2008年11月26日
燃える闘魂・アントニオ猪木が、石井慧に厳しく当たったらしい。
猪木らしい闘魂注入、エールのつもりなのかもしれないが、メンタルの弱い石井は堪えているかもしれない。
どうだろうか。
デイリースポーツによると、猪木は…。
「ズバリ言って(石井の体は)小さい。外国人と当たったら吹っ飛ぶ。そういう意味で格闘技向きじゃあない」。
「ジョシュ・バーネットと戦ったら1分、5分ももたないね。1発でいかれる」。
「人気は一瞬。日本人の心は熱しやすく冷めやすい。マスコミが騒ぐのは、(石井の)人気があるうちは視聴率が取れる材料だから。現実は甘くない」。
「いい素材ではある。うまく磨いてほしい。いろいろな人と出会うことが大事」。
「頭をぶつけて(負けて)苦労する。そこから突き破れば成長する」。
「諸葛孔明の兵法にあった。『この戦略しかない』と思ったら終わり。いくつかの戦略を持ったら人生面白い」。
今まで、他のジャンルから鳴り物入りで、MMAマットにやってきた選手は数えきれない。
果たして、石井よ、やれんのか!?
個人的には、戦闘竜、太刀光、玉海力、大山峻護などのようにはなってほしくないものです。
今年の大晦日は、高校サッカーの取材でたまアリにはいけないので、DVDで格闘技を見よう。
そうしよう。
posted by yanmar |21:59 |
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2008年11月19日
いよいよ今夜、W杯アジア最終予選の日本vsカタール)だ。
カタールと言えば、「ドーハの悲劇」とか「天然ガス」くらいしかイメージが沸かない。
カタールという国がどこにあるかも知らない人は多いだろう。
まあ、そんなことは置いといて…。
カタールのサッカー文化は育成というよりは、取り寄せ、輸入という感じの文化らしい。
文化というほど大そうなものもないのだろう。
だからこそ、エネルギー産業で稼いだ大金をはたいて、選手を買うのだろう。
先日、「ゲキサカ」というケータイサッカーサイトで、「カタールのサッカー」について触れていたので、以下に引用紹介してみます。
(※ゲキサカ:http://shop.kodansha.jp/bc/fbn/moba.html)
わかりやすかったので、宜しければ読んでみてください。
ゲキサカは、会員になれば無料で世界中のサッカー情報や、コラム、写真など見られるお得なサイトでした。
皆さんも是非会員になって使ってみては如何ですかね。
たまに見ますが、なかなかのサイトです。
…と、話がそれてしまったので、本筋に戻しまして…。
以下、記事及び写真どえす。
[カタールのサッカー文化]
カタールでポピュラーなスポーツはバスケットボールやバレーボール、競馬、モータースポーツ、ボートレース等いろいろあるが、サッカー人気が最も高く、国内には10チームで編成されるリーグがある。
ナショナルチームのFIFAランキング最高位は51位(93年8月)だったが、現在は78位(08年10月)に落ち着いている。これまでの実績を見る限り、カタ-ルにとって日本は「与しやすい相手」と言える。93年のJリーグ発足以降、日本はカタールと3度対戦。94年の広島アジア大会のGL第2戦(94年10月5日)では1-1のドロー。2度目となった00年レバノンアジアカップのGL最終戦(00年10月20日)では、またしても1-1。3回目はベトナムでのアジアカップ初戦(07年7月9日)で、これも1-1のドローに終わっている。それ以前を含めてもカタールは日本に2勝3分と勝ち越しており、相性が良い相手となる。
近年、カタールをはじめとする中東諸国は潤沢なオイルマネーを使って「スポーツや選手の輸入」に精を出している。カタールの隣国であるUAE(アラブ首長国連邦=7つの首長国が集まった連邦国家)の首長国・アブダビは、FIFAクラブワールドカップ(09・10年)の開催権を落札し、F1グランプリ(09年)の招致を勝ち取った。また、UAEの投資ファンド、アブダビ・ユナイテッド・グループ(ADUG)は100兆円を超える資産を使って08年9月にプレミアリーグのマンチェスター・シティーを約400億円で買収した上、約163億円を使ってロビーニョなどの著名選手を獲得。これらは一例に過ぎないが、これまでスポーツの世界で余り注目されてこなかった中東諸国がエネルギー産業で築いた財産を武器に「スポーツの輸入」に着手している。その目的は「自国の国際的知名度と地位の向上」である。
