2009年10月13日
今回は私の長年の研究の成果を皆さんにご披露したい。苦節○十年、ようやく今日になって、その原因と仕組みを解明したのだ。人間工学と臨床心理学を融合させた、この研究の成果を皆さんと共有できることに、私はこの上ない歓びと、充実を感じるものである。
さて、その研究テーマは・・・
「ドフリーを外す科学的・人間工学的・臨床心理学的要因」である。
そもそもドフリーの状態は非常に刹那的であり、少しの油断、或いは状況の時間的浪費を放置していると、すぐにこの「ドフリー」状態は消滅する。すなわちこれは「ニュートリノの質量」検出にも等しい「非常に瞬間的」現象なのだ。また、どの試合にでも必ずそれが発生し訪れるという保証もなく、研究過程においては、数多くの試合観察と実施検証と対象分析を必要とした。
さて、ここで、君達と一緒にドフリーを決めることがいかに難しく、人間工学的に難易度が高いか?を一緒に事実関係に照らして確認していこう。
1)ドフリーの発生
まずドフリーの状態が発生する瞬間を考えよう。基本的にはドフリーが生まれる状況は、【①ラインを抜け出しスペースにスルーを貰った瞬間】か、サイドからの【②光速クロスがDFの間をすり抜けて来た瞬間】が圧倒的に多い。他に【③ドリブル突破が綺麗に決まって、DF全員を置き去りにしてあとはGKだけという瞬間】や【④高いクロスにDF全員が被って偶然GKと1対1】などの事例が想定されるが、基本的には①②を念頭に置くべきだろう。そのような瞬間に遭遇する時は概ね予備動作のために、それなりの運動量と運動ベクトルが働いており、それらの運動の慣性をドフリーの状態に合わせる難しさがまず最初にある。
2)ドフリーの確認
次に1)で発生した状況を物理的、心理的、瞬間的、本能的、に認識・把握する必要がある。つまり、脳の自意識に「よっしゃ!!ドフリーや!」という認識を持たせるために、全肉体の神経がその情報を伝達させる必要があるのだ。ただでさえ瞬時に消えるドフリー状態を確認するためには、更に短い、それこそコンマ秒よりも短い時間で、「ドフリー」を確認する必要がある。くどいようだが、ドフリーは儚く、瞬時に消えるものなので、その発生と確認に時間を掛けているようでは、全ての行為が「アフター・フェスティバル(あとのまつり)」となってしまうのだ。
3)ドフリーとの葛藤
1)・2)で完全に状態が確認できたら、次に乗り越えなければならない大きな障害が訪れる。つまり「うわ!どないしょ!ドフリーになってもた!」という精神的葛藤の処理という問題である。これは独特のアスリート心理であり、通常の心理状態から一種逸脱してしまっているのだ。この瞬間、全ての思考が止まり、頭は真っ白になり、あらゆる状況を想像してしまう。「外したらどないしょ!」という最も一般的なものから、「もろたで!ゴールしたら雄叫びや!」という亜流の心も存在する。もちろん一番重圧を感じる「絶対に決めんと!」というヤツをいかに内包するかが問題で、いずれにせよ「冷静」さと「沈着」さという、ゴールに対する最も必要で重要な精神状態から著しく離れた状況に自らを追い込んでしまう、この現象を乗り越えなければならないわけである。人によっては「ボールだけを見て無心で臨むべき」という学説を唱える人もいるが、私はその旧来からの説を採用する立場には立たない。
4)ドフリーの対応
さて、1)・2)を通過し、3)を乗り越えれば、いよいよこのドフリーの状況に対して自らのアクションを決定し、そのアクションを実行しなければならない。①の場合は、「ダイレクトで撃つか、一度持つか?」という、古今東西の全てのFWが潜り抜けた難問を処理せねばならず、②の場合は、ボールが飛んでくる速度と加速度、角度と空気抵抗、などの全ての可変数を頭の中で処理し、ボールを撃つ時間的、空間的位置を決定しなければならない。またその高度の測定からヘッドにするかボレーにするかを決済しなければならないことは言うまでもないことだ。またこの状況はボールだけを見て済む問題ではなく、ボールを視野に入れながらも、そのボールに同様に対応している敵DF、GKの体重移動や動きに全神経を使わなければならない。
5)ドフリーの処理(予備動作)
4)で全状況を把握すると同時に、最終的に自分が取るドフリーへの対処方法を決定し、その決定した行動に対して予備動作を始めなければならない。何故なら、この瞬間・瞬間にも、ボールはドフリー状態のまま自分とあるのであり、いつ消えるかも解からないドフリー状態をいかに維持、凝視しながらも、『来るべき時』のために、全筋肉、全神経を万全の状態で保全しなければならないからで、撃つ状態のコンマ秒から以前の過去に遡って自らの行動を時間軸に合わせて推移させなければならない。
6)ドフリーの終結
何度も言うがドフリーは瞬時の発生現象である。ドフリーはコンマ数秒で儚く消える。その消えゆくドフリーを自らの行動で最終決着をつけるべく、自らの意思で自らの身体を持って毅然とした思いで敢然と終結させなければならない。それは「インステップのバッシ~」でもいいし、「インサイドのチョコン!」でもいいし、「インフロントのフワリ」でもよい。もちろん「ボレーのドッコ~~ン!」でもいいし「ヘッドのベッチィ~~」でも良い。ドフリーを終結させるための選択の制限はなく、全ては自由選択である。栄光に繋がるゴールはもうすぐ目の前なのだ。「外す恐怖」と「入れる歓喜」の最後の分岐がまもなく訪れる。
お解かりだろうか?ドフリーに対しては、この1)~6)の全ての行為を、正しく、迅速に、正確に、行わなければならない。そうでなければドフリーの状態は瞬く間に消え去り、自らの栄光も遥か彼方へ消え去ってしまう。当然ながらそれらを中途半端に実行してしまえば、「キーパーへの引っ掛かり」に始まり、「当り損ね」や「吹かし」、挙句の果てには「空振り」なんていう事態にもなりかねない。
しかしそれも致し方ないのではないだろうか?何と言ってもこれら一連の連続動作を全ての条件を分析・加工・再計算しながら、コンマ秒の世界で全て終えなければならないからだ。
ここまでの研究成果を振り返ると以下のことが言える。
「人間工学的な考察からすると、ドフリーは外して当たり前」であり「ドフリーを決める」ことこそが「人間離れした神業」である・・・と。
私はこの前人未到の研究成果を今日、君達への講義で一足先に発表したが、正式には次の学会で発表したいと思う。
なお、この行動過程と、要因の背景の範囲を次の試験に必ず出すから、よくノートを取っておくように!
