2010年05月26日
みなさん、お久しぶりです。最近、『雑誌の仕事』と『生活の為のアルバイト』でなかなか更新できていませんでしたが、これからまたブログを書いていこうと思います。
インターネットのブログではなかなか取材申請が下りず、選手や監督の方の声は載せられないことがほとんどです。そうすると、臨場感のない内容になってしまうかもしれません。それでも、私はバスケットボールが好きで、もっとたくさんの人にバスケットボールの魅力を伝えてきたい。
そう思ったきっかけは人の温かさでした。この前、関東大学女子バスケットボール選手権大会を取材に行きました。本当にひさびさの取材だったので、肩身の狭い思いだったのですが、監督の方が私の顔を覚えていてくださったり、逆に声をかけてくれたり……。本当に驚きました。人に覚えてもらえるというのは本当にうれしいことです。そして「バスケットを盛り上げてほしい」という声をいただきました。そういう期待に応えるためにも、またこのブログを再開することにしました。
いつもこのブログを読んでいただいたみなさんが「また読みたい」と思ってくれるような記事を書けるよう、努力していきます。よろしくお願いします。
posted by yanahi- |03:39 |
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2009年07月17日
小学生の頃、人気のあったスポーツといえば、野球とサッカー、バスケットボールでした。ゴルフなんてお金持ちがやるスポーツだと思っていたので、テレビで見るものぐらいにしか考えていませんでした。
あるとき、ゴミ捨て場に『ゴルフクラブ』が捨ててありました。さわったこともなかったので、それを持ち帰り、なんとなく遊びました。コースなどなかったので、自分の家のそばの野原になんちゃってコースを作りました。ゴルフボールを足で踏んで穴をあけ、それがカップです。作ったコースは今考えれば、はちゃめちゃです。石だらけの難所はどこに跳ねるかわからないし、難所以外も全てラフ。フェアウェーなんてありません。階段を打ち上げる場所も作ったのですが、あるクラブはドライバーとパターのみ。それを友達とどちらか1本選択し、チャレンジする超ロングホールは……きっとタイガー・ウッズもお手上げのコースだと思います(笑)それでもかなり燃えていたのを今でもはっきりと覚えています。
ブラジルは貧しい地域が多いと聞きます。贅沢な暮らしはできず、あるのは広大なスペースだけ。少年たちは自分たちでサッカーボールを作り、近所の仲間とサッカーを楽しみます。ボールの形はデコボコで、ゴールもユニフォームもありません。ですが、テレビに映った彼らの目は輝いていました。
アメリカでは、至る所にバスケットボールのゴールがあるそうです。ストリートのバスケットコートもたくさんあり、身近に楽しめるスポーツとなっているようです。
ブラジルといえば、サッカーが強く、ワールドカップ優勝候補です。アメリカはバスケットボールが強く、NBAは世界最高峰リーグを未だ維持しています。キューバは野球を国技となっていて、メジャーリーグでも多くの選手が活躍しています。これには、貧しい暮らしから抜け出したい、家族を幸せにしたいという背景もあるかと思いますが。
スポーツ人口の増加は、そのスポーツを強くする要因の1つだと考えられます。バブル時期、超高価だったゴルフ会員権は、一般市民には手の届かない代物でした。ですが、沖縄を中心にゴルフ文化が発展し、比較的安価でプレイできるようになったことがゴルフというスポーツを身近にしました。これが今の宮里藍や石川遼などの、スタープレイヤーを生んだのでしょう。近年、日本のゴルフが強くなってきたのは、ゴルフしやすい環境が整備されつつあるからだと思います。
近代化してしまった日本。今では空き地や道路など、遊ぶ(運動する)場所がなくなってきています。いや、都心はほぼないに等しいです。ただ、ときどきテレビなどで使われていない国有地があったりします。使わないなら、そういう場所を開放するのも悪くないと思います。スポーツ省をつくり、何十億もの税金を使うその前に……。
別にゴールを設置したり、専用設備なんていらない。誰でも身近に遊べる場所。それがスポーツを強くするかもしれません。そしてその遊び心がスポーツの魅力につながっていくような気がしました。