カタールでも同様にスポーツ、特にサッカーのレベル向上に力を注いでいる。世界中から力のある選手を自国に帰化させることで輸入に成功。代表的な選手を挙げると、FWセバスチャン・キンタナ(ウルグアイ出身)、DFアブドラー・コニ(セネガル出身)、MFヤセル・フセイン(エジプト出身)、MFファビオ・セザール・モンテシン(ブラジル出身)などがカタールに帰化し、ナショナルチームで活躍している。Jリーグからもエメルソン(浦和=当時)がカタールに帰化し国内リーグのアル・サッドへ移籍した過去があり、また08年9月にはダヴィ(札幌)がアル・サッドへ移籍する話もでた(結局ダビィは札幌に残った)。07年には元ガンバ大阪のマグノ・アウベスもサウジアラビアのアル・イルテドに、バレーも08年にUAEのアル・アハリ・ドバイに引き抜かれるなど、かつてのJリーグバブルのような波が近年のカタールで起きており、「J経由中東行き」の流れができつつある。また、かつては元アルゼンチン代表のガブリエル・バティストゥータも引退前の数年をカタールリーグで過ごした。
カタールは18年のW杯誘致を狙っており、首都ドーハでは世界初の地下スタジアム建設計画が持ち上がっているという。このスタジアムは丘の中心部をくり抜いた半地下スタジアムで、ノートパソコンのように開閉式となっていることから「The Laptop」という愛称が付けられた。The Laptopは快適なエアコン設備が完備されており、気温が著しく高い砂漠の中でもサッカーが行えるようになっている。今のところスタンドが小さく収容人数が11000人と少ないのが弱点だが、W杯招致をする上で最初の武器となるだろう。
このようにカタールは自国の強みである資金を使って現在強化の真っ最中。岡田ジャパンにとっても侮れない相手となるだろう。
(文 山口雄人)
おしまい
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サッカー日本代表 |
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2008年11月18日
陽が落ちるのが、グググっと早くなった今日この頃。
肌寒くもなり、マフラーの季節到来。
同時に、高校ラグビー&高校サッカーの季節が到来した。
先日16日、ニュースで大々的に報じていた「高知中央高校が花園初出場!!」という記事。
聞いたこともない高校だった。
しかし、ここのゼネラルマネジャーを数年前から務めているのが、元ラグビー日本代表の大八木淳史さん(47)だという。
ラグビー不毛の地と言われてきた高知県。
そこに赴任してきた大八木監督。
これから高知県のラグビーは進化し、強くなるかもしれない。
30数年前に部員8人しかいなかった、神奈川県の山奥・関東学院大学に春口廣監督が赴任してきたように。
志が大きい、一人の監督の力で、何かが変わるかもしれない。
そんな気がした。
高知中央高は創部2年目にして、全国高校ラグビー高知県予選決勝で土佐塾高を10-3で破り、花園出場を決めた。
大八木さんは、約20人の部員に胴上げされ感涙を流したという。
県のレベルが低い高知県とは言え、ラグビー部すらなかった高校を2年目には優勝に導けたことが嬉しかったのだろう。
大八木さんといえば、名作ドラマ・スクールウォーズのモデルとなった京都・伏見工で山口良治監督に師事。
その後、同志社大に進み、ミスターラグビー・平尾誠二と共に史上唯一の同大3連覇の基礎を作り、その後、神戸製鋼の7連覇に貢献した日本屈指の名ロック。
大八木さんは、僕が中学からラグビーを始めた時はすでに憧れを超えた選手だった。
実は僕も知らなかったのだが、大八木さんは現役引退後の05年、母校・同志社大学大学院総合政策科学研究科へ進学し「地域スポーツクラブによる青少年の育成システム構築」についての研究を行っていたという。
そして、同研究科後期博士課程在籍中の07年4月から、高知中央高等学校ラグビー部ゼネラルマネージャーに就任。
08年4月に香川大学客員教授に人気1年の期限付きで就任していた。
「ラグビーというスポーツを通して、地域を元気に」にしたかったのだろう。
高知中央高に就任当時、部員はほとんどが未経験者。
「ラグビーを好きになろう」を合言葉に、一からルールを教えたという。
優勝後のインタビューでは、加藤弘幸主将が
「『全国大会に出れば人生が変わる』、という監督の言葉に支えられここまでこれた。花園ではまず1勝」。とコメント。
僕の大好きな春口監督率いる関東学院大が、34年前に動き出したのと似ているな…なんて感じて、思わず高知中央を応援したくなった。
春口監督は、僅か8年足らずでリーグ戦3部の弱小チームを1部に上げ、その後10年でリーグ戦の常勝軍団にした。
その後90年代後半からは、ご存知の通り、古豪・早稲田大と凌ぎを削ってきた。
97年に選手権で初優勝すると、それ以降は98年、00年、01年、03年、06年と6回の大学王者になった。
その間に抜けている99年、02年、04年、05年は、早稲田なり慶応なりに王座を取られ、全て準優勝。
それでも97年から06年まで、毎年決勝の国立競技場まで駒を進めている。
ここ10年で、ここまで実績を残したチームは、ない。
誰にも知られず、どこの強豪にも相手にされなかった、弱小にして新興のチームが、ここまで来ることができたのだ。