「ヨシト!居眠りせずに、ちゃんとノート取りなさい!」
posted by 読裏クラブ |19:50 |
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2009年04月17日
ご批判と嘲りと蔑みは覚悟の上で敢えて申し上げたいことがあります。最近のCLを見て特に思ったことです。特にベスト8以上になってくるとその印象がどんどん強くなってきます。
それは何か?と、言いますと・・・
「速過ぎる!」ということです。
パススピード、ドリブル、タッチ数、ボールを取られてからのプレスの掛け所、生まれたスペースが消える時間、攻守の切り替え、何もかもがです。これを人はスペクタルと呼ぶのでしょう。一瞬たりとも気が抜けない。「お○っこ」も行けない・・・と。
今日より明日、今週より来週、今月より来月、今年より来年、そして2010年代より2020年代へ。近代サッカーはもっともっと速くなることを求められ、もっともっと速くなって、もっともっと気が抜けなくなって、行くのでしょう。
でも、人間って必ず「慣れ」があって(人によっては麻痺とも言いますが)、その時の速度が物足らなくなり、それ以上に「もっと速く、もっと速く」とフットボーラーを急き立てるのでしょう。そうなるとまるでビデオの早送りのようにピッチ上で選手とボールが動くのでしょうか?
でもなぁ~・・・。
そうなると・・・。
「遅い」ことは「悪いこと」になるんやろうか?「ゆっくり」は「淘汰」され、「独特のリズム」は「駆逐」されて、行くんやろうか?「牧歌」は「ボケカ?」になるんやろうか?しかしそれが果たしてフットボールにとってホンマに「ええ事」なんやろうか?最近つくづくと、でも、かなり確信的に、そう思うんです。
フットボールのビデオの早送り見て、楽しい?あの速度で見て、スペクタルを感じる?ワクワク感やドキドキ感を確かめる余裕ある?
人から何と言われようと、僕は僕の感じた、僕の思っていることをここでは表明して行こう!と、そう最初に心に誓ってこのブログを始めたので、やはり、このことについても自分に正直になろうと思って、ここで告白します。
「CL、速すぎて、いずれ俺は面白くなくなると思うんやないやろうか?」って。
正直今でもそう思うときがあるから。「何でそこまで速いねん!」って。
CL好きの諸兄やCL崇拝者から見たらど素人に映るかもしれないけど。
僕の好きなプレーはね、独特のリズムを持った独特のステップ。「え?そこでそうする?」って思う独特のパス、ドリブル。加えて独特の「いなし」で相手をあざ笑う「パス廻し」。もうセンターサークル辺りで4人ぐらいが「トリカゴ」やってくれたら、それだけで僕の心の中では、「1点献上」やから。「けぇ~~!スピード落とすかぁ~、そこで・・・。タマランわ(苦笑)」って言う感嘆詞、最近僕の口からまず出てこないもん。特にCLでは皆無やね。
本来ならそれが出来る「南米」の連中も、もうCLに出たらただの「ヨーロッパ人」になっちゃって、遠目から見たら、CLのピッチには誰も南米の選手は立ってないみたいになってるし。メッシも、あんなに前へ前へ行かんとたまにはチンタラとボール捏ね繰り廻して遊んでくれよ?
その昔、僕等の世代には当たり前のようにあったフレーズ・・・そう
「南米チック」。そういう薫りというか、遊びというか、空気みたいなんがないんよね、今のCLには。
CLででも輝く、そういう異次元のリズムを持った選手ってどこかにおらへんのやろうか?
あ!一人おったわ!!
そう。皆さん、もうお解かりですね・・・。
答えはこの下↓です。
来年「ボルフスブルク」がCLに出るんやったら、「ベーセハ」の代わりに「ヤットォ」が出場してくれへんかなぁ~?
