2008年12月21日

大学選手権と桑田真澄さん

昨日は埼玉県の「熊谷ラグビー場」って所に、ラグビー観戦に行ってきた。 

T君という同級生と行く筈だったが、彼が寝坊&高熱でドタキャンということで、一人寂しく行ってきた。 

ところで熊谷という所は、恐ろしく遠い。 

電車で行くと2時間弱なのだが、何を血迷ったか「車で行く」という失敗を犯してしまった。 

関越自動車道に乗るまでに環七・環八で渋滞、高速降りてからも渋滞、ウラ道検索で更に迷い込み、試合開始ギリギリに到着。 


でもって、ようやく関東学院大vs早稲田大。 

関東学院大ユニフォームと同色の雲一つない青空に恵まれたため、なんだか「今日は勝つんじゃないか」と思っていたのも束の間。 

押されまくり、序盤から早稲田大ペース。 

密集、連続、展開。 

密集、連続、展開。 

早稲田の時間。 

関東学院大はキープして展開してもバックスのパスミスが多く、また早稲田の寄せやタックルが素早くて、主導権握られてしまった。 

密集も早稲田大の方が、遥かに早かった。 

前半は確か、1トライ、1ゴール、1ドロップゴールで11-0で折り返した。 

後半。 

僕が、関東学院大のミスに深いため息を漏らすと、横の老夫婦が話しかけてきた。 

老:「今日はどちらから?」 

僕:「東京です」 

老:「君は関東学院大出身かい?」 

僕:「いいえ、違います」 

老:「では、大学は早稲田かい?」 

僕:「いいえ、違います。でも大学院は早稲田です」 

老:「じゃあ何故、関東学院大を応援してる?」 

僕:「ただ関東学院大が好きですし、中学高校は関東学院大の付属校でラグビー部に所属していたもので」 

老:「そうですか。じゃあ、関東学院も早稲田も出身校だから、どちらも応援出来て楽しいね?」 

僕:「別に楽しかぁないです。ただ、関東学院大の付属校で一応ラグビーをやっていた者として、早稲田大を撃破できるか否かが年末年始の一大ニュースではありますね」 

老:「両方行っていると、なかなか複雑な気持ちがあるだろうね」 

僕:「因みに貴方は、早稲田大のご出身なんですか?」 

老:「勿論そうだよ。妻もそうだ。学生結婚でね。娘たちもそうでね。今日は世田谷から遥々来たが、しかし熊谷は遠いね」 

その後、早稲田大の大隈講堂の建築に関する話をされた。 

早稲田大の試合を熱心に見に来ているオッサンたちは、早稲田大出身の方々が大勢を占めているという。 

まあ当然といえば当然だが、早稲田や慶応などは、やたら母校愛の強い人、母校絶対主義的な人が多いように感じてしまう。 

僕にはない感覚なので、よく分からない。 

老:「それでは、君は大学は早稲田大でも関東学院大でもないんだね」 

いい加減観戦に集中させてくれ、と思ったが付き合うことにした。 

僕:「大学は成城大学という3流どころなんです。ご存じですか?」 

老:「おおぉぉ~。素晴らしい。よく知っているさ。なぜなら私は、高校まで成城だったからね。因みに学部は?」 

このオッサンとは、なかなかの接点、縁を感じた。 

その後は、成城大ラグビー部の話。 

成城大には数年前から元日本代表SOの松尾雄治さんが監督として来た。 

この人は、明治大と新日鉄釜石で黄金期を築いた昭和のヒーローの1人。 

松尾さんも小学校と中学の途中まで成城に在籍しており、当時の成城中高は都内でも屈指の強さを誇っていたらしい。 

大学の方は、現在2リーグで低迷中。 

んで今年、ちょうど先週、同じ熊谷ラグビー場で成蹊大との入れ替え戦に負けてしまい、あの松尾さんをもってしても1部昇格は果たせなかった…という話をしてくれた。 

予算や設備などの面で学校側の理解を得るのが難しいのでは、という話に落ち着いた。 

久々に出身大学に関する話をし、聞いた。 

日常生活の中では出身の学校の事を意識しないので、なんだか今日は新鮮だった。 

そんな他愛もない話を老夫婦としていたら、後半も終盤だった。 