「毎年ステージを上がっていくことで見える風景が変わっていった。それが何よりも楽しみだった」。
春口監督は、以前そう話していた。
もしかしたら、大八木さんも同じような事を感じているのかもしれない。
大学、高校とステージは違うが、見ているものを熱くするパッションは同じ。
パッショネイトなラグビーで、この冬をまた、熱くしてほしい。
そんな風に思う今日この頃だ。
おしまい。
posted by yanmar |20:27 |
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2008年11月16日
16日、天皇杯4回戦の残り試合・ガンバ大阪vsヴァンフォーレ甲府をNHK-BSで見ていた。
先日、ACLで優勝し、アジア最高峰のクラブチームとなったガンバだったが、辛すぎる、激辛の勝利だった。
W杯アジア最終予選で、MF遠藤保仁、MF橋本英郎、DF安田理大を欠いたとはいえ、J2の甲府に対して終始攻めあぐねていた。
試合が始まると、開始1分で甲府のFW大西容平が右サイドからクロス。
それをゴール前ファーサイドにいたマラニョンがダイビングヘッドで決めた。
「侵掠(しんりゃく)すること火の如く」。
「風林火山」で知られる武田信玄の地元・甲府だけに、そんな素早いゴールだった。
その後も、甲府は気合いが漲り、素早く激しい寄せで、ガンバのパスサッカーを見事に封じた。
「こりゃ、甲府がジャイアントキリングを起こすかも・・・」
なんて淡い期待を抱いていたが、そんな期待は、後半、見事に外された。
僕の期待は淡すぎた。
その期待をぶち壊してくれたのは、佐々木勇人と山崎雅人。
後半から投入されると、この2人は運動量豊富に甲府をかく乱。
俄然攻撃モード全開で、ガンバ節を見せつける。
試合が動いたのは後半35分、セットプレーから。
右CKから佐々木がセンタリングを蹴り込むと、山口智が高さのあるヘディング一閃。
シュートはGKの指の先をすり抜け、1-1。
そして、そのまま延長戦へ。
んで、延長前半14分。
またしても佐々木。
左サイドから入ったクロスをゴール前のルーカスが空中戦で競るが、相手DFの頭にあたりルーズボールに。
そのこぼれ球をフリーで受け取った佐々木の右足ドカン。
ゴール左上にスッポリ吸い込まれ2-1。
「動かざること山の如し」。
そんな甲府の「風林火山」を体現したような戦いぶりを期待していたのだが。
やはりガンバはガンバだった。
ベストメンバーでなくとも、さすがにアジアを統一しただけのことはある。
豊臣が築いた天下の台所・大阪は、武田が築いた風林火山のお膝元・甲府には負けないのだ。
ということで、ガンバはベスト8へ進んだ。
しかし、個人的にはJ2クラブには、頑張って欲しかった。
おしまい
posted by yanmar |20:47 |
サッカー |
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2008年11月15日
岡田ジャパンが今日15日の午前、W杯アジア最終予選・カタール戦(19日)が行われる敵地ドーハに向け、関西空港発のチャーター機で出発した。
欧州でプレーするMF中村俊輔(セルティック)、MF松井大輔(サンテティエンヌ)、MF長谷部誠(ボルフスブルク)の3選手は現地で合流するという。
ドーハ。
GK楢崎、DF中澤ら守備の要となる選手が不在のなか、「ドーハの悲劇」と言われないような、頼もしい戦いぶりをアウェーのカタール戦で見せてほしい。
先日、講談社の無料ケータイサッカーサイト「ゲキサカ」で、カタール戦に向けた特集記事を見た。
(※ゲキサカ:http://shop.kodansha.jp/bc/fbn/moba.html)
その中で、「ドーハの悲劇とは…」という記事があり、懐かしく読んでいた。
今の中学生や高校生など若い人たちは、「ドーハの悲劇」を知らないという。
現に今アジア予選を戦っている若手選手も、「ドーハの悲劇」と聞いてもピンとこないらしい。
時は流れるんだな…、なんて思った。
93年の「ドーハの悲劇」は、94年アメリカW杯の切符を逃した試合で、その後のJリーグバブルや、その後の日本代表のブーム的な人気のきっかけとなった要因の一つ。
大きな意味のある試合だったと思う。
記事を読みながら、そう感じた。
以下は、「ゲキサカ」より、その記事を引用。
「ドーハの悲劇」を知っている人も、知らない人も、きっと興味深く読めると思います。
11月19日、日本代表はカタールとアジア最終予選を戦う。この一戦はアウェーで行われるが、カタールという国名を聞いてこの国の場所や風土を答えられる日本人はそう多くないのではなかろうか。
そこでゲキサカでは、11月19日に行われるカタールvs日本に向けて、カタールの紹介記事をお送り致します。アジア最終予選を通じて、アジア諸国の認識を深め、サッカーをもっと楽しもう!!