posted by yanahi- |05:57 |
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2009年06月10日
ああー、ついにカカ移籍しちゃいますかー!移籍金の高さはジダンに次ぐ89億円。うーん、ミランも苦しい財政状況だけに仕方ない気もしますが。でもレアルっていうのが個人的には残念です。
ACミランって、昔はかなり強かったですよね。私がもっとも覚えているときは、シェフチェンコが得点を獲りまくっていたときです。あの頃は本当に強いイメージがありました。でも、最近(3・4年前ぐらい)のミランはカカとピルロ、セードルフ頼みっていう感じがあった気がします。攻め手がないときでも、カカひとりだけのカウンターで点を獲って勝つ。そんなゲームも結構あったように記憶しています。
カカは本当にすごい選手です。縦にドリブルし出すとなかなか止められないし、身体をぶつけられても耐えてしまう強靭な身体を持っています。さらに、シュートの正確さも驚きます。他の選手はシュート打ってもなかなか枠に飛ばないのに、カカのシュートは本当に枠内にいきますよね。
ブラジルはロナウジーニョとかロビーニョ、ロナウドが注目されてますけど、試合を決めるのはやっぱりカカだと思います。個人的にカカが大好きなんです。
レアル・マドリードって、なんか日本のプロ野球『巨人』のイメージがあるんです。すごい選手を集めるだけ集めるっていう。まるでチームの調和なんか関係ないような。最近はイグアインとかファンニステルローイなど、チームにフィットしてきて、少しづつ変わってきている印象はありますが。
チェルシーにシェフチェンコが行ったときみたいになってほしくないですね。ぜひ、カカの個性を発揮してもらいたいです。とにかく楽しいサッカーを見せてほしい。がんばってもらいたいです。
最近はバスケ中心で、あまりサッカーを見れてないんです。でも、どうしてもカカのことが書きたくなり、書いてしまいました。サッカーフリークの方には生意気に聞こえるかもしれませんが、そこはお許しくださいませ。
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2009年03月24日
やってくれました。WBC日本2連覇。最近、明るい話題のなかったので、彼らの活躍は私たちに本当に勇気を与えてくれたと思います。
MVPは松坂となりましたが、個人的にはやはり『イチロー』と『内川』が素晴らしかった。
イチローは侍JAPANのリーダーとして、チームを引っ張らなければならない存在でした。しかしなかなか自分の思ったようなバッティングができず、苦しい立場だったと思います。成績が上がらず、打率も2割ぎりぎり。ふつうならスタメンもはずされているところでしょう。それでも使ってくれた原監督の信頼。その信頼に応えたいのに、結果がでない。自分がチームを引っ張らなければいけないのに……。きっと私たちでは経験できない想像以上の葛藤が彼を苦しめていたと思います。「いや~、もう~、苦しいところから始まって、苦しさから辛さになって、辛さを超えたら痛みになって」と決勝戦後のインタビューが、それを現していましたと思います。
延長10回表、日本の攻撃。代打川崎が倒れた後、イチローが打席を向かいました。2死2・3塁の場面、打てばサヨナラです。しかし私は「打てないんじゃないか」とハラハラしながら見ていました。前の打席で2塁打は打ちましたが、いつも見ているイチローではなかったように感じていたからです。週刊誌などにも『衰えが見えるイチロー』と書かれていたし、解説の槙原氏や佐々木氏も「ちょっと右肩が前に出ている。いつものバッティングには程遠い」とおっしゃっておられました。表情を見ると、いつもの余裕がない。いっぱいいっぱいの目をしていました。ですが、追い込まれてもファウルでなんとかなんとか粘って、サヨナラヒットを打ったときは……もう自宅で跳びはねて喜びました。さすが、世界の、日本のイチローです。
内川は本当に頼もしい存在でした。準決・決勝、内川が打席に立つとどんなボールでも確実にボールをとらえていました。表情を見ると、『戦線離脱した村田の分までがんばるんだ』という気持ちがひしひしと伝わってきました。
