2007年01月02日

“競走曲”~ 安藤勇太選手×竹澤健介選手 対談 後編~

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人間と言う生物が一回拍を打つのにかかる時間…それがおよそ1秒と言う時間である。
その1秒間が60集ると1分間になる。だから、何だと思うかもしれない。
その中でなにができることがあるのかと思ってもいい。もはや何もできない。
しかし、これを八倍にすると、人間が知覚する「今」という時間の幅ができ上がる。
人は時間の単位を細かく切りきざめるほどに、
人生を悠久のものへと昇華することの出来る生き物だ。
1秒いや、その瞬間を生きる彼らはその刹那にどれほどの練習を費やし、
何をみているのだろうかというのは単純に興味がある。
早稲田大学という同じ場所に身をおき、昨年、5000m日本歴代3位の記録を樹立し、
今年箱根駅伝において華の2区を任されることとなっている竹澤健介選手と、
一輪車の100m・200mの世界記録保持者である安藤勇太選手は、
体育会と個人アスリートというコントラストと、
個人競技という共通項は摩訶不思議なコンチェルトを奏でる。

今回はその後編


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2007年01月02日

“競走曲”~ 安藤勇太選手×竹澤健介選手 対談 前編~

20070102-14.jpg
人間と言う生物が一回拍を打つのにかかる時間…それがおよそ1秒と言う時間である。
その1秒間が60集ると1分間になる。だから、何だと思うかもしれない。
その中でなにができることがあるのかと思ってもいい。もはや何もできない。
しかし、これを八倍にすると、人間が知覚する「今」という時間の幅ができ上がる。
人は時間の単位を細かく切りきざめるほどに、
人生を悠久のものへと昇華することの出来る生き物だ。
1秒いや、その瞬間を生きる彼らはその刹那にどれほどの練習を費やし、
何をみているのだろうかというのは単純に興味がある。
早稲田大学という同じ場所に身をおき、昨年、5000m日本人歴代3位の記録を樹立し、
今年箱根駅伝において華の2区を任されることとなっている竹澤健介選手と、
一輪車100m・200mの世界記録保持者である安藤勇太選手は、
体育会と個人アスリートというコントラストと、
個人競技という共通項は摩訶不思議なコンチェルトを奏でる。

今回はその前編


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posted by yamagiwaboy1012 |01:07 | インタビュー | コメント(4) | トラックバック(0)
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2007年01月01日

ジャパニーズスポーツの品格

日本におけるスポーツとは何か?と新年ということで改まって考えてみたいと思う。

日本におけるスポーツといえば、昭和36年のスポーツ振興法を根幹とした、
政策としてのスポーツがことの始まりである。
では、何故日本人・日本国家はスポーツを選んだのだろうかということである。
音楽でも芸術その他の文化でもいいはずではないか。
その想いに駆られて、色々と書物を漁ってみると。
スポーツという言葉はGHQの政策の中に出てくる。
戦後日本占領政策の補助政策でGHQが勤勉な日本人に対して、
その国力を下げる為に行ったといわれる3S政策の中は、
screen(映画やテレビの活用)とsex(セックスの開放)の次に名前が挙がるのがsportsである。
スポーツの奨励によって日本人を骨抜きにしようとした歴史的事実があったのだ。
しかし、この場合のスポーツは、アメリカ4大スポーツを考えると、
スポーツというよりは劇場化した運動エンターテイメントと呼ぶほうが的を射ている気がする。
近年のスポーツブームの礎はここにある。はたして、GHQの狙いは達成されたのだろうか。
私見ではあるが、今日の社会を考えると、それは大成功を収めたといってもいい。
一昨年のことである。NBAを模って組織したbjリーグの試合において、ホームチームの応援と、
相手チームへのブーイングを促すMCの存在に違和感を覚えたことを記憶している。
これは他の競技にも言えることであるが、大会を盛り上げる為にタレントの集客力で会場を人で埋め、
メディアの人間が応援をプロモートする形が目に余る。
“熱造”とはまさにこのことかなどと思いもした。
本来、応援とは、観客から自然と湧き上がるもので、誰かに促されるものではない。
ましてや、相手選手に対してのブーイングなどとなっては以ての外だ。
NBA流ではあるかもしれないが、スポーツではない気がした。
これでは、本当に日本人が馬鹿になってしまうのではないか。
それと近いことが“日本人が愛してやまない”サッカーの中にもある。
読者の皆様は近年のサッカーブームの中で『マリーシア』と言う言葉をご存知だろうか?
ポルトガル語で『ズル賢さ』を意味するその単語は、
サッカーにおいて勝利への執着心の表現方法となる。
審判を欺き、相手のシャツを引っ張る。
世界の規準はそこにあると、元日本代表キャプテンの宮本が言ってしまったが、
果たして本当にそうなのだろうか。
欧米諸国のスポーツという文化に憧憬を抱くような感情はわからなくもない。
日本人特有の“模倣”だと言ってしまえばそれまでであろう。
しかし、勝利至上主義の中で手段を選ばず、その一方で盛り上がり、
楽しければ全てOKという考えの元では、
スポーツは客寄せパンダのエンターテイメントへと堕ちていくのではないか。

今日の国際化社会の中で、国際化とは平準化と噛み砕いてもいい。
その行為は絵の具の溶けたバケツのセパレイトを外すことに近く、
結果、世界は均一な濁り水になってしまったというのは間違った見方ではないはずだ。
『勝利至上主義』や『エンターテイメント主義』という
均一の価値観の中で私たちは何を見失ってしまったのか。
無論、そういった世界的な流れにのっている限り、
全てを鵜呑みにしてしまったのでは日本の文化としてスポーツが根付くはずもない。
スポーツという文化交流の中で、日本と欧米、双方の良いところを混ぜ合わせなければ、
日本人がスポーツをやる意味も、社会的な価値もなくなってしまう。

それは国際社会における日本の立場と読み替えてもいい。

世界に対して日本がスポーツを媒介に発信できるメッセージは何なのだろうか。
日本人にとって、スポーツとは何か。この際だから、今一度考えて頂きたいのである。
                         

posted by yamagiwaboy1012 |00:00 | 雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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