくするなぁ。どきどきするなぁ。たのしいなぁ。サッカー知っててよかったなぁ。という東海林さだお調に思わずなってしまうのだ。

では、次回から、5勝2分1敗を目指して、8試合の大胆予想を徐々にエントリーさせていただきますので・・・・・。お暇なら来てよね。

posted by 読裏クラブ |20:43 | 日本代表 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年08月27日

日本サッカーのスタイルを考えたら、こうなりました。

日本サッカーはどのようなスタイルを持つべきか?私なりの持論を展開したい。

日本の選手が大会で敗退するたびに口にするセリフ
「個の力をもっと磨かないと」
「最後は個の力にやられてしまった」
「個人での1対1で勝つことからまず始めないと」などなど。

確かにピッチに立った人間が90分間戦い終えて、その率直な感情を吐露すると、そうなるんでしょう。しかし、だからと言って、我々全員が「そうか・・・これからは、個の力か!」なんて同調し、「個」⇔「組織」という恐ろしい二者択一の論議にそれがすり替わって、そのまま焦点がぼやけたまま、時間が過ぎ去ることは、許されることではないのではないか?と思ってます。今までいつもそうやってきて、何度もそうしてきて、で、今の姿があるわけだから。

私としては、日本サッカーがどうあるべきか?は、イコール、敵対する相手からどう思われたいか?というところから始まり、そして、「○○○と思われるサッカーこそ日本のサッカーだ」という答え、そこへ辿り着きたい。

先日の「ジダ」さんのコメントを拝借すると、今、日本が持たれているイメージは、下記のようだし、またそれは外れていないだろう(ただし、『最後まであきらめない』・・・というのには?がつきますが)。

・組織的
・すごい運動量
・単調
・最後まであきらめない
・FWが弱い
・フェアプレー

しかし、これらは多分に社交辞令から出ているようにも思え、私の記憶するところで、もう少し付加すると
・日本はあなどれない
・日本はしっかりとしたサッカーをする

なんてのもあり、この方が社交辞令としては上位に位置するのでは?と思う。

彼等(ヨーロッパ・南米・アフリカ主要サッカー国上位50位まで・・・ぐらい)が本当のところはどう思ってるのか?は知る由もないが、もし彼等がW杯のGLで日本と同組になった時には、おそらく「日本かぁ~。まぁ、普通にやったら勝てるやろ」「日本かぁ~。ええサッカーはするけど、嫌らしさはないわな」「日本かぁ~。パス廻しはいっちょ前やけど、それだけやから。。」てな、具合ではないだろうか?

これを何とかしたい。そう、試合内容というか、試合結果よりも、「試合前」に怖れられる、そんな存在になりたい。

そして私は最終的にはどの国にも、怖れられる存在に、日本代表がなって欲しい。そのイメージ(ブランド?)が定着できたその時、その怖れられる内容こそが、「日本サッカーのスタイル」だと思うわけです。

では、彼等にどのように怖れさせるのか?というところから逆算で思考を進めていきたい。

今後50年、どんだけ踏ん張って、どんだけ頑張っても、やはり、「ヘッドの強さ」や「脚の長さ」や「どうしようもない反転能力」なんかで彼等を怖れさせることは出来んだろうと、私は思ってます。ある時代に不世出の存在として現れる(かもしれない)一人の偉大な選手に頼るようなチームも私の希望ではありません。たとえその偉大な選手が世界から怖れられるとしても、チームとして、国として怖れられているわけではないですからね。グンバツのテクニックで魔法のように抜き去る、そんな絶対的な「個」の集団・・・というのも、理想を描くのは自由ですが、非現実的の極みだと思ってます。

ではどうするのか?

私としては唯一この方法なら・・・というものがあります。

それは、「底知れぬ運動量としつこさから生まれる湧き出るような数的優位の連続」です。

攻撃においては
・センターサークルで叩いた7番の選手がもうコーナーフラッグへのボールに対応している!
・ペナコでスライディングでボールを奪った5番の選手が10秒後には、ゴール前に詰めてフリーでヘッドを打つ!
・サイドの外を追い抜いて走った2番の選手が、相手のヘッドのクリアをペナコ付近で拾う!
・ワンツーで走り抜けた8番の選手が何故かアーリークロスのニアに合せてボレーでシュートを撃ち、ポストを直撃する!
・自陣のコーナーフラッグ付近でクリアした4番の選手が何故か2プレー後のオープンスペースへのフィードに対応して、走り込んで、身体を止めないとキーパーと1対1になってしまうので、思わず倒して止める!
・ドリブル突破を防ごうと対面している相手DFの両側をドフリーの6番と9番が顔を出したり走りこんだりしている!