某テレビ番組で内川の特集をしていたのですが、2軍に落とされた選手とは思えない活躍でした。印象に残ったのはやはり流れを変えたあの守備です。決勝での韓国戦、レフトを守っていた内川は2塁打確実な当たりを見事にワンバウンドキャッチしました。難しいバウンドで抜ければ、3塁打、ランニングホームランの危険性もあった。それを、素早く2塁へ送球し、ピンチを救いました。
もちろん侍JAPANの選手みんなにMVPをあげたいです。本当にありがとう。
posted by yanahi- |15:01 |
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2009年03月11日
みなさまのおかげで、このスポナビ+ブログもついに100回を迎えることができました。アクセス数はなんとナント230.000を超え、本当に今まで見ていただいた方々には『ありがとうございます』を伝えたいです。ちなみに、卒業までにこの100回を目標にしていたので、なんとか間に合って正直ほっとしています。
07年7月に始めた頃は文章なんて書けるのか、不安だらけでした。ですが、下手くそなりに書き続けてきました。慣れない取材でチームの方や学連の方に迷惑もかけたと思います。しかしその失敗が私を成長させてくれました。今でもまだまだスポーツライターの駆け出しですが、今後もっと努力し、誰かに元気を与えられるような文章を書けるライターになりたいです。以前、落ち込んでいた自分がスポーツ雑誌(の文章)を読んで、生きる希望をもらったように。
改めまして……こんな駆け出しで未熟な私に、今まで快く取材を受けていただいた皆様、コメントをくれた皆様、読んでくれた読者の方々、そしてアドバイスをくれた恩師の方々。ありがとうございました。ありがとうございます。いくら感謝しても感謝し尽せませんが。
今後は本格的にスポーツライターを目指し、就職活動を行います。ですが、これからもこのスポナビを続けていこうと思います。好きこそものの上手なれですし、下手でも自分しか書けない文章で、自分を表現していきます。これからも宜しくお願い致します。
posted by yanahi- |04:30 |
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2009年01月01日
昨年、このブログを読んでいただいた方々にまず感謝を述べさせて頂きます。本当にありがとうございました。コメントをくれた方、とても勇気付けられました。年末は諸事情でバタバタいたしまして、コメントにお返事できなくて申し訳ございませんでした。
2008年を振り返ってみると、スポーツライターとして学ぶことが多い1年でした。フリー(学生)という身分はやはり信用がないので、取材もなかなか思うようにいかず、悩むことも多々ありました。写真を撮ることに関して、著作権やプライバシーの問題にもぶつかりました。バスケットボールという素晴らしいスポーツを広げたい気持ちと、選手の方に迷惑をかけないようにしたい気持ちの狭間で葛藤しました。ですが、それも良い勉強になったと思っています。
さて、2009年は……
学校も卒業するということで、そろそろ就職活動に取り掛からなければと考えています。社会人を辞めて、この業界で生きていこうと決心してから、早6年。今年は夢を現実の仕事にします。そして、経験を積んだ暁には影の主役や話題をぜひ書いていきたい。伝えていきたい。そう考えています。
ただ、大好きなバスケットボールの取材は今後も続けていきます。まだまだ未熟な文章ですが、今年もよろしくお願い致します。最後に私の座右の銘を紹介させていただき、新年の挨拶と代えさせて頂きます。
今、自分にできることをひたすらに流されずにやってみよう
BY ゆずの『少年』より
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2008年11月20日
「充実した14年間だった」。日本サッカー界に多大な影響を与えた男が、2008年11月14日、今シーズン限りでピッチから去る決意を固めた。その左足から放たれるボールは正確無比で、よくスペースに強引に出す中田英寿のスルーパスと比較された。中田のボールは受け手にやさしくないが、名波のボールは味方が打ちやすいところにちゃんと落としてくれる。パスを受けた者は打つだけで良かったといわれていた。その左足の凄さから、人は彼をレフティーと呼んだ。
◆名波との出会い◆