結局、関東学院大は終了間際に意地の1トライを返したものの、5-21で敗北。 

選手権1回戦で、08シーズンを終戦した。 

直後、秩父宮で行われた慶応大vs帝京大を観に行っていた先輩から電話がかかり、慶応もまた同様に終戦したと伝えられた。 

熊谷から帰路に就いたが、高速入口まで1時間半、関越で1時間、外環・首都高で1時間半の渋滞に見舞われた。 

今日は殆ど移動していたタフな日となった。 


ところで。 

早稲田大で思い出したが、元読売巨人軍の桑田真澄さんが来年から早稲田大学院に入学することが決まった。 

先日スポーツ紙の一面でも大々的に報道されていた。 

桑田さんが入学する研究室は、僕が春まで在籍していた所。 

要するに、超リスペクトしている桑田さんが僕の後輩になる。 

「あと2年俺の入学が遅ければ、同期として机を並べて議論できたのに…」 

率直にそう思ってしまった。 

先週の金曜日、早稲田大の講義で桑田さんが講演した。 

仕事の都合で参加できなかったが、500人収容の講堂は超満員で大変だったみたいだ。 

来年は是非とも大学院のゼミに顔を出そう。 

そう思う今日この頃です。 

おしまい。

青空の熊谷ラグビー場
関東学院vs早稲田
同敷地内にあったくまがやドーム


posted by yanmar |12:27 | プロ野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年12月18日

マンチェスター・Uvsガンバ大阪 今夜が山田

 今夜19:30から横浜国際総合競技場で、クラブW杯(FCWC)準決勝第2戦・マンチェスター・ユナイテッド(欧州代表/イングランド)vsガンバ大阪(アジア代表/日本)の"世紀の一戦"が行われる。
 試合の見所は、欧州最強にして世界最強の呼び声高いビッグクラブ・マンUに対し、小さな島国のローカルクラブ・G大阪がどのような戦いを見せるか。これに尽きる。

 G大阪の不安点は、ズバリ2つ。1点は、14日の準々決勝アデレード・U戦でMF二川孝広、MF佐々木勇人が負傷したこと。今のところ股関節を痛めた佐々木の出場は絶望視されているが、西野朗監督は膝を痛めた二川の強行出場を示唆している。二川が出場できたとしても、世界最強軍団相手にベストメンバーで臨めないのはやはり痛い。そして2点目は中心選手のMF遠藤保仁が徹底的に研究されている点。アジアを代表するスタープレーヤー・遠藤がその包囲網をかいくぐり、如何にマンUを攻略するかが最大のカギとなる。また、かつて京都サンガ時代に共にプレーした遠藤とMFパク・チソンの元同僚対決にも注目が集まるところだ。
 一方、マンUのファーガソン監督は「大事なのは勝つこと」と位置づけながらも、FWクリスティアーノ・ロナウドをはじめ、FWウェイン・ルーニー、MFライアン・ギグス、MFポール・スコールズ、DFガリー・ネビルらの起用を声高らかに明言するなど、ビッグクラブならではの余裕すら見せている。マンUは99年以来の世界制覇を達成するためにも、"こんな所でつまづくわけにいかない"という強い覚悟でG大阪に迫ってくるだろう。
 この戦い、例えるならば世界最高峰のマシンを兼ね揃えた英国のグローバル企業に、日本の小さな町工場が挑むようなもの。しかし、ビビる事はない。小さな町工場だったホンダもトヨタも、その技術力と組織力と情熱で世界企業に成り得たのだ。近代化とは、要はアタマと組織力。そして、サッカーは終わるまで何が起こるか分からない。西野監督には、96年の「マイアミの奇跡」ならぬ「新横浜の奇跡」を起こしてほしい。やってやれないことはない、やらずに出来る筈がない。西野監督やれんのか!?G大阪やれんのか!?
 "世紀の決戦"の笛は、今夜19:30に鳴らされる。町工場・G大阪の生き様を見届けよ!!

posted by yanmar |14:33 | サッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年12月07日