このようなシチュエーションが連続すれば、
いかなファーデナンドと言えども「おい~~!6番誰が見るんやぁ~~~」ってなりますし、
いかなカンナバーロと言えども「おぇ~~!2番がドフリーなんはどういうわけや~~~」ってなります。
欧州列強のDFや、アフリカの壁連中でも同様の「どうなってるんや~」という内部分裂・内部融解が必ずや始まるでしょう。

もちろん相手方の中盤でも同様の混乱が発生し

「あほ~!俺が見てる8番はちゃんと見てたって!」
「ほんなら何であのとき8番が浮いてるんや~」
「何言うてんねん!6番が横走り込んでたから、両目でポジション取ったんやろうが!」
「おいぃ~~!何であんなにドフリーの奴がごろごろしてるんや?」
「知るかぁ~~!トップも引いてこいよ~!俺らだけで守れるかぁ~!」
「引く暇あるかぁ~!って誰についたらええか指示だせよ!」
「出す暇なんかあるかぁ~!ボコボコ走り込んで来るんやぞ!自分らでフリーの奴捕まえて対応せえよ!」


てな、怒号が相手方のチーム内で飛び交うわけです。

これって快感でしょ?多分「NHK」と言えども、彼等のこの「内部分裂」は映さざるを得ない。
その彼等の怒鳴り合いを尻目に我々はボールを持って「ペナコ」へ雪崩れこむ。

で、そうなると、最後に、

「おい・・・あいつら・・・何人おるんや?」
「10人か?ホンマに・・・。12~3人おる気がする・・・で」
「ホンマにこんなん続けられたら・・・・ぞぉ~~~~~(寒気と冷や汗)」

という怖れが彼等に生じるはずです。

「個人」対「個人」なんて、数的優位が成り立っているときには、その内容は大きく変わります。
要は、1対1ではなく、2対1や3対2で勝負でしょう。1対1を作らない。逆に言えば1対0.5にすればいいわけです。

試合を経験された方なら解るでしょうが、「数的優位(劣位?)」が続く試合ほど、「虚無感」と「どうしようもない感」と「敗北感」にまみれる試合はありません。そのスコアが例え現在0-0であっても、ピッチにいる当事者はそんな体感はありません。相手は湧き出るように出現し、パスコースは無限に近い数ほど発生し、どのコースも通されて、ドリブルで掻き回すスペースは広大に拡がってる。

これは、ディフェンスもしかりです。ボールを持った瞬間に、囲む。それを回避するために、散らしても、また出所で囲む。ラインの上げ下げはもちろんですが、基本的にはマンツーマンでスピードをダウンさせ、相手のコース取りの時間を逆利用して囲む。で、奪う。

その時、彼等はまたこのような会話(怒号)を交わすでしょう・・・

「おいぃ~!顔出してるねんから、当てろよ!」
「アホ!付かれてるんじゃ!後ろにビッチリと!」
「何でや、パスで散らせるやろ?」
「散らせてないやないか!?どこ出してもキッチリついてるんやぞ!?もっと消える動きでスペース作れよ」
「作っとるわ!それでもなんでスペースができへんねん!?」
「アホ!廻してたらどっかでズレるやろ!いつものことやないか!」
「それがもう75分になってもズレへんのはどういうことやねん!それにちょっとでもパスがズレたら、あいつら思いっきり囲んですぐにカットするやないか!どれだけそれでカウンター喰らってる思てるねん!」
「んな・・・アホな・・・そんなん・・・考えられへん・・・・」

で、これまた 最後に

「おい・・・あいつら・・・何人おるんや?」
「10人か?ホンマに・・・。12~3人おる気がする・・・で」
「ホンマにこんなん続けられたら・・・・ぞぉ~~~~~(寒気と冷や汗)」

と、なるわけです。

ここで初めて彼等は「怖れる」でしょう。

日本という国を。

これを10年間、続ければ、何度となく対戦した国から、その評判が広まり、そして以前対戦した国からはこう思われるでしょう。で、GLで同組になったとき、彼等はこう思うわけです。