どうせ彼等(アングロサクソン系)は、日本人の顔なんて「どいつ」が「こいつ」でも区別つかへんのとちゃうのん?
posted by 読裏クラブ |22:03 |
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2009年04月13日
「どこぞ」の「どなた」かと完全なるネタかぶりになりますが、過日英紙において「偉大なるフリーキックの王様50人」が発表されたそうな。1位はあの「右足の天才・ベッカム」なんだそうで、それはそれで順当かな?とも思います。が、僕の頭の中に今でも焼きついているフリーキックは、確か6位に入っていた、ブラジルの魔術師、「リベリーノ」のフリーキックなんですよね。ご記憶の方も多いと思いますが、あの壁の中に味方を立たせて、その味方がフリーキックを蹴る瞬間に壁の中で屈み(消えて)、シュートコースを空ける・・・という、やつです。一度は見た方も多いのではないでしょうか?
どうも、それ以外のフリーキックというのは、いくら「ド肝を抜く!」という表現で語られても、それは「距離の長さ」であり「角度のなさ」であり「残された時間」であり「ボールのスピード」であり、いわゆる「考えもしなかった軌道をボールが通る」という意味の意外性を問われると、「まぁ、さもありなん」てなところに収まってしまうわけです。あのリベリーノのFKこそ、FKの極み、人間の知恵の結晶、創意工夫の芸術品、勝利への執念の完成品、だと思いませんか?
だから、そのようなフリーキックにお目にかからないとなかなか僕はFKの50人には入れることができないわけですよ。
いくら「ボールが揺れ」ようが、それは「ボール」が成し遂げたことで、人間が成し遂げたことではないでしょ?
「ほう~?そしたら、そういうお前は、あんなフリーキック蹴れるんか?」とは聞かないでもらいたい。
「映画評論家」が映画の出演者になれるかどうか?は関係がないように
「漫才評論家」が舞台で漫才を出来るかどうか?は関係がないように
「音楽評論家」が全ての楽器を演奏できるかどうか?は関係がないように
フットボール(フリーキック)評論の中において、評論者がそれを実演できなければ評論者に値しないという論法はまったく関係がないのだ!!
とは、いえ・・・
それで開き直って「チャンチャン!」で終わると何の面白みもないので、
僕もフリーキックについてはいろいろと考えました。
偉大なる50人に入るフリーキックをどのように蹴ればよいのか?を。
で、編み出しました。そのフリーキックを。。。
名付けて
【こうやって蹴ったらフリーキックの偉大なる50人に入れるんちゃうのん?キック】です。
え?「まんまやん?」って?
ありがとう!期待通りの「ツッコミ」を入れてくれて。
それでこそ、僕の中で「ベタのリズム」が生まれる・・・てなもんです。
さて、そのフリーキックですが、いろいろ考えた末に2つ考えました。ですので、これから「偉大なる~(以下略)」を狙おうとしているプレーヤーは、このどちらのキックを練習しても構わないです。「出来る!」と思う方をお選びください。またこれによる「特許」の申請や「権利」の取得についても一切考慮する必要はありません。「出来た」人間が、堂々とその権利を主張していただいて結構です。
その①
ボールはどの角度でもいいが、基本的には18~22メートルぐらいの、いわゆる「狙い所」から蹴るのが一番よろしいかと。そうさねぇ、壁は5~6人というところでしょうか。で、どうするか?と言いますと、「ファーサイドのゴールポストとクロスバーの交点、つまりゴールマウスの【角】を狙って、その【角】から45度の角度で跳ね返ってくるボールを蹴ります。」まぁ、言葉にすると難しいんですが、要は、「ゴールの角に当たって跳ね返ってくるボールを【わざと】蹴る」わけです。ゴールキーパーは基本的には届かないという前提です。で、その跳ね返りをゴール前の「ハイエナ~(←ドイツのFWの名前ではありません。そんなことはよくお解かりですわね)」に詰めさせるわけです。基本的にはこのFKを蹴る人間に「ゴール」はカウントされません。が、ここは特別なオプションとして「アシスト」はカウントしてあげましょう。
この技を習得しているプレーヤーはまだ居ません。微かに「ロナウジーニョ」がその片鱗を某CMで見せてはいましたが、ゲーム中にこれを実現させたプレーヤーはいません。是非誰か挑戦していただきたい!かように思っている次第です。
そう・・・現在40歳を超えている諸兄なら、思い出すのではないですか?あの伝説の魔球「大リーグボール1号」を。「バットにわざとボールを当てさせて凡打にする」という画期的な発想の転換を行ったあの魔球です。
ですので、僕はこのフリーキックに名前を付けまして「チャンピオンズリーグ1号」と名付けました。
さて、2つ目のFK。続けて「消える魔球」とでも行きたいのですが、それは「漫画」の世界なので、僕のようなリアリストはそのようなことは考えません。あくまで「現実に蹴ることが出来る」フリーキックを目指します。
その②
2つ目のフリーキックはどちらかというと、ゴール真正面。距離は出来れば22~25メートルぐらいあれば理想的です。さて、ここで相手側はどれぐらい「壁」を立てるでしょうか?おそらく5人か6人、もしかしたら7人ぐらい立てるのじゃないかな?するとフィールドプレーヤーは残り3人です。つまり、相手の壁以外の人間はたったの3人だけです。
で、我々の味方の選手はキッカー1人、キーパー1人、以外の9人は自由にポジショニングを取ることが出来ます。ここで、その人間に壁の端から左右に2~3メートル離れた位置で、壁のまったく延長線上にに立ってもらいます。キッカーはこの両壁端から離れたこの味方目掛けて低いライナーを蹴りこみ、そのライナーをボレーでゴールに叩き込む!というのはどうでしょう?
