2007年01月30日

著書「敗因と」に込める金子達仁の言葉後

「スポーツ総合誌冬の 時代」というのは1月7日の朝日新聞夕刊の一面の見出しである。
02年のW杯に合わせて創刊されたスポーツ総合誌2誌は休刊に追い込まれ、
“老舗の”『Sports Graphic Number』(以下ナンバー)までもが,
相次ぐスターの引退などで苦戦しているというものだった。
一方それに対して、ナンバーでは「From editor」という読者の投稿欄を裂いて、
一連の報道に抗議する姿勢を示した。(Web上に掲載されているのでこれに関して詳細は省く)

ただ、ナンバー編集部の言い訳は何とも苦しいものではないかと思ったのは、
そんな中、出版された1冊の本が示している気がする。
金子達仁を筆頭に蒼々たるライターがドイツW杯での出来事をまとめた『敗因と』である。
(光文社*内容に触れている部分があるので、著書を楽しみにしている方は遠慮下さい)

この本を全人的に肯定するわけではないが、
日本のスポーツ界においてとても重要なある役割を担っていると思うのである。
それは、2002年広告代理店の電通が、
その「W杯ブーム」の中に於ける日本代表の映像をとり続けていた作業に良く似ているが、
著書はより示唆に富む。

何故この本が「スポーツ総合誌 冬の時代」の鍵になのか。

2002年の電通の施策である「六月の勝利の歌を忘れない」(ポニーキャニオン)の中で、
これでもかと選手に密着したその映像の中でも印象的だったのは、
作中に出てくる中田英寿氏の『普通っぽさ』であった。
スーパースターの“ヒデ”もただの25歳の男(当時)だったことに気が付かされたのである。
いや、中田だけでなく、多くの選手がスターから血の通う人間に、
言うなれば“人間性”を日本人の中に取り戻したのが、この作品だったのだ。

2002年の渦中にいたのも、私たちと同じ「人間」だった。
そんな大前提すらもサッカーブームの中で忘れてしまっていたのだ。
結果的に言えば、両者はともに暴露本と呼ばれることになるだろう。
2002年の映像は、監督のトルシエとチームの関係を露わにし、
2006年の著書は特に日本代表内の確執について言及したものだ。
ただ、暴露本というにはあまりに稚拙なほど、事実の客観的な羅列で終わっている。
しかし、これらが暴露本たりえるには、
そこに報道されていない『事実』があるからに他ならないのではないか。

何故メディアは、彼らの『事実』を記録していなかったのか?
無論、プライバシーの問題はある。
ただ、スポーツがこれほどまでに隆盛した世の中で、
雑誌やテレビ・新聞が伝えていたのは何だったのだろうか?
という疑問がどうしても残こってしまうのだ。

もしかしたらこうかもしれない。
取材をすれば所属のクラブや、マネジメント会社の指針によって選手のPRをされてしまう。
批判的なことを書けば、二度と取材の許可は下りなくなるかもしれない。
だから、それを生業とする人たちは、
仕事として割り切り当たり障りのないことを書くか、褒めるちぎることしかできない。
そういった中でスポーツ選手はドンドンと神格化されていったのではないか。
また、それとは別の方向性で、広告代理店を含めたメディアが、
金を儲ける為に彼らをスクリーンの中に閉じ込め、
批判などのブームに水をさす行為を敢えてしなかったのではないか。

これが今日のスポーツライティングの現状なのかもしれない。
スポーツをスポーツとして残す。
今日のスポーツジャーナリズムやスポーツライティングは少し情緒豊か過ぎて、
10年後に読み返した時にはナスカの地上絵のような存在になってしまっているのかもしれない。
寧ろ、「斉藤投手 初ブルペン ハンカチ 今日は出番なし」や
「レスリング天皇杯」という名の“山本KID徳都の特集番組”などという
大メディアの報道の裏には、
マーケティング思考に陥った愚劣な日本人の生き様しか残さないのではないか。
そもそも「ハンカチ王子」とはマスコミ側の言い分であり、
清く正しくといったイメージが染み渡っているが、その真偽はどこへ葬られている。
思うに、社会の中でスポーツに関する冷静な目が日本には決定的に欠けていると思うのだ。
そんなことはない、批評の目はあると言われるかもしれないが、
それはスポーツを生業としていない、無責任なご意見番としての役割を担う人のものは多い。

私もその一人ではある。批判することは簡単だ。
「W杯のクロアチア戦で、何故柳沢はあの場面でシュートを外してしまったのか」と、
言うことはできる。罵倒することもできる。
ただ、自分があの場面に立たされた時にシュートが打てるかと問われた時、
Yesと応えられる人がどれだけいるだろうか。
ならば、まず選手への尊敬が前提としてあるはずなのである。
それを踏まえた「提言」が大切である。そんな責任ある行動が必要なのだろう。