「日本か・・・ぅっとおおしいなぁ~~~」
「でぇ・・・日本かぁ~~~きっついなぁ~~~」
「日本かぁ~~。嫌やなぁ~~~」
「日本か。。。くそ。。。。」

これこそが私の理想の「日本代表」の姿です。

その第一歩を「師」が踏み出したと思ってました。
残念ながら、それは現在頓挫しています。が、一度は「やれた」のだから、「不可能ではない」はずです。

表現は悪いですが、「蟻のように囲み、蟻のように働き、そして蟻のように収穫物(点=ゴール)を積み重ねる」そんなサッカーを私は日本代表に見せて欲しい。別に「日本人=蟻」という自虐的な図式を出すつもりはありません。本当にそういうサッカーで彼等を怖れさせることが出来ると思うわけです。

そのプロセスの中で、偉大な選手や、特徴のある選手や、強い選手や、巧い選手や、賢い選手が出て来て欲しい。僕らが11人を選ぶのが不可能なぐらい、多くの選手が出てきて欲しい。そして、100人監督がいたら100通りの代表チームが出来上がり、そのどのチームもが、「相手に怖れられ、相手の混乱を招き、相手を翻弄する」サッカーを表現して欲しい。

組織や個、得点能力や、ディフェンスのバランス、戦術の理解度や、サッカーへの情熱・・・なんてもんで選別すること自体、僕はまだ我々が遅れていると思ってます。そんなものは全員が当たり前のように、保持しており、その上で、どれだけ相手を怖れさせることが出来るか?という視点で代表を選考することが出来たとき、我々はその時、「日本サッカー」というスタイルを、まさに気づかないうちに持つことができるのではないだろうか?

posted by 読裏クラブ |19:31 | 日本代表 | コメント(24) | トラックバック(0)
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2008年08月25日

日本サッカーのスタイルを考えることが・・・

五輪が終わった。いろいろ考えさせられた五輪だったが、それももう終わった。
終わるたびに日本人は総括する。検証をし、原因をさぐり、対策を練る。次のステップに進むために。
実はそれは五輪だけではなしに、主要な大会が終わるたびに(特に敗退するたびに)、定期的に行われる。
W杯がその一番の節目だろう。

トルシェで終わった02年は、
「最後のアイデアが日本人は不足している。組織では限界がある。個人のアイデアと自由なトライを許容する、認める文化が日本サッカーには必要だ」という見解が出た。

で・・・「自由を求めてジーコ」になった。

そのジーコが終わった06年は、
どうしようもない喪失感とともに、「個人の力(特に肉体的な・・・)の差をどう埋めるか?がこれからの日本の課題だ」
と、いう見解が(なんと!ジーコから)出た。トルシェの最後の課題をどう克服したか?を置き去りにして。

で・・・「全てが見えなくなって『師』にすがった」

その後、不幸な出来事に遭遇した我々は、
「世界を驚かす」と宣言しながら「完敗だ。これぐらいの相手とやると、歯が立たないということがよくわかった」と、まるで人事のようなコメントをし、舌先が乾かぬうちから、その数日後には「背水の陣」だとのたまう。そんな監督を持っている。

我々はどういう監督を持つべきか?という事は私はさほど重要ではないと思う。と、いうより、監督で我々の方向性がコロコロ変わることの方が問題だと思う。それは自分達のスタイルがないのに等しい。だが、今後絶対に必要な自分達のアイデンティティーをどう持つべきか?の論議も、またすぐにやってくる「絶対に負けられない戦い」の熱にあおられて、どこかへ置きやってしまうのだろうか?

で、(万一)負ければ(W杯を逃せば)、それこそ「○○総検証」で、日本サッカーの弱点や、欠陥をこねくりまわすのだろう。そしてもし、幸いにもアジア予選を通過すれば、それはそれで、今までの問題点や構造的な課題を脇へ追いやって「岡田ジャパン!感動の○○ゴール!」みたいな、「日本、世界へ4度目の挑戦!」みたいな提灯記事が溢れるのだろう。

繰り返す。
そうやって。

いままでの五輪の後の検証も、いままでのW杯の後の検証も、すべては流されて、うやむやになってしまっていないか?

西野さんの残した課題は何だったのか?山本さんの残した課題は?
そしてそれを受けて反町さんでどこを克服し、どこがそのまま残ったのか?