図解が出来ないのが大変残念なんですが、ちょうどイメージを想像していただければ「ピンボールのフリッパー」の役割をこの両サイドに離れて立った人間がこなすことになります。
キーパーは基本的には壁の上を越えてくるボールをケアしますから、この壁のサイドからまだ2~3メートル横にずれる位置にボールが飛ぶとは夢にも思っていません。
で、キッカーが蹴った瞬間!!!!
ボールはピンボールのフリッパーに弾き飛ばされたあの銀球のように、急激にスピードと角度を変えて、キーパーの足元目掛けて飛んできます。違う例えで言いますと、「エアーホッケー」状態です。
エアーホッケーで一番点が入るパターンを想像していただければご理解いただけるのではないですか?
このフリーキック戦法・・・も、未だ世界のどの国、どのクラブでも実現されていません。
これを僕は名付けて「エアーフリッパー」と名付けることにしました。
どうでしょう?どちらも「練習」と「鍛錬」を積めば充分に可能なキックばかりです。
ですので、ここに来られる方々で、まだ現役を張られている方がいらっしゃったら、どうぞチャレンジしてみてください。
そして自分の技として身に着けて、雄々と、世界へ羽ばたいて行ってください。貴方にはチャンスが拡がっているんです!
「そんなこと言っても俺のアイデア盗みやがって」って後で訴えるんじゃないかって?
だから、言ったでしょ?
僕、そんな、器の小さな男やないから。。。
posted by 読裏クラブ |20:27 |
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2009年01月04日
「サッカーとは意外性のスポーツなんです。ただしそれはどこへボールが行くか解らないという意外性ではありません。手で運ぶことではあり得ない距離やコースやタイミングが足を使うことによって生まれる。だからその意外性がサッカーの醍醐味なのです」
これはダイヤモンドサッカーで、かの岡野俊一郎氏が好きな解説・フレーズの一節です。
が、サッカーの醍醐味は、「意外性」ではなく、その「読みの楽しさ」ではないか?と私なんぞは思っております。
サッカー人なら当然のような存在、「元旦=天皇杯決勝」。でも、この天皇杯決勝って僕のイメージはそれほど「質」の高いもんとは言えませんでした。どこか「ここまで来たらもう・・・」というか「この試合で最後なんだから持てる力を振り絞って・・・」感が強くて、いわゆる「精一杯」や「一生懸命」や「全力」という言葉はポンポン出てくるんですが、何かそれ止まりという感じが強くて。
ハイカラな言葉で言う「ゲームプラン」や
近代的な用語で言う「戦術」。
そんなんじゃなくてもベタベタな言葉でいうところの「作戦」ってもんが「天皇杯決勝」には感じられんかったんですよ。
ところが・・・
今年はちと、イメージが違いました。
柏もG大阪も、それなりのゲームプランを持ってしっかりとマッチに臨み、それなりの戦況を鑑みて、「打つ手」を施し、ゲームの流れが時間帯によって「うねる」ような、いわゆる「サッカーの醍醐味」が味わえたように思うんですよ。
柏の入り方。あれしかないやろね。「石崎さんを男にしたい!」というモチベーションを上手くそのままゲームに注入しようとした前半開始早々。
で、それが来るのは解っていたG大阪。「ここをしのげば俺らのペースが・・・」という狙い通りに「最後で耐える」という時間帯を過ごした前半。
後半開始から切り札「フランサ」を投入。二の矢を放って、「勝負を賭けた」柏。その間のG大阪のゲームの「いなし方」もまた見事。そんでもってその間、しばしフランサの僕が大好きな「ヒール」を楽しんで(笑)。
G大阪の後半ラスト15分切れぐらいからのボールの支配。危険を冒さずに、じわじわとゲームを自分のところへ手繰り寄せようとしたあの実力。
そうなることが解っていたからこその、柏の前半であり、後半のフランサであったんだけど・・・。こうなったら、引いて引いて最後は「李」のカウンターかコーナー狙い・・・が、ミエミエの柏。
で、それが解っているG大阪のまた手練手管。
こういう「展開」と「流れ」と「読み」が交差した後半~延長の両者の駆け引き。
それらを粉砕しようとする、個々人の「一発」の魅力と、力の拮抗。
「サッカーとは「読み合いのスポーツ」で、その「読み」をワンプレーで一気に変えることができる10人対10人が、これまた「読み合い」ながら戦う」醍醐味を、存分に堪能させてもらいました。
意外性とは別の「読む楽しさ」が満杯の今年の天皇杯決勝でした。
意外だったのは「西野さんの涙」だったかな。
posted by 読裏クラブ |23:56 |
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2008年11月10日
またまた犬飼会長が、「教育的指導」のお立場から、「ご指導」と「ご意向」を発せられている。育成段階での「バックパス禁止」をご希望されているようだ。何でも視察に行った「ドイツ君」がそのような指導を行っていることに触発されて、犬飼会長の琴線に触れたらしい。この世代でのルール化まで真剣に視野に入れているようだ。
ちょうど良い機会なので、このネタを掴みとして、今回は「バックパス」について触れてみたい。
みなさんは「バックパス」というものにどのようなイメージを抱いておられるのだろうか?