そうでなければ命がけで競技に打ち込んでいる選手たちに失礼ではないか。
だから、金子達仁らの著書『敗因と』(光文社)の「と」に続くのは、
報道することができなかった「事実」なのではないか。
事実を報道することで、同じ徹を踏まないよう、未来への提言をしたのだ。
そこに彼らはスポーツライターとしての責任をまっとうしようとした気持ちを感じるのだ。

そして責任のある言葉だからこその、力はある気がした。

                       

posted by yamagiwaboy1012 |00:32 | 雑感 | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年01月19日

その男凶暴につき

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2005年11月13日@早稲田大学 東伏見グランド 対青山学院大学戦 その日も早稲田大学ア式蹴球部フォワード背番号11松橋優は累積二枚でピッチを後にした。 一枚目は審判を欺く行為と判定され。二枚目はその判定に反抗したが故に。 僕が見ていた限りじゃディフェンダーの足は松橋の足にしっかりかかっているようだった。 試合後、監督の抗議で審判はミスを認め退場は取り消されてもいる。 可哀想という感情は不健全かもしれないが、これが松橋の置かれていた境遇である。 松橋は1シーズンに4度という目に余る退場回数と言うこともあり、 関東学連から厳しい注意も受けていた。 2005年前期関東大学サッカー2部リーグ第四節対慶応大学戦における、 後半開始に早々の競り合いの場面で繰り出したヒジ打ちによる一発退場もその一つだ。 名門長崎県立国見高校から、早稲大学に入学し、 徳永悠平や兵藤慎剛などの長崎県立国見高校の同門生がユース代表として国を背負って活躍し、 同じく国見で大久保嘉人とコンビを組んだ兄・章太はJリーグ大分トリニータに在籍する。 そんな中早稲田大学の松橋優への見方は異質である。 「人格者として有名な国見の小嶺監督は彼に何を教えたのだろうか?」 これが当時関東2部リーグで「退場王」となった松橋への一般論のようにも思える。 今思えばあの時、松橋は岐路に立たされていたのだ。 良くも悪くも個人主義のそのプレースタイルは、 チームを救ったのと同じ数だけ、苦しめていたのだ。 総理大臣杯の決勝の関西大学戦での1得点1退場というのは、 松橋はその両方の持ち味が出てしまっていた事実だ。 『がっつく』そう表現される松橋のプレーは、 野性味や飢餓感という言葉が良く似合う気持ちの出たプレーだ。 大学サッカーの中でも抜きに出るそのスピードとそんなプレースタイルは、 相手DFにとってはやっかいではあろう。 だからというわけではないが、体を張って松橋を止めに来る。 いわゆる『削られる』ことで松橋の足は傷だらけでもある。 そんな時、生まれながらの性格なのか、つい手や足が出て、 ファールが来るのがわかっているから大げさに転ぶ。 人間くさいと言ってしまえばそれまでだが、スポーツの枠の中には収まってはいなかった。 しかし、そんな松橋優はもういない。 いや、少なくとも2007年1月14日全日本大学サッカー選手権決勝対駒澤大学のピッチで、 キャプテンマークを巻いた松橋は違っていたのだろう。 早稲田大学は通常ゲームキャプテンがキャプテンマークを付けることはない。 何故なら主将は怪我で出られないが間違いなく金田隼輔だからである。 ましてや松橋がつけることは見たことがない。しかし、この日は違った。 松橋以外ピッチにたてない4年生の代表として、チームの代表として勝ちに来ていた。 『自分が得点するよりもチームとして勝ちたい』 キャプテンマークが少し似合っている。 今なら、ニヤリと笑いながらこういうかもしれない。『得意技はヒジ打ちっス。』 松橋は今春、兄・章太のいる大分トリニータへと飛び立っていく。


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2007年01月17日

3,2,1のカウントダウン

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68分、71分、そして12分を残して、最後の1枠がなくなった。
早稲田大学ア式蹴球部の主将である金田隼輔は何度このカウントダウンをしたのだろうか。
そして、1年前に誰がこの様な金田の姿を想像したであろうか。

金田は早稲田の汗かきやと呼ばれる典型的なボランチだ。
そのポジションはミッドフィルダーの底に陣取り、
守備の時にはいの一番にボールマンを止めに行く役割を担っている。
失点する時には大抵ボランチは後ろにある自陣のゴールを遠めに眺めることになる。
自分が止めていれば、そう思うことも少なくない。