名波、お疲れ!天才レフティ、,涙の引退…。

 ジュビロ磐田の「天才レフティ」・名波浩が6日、超満員のヤマハスタジアムで惜しまれながらピッチを去った。残留争いのかかった大事なホーム最終戦。過去に3度のリーグ優勝、ステージ優勝6回のタイトルを獲得した名門・磐田だが、今はその面影はなく、今季はJ1残留が目標となった。しかし、この日の大宮アルディージャ戦も0-1で敗北し、来週ベガルタ仙台との入れ替え戦に臨むこととなった。
 試合後、サックスブルーに染まったスタジアムで名波の引退式が行われた。往年の磐田で共に戦った藤田俊哉(名古屋)、福西崇史(東京V)、高原直泰(浦和)をはじめ、親交の深いミスターチルドレンの桜井和寿氏からのメッセージが送られ、中山雅史から花束と背番号「7」のユニフォームを手渡されると、名波の瞳は涙で溢れた。名波は愛着のあった背番号「7」を着て、駆けつけたサポーターに引退の挨拶をした。
 「本日は情けないゲームを披露して申し訳ありません。あと2試合未来に続くゲームが待っています。そのためにあと1週間努力をしたいと思います。右膝は、もう、ボロボロです。こんなに長くサッカーをやれるとも思っていませんでした。多くの選手、スタッフ、サポーター、今日は大宮のファンがいる中で、様々な方々に支えられた14年間でした。今度、指導者として磐田に戻る時には、サックスブルーの常勝軍団にしたいと思います。本日は本当にどうもありがとうございました」。そして、名波は涙をこらえながら、ゆっくりとスタジアムを一周して、サポーターに感謝の気持ちを伝え、そしてピッチを去っていった。

 名波浩、36歳。充実した14年間のプロ生活だった。
名波は、清水商高、順天堂大を経て、95年に磐田入り。1年目からレギュラーを獲得し、その年の8月6日にはコスタリカ戦で日本代表デビュー。デビュー戦にして初ゴールを決める活躍を見せ、その後一気にブレイクする。97年にJリーグを制覇すると、翌98年にはヤマザキナビスコ杯のタイトルを奪取。99年に2度目のJリーグ制覇を成し遂げ、96-98年には3シーズン連続でJリーグ・ベストイレブンに選出された。そして背番号「7」は、「強い磐田」の代名詞となった。また日本代表としても、98年のフランスW杯ではアジア予選から本選までの全試合に出場。ボランチとして日本を初のW杯出場に導き、日本のサッカーファンを歓喜の渦に巻き込んだ。02年には、リーグ史上初となるJリーグ完全優勝(1st、2ndステージ制覇)にも大きく貢献し、03年には天皇杯をも制した。20世紀後半から21世紀初頭にかけての磐田の黄金期のド真ん中に名波は君臨し続けた。
 しかし、磐田での出場機会が減った06年、名波はセレッソ大阪へ、翌年には東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)に移籍。「お前はジュビロ磐田で辞めなくてはダメだ」。内田篤前監督にそう促され、08年名波は現役最後の地に磐田を選んだ。数年ぶりに古巣・磐田に戻ると、自分よりも年上のチームメイトは中山だけになっていた。リーグを見渡しても、自分よりも年上のJリーガーは殆どいなくなった。それでも名波は、愛する磐田で、愛するサッカーを続けた。しかしながら、膝がもう、限界だった。今季のリーグ戦での先発出場は僅か1度、己の理想のプレーとは程遠かった。そして、11月14日。名波は記者会見で今季限りの現役引退を表明。「自分がイメージするパスが、細かく言えばボール1個分、2個分という世界の中でバランスの悪さを自分自身感じていた。それが最大の決め手」。名波は引退の理由をそう説明した。
 この日の大宮戦では出番はなかったが、チームが入れ替え戦に突入した事で名波の現役生活はあと1週間続く。「天国のお袋がね、"あと1週間頑張りな"、そう言っているような気がするんです。だからやり残すことがないように、このチームのためにしっかり後押ししたいと思っています」。帰り際、名波はそう語った。チームも自身も新しい未来のために、あと1週間、名波の挑戦は続く。

おしまい

posted by yanmar |12:58 | サッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年12月02日

朴智星が日本にキターー!!