僕の理解では「バックパス」は、おそらく「ジーコ」の時の「ポゼッション至上主義」の流れから生まれた、「だるい試合」「消極的なゲーム運び」「点が入る気がせん」という代名詞として一般用語として使われだしてきたのではないか?と思っています。
事実そういう「バックパス」も多く存在したし、「行かんかい!」というタイミングで、「後ろへ折り返す」パスも何本も見てきました。
しかし、それを持ってして、「バックパス」=「消極的」という単純構図で物事を語るというのは、いかにも「如何なものか?」感が拭えません。「前へ」のパスが積極的で「後ろへ」のパスが消極的とは、こらまた、乱暴な・・・と思うのが正直なところです。
それに加えて「育成段階では」という特別措置、特措付きというのが、これまた引っ掛かる。
ほんなら、「いつからバックパスしてもええ成熟段階(←この表現もいかにも変だが)」というもんに切り替えるのか?年齢か?カテゴリーか?U15は禁止でU19は解禁か?いや・・・もしかしてU19は禁止でU23が解禁か?いや・・・もしかして・・・ってそんなんどうでもええねんけど、要は、そういうことを考えること自体が日本サッカーの画一化を招いてる証左ではないんかいな?と・・・。そう思うわけですよ。
私事で申し訳ないんですが、私が高校生のときなんて、そらもうバックパスなんて暗黙的に禁止でした。「後ろへ落とす」ということは、バックへボールを渡すということで、そんなもんしようもんなら、「前へ蹴っとけぇ~」というコーチの罵倒が飛んできたもんです。
でもね、これまた私事で申し訳ないんですが、私が高校のときは、同じ大学のサッカー部が隣で練習していましたもんで、その大学生は平気でバックにボールを預けて展開しているわけですよ。中盤の選手が囲まれても後ろへポーンと戻して、そのボールがまたサイドに展開されて、そのサイドバックが半分フリーな状態で中盤に入ってきて・・・そういうのを繰り返されたときに、どれだけそのバックパスが恨めしかったか。
で、その大学生と試合をやると、あっちはバック間でホイホイボールを廻して展開してるのに、こっちゃ、前へ蹴って(前へ突っかかって)ボールを取られていくばかり。必然的にポゼッションは落ちて、ボールを追いかけて、疲労して、スペース空けちゃって、そこを突かれて、崩されて、ズドン!
で、当然、考えるわけです。高校生だった僕でも。選手として。
「俺らもあんなサッカーしたい」って。「俺らでも出来るはずや!」って。
だから、その時コーチに言いました「何で俺らも後ろに廻したらアカンのっすか?」って。
そしたらそのコーチ曰く
「そんなサッカーは大学になってからやったらええんや!」って。
おいおい・・・。
その時に、若かりし「読裏クラブ君」がどれだけ落胆し、どれだけ失望したか・・・想像いただけると思います。
サッカーはイマジネーションであり、創造性のスポーツです。ルールはいたってシンプル。何人抜いてもいいし、どれだけボールを持ってもいいし、パスはどこに出してもいい(除くオフサイド)。今ボールを持っている、その選手が、ありとあらゆる選択肢の中から一瞬にして自分の表現を決断し、それを自分の肉体と技術で実行に移す・・・からこそ奥深く、面白いのです。
てなわけで、僕は今、ここに、正々堂々と、真正面から、心の底から宣言し、訴えます。
「バックパス禁止、絶対反対!」「バックパスを使わないサッカーはソコが浅い!」「バックパスがサッカーに奥行きを与える!」と。
・前が詰まってたら後ろに落とすんが当り前やろ?
・前が詰まってるのに、前に突っかかるのは、積極性やなしに、頭が悪い!
・前に行くだけが能やない!
・後ろに引いている連中を誘き出すバックパスはサッカーのもっとも高度な戦術の一つ。
・1-0でラスト5分でラストパス⇒バックラインボールキープ⇒サイドチェンジ⇒・・・はサッカーの最も充実した時間
ここで取ったる!と、囲い込んだポイントの中盤の選手がダイレクトで落としたら(バックパス)どれだけうっとおしいか。
・サッカーは10対10。フィールド間はある意味空いているスペース探し。空いているところを狙うために、一回落とす(バックパス)のは基本中の基本!
などなどなど・・・僕のサッカーの基本のそれまた基本に「ボールポゼッション」があり、その「ボールポゼッション」のための基本の基本が「バックパス」なわけですよ。それを奪われてどうして創造性のあるサッカーを表現するのか?
突撃サッカーがそんなにお好みか?
玉砕サッカーがそんなにお好きか?
単純明快ならそれでよろしいか?
戦闘的(と見えるだけ)ならそれで満足か?
是非是非ご一考願いたい。
最後に、私が現役時に、前へ前へ行こうとする下級生によく試合で怒鳴ったセリフを一つ。
「後ろフリーやろ!落とさんかぃ~!ボケェ~~」
おあとがよろしいようで。
posted by 読裏クラブ |22:28 |
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2008年10月04日
今回は前回に引き続き「カウンター」のネタで。
皆さんは「ミニマッチ(ゲーム)」を経験されたことがあるでしょうか?