「得点力不足」が敗因の課題・・・なんてものは、クソの役にも立たない。何故ならば得点力があるチームが負けるわけがないからだ。得点力がないから、負ける。そう、「売れないから販売力不足」であり、「販売力不足だから売れない」のではない。「力がないから力不足」なのだ。そこには具体案も方向性も何もない。

我々は何度か、自分達のサッカーをどこに見出すか?にチャレンジしてきた。
数十年前は「勤勉な国民=実直なプレー=ドイツサッカーを手本に」という流れがあったし、十数年前には「体格が劣る国民=テクニックと技術=ブラジル(南米)指向」という流れもあった。つい最近は「日本化」と称して「俊敏性」と「運動量」を混合させた戦術を指向した。が、それは個人的な指導者の方向性であって、「その国のサッカー」を体現するところまでは行かなかった。

俊輔は「メキシコがイメージに近い」。と言った。
でもそれは俊輔が言ったわけで、日本全体の意思ではないだろう。

我々はどういうサッカーを目指すべきなのか?

それは五輪からトップまで通じる永遠の課題なのかもしれないが、
どうしても我々が乗り越えなければならない課題なんだろう

と、僕は思う。

五輪が終わった今だから

強くそう思う。

「おい!それでこのエントリーを終わるんか?え?ありきたりの問題提起だけして終わるのかよ?」

と、いう声が聞こえてきそうなので、この問題については、珍しく僕は真剣に持論を披露していきたいと思っております。
だから、今回はそのご挨拶ということで。




posted by 読裏クラブ |20:50 | 日本代表 | コメント(10) | トラックバック(0)
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2008年08月23日

戦術よりも大事なものは?

「なでしこ」に今回我々がなぜあれだけ思い入れを強くし、感情を移入したか?というと、やはりそこには彼女達の試合を最後まで捨てない態度や、最後まで走りぬく姿勢や、そんなものにどこか心を動かされたのは否定できんでしょう。

1-4でも2-4にしようという心意気。0-2でも追いつこうとするランニング。そしてやはり「前へ前へ」ボールを動かそうとするチーム全体のコンセプトがそこのは強く感じられました。

そういうものに好印象を抱いている私は、現役の時の私とは実は大きく異なるんですよね。
選手の立場でピッチになっていると、監督から「いいから、最後に一点取りに行け!」とか、「前へ!とにかく前にボールを運べ!」と叫ばれるたびに、「あほか!1-4でラスト5分で遮二無二1点取りに行っても意味ないやろ?それやったら、試したいワンツーや、ドリブルを仕掛けて行ったほうがええわい!」とか、「前へ!って言っても、相手は守備を優先でライン引いとんのや!無暗やたらにボールを前に出したら相手の思う壺やないけ!」とか。

とにかくラスト10分はもっとも体力的にしんどい時間帯ですんで、そういう理由をつけて、動かない身体に正当性を与えることだけは長けていたように記憶しています。

だから、ボールを「前へ」進めるだけがサッカーではないということも十分理解しております。1-4から2-4になったって負けは負け。最後の10分で1点入れても、その前の80分をどう戦ったか?の方が重要だということも十分に承知しています。

それでも今回の「男」と「女」のこの対照的な違いを見ると、どうしても前近代的な思いが頭をよぎります。

「システムや戦術をのたまう前に、まず走らんかい!」・・・と。

「サイドを使え」とか
「ラインをコンパクトに」とか
「スペースを消せ!」とか
「今は4枚で!」とか
「シャドウの消えた後のスペースを狙え」とか

そんな指示よりも、今もっとも必要なのは

「もっと走れ!」と、いうことを、もっともっと重大なことのように指示できる、それなのかも知れません。

そういう指示を「遠藤」にも「俊輔」にも「憲剛」にも、堂々と厳格に平等に出せる人を私は一人知っているのですが

posted by 読裏クラブ |00:01 | 日本代表 | コメント(4) | トラックバック(0)
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2008年08月21日

悔いのない仕事をした人は?

少し気が早いのですが、「あの人」の今後の去就はどうなるのでしょう?

ご本人的にも「Jリーグ(中位クラブだが、目指す方向性は上位クラブだった新潟」⇒「代表監督(もちろんトップ=AではないがU23という、それなりの重要度と注目度のカテゴリーを任される)」という、至極順当というか順調というか、見る人から見れば「出世街道」というか「エリートコース」というものを歩んできたわけですから、それなりに「今後」というものに対しては、ある種のブランド意識というものも持たれているのでしょうか?それとも「もう少し底辺というか草の根的な部分からもう一度サッカーを見つめなおしたい」とか「出来上がったチームや選手を預かるよりも、もう少し選手とともに成長する・・・そんなチーム」に身を置いていくつもりなのでしょうか?