石川県星陵高校から早稲田大学にやってきた金田隼輔は早稲田にとって、
エッセンシャルな存在である。

小柄ながらも豊富な運動量でピッチを縦横無尽に走り、
いち早く相手の攻撃の目を摘み取る金田の献身的なプレーは、
泥臭いという言葉を想起させる。

巧くはない。

もしかしたら、それは同じポジションを務めながらも長短の多彩なパスワークで
チームを動かす3年生の鈴木修人や兵藤慎剛とのコントラストかもしれない。
しかし、そんな金田のプレーが少しエリート染みて、
たまに気持ちの弱さを見せるチームを纏め、活気付ける。

早稲田大学ア式蹴球部において金田隼輔がキャプテンたる所以はそんなところにある。

しかし、今季のリーグ後半戦、
金田は怪我から選抜メンバーから外れることが多くなった。
前期リーグの全12節で798分出場した主将の姿はそこにはなく、
後期は52分の出場に留まっている。
チームは前期3位から2つ順位を下げシーズンを終えた。
「チームがバラバラである」というのは、インタビューの中での金田の言葉だ。
そんな中始まってしまったのが全日本大学サッカー選手権である。
大学日本一を決めるこの大会は敗退したその時点が四年生の引退となる。
しかし、早稲田大学はグループ予選において近畿大学や高知大学という
西の雄を相手に2試合で16得点というような快進撃を見せる。
そして点差がついた時になって金田の出番はやってくる。
「金田を、主将を試合に出そう。」
準決勝戦の流通経済大学戦で、
FKのこぼれ球をつめた四年生のディフェンダー山口が得点後、
ベンチの方へと一目散に向かっていったのはそんな想いがあったのではないか。
「四年生とできる限り長くプレーしたい。」
そういった多くの下級生の言葉からもわかる通り、
このチームは金田を中心にまとまったのだ。

だが、有終の美を飾ることは出来なかった。
終わってみれば金田の大学最後の公式戦出場記録は、
準々決勝の立命館大学戦の出場時間1分というものだ。
いや、決勝戦において4年生は松橋優一人を除いて誰もが出場できなかった。
ベンチには主将の金田とムードメーカーの堀江重誠。
準決勝の累積警告でベンチから外れた山口貴弘。
Jリーグ移籍の一番乗りを決めたが怪我でインカレを欠場しているゴールーパー時久省吾。
計25人(うちマネージャーとトレーナーは3人)の四年生は
松橋を除いて誰もピッチに立てなかったのである。

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試合終了の笛が鳴る。歓喜の声も悲しみの声もあまり聞こえてこない。6-1。
面白いようにボールは早稲田ゴールに入ったが、試合展開は決して面白いものではなかった。

駒澤大学にいいようにやられていくチームを、
主将はピッチの外からただ見守ることしか出来ない。
ただ、その日バックグラウンドだけが開放されていた国立競技場において、
メインスタンド側のベンチにいる金田の後ろにはもう誰もいなかった。

…金田はJリーグには進まない。
これは世の中に星の数ほどいる、陽の当たる場所のすぐ横にいた一人の選手の物語である。




posted by yamagiwaboy1012 |23:56 | ノンフィクション | コメント(2) | トラックバック(0)
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2007年01月15日