例えばペナルティエリアの中で両サイドにコーンを1M強ほどの間を空けて立ててゴールとみなし、3対3。
例えばハーフコート(全面の1/2ですね)で同じくコーンを立てるかあるいは、専用のミニゴールを置いての5対5、あるいはキーパーを入れての6対6。
このようなゲームで一番「勝つ確率」が高いのは、どういう戦いか?というと、これはもう経験された方なら全員がうなずいてくれるでしょうが、「ゴール前にベタ引きして、取ったらカウンター!」です。理想は、前に一人置いておいて、残りのメンバーでゴール前に張り付く。中盤の相手側のパスはオールフリー。そもそもゴール前以外ではボールを獲る意思も持ちません。ボールをキープしながら、パスを捏ね繰り廻してゴール前でこちょこちょやってもまず勝てませんね。この場合。
まるでバスケみたいに、ボールを獲られたら、とにかく自陣までスゥ~~っと引く。相手が真ん中でボールを持ってても、パスコースを切るわけでもなく、正対するわけでもなく、スゥ~~っと引く。考えてみれば、サッカーって相手にどフリーにさせれば、必ずボールは自分のゴールに向かって運ばれるわけやから、その運ばれる先で「守ってましょ・・・」というのも道理に適ってるっちゃあ、適ってるわけで。
で、相手はゴール前でポストプレーを試みようとしたり、ワンツーで崩そうとしたり、サイドをえぐって横からマイナス目を折り返そうとしたり。でもほとんどがカットされて、カットした方は前に残ってる一人に「ポ~~ン」と蹴って「あとはお前が点獲ってこいやぁ~」みたいな態度で残りのメンバーは自陣で傍観。
とっころが、相手さんは全員前掛かりになってパス廻しに参加してるんで、そのままこっちはキーパーと1対1になって、はい・・・ゴール。
「なぁ、カウンターすんの禁止にせぇへんか?面白ろないし!」っていうやりとりもしばしばありました。
それぐらいカウンターって「勝つ」ための近道なんですよね。
昨日いただいたコメントに「カウンターは相手が持ってくれてなんぼ」というのがありました。そうです!おっしゃる通り。カウンターのチームが一番苦手にするのが、「持たない」チーム。あっちも「カウンター」ってやつですよね。これはカウンター体質の構造的な欠陥です。自分達がボールを持ったら持ち味が半減してしまうという・・・。
でもこのロジックは逆に言えば「相手にボールポゼッションを放棄させる」ある種の手段にならんやろうか?
「おい!あかんって!持ったら!廻すな!持ったらあいつらの餌食やぞ!!」って。
「カウンターを殺すにゃ刃物は要らぬ、ボールを持たせりゃそれでよい♪」てなドドイツがあったとかなかったとか。
でも、それを逆手にとって、この延長線上には高度な戦術が見えてこないだろうか?「こっちから追いかけてボールを奪わんでも、相手がボールを放り込んでくれる」という。ですな。つまり、こっちが「カウンター上手」を匂わせるとあっちはボールを持たせてくれる・・・ってわけ。名付けて「こっちから追いかけてボール奪わんでも、相手がボールを放り込んでくれる戦法」(ベタでしょ?・・・笑)
そうなるとこういう試合展開はできないだろうか?仮に相手が「韓国」だとしよう。韓国とは久しく「ガチ」をやってないので、韓国も日本のペースを掴みきれないという前提で・・・。
韓)「おい!あんまり持つなって!あいつらミエミエでカウンター狙いなんやから!早めに相手側に長いボール蹴っとけって!どうせ、持ったってたいしたことできへんねんから!ミダ!」
韓)「おい!あいつらボール持ったらカウンターやなしに、カンカン廻してくるやないか!ほぅ!オモロイやん!それやったらこっちも仕掛けようぜ!ハセヨ!」
韓)「ああ!あかん!仕掛けたら、カウンターしてきよるやないか!あっぶなぁ~~!もうちょっとでやられるところやったで。ミダ!」
韓)「おい!あんまり持つなって!またカウンター喰らうぞ!早めに相手側に長いボール蹴っとけって!ハセヨ!」
韓)「おい!あいつらボール持ったらカウンターやなしに、カンカン廻してくるやないか!ミダ!」
韓)「おい!どっちやねん!持ったらカウンター仕掛けてきよるし、持たせたらカンカン廻してくるし!」
韓)「おい!もっとボールキープして廻せって!ミダ!」
韓)「おい!ボール持つなって!危ないやろ!ハセヨ!」
韓)「ボール持て!ミダ!いや、持つな!ハセヨ!持てミダ!持つなハセヨ!持てハセヨ!持つなミダ!!あああ、俺ら何やってんねん?」
てなことになり相手はパニックに。
こうなったら本当に脅威やと思いません?これぞカウンターの真の脅威、真の威力やと思うんだけど、こういう戦術、日本代表が取ったらホンマ、痛快なんやけどねぇ~。
posted by 読裏クラブ |20:48 |
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2008年10月03日
以下のような状況を想像してみて欲しい。
皆さんの想像を助けるために、一方のチームは「赤」、一方のチームは「青」だとしよう。もちろん色はユニフォームの色だけど。「青」が試合を優勢に支配。ボールポゼッションは、67:33で青。通常どれだけ「ボールを廻してるな」と感じる試合でもポゼッションは65を超えるということは少ない。ので、この67という%は異常なほど、ボールを廻しているということを表している。さて、もう一つの数字、コーナーキックの数。これは青が4本、赤が3本としよう。で、最後にシュートの数。これが2本どうしでまったく五分だとする。ちなみに最も重要な得点は「青」「赤」ともに「0」!