まぁ、「人(他人)のことなんだから、アンタがそんなこと気にするのも変なんじゃない?」っていう方々のご意見も至極ごもっともなんですが、やっぱりね・・・。気になるんですよ。

その、なんちゅうか、「悔いのない仕事」を修めた人間の次の目指すところがね。まさか、まさか、「悔いがない仕事」をして協会のデスクに座って「悔いのない仕事をする」後任を選ぶ立場に・・・なんてことはないやろうね?

posted by 読裏クラブ |22:03 | 日本代表 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年08月20日

短い毛布

ブラジルにこんな諺があるそうな。

「サッカーは短い毛布と同じだ。首まで上げれば足首が出、足首を隠せば首元が寒い」

言いえて妙ですが、今回の代表を見るとつくづくそう感じましたね。

FWはズラリと「裏狙いのコチョコチョ掻き回しタイプ」を揃え、その周辺にスルー狙いとドリブル仕掛け軍団の中盤を配し、分厚い波状攻撃でとスペースを取ってラインを乱す。と、まぁ、言葉で表現するのは簡単ですが、その狙いはイコール日本から高さを奪ってしまいました。せっかくキレイに崩しても、最後のクロスでは普通の高さで入れてはまったく勝てない!もっともっと高速ニアとか、高速ワンツーで崩さないと・・・という追加要素が加わっていました。

また、一旦狙いが外れてしまうと、あとは空中戦では後手後手に回り、苦しい時間帯も結構ありました。

つまり、何かを選択すると何かを失い、何かを怖れると選択の幅が狭まる。という今日の試合のことをブラジルの諺は表わしているのでしょう。

「短い毛布」は小野にも見え隠れしていたように思います。

小野のバックチャージ!なんて、ちょっとおいそれとは見れない代物なんじゃないですか?
小野の競り勝ちヘッド!なんてのも稀少価値は充分なんじゃないですか?

その代わり、小野から「シルキーターン」が消えたように感じました。「ベルベット落とし」や、「フェザーパス」や、「曲芸タッチ」や「針穴アウト」もなくなったように感じました。

今までの小野ではなかったけど、「新しい小野!」でもなかったように思います。

今回のテストで何を得て、何を失ったのか?
正直僕にはあまりよく解りません。
が、とにかく、もうあと17日後なんだよね。

17日後のピッチには
俊輔・遠藤・大輔・憲剛・稲本・長谷部・小野・山瀬・・・・
いったい誰が立っているのでしょうか?

それはそれで無茶苦茶楽しみ!ではあります。



posted by 読裏クラブ |21:24 | 日本代表 | コメント(9) | トラックバック(0)
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2008年08月19日

「なでしこ」を見習うことは出来るか?

スポーツをやった人間なら経験があるだろう。アドバイスと称して無責任に訓示を垂れるOBや俄かコーチがいかにうっとうしいか。練習や試合にたまに顔を出してしたり顔で訓示を垂れるヤツ。

よくあるフレーズは「昔は~~~」であり、「気持ちで~~~」が定番で、その次に多いのが「~~~~を見習え」ってやつ。「見習う」対象は、その時の「旬」の選手や、話題のスポーツであったりすることが多い。本人的には、「気の利いた」言い回しだと思ってるんだろうが、その時聞いているほうは何を思ってるか、を、選手の立場から言わせてもらうと「おいおい!それと俺らを比べるなよ!」ですかね。

例えば「あの力士のあの土俵際の粘りを見習え」とか「あのマラソン選手の最後の踏ん張りを見習え」とか。「サッカーの俺らに土俵際があるかぁ!?とか俺らに2時間8分も走らせてどないすんねん!」てな愚痴を訓示タイムが終わった後に、ユニを着替えながら言ってたもんです。

まぁ、正直言って「もうちょっとためになるアドバイスないんか?」と思ってました。「あのタイミングでのオフサイドトラップは意識的か?偶然か?を確認してるか?」とか、「ボールをどこで獲るか?という意思統一を時間帯別に変えているか?」とかいう指示というか注意なんかを名のあるOBが来て言ってもらえたら「なるほどなぁ~・・・それは思わへんかったな。ええこと聞いたな」なんて素直に心を動かしてたんですが、根拠のない「見習え論」は、唾棄してました。