[ドーハの悲劇]
93年10月15日、アメリカW杯のアジア最終予選がカタールの首都・ドーハのカリファ・インターナショナル・スタジアムで開幕した。最終予選は日本、韓国、北朝鮮、イラン、イラク、サウジアラビアの6ヵ国で争われ、総当たりリーグ戦の上位2ヵ国がW杯出場権を手にする事となった。
日本は初戦で強敵サウジアラビアと0-0で分けたものの、第2戦のイラン戦はアリ・ダエイ(現イラン監督)らの得点で2点のビハインドを負ったあと中山雅史(ジュビロ磐田)が1点返したが1-2で勝ち星を落としてしまう。勝利を絶対条件とされた第3戦。北朝鮮との試合では、ハンス・オフト監督がそれまでスーパーサブとして起用してきた中山をトップに置いた。長谷川健太(清水エスパルス=当時)、中山、三浦知良(ヴェルディ川崎=当時)をスリートップに配したこの采配は当たり、三浦の2得点と中山の得点で3-0と完勝した。同じスリートップで臨んだ第4戦の韓国戦でも三浦の得点で1-0と勝利。日本は4試合を終了して2勝1分1敗の勝点5。1勝3分で同じく勝点5のサウジアラビアを得失点差で上回り、首位で最終戦のイラク戦を迎えることとなった。これに勝てば、初のW杯出場が決まるはずだった。
10月28日、日本とイラクのゲームはドーハのアルアリ・スタジアムで行われ、同時刻にサウジアラビア対イラン、韓国対北朝鮮の試合が、それぞれ別のスタジアムで行われた。イラクは86年のメキシコW杯に出場した経験があり、当時の中東の中ではパスを繋ぐ正統的なサッカーをする強豪。そのイラク相手に、日本はこの試合も第3戦・4戦と同じスリートップで臨んだ。前半5分、中山のクロスから長谷川がシュートするとゴールポストを直撃。そのこぼれ球を三浦が頭で押し込んで先制し、1-0で前半を終えた。後半10分、イラクは攻勢を強めアーメド・ラディのゴールで同点に追いついたが、同24分にはラモス瑠偉(ヴェルディ川崎=当時)のスルーパスに飛び込んだ中山がゴールを決め加点。興奮と緊張の中、その後も日本は必死に守り、2-1で何とか試合を終えるかに思われた。
"ドーハの悲劇"と言われる事件が起きたのは、後半ロスタイムだった。イラクは右サイドでCKを得ると、短く繋いでゴール前に浮かせる。そこにオムラム・サムランが高い打点でヘディングシュートを叩きつけた。GK松永成立(横浜マリノス=当時)はセービングを見せたが、ボールはゴール左隅に転がり込んだ。土壇場で追いつかれ2-2。痛すぎるドローだった。日本の勝点は6となったが、同時刻の試合でイランを破ったサウジアラビアが勝点7で1位通過。次いで、3-0で北朝鮮に大勝した韓国が日本と同じく勝点を6としたが、得失点差で日本を2ポイント上回り3大会連続のW杯出場を果たすこととなった。目の前で、あとひと踏ん張りのところで世界の扉を閉ざされた日本の選手たちは、試合終了直後、グラウンドに倒れこみ、放心状態となった。また遥か遠い日本でも、W杯出場を願いテレビに食い入っていたサポーター達の情熱と夢は、"ドーハの悲劇"と共に泡となって消えた(テレビ中継平均視聴率は深夜帯ながらも48.1%)。後に、オフト監督は「ゲームの作り方は教えたが、ゲームの逃げ切り方を教えることができなかった」と述懐したという。
(文 山口雄人)
posted by yanmar |23:24 |
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