これが前半45分を終わったゲームの一部の数値だ。
その流れでそのままゲームは後半に突入し、ゲームの性格はそのまま変わらないとしよう。
残り15分・・・。
さて、貴方が監督としてチームを持つとしたら、いったいどっちを持つか?
もっと卑近に言えば「銭を賭ける」としたらどっちにベットするか?
上記の数字の差が後半も違いがないとしたら、典型的に「青」が押して「赤」が守りに専念している試合内容となる。が、シュートの数から「赤」はちょいカウンター狙いの空気が感じられるかも。こういう試合って本当によくあるパターンでしょ?サッカーのトラディッショナルとも言えるぐらい、典型的なパターンでしょ?
もう察しがつくと思うが、こういう試合(内容)の場合、かなりの確率で賢明な皆さんは「赤」を持つよね?
つまり、支配しているより、支配されながら「蜂の一刺し」を狙ってるほうを・・・。統計的にもかなりの確率でそう、「赤」が勝つんじゃないかな?と、思うでしょ?
もちろん僕もそうします。と、いうより、何故だか僕は「カウンター」ってもんに魔性の魅力を感じる男の一人なんっすよ。
もちろん細かいワンツーや、ヒール、短いスルーや、ちょこちょこ切り返し、アウトサイドの足首だけで反転・・・などなど、ちっちゃいプレーや局地プレーが大好き!ボールをキープしてたら、シュートなんかしなくても幸せ!っていう男です。なのに、身体のどこかで、「守って守ってカウンター」というもんに惹かれるDNAがあるんですよね。
実際、この「カウンター」ってやつ、決まればそらもう、痛快!爽快!そうでっかい!というぐらい「気持ちええ」っしょ?
相手の「まさか・・・」っていう顔や「こいつらになんでやられるねん」という顔、顔、顔・・・。
んでもって、「まさかの先制点」を取り返そうと、これまたラスト5分で死に物狂いで攻め上がる輩を尻目に、もう一発カウンターで沈めた日にゃぁ~・・・そら、もうアンタ・・・。ビールが美味い!!
ゴホン・・いや・・・その・・・ついついカウンターの魅力に我を忘れて興奮してしまいました。・・・つまり
そういう事ではなくって、僕が言いたいのは「カウンター」の威力の話です。
カウンターを決めるまでの「廻されまくり」「持たせまくり」も、実は「世を忍ぶ仮の姿」であるからにして、鎧の下にはいつでも必殺の刃を磨いているっちゅうわけです。
ボールをキープするだけのパス廻し。どこに出してもそこそこマークがついているペナルティ周辺。クロスを上げても基本的には立って飛ぶから、跳ね返されやすく、ちょっとボール一個分でも楔がずれると、それなりに相手の足がきっちり出てくる状況。廻しても廻しても崩れん・・・。廻すためだけのボール、攻める意思が薄れるボール廻し。取られないためだけのサイドラインへの球出し。
これらすべてが「カウンター」の餌食の一歩手前ですな・・・。
んでもってちょっとでもパスが引っ掛かろうもんなら、センターサークルでうろうろしてたトップがいきなり「ガァ~~~」ってコーナーフラッグ目がけて全力疾走するわ、最終ライン(それも前がかりになった)とキーパーとの広大な土地で大暴れするわ、その横から「ドォ~~~~」っと、サイドから一人出てくるわ・・・。
見ているこっちも
「おお・・・・」
「よっしゃ・・・」
「おおおおおお~~?」
「い・・・いけぇ~~~」
「いけ!うて!うて~~!」
「よっしゃぁぁ~~~~~~~~(ごぉ~~~る!)」
てな反応に。
そういう意味でいきますと、こういうシーンをお家芸にするクラブって、もっともっと出て来て欲しいなぁ~。「カウンター」と言えば●●●やろ?」てな感じの。ところどころにその片鱗を今だったら名古屋あたりが見せてくれるんですが、「カウンターが伝統の」というクラブではまだないでしょ?
代表にしても、なんかいつもいつも「高い位置で囲みながら、奪取して、速い攻撃で」っていう感じなんで、一旦「受け身」に入っちゃうとどうしても後手後手感が否定できん。イラン相手に、韓国相手に、「ほれほれぇ~、廻したかったら廻しとけやぁ~?」てな感じで相手を「いなす」というか「弄ぶ」というか、そういうカウンターチームの独特の匂いというのも是非身につけて欲しいと思います。1-0で勝ってる時はもういきなり「赤チーム」になっちゃって、相手の焦りを誘いだすように。
日本代表がカウンターで、韓国相手に、ロスタイム残り2分で2-0に!なぁ~んて、展開になったら、その残り2分、この時間こそが「人生最高の瞬間」ということになるもんね。
どこかに「カウンター専門チーム」、生まれないかなぁ~
実は浦和なんかその筆頭候補なんじゃないか?なんて思ってますがね。
posted by 読裏クラブ |00:43 |
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2008年04月10日
鹿島とG大阪がACLでともに勝利をもぎ取った。アウェーの4-3での大阪は相手といい、その勝ちかたといい、インパクトは大きいんだけど、そのスコアがねぇ…
見ている方は面白いかもしれんし、いわゆるクライフ的なんかも知れんけど、2試合続けて打ち合いというんはどうなんやろね。
それを思うと鹿島の1-0の方が強さを感じますな。
アウェーの4-3とホームの1-0と、皆さんはどちらがお好みか?
posted by yomiuraclub |00:00 |
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2008年03月24日
先日読んだ「物理学」の本で面白い表現がありましたので、ここでちょっと引用させていただきます。
陣営1「実在派」
物理学の数式の背後にはモノが「実在」していて、物理学は、その実在を解き明かす仕事である!