で、今回の「なでしこ」の健闘を目の当りにして、おそらく、日本のいろいろな所で、いろいろな人が言ってるんじゃないですかね。「男子もちょっとは【なでしこ】を見習え」と。「最後のあの踏ん張りは見事だ」とか「最後まで諦めないあの姿勢を男子にも見習ってほしい」とかとか。

でも、冒頭で申し上げたように、どこかナンセンスな比較論や見習え論は、その当事者の反発を招くだけという可能性もあります。「ふん!男の俺らが女を見習うんだってよ!」てな調子で、どこか「そういうレベルの話じゃねぇだろ!」という気持ちですかね。

だから、そういうことを言われた彼らの気持ちがよく解るんですよね。と、いうか、僕ならきっとそう思うだろうなぁ~と、経験も含めて思うわけです。

で、その僕が、今、彼らに対して、それではどういうアドバイスを掛けるか?あるいはどういう叱咤を掛けるか?

と、いいますと・・・・
そうですね、
今の気持ちを素直に、そして正直に申し上げるとすれば・・・・



「おい!お前ら!!【なでしこ】、見習えよ!!!」

ですかね。

それほど今回の彼女達の姿には心が動くものがありました。

posted by 読裏クラブ |19:46 | 日本代表 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2008年08月18日

選手の格と序列について

世の中には「格」とか「序列」とかいうもんが暗黙の中にも存在することは確かですよね。○○は□□よりは上だとか下だとか。「○子より私の方が絶対キレイ(なはず)」という女性特有のプライドというか、序列というか、優劣というものも、誰もが言わんけどどっかで思ってるってことは否定できんでしょう。

当然それは世の男性社会にもあるわけで、「あのプロジェクトにもし呼ばれるとしたら、△△ではなしに、俺やろう?」的な自己評価や、それとは別に「△△支店の△△長があの仕事を貰うんだったら、○○支店の○○長の方が先だろう?」とか。いわゆる今までの実績とか経験とかいろんなものを物差しとして。

とっころが、世の中、そういうもん通りに事が運ばないのが、また常でして、前述の例でいけば「え~~?なんで、あの子にあの人が彼氏でいるわけ?」とか「昇格するなら絶対○○さんやと思ってたのになぁ~。何で□□課長が?」みたいなこと。ってどこでも誰しもが見聞きしたり、もしかしたら当事者になった経験もおありかとは思います。

もちろんスポーツの世界にも、そして選手同士の世界でも、実力の世界である以上、絶対的にこういう「格」とか「名前」とか「序列」というもんは存在するわけでして、ちょっと言えば「もし○○が怪我でダメなら順番では次は俺やろう?」とか「退場で出られないアソコのポジションは、格から言ったら、アイツのポジションでも俺が回るやろう!」とか。監督とは違うところで選手の頭の中でもそりゃ描くもんです。というより描かなければ、そらウソです。

で、今回、私としては、ちょっと、それに近い思いが、この「ウルグアイ戦」での召集で感じられたんですよ。

□□課長が誰で、△子が誰ってことは敢えて申しません。が、「こいつが呼ばれるんなら、何でこいつが入らへんのやろう?」っていう感想は、どこかで皆さん思ってませんか?僕は別に「こいつ」が代表に相応しくないとは言っておりません。むしろ「おお!やっと入ったか!」という感慨を持つほど、その彼の存在を認めていた一人です。

彼はその堅実でダイナミックな動きと質で、確かにチームのダイナモ的な役割を果たし、そのチームの中核を担っているのかも知れんです。が、そのチームには「王様」と呼ばれる存在がいて、その存在が良くもも悪くもそのチームの戦績を左右している。そういう存在も居るのですよ。ましてその「王様」は以前は代表に呼ばれるほどの実力者です。ある時期、僕は彼を「天才では?」と思った時期もあったほどです。

確かにポジションが違います(今はチームでは同じときも・・・)ので、一概に「王様」と「彼」を比べるわけにはいきません。でも、ドリブル、キープ力、戦術眼、パス能力などを考えても、現在召集されているメンバーと何ら遜色はないと思います。いわゆる「格」というか「選手の序列」ですな。そういうもんから言えば「ノー文句」で選ばれるだけの高い基本的な能力を備えていると思います。

ですが、呼ばれません。何故なんでしょうか?サブとしては呼び難い?サブだとベンチで拗ねる?レギュラーじゃなかったら前日にスナックに行っちゃうから?でも、それは遠い過去の話でしょ?もう一度くらい呼んでもいいんじゃないのかなぁ~?同じチームから呼ぶぐらいなら、その、「格」という意味で。

世の中そういうもんだけでは動かないんですな。

そういうものも全て消化してチームの一員となるべく全力を尽くす。
そういう姿勢が今後召集には必要要素?