江川卓に学ぶ

何だか学生スポーツがおかしい。
というのは年始からのスポーツの「福袋」を改めて見た率直な意見だ。
そして、その違和感の渦巻きの中心にいるのは早稲田大学でもある。
特に衝撃的だった、一つの試合の話をしたい。
それは1月7日大学選手権準々決勝が国立西ケ丘競技場で行われた。
その日ピッチに立った早稲田大学ア式蹴球部の選手14人(交替選手含む)の内、
13人が推薦制度入学者であり、13人が2003年に設置されたスポーツ科学部の所属であった。
早稲田大学ア式蹴球部は高校サッカーのオールスターと揶揄されてさえいる。
昨日行われた大学選手権大会では優勝こそ叶わなかったが、
3年前まで東京都1部リーグにいた早稲田の躍進はこういったところに端をなす。
無論、この様な大学アスリート達が高校時代に血のにじむ様な努力をしてきたこと、
それを評価する制度としてのスポーツ推薦枠やAO入試制度を否定するつもりはないが、
それにしても度が過ぎるのではないかという一言に尽きる。
この現象の背景には一つに大学経営がある。
近年少子化による大学全入時代到来に向けて、
大学経営の方法としてスポーツを取り扱う学校が増えている。
簡単に言えば、スポーツの「良いイメージ」を自らの身に纏わせようとしているのである。
早稲田大学は2007年が創立125周年であり、
その成功の一つとして「早稲田スポーツの成功」を掲げている。
各学校建前はどうであれ、それは一つに大学のシンボルとなる大学スポーツの強化であり、
それに伴う学生アスリートの受け皿の捻出である。
近年スポーツや健康に関して学ぶ場が倍近くに増えいえているというのはそんな背景がある。
“スポーツの発展”の為には喜ばしいことかもしれないが、
卒業後のスポーツ界の受け皿を考えると非常に無責任でもある。
自身の広告・宣伝の為に勝つことだけに捕われていては
スポーツからは何も生まれないのではないか。
それどころか…と思ってしまうことの方が多い。
大学アスリートを「体育会」と一括りにしてしまうことを嫌う人もいるかもしれないが、
体育会の不祥事は絶えない。
Yahoo検索によると「体育会・不祥事」だけでも30600件にものぼる。
仮に教育機関がその活動の一環としてスポーツをするのであれば、
その存在意義には疑問符を付けざるをえない。
スポーツをすると馬鹿になるという風評被害の要因はこんな所にあるのかもしれない。
それだけではなく、彼らに内在する伝統と言う名の悪癖や、
OB界などと呼ばれるグレーゾーンが少なからず、
大学アスリートの印象を社会の中で下げているのではないか。
そして、いつしか一般学生と体育会と呼ぶようになり、
大学において部活動は「特別な人たちのもの」になってしまったのである。
また、それはアスリート個人の問題ではなく、その制度にも問題がある。
アメリカにはNational Collegiate Athletic Associations(NCAA)
という大学スポーツを統べる組織があり、
各大学のSports Departmentを通して大学スポーツの管理・経営などを行っている。
例えば、NCAAが定める一定基準の学業成績を残さないと選手登録を認められない。
一方で、日本の大学スポーツは、競技ごとの団体が乱立しているだけである。
これは大学スポーツだけではない、
スポーツ政策に於ける省庁でさえも日本においては文部科学省や厚生労働省、
経済産業省と乱立している状態であり、横の連携がまったくないのである。
したがって、不祥事が起きたときの対応も各部の判断の末に
「棄権」という一点で収められてしまう。
勿論、NCAAがあるからと言って
アメリカの学生スポーツがまったくの潔白だとは言わないが、
一定の基準を設け、それを守ることはスポーツの「フェア」な部分まもることや、
大学にいったからこその得られる
スカラーアスリートとしての振る舞いができなければならないと言う願いもある。

話は変わるが、かの「怪物」江川卓は神宮で行われる六大学野球に憧れ、
多くの球友と共に慶応大学を受験し、
六大学野球を優勝へ導こうと考えていたという話がある。
しかし、周知の通り「慶応の江川」は生まれることなく終わる。
当時、これは一大ニュースとなり、その合否をNHKが放送したという伝説までもある。
江川はペーパーテストの点数で規準を満たしていたが、
慶応の品位を保つ為にと敢えて江川を不合格にしたなどの説もあるが、
揺るぎない結果として江川は法政大学を受験し、進学することになる。
もっとも、この話の中で興味深いのは、
やはり慶応大学は品位として何を守ろうとしたのであろうかということである。
事実この一件で慶応大学の評価は高まったと言われている。

これを古きよき時代のものとしておくにはもったいない昔話ではなかろうか。

                            

posted by yamagiwaboy1012 |23:50 | 雑感 | コメント(2) | トラックバック(1)
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2007年01月02日

“競走曲”~ 安藤勇太選手×竹澤健介選手 対談 追記~

20070102-25.jpg

先日インタビューさせて頂いた、
早稲田大学競走部竹澤選手は、2日の箱根駅伝で。
安藤選手は、同じく2日18時より
『徳光&所の世界記録工場part3』に出演とそれぞれの場で活躍しています。


私は彼らに限らず、
選手のメッセージが何か社会の役に立つのでは、
また僭越ながらも、彼らに役に何とか立ちたいと言う立場で考え、
こういった活動をしています。

熱き応援の言葉は、必ず選手を勇気付けます。

もしよろしければ、熱き応援メッセージなどがあればこちらにお書き込み下さい!!

追記

竹澤選手は2日に行われた箱根駅伝において、
2区を1時間7分46秒で走りきり、区間賞を受賞いたしました。
また、安藤選手も同日に放送された
日本テレビ『徳光・所の世界記録工場part3』において、
200mの世界記録を樹立いたしました。

おめでとうございます。


posted by yamagiwaboy1012 |09:34 | 試合速報 | コメント(4) | トラックバック(1)
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