陣営2「実証派」
物理学の数式は実験と比較するためのものでしかなく、物理学は、実在を云々する学問ではない!
これをもっと一般化すると
世の中にはいろいろなことに「理由」を求める人と、そうでない人がいる。例えば、犯罪事件が起きたときに、犯人の動機や犯人が置かれていた環境などを気にする人と、そんなものは気にせずに、犯人が捕まるかどうかだけに興味がある人がいる。前者が陣営1で後者が陣営2だそうな。
エンジニアリングの比喩で言うならば、回路や機械やプログラムの中身をブラックボックスにして「うまくいくならそれ以上気にしなくてもいいじゃん」と開き直るのが陣営2であり、「中身が理解できないと安心できないんだよ」と悩んで中身を調べ始めるのが陣営1らしい。
アインシュタインが死ぬまで量子論に文句を言い続けたのは彼が陣営1に属しており、ホーキングの宇宙が一般人だけでなく、専門家にもわかり難い部分が多いのは、その一つの理由に彼が典型的な陣営2のタイプの人間だから・・・だそうな。
スポナビさん。ごめんなさい。今回は別にアインシュタインの話しで終わるつもりはありません。ここまでは前振りです。
もう賢明な読者の方々ならお解かりでしょ?陣営1がどういう類で陣営2がどういう類か。
強引にネタをつけるとしたら
「陣営1」=「実在派」
は、「サッカーは常に最新のシステム、進むべき進路があるはずで、試合はそれらを探求する一つの大きな手段であり、試合の結果よりも、その真実を追究することが重要だ。その中で我々が何をすべきか?を常に模索していかねば、サッカーの進歩はそれで終わってしまう」
「陣営2」=「実証派」は、
「いいじゃん!勝てばさ!」
「とにかく勝たんと!」
「勝ってからだよ!そんなこと言うのはさ!」
「勝たないとさ!何を言ってもいいわけじゃん!」
「勝てば、その間でシステムなんてもんは出来上がってくんのよ!」
強引ですかね?まぁ、今のサッカー界に「陣営2」をバリバリに標榜する輩はそうはいないでしょうが、それでも、陣営1風でも本質は陣営2という人達は結構存在しているんじゃないですかねぇ~?
まぁ、サッカーは物理(モノ)ではないわけで、人間がするわけで、「陣営1」でも上手くいかんでしょうし、もちろん「陣営2」では早晩行き詰るでしょう。
え?お前「浦和」=「エンゲルス」を無理やり陣営2に持って行ってオチをつけようとしてないか?
ですって?
う~~ん。読まれましたか。
posted by 読裏クラブ |21:30 |
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2008年02月20日
中国戦。荒れたゲームでしたね。威信というものが背景にあったからでしょうか、赤い国同士の友好関係にも後押しされて、向こうは「やりたい放題」でしたね。まぁ、安田も大事になっていないようですし、まずは一息です。
荒れ荒れの中ではありましたが、昔の中国のイメージからは随分違ってきたように感じます。「つないでいく」というか「崩そうとしている」というか。「サイドチェンジ」も結構正確なタイミングで織り交ぜてましたし。まだまだ完成度が低いので最後の詰めは甘いですが、「パワープレーオンリー」のイメージが少し変わりました。最終予選でもし同居すれば「楽勝な相手」とはいかないような。まぁ、こっちもそのときは「Aチーム」ですから今日の内容自体は参考にならないでしょうが。
さて・・・4-2-3-1は過去にあったのでしょうか?私としてはこのシステム、結構好きなんですよね。ただ「3」のところに出来れば前の「1」を常に追い抜くタイプ、その周辺を常に前後に位置する人を入れておくと、より流動性が高まる気がします。ワントップの左右にある広大なスペースに裏を狙って2列目から狙っていくタイプが一人必要なんでしょうねぇ~。今日の3人はどちらかというと全員足元派でしたから。安田もガンバユースの杵柄ポジションだったので期待したのですが・・・。ちょっと空回りだったですか?
前へ抜ける動きは「通り」はそれほどしないでしょうが、そこを常に狙われているとラインもやり難いでしょう。前と斜めを見ながら後ろにステップを踏む状態になりますからね。現状では「山岸」か「大久保」でしょうか。「前田」なんかもここでハマルかもしれません。本番で希望するのは「松井」と「柏木」なんですが、どうですか?「柏木」を買いかぶり過ぎだというご指摘もありましょうが、「内田」が出てるのなら「柏木」も出ていいでしょう(苦笑)?そうなれば「松井(柏木)=左」「遠藤=中」「俊輔=右」と並びます。ちょっと壮観じゃないですかね?その後ろに「鈴木」と「憲剛(稲本)」。ワントップなら本当は「巻」なんでしょうが、「高原」でも遜色はないでしょう。超大穴で「鈴木(隆)」・・・・それはないか(苦笑)。
とにかく、4-2-3-1はアウェー用のシステムとして是非今度のバーレーンで一度試して欲しいと思ってます。今日やったのがそのためだったら楽しみなんだけど。韓国でどうするのか?ちょっと興味があります。
posted by 読裏クラブ |21:35 |
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