いや、まだ来ていないんですけど・・・。

楽しみですね。

マンチェスター・ユナイテッドで、クリスティアーノ・ロナウドと両サイドでコンビを組む朴さん。

先日の、マンチェスター・ダービーでも、ウェイン・ルーニーの決勝ゴールの懸け橋となる粘り強いプレーで魅せてくれた朴さん。

日本を離れて数年がたつのに、日本語が堪能で、非常に頭がいいですね。

インタビューなど聞いていると、非常に謙虚で、でも出すところは出すし、すごく良い選手だと思います。

いつものマンUでのスタミナ溢れるプレーを生で見たいものです。

早く見たいですね。

そして何としてでも、取材に行こうと思います。

京都サンガ時代に一緒だった、ヤットさんとの対決も非常に見ものですね。

マンUとG大阪の戦いが見たいっす。

きっと朴が尊敬していると言って憚らないカズさんも、応援に来るでしょう。

本当に楽しみっす。

でも、その前にG大阪が準々決勝を突破してくれないと…。

頼むぞ、佐々木。頼むぞ、ヤット。頼むぞ、山崎。頼むぞ、ルーカス。

…てか、全員頼んだ!!

おしまい

posted by yanmar |21:03 | サッカー | コメント(0) | トラックバック(0)
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2008年12月02日

東海大という新しい力

11月30日に行われたラグビーの関東大学リーグ戦1部・最終戦、東海大vs関東学院大。

東海大が31-12で関東学院大を下し、昨年に続いてリーグ戦を制覇した。

昨年は、大麻事件の渦中にあった関東学院大が不在でのリーグ優勝だっただけに、今年は正真正銘、ガチでタイトルをもぎ取った。
そんな印象がある。

「新しい力」「新しい波」となった東海大は今後、新興勢力の筆頭となれるだろうか。
今後が楽しみだ。


極端に言うと、リーグ戦では、関東学院大と法政大の2強時代が長らく続いてきた。

今となってはリーグ戦の、大学ラグビー界の巨人となりえた関東学院大も、振り返れば弱小新興チームの一つに過ぎなかった。

少し調べてみると、関東学院大の進化は「凄まじい」の一言に尽きる。

折れ線グラフで表すと、この34年間、ずっと右肩上がりで伸びていた。

春口監督が赴任してきた1974年、関東学院はリーグ戦3部の最下位。

77年に3部で全勝優勝を果たし、2部に昇格。

82年には、2部で優勝、悲願の1部へ昇進した。

「10年で1部へ」という春口監督の掛け声のもと、関東学院大は僅か9年でドン底から1部へ這いあがった。

1部昇格後の数年間は、7位8位をウロウロしていたが、87年には3位、90年にはリーグ戦初優勝。

その後の96年から06年までは、98年、04年以外の全ての年度でリーグ戦を制覇しており、その大半は全勝優勝。

97年から06年の間では、97年、98年、00年、01年、03年、06年の6度、大学選手権でも優勝を成し遂げている。

ラグビーのルーツ校・慶応大が3度日本一になるのに100年もかかったところを、関東学院は20数年でやり遂げた。

凄い進化である。

私の拙いリサーチだが、以前調べた事がある。

関東学院は、グググっと成績を上げている前年か、その年に何かしらの改革をしている。

改革と言っても、コーチや環境の整備などであるが、これがチームの飛躍に大いに結びついていると思われる。

それを書くと長くなるのでまた今度に回すが、現在、あの事件以来、関東学院大はどのようになっているのだろうか。

昨年のあの事件を聞いた時、感じた。

帝国は一日にして築けないが、帝国が崩壊するのは一日あれば十分なんだな…、と。

春口監督がゼロから手塩にかけて築いてきたラグビー帝国の信頼やブランドや伝統が、不祥事のおかげで一夜にして地に堕ちた。

闘将は今、何を思うのだろうか。

「私にはラグビーしかないのです」。

そう語っていた監督は、これからどのようにしてラグビーに携わっていくのだろうか。

そして、如何にして新興ラグビー帝国を復興するのか。

それを知りたい。

また、「接近、展開、連続」、脂の乗っていた頃のような関東学院大の鮮やかなラグビーを見たい。

そして、冬のクソ寒い中、スタジアムでまた熱くなりたい。

そう願う今日この頃です。

おしまい

posted by yanmar |19:10 | ラグビー | コメント(0) | トラックバック(0)
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