私が名波を知ったのは、Jリーグが開幕した年だった。サッカーなどまるで知らなかった自分に、サッカーの魅力を教えてくれたのが彼の存在だった。
Jリーグ開幕フィーバーには乗らなかったが、1年遅れでついつい買ったサッカーゲーム。それがエキサイトステージ(エポック社)だった。あまのじゃくだったので、当然、当時強かったマリノスやヴェルディ、アントラーズは使わなかった。そこで、2年目加盟したジュビロ磐田をマイチームに決定する。バナナシュートが99%入ってしまうゲームだったので、FWの鈴木や吉田(光)を得点王にするため、没頭した。その立役者となったのが名波だった。今、考えても、とても印象に残っている。彼のキックは正確で、よく曲がったのだ。それからお気に入りの選手になった。
◆スポーツは楽しむもの◆
大学生の頃、バスケットボール部に入っていた私はスランプに陥っていた。バスケは大好きだったが、本当に下手くそだった。チームメイトが帰ってもひとりでずっと練習を続け、日々自分で考えて考えた。できる限りのことをした(つもりだ)。だが、試合に出るのは練習をせず、遊びに行ったチームメイト。もともと実力差が大きかったこともあるが、1年半経ってもその状況が変わらなかった。その時、初めてスポーツを楽しむことができなくなってしまった。スポーツなんてやめてしまおうとも考えた。
だが、それを救ってくれたのが名波だった。『名波浩 泥まみれのナンバー10(平山譲著)』の中に、私を救うメッセージがあったのだ。それを詳しく覚えていないが、20%と80%のパスだったと思う。1つは20%しか通らないが、通れば大チャンスになる。もう1つは80%通るが、チャンスにはなりにくい。そんなとき、名波は迷わず前者を選ぶのだ。そんな大胆な決断をしているのに、彼は楽しんでいるように感じた。それから私は自分が楽しむことを大切にし始めた。それを機に、バスケットボールが上手くなり始めた。
◆脇役の大切さ◆
名波がアシストし、中山ゴンやスキラッチ、高原が主役となる。そんなプレイをずっと見ているうちに、脇役が好きになり始めた。シュートを決めたのはA選手だけど、B選手がフリーランニングをしたからディフェンスが引き付けられた。C選手はナイスパスだったけど、そのボールを奪い返したD選手の激しいディフェンスのおかげなんだ。そんな数字に見えないプレーが大好きになった。
それは私の人生にも大きく影響した。勉強がすごくできなくても、スポーツがずば抜けて上手くなくても、何かできることがある。サラブレッドじゃなくても、どこの馬の骨かわからなくても、自分の存在は意味があるんだ。そう感じられた。生きる意欲を与えてくれた気がした。
◆レフティーにひと言◆
名波がもう見られなくなることはとても悲しいことだ。だが、彼に教えられたことがたくさんある。救われたこともたくさんある。いくら感謝しても足りないくらいだ。だからこそ、今、名波に言葉を送るとしたら……
ただひと言、「ありがとう」。心を込めてそう伝えたい。
<参考資料>
●名波引退のスポナビの記事のコメントより引用
⇒http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/headlines/20081114-00000165-jij-spo.html
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2008年09月01日
『明日もまた生きていこう(横山友美佳)』 マガジンハウス
「ゆみかには、強く生きるってこと、どんなことがあっても絶対にあきらめないってこと、学びました」
(『明日もまた生きていこう』の中の、木村沙織さんが著者・横山友美佳さんに送った最後の手紙より引用)
これは現・日本代表女子バレーボール選手の木村沙織さんが親友の著者に宛てた最後の手紙だそうです。2004年当時、『189cmの17歳』と日本バレーボール界の未来を担うと期待されていた横山さん。私はこの本を読むまでそんな人物がいたことを知りませんでした。先日、初めてテレビで彼女の本が出たことを知り、胸が痛みました。それだけ有望な選手がガンという不治の病で亡くなった。どうしてだろう。無償に彼女の人生を知りたくなり、本屋に走りました。