それとも現実の実力よりも「伸び代」の大きい(ように思える)方を優先?

そういうことなんかなぁ~。

多分、そういうことなんだろうな。

そうじゃなかったら、なかなか認められないよね?この現実を。

そう思うやろ?満男殿。

posted by 読裏クラブ |20:59 | 日本代表 | コメント(24) | トラックバック(0)
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2008年08月16日

シリトリフティング(読売クラブ⇒ブンデス・リーガ)

シリトリフティングの2回目は「読売クラブ」⇒「ブンデス・リーガ」

さて、「ブンデス・リーガ」。私達が現役真っ只中の時は、海外サッカーといえば「セリエA」でもなく「リーガ・エスパニョーラ」でもなく、もちろん「リーグ・アン」でもなく、そして「プレミア」でもなく(当時はプレミアはありませんでした。いわゆるイングランド1部リーグね)、ドイツのでもなく、「西ドイツ」の「ブンデス・リーガ」でした。

緑のピッチが目に眩しく、バイエルンの本拠地、オリンピックスタジアムの優雅で近代的(に見えた)なメインスタンドのファイバー屋根がすっごく印象的でした。こんなところサッカーできたら、そりゃ巧なるやろうなぁ~と、ダイヤモンドサッカーを見ながら思ったもんです。

今も王者の位置をキープしている「バイエルン」や、当時のプーマのユニがすっごくカッコよかった「ボルシア・メンヘン・グランドバッハ」、奥寺が入って一気に試合を見る機会が増えた「1FCケルン」、「ドルトムント」や「ハンブルガーSV」、「シャルケ04」なんかも中堅どころでええ味だしてました。

加えて子供(青年?)心に深く刻み込まれた、あの「歌声」。声援というフレーズでは軽すぎ、応援というフレーズには違和感を感じる、何か、そう、「血涌き、肉踊る」といいますか「鼓舞する人間の心の叫び」とでもいいますか、とにかく当時の日本にはまったくなかったスタイルの応援でした。「いったい誰が歌い出してどうやってまとめてるんやろ?」って、これまた日本的な疑問を感じてたもんです。そのときの我々の最新応援スタイルは「赤ヘルのコンバットマーチ」と「甲子園のブラスバンド」でしたもんね。

そして、このブンデス・リーガが、幾層から成り立つリーグのトップリーグであること(確か12リーグ?)、アマチュアからプロまでがそのピラミッドにきちっと治まって運営されていること、そしてその各チームは「クラブ」と呼ばれ、何と!その「クラブ」はスポーツシューレという基本的な組織の一部で、そのシューレにはサッカー以外のスポーツチームも存在し、バスケットのバイエルン・ミュンヘンやバレーボールの1FCケルンがあることも知りました。

そうです。当時の私にとっては「ブンデス・リーガ」は「異国のサッカーリーグ」というよりは、「理想郷」、「憧憬の地」、「適わぬ夢の先にある楽園」のように思えたのです。

だから、川淵さんが「ブンデス・リーガ」を見習って日本にサッカークラブを作りたいのだ」という夢を語ったとき、僕は文字通り「夢」を見たわけです。「もしそんなことが日本で実現できたら俺は本当に、どれだけ、その、なんというか、人生が、充実するだろう!」って。

だから川淵さんを盲目的に支持しましたし、将来できる「J」がいかに日本スポーツ文化の風穴を開ける画期的な存在になるのか!を周りに必死になって吹聴したもんです。

そんな僕が「川淵さん」にコメントし、これだけサッカーに包まれた幸福な人生を味わいながら、まだサッカーに対する自分の渇望をこうやって綴ってるんですから、そらもう、考えてみれば隔世ですよ。


てなわけで「ブンデス」だけは、どこか違う特別な存在なんです。
読売クラブと同じ、僕の人生感を変えてくれたといっても過言ではないのが「ブンデス・リーガ!」
なのでした。

posted by 読裏クラブ |21:00 | シリトリフティング | コメント(0) | トラックバック(0)
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