最初、読んだ印象は「とても弱い人」。そんなイメージでした。中学の頃、憧れていたバレーボールの強い成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に入学したものの、その厳しい練習に耐え切れず、「逃げ出したい、一般の生徒のようにまっすぐ家に帰りたい」と思っていたそうです。また、春高の決勝戦で、たまたまチームメイトだった木村選手が自分の足を踏んで捻ってしまった場面。横山さんのせいではないのに、「あらゆる人に恨まれてもしょうがない」「正直、あの場から消えてしまいたかった」と弱音を吐きまくっていました。その後、しばらく動揺を隠せず、表情にだしてしまったこと。レベルは違えど、私なら出さないようにして、必死に勝つ術を考えると思いました。
でもそれは大きな間違いでした。「彼女はとても強い人」でした。私もバスケットボール一筋にやってきた人間なので、彼女の気持ちがよくわかりました。もし自分がバスケットボールを取り上げられてしまったら……。今でこそ、バスケ以外の道があると思っていますが、高校生の頃そんなことを言われたらもう生きていく気力が無くなってしまうはず。彼女はさらに全日本に選ばれるほどバレーボール一筋だった人です。私だったら間違いなく路頭に迷います。バレーが唯一輝ける場所なのに、そこを失ったら……。この世を去ってもおかしくないでしょう。
しかし彼女はあきらめませんでした。バレーボールができないとわかっても、現実を受け止め、そこから新しい夢(目標)を自分で見つけました。それがどんなに困難であろうと、決してあきらめません。コツコツこつこつ努力を重ね、それを達成しようとする。それが大学受験でした。
目指したのはあの早稲田大学。推薦試験ではありますが、スポーツ推薦でなく、一般推薦。元気な人でも難しい試験なのに、それをガンの治療を受けながらやる。普通に考えて、不可能です。なぜなら抗がん剤治療の副作用で体調の良い日なんてほとんどないからです。吐き気、頭痛、手足の痺れ。それもおそらく私たちが考えている比の症状ではないはずです。そんな中でも病院の中にある学校に通い、必死に勉強し、夢をつかみとるのです。
彼女の凄さは『現実を素直に受け止められる』ところにあります。突然、ガンと診断されたら誰だってその運命を呪いたくなるはずです。彼女も最初は拒絶しました。でもいろいろな人と出会い、今の自分にできることを精一杯やろうとしました。やり始めました。私は体感したことはないので、抗がん剤治療の痛みや辛さがどれほどのものかわかりません。でも彼女は目の前の治療に全力で向かい合い、それを克服しようと努力し続けます。読んでいるだけでその痛みであったり、辛さがヒシヒシと伝わってきて、もうそれを考えたくありませんでした。そんな状況でも自分の夢を実現しようとする横山さんの強さに、涙が止まらなくなりました。
18歳でガンを宣告されて、亡くなるまでの約3年。闘病生活がほとんどでしたが、彼女は今自分にできる全てをやりつくしたと思います。そして『健康でいられることのありがたみ』を改めて実感しました。健康でおいしいものを食べられること。それは決して当たり前じゃない。そういうことができない人も世界にはたくさんいて、それを求めて努力している人も何万人、何千万人、もっといるかもしれない。じつは私の兄もこの世に生を受けることができませんでした。この事実は二十歳を過ぎて初めて両親に聞かされたました。おそらく兄が生まれていたら、私はこの世に存在していないでしょう。そういう人がいることを私たちは忘れてはなりませんし、だから命を無駄にしてはいけないと思います。
今、集団自殺とか無差別殺人とか簡単に命を奪う事件が当たり前のように起きていますが、それはあってはならないこと。横山さんの死を無駄にしないように、私は一生懸命自分の人生を生きていきます。全力で自分の夢を追いかけます。それが生きている人に与えられた使命だから。
posted by yanahi- |01:23 |
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2008年06月27日
1000人を超える拍手が、1人のピアニストに惜しみなく送られた。その大喝采はコンサートが終わってもなかなか鳴り止まなかった。
2008年6月25日(水)Bunkamuraオーチャードホールにて、原田郁子(クラムボンのボーカル)のピアノ弾き語りライブが行われた。とても静かなライブであり、演奏は暗やみの中で始まった。目を閉じると、ピアノのさまざまな音色が聴こえてくる。強い音・弱い音・やさしい音・楽しい音・元気な音・静かな音……。ピアノの魅力と沈黙の癒しが、観客を非日常に連れて行ってくれる。大人の空間がそこには存在した。
印象的だったのは、サポートメンバーと主役(原田郁子)のやりとりである。彼女は1曲1曲サポートメンバーに「ありがとう」の拍手を送った。たしかにどんなライブにもサポートメンバーを紹介する場面がある。だが、ここまでこまめに感謝を表すアーティストを見たことがない。
彼女は脇役が演奏しているところへ行って、本当に楽しそうにはしゃぐ。まるで小学生の女の子のように。その屈託のない笑顔や動きにつられ、サポートメンバーからも笑顔がこぼれた。もちろん観客にも。
みんな、本当に楽しんでいるように見えました。私は改めて『原田郁子』の凄さを感じました。自分が主役であっても、1人でライブを成功させることはできない。最高の演奏をファンに届けるためにも、サポートメンバーに良いモチベーションを持たせなければならない。プロフェッショナルであり、ムードメーカー。まさにそんな感じでした。
どんな世界でも、『みんなを盛り上げる力』は重宝されます。もちろんスポーツの世界でも。例えば、試合で自分たちのチームが劣勢に立たされているとします。チームの気持ちがバラバラでは、逆境を跳ね返すことはできません。
ですが、同じチームといえども、全員が仲良しというわけではないと思います。苦手な仲間もいれば、嫌いなチームメイトもいるでしょう。そんな中で、チームが勝つためにみんなの気持ちを1つにする。それにはやはり『強い意志』と『思いやり』が不可欠です。ストレートに言っても伝わらないのであれば、相手のご機嫌をとる変化球も考えなければなりません。みんなが元気がないのであれば、渇を入れなければならないこともあるでしょう。
ただこれらはとてもパワーがいることです。できれば、避けて通りたい。大抵の人はなあなあで済ませてしまいます。でもそれでは状況はなんら変わりません。そんな困難も厭わず、チームをリードするムードメーカーには、敬意を払わずにはいられません。
だからこそ、私はピンチの時、負けている時、自分より強い相手と戦っている時。「チームを変えてやろう」「何か自分にもできる」「がんばろう」。そんな気持ちを持ったプレイヤーは取り上げていきたい。そう思います。スーパースターも必要ですが、ムードメーカーや縁の下の力持ち的黒子選手にも光が当たるべきなのです。それが、良い選手を増やし、日本のスポーツレベルを上げると個人的に考えています。
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2008年06月19日
更新が遅れてしまって申し訳ございません。言い訳をさせていただくと、アルバイトや課題などやらなければならないことが山積みになってしまいまして……ですが、これからもがんばって更新していきます。みなさん、よろしくお願いします。今日は特別なネタがないので、個人的なことをかかせていただきます。
今日、家の前の道路でボールをついてみました。実は私、今年でバスケ歴20年をむかえました。うまいかどうかは別として、好きこそものの上手なれといった感じで、ずっと続けてきました。ですが、何年経ってもやっぱりバスケはおもしろい。家の前の道路で、ただドリブルしてるだけでも笑顔になれます。
以前はクラブチームで試合にもでていましたが、ライターを目指すようになり、日々多忙から抜け出せない現状。バスケも月1回できれば良い方で、ひどい時は半年ボールに触れないこともあります。それだけやりたい気持ちを我慢しているので、どんな場所でもバスケできれば満足なのだろうと思います。部活やってるときは、たまには休みたいとか思っていましたけど(笑)
そんな私はひょんなことから、専門学校のバスケ部に入ることとなり、なぜかキャプテンになっていました。今度、新チームの初練習があり、どう部活を盛り上げようか、試行錯誤しているところです。レベルは低いですが、そんな中でも何か伝えられると思います。
20年間のバスケ人生で学んだ『一生懸命やることの大事さ』。また、大きく影響を受けたスラムダンク・安西先生の言葉『あきらめたら、そこで試合終了ですよ』。そして、最後に『バスケットボールの楽しさ』を……
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