2006年12月31日

記録と記憶

『記録よりも記憶に残る選手になりたい』

というのは、引退してしまった新庄剛志が、ニューヨークメッツに所属していた時に、

自身とイチローを比べてこう言ったのは有名な話ではある。

では、今日の日本メディアに記録を残すものがどれほどあるだろうか。

これが今日一日、大の晦日に一年を振り返って思ったことだ。

結果を受けての、後出しジャンケンのような賛美や批判、

その逆に全てが仕組まれた予定調和のスポーツイベント、

選手から言質を自由に奪い、

スポーツヒーロー及びその捏造と熱造、

それらから生まれる体制翼賛的な報道はもはや視聴率主義と言う他ない。

そうではなく、スポーツの為の報道をしたいと私は願う。

それは例えば、

10年後に、その事実を知らない子どもが読んでもその場面が喚起されるような、

スポーツに対して真摯な姿勢で文章を描きたい。

また、それによりスポーツ界を浄化したいと僭越ながらも真剣に思っている。

そうでなければ、半世紀前に栄えた石炭や紡績産業のように、

50年後にはスポーツ業界が壊滅状態になってしまうと思うからである。

そういった心持ちで、来年一年を生きてみたいと思うのだ。

posted by yamagiwaboy1012 |18:20 | 雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年12月20日

60億の男は何に魅せられたのか。

“元”という言葉を付けなければならない事実は、楽しみ半分、寂しさ半分というとこだろうか。
元西武ライオンズの松坂大輔投手は、 
12 月 15 日付けでアメリカ メジャーリーグ ボストン レッドソックスへ移籍した。
6 年の複数年契約で年棒約 61 億円となる。
  
World Baseball Classic(WBC)で世界の頂点にたった日本ではあるが、
“宝”の流出は止まらない。
むしろ、 WBC で世界一になったからであると言った方が良いのかも知れない。
言うまでもなく、野球人にとって世界最高の競技レベルの舞台はアメリカにある。
その中で自分がどれほどのものかを知りたいという欲求はわからなくない。
しかし、松坂投手が魅せられたのはもっと大きな何かがあったのではないかと考えてみた。
 
それを象徴するような出来事が、 2006 年 12 月 5 日 ストーブリーグの真只中に起きた。
契約更新の際に阪神タイガースの関本健太郎選手は球団職員にあくびをされたという。
その後の事実としては、球団側は「そのような事実はない」と発表し、
関本選手はこれに関して自分に負があることを認め、謝罪をした後に、契約書に判子を押した。
真相は藪の中だ。終身雇用制度の流れの中にいるのであろう球団職員に、
プロ野球選手の寿命を決める権利があること。
そもそもの仕組みに違和感を覚えなくもないが。
この出来事は 2004 年に読売巨人軍のオーナーである渡辺恒雄氏に
日本プロ野球選手会 会長のヤクルトスワローズ 古田敦也氏が
オリックスブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併問題に反対し、
それに関する会談を求めたことに対して
『たかが選手が』という発言をして騒動になったことに通じる。(肩書き、名称は全て当時のもの)
  
考えてみて欲しい。スポーツをすることは、子どもの時こそ『活発な子ども』として形容されるが、
それは年を重ねいくにつれて『スポーツ根性』『筋肉馬鹿』『体育会系』などという
美徳とはかけ離れた形容をされていくことになる。
スポーツ選手は文化功労賞というよりは、
ベストジーニストやらメガネベストドレッサー賞が関の山ではないか。
無論その 2 つの賞を馬鹿にするつもりはないことをご承知願いたい。
日本における、スポーツ選手の文化人としてのステイタスの低さは何から生まれるのだろうか。
  
そもそも文化とは何か? と調べてみると、
“人間の生活様式の全体。人類が自らの手で築きあげてきた有形・無形の成果の総体。
それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、
学習によって伝承されると共に、相互の交流によって発展してきた”
などとなる。その定義で言えばスポーツも十分に文化と言えるであろう。
つまり、スポーツ文化というのは一重に文化・文化という重ね言葉になってしまうのである。
そして昨今、スポーツ文化という言葉が市民権を得つつあることは、
逆説的に考えればスポーツが社会の中で未だに文化として認められていないことを示す。
  
これを筆者は「スポーツの文化的価値が低い」としばしば表現する。
そして筆者は僭越ながらもこれを向上させたいと思い、
それこそが日本における外来から来たスポーツの文化的土着なのではないかと考えている。
では、何故こうもスポーツの文化価値が低いのか。
『スポーツ文化の変容』 ( 杉本厚夫、世界思想社 ) によると、
人間は行為を行う際に、何をするのかと言う目標を選択する。
そして何故それを選ぶのかと言う選択基準を持つ。
この時の目標を価値、その選択基準を価値観と呼ぶ。
その価値観としての選択基準には、
その中には有効性を推し量る『有効規準』と
生き方の原則に従う『原則規準』、
他の物への共感を通しておこなわれる『共感規準』からなっているが、
文化の価値として認めてきたのは先の二つで『共感規準』は重視されてこなかったのだ。
前者の二つが理性であり、合理主義の社会のことを考えると当たり前のことかもしれない。
『感情』という部分に価値を置くスポーツは、『理性』や『知性』とは対極に位置し、
文化から疎外されていたのである。
  
学術的な話になってしまったが、つまるところ、エコノミックアニマルと言われる日本人とって
スポーツ及び『遊び』は対極に位置して考える余地もなかったのである。
少年時代にスポーツが美徳として扱われるのは『遊び』が子どもの仕事であり、
全てとは言わないまでもその大部分を占めているからだ。
  
これでは、社会を批判するだけではスポーツを溺愛しているようにも思えるかもしれない。
無論それと同時に、スポーツにも原因があり、それは特有の“内向性”であったと思うのだ。
アメリカ人スポーツジャーナリストのマーティーキーナート氏が自著の題名にしている
『文武両道日本になし』 ( 早川書房 ) という言葉は、その端的な例である。
アメリカ人には、学位を持っているスポーツマンがおり、
それを「スカラーアスリート」と称する。はるか昔のことのように感じてしまうが、
タレントとして一代ブームを築いた元 NFL の選手は栄養学の学位を持っていた。
では、日本人はどうだろうか。

スポーツか勉強か。
いつのまにか、かような選択をしてきてしまったのではないか。
  
また、スポーツマンは特有の“縦社会”の中で、
その個人の性格までもが内向的になっていたのではないか。
  
つまり、その世界の中で閉じこもり、他の文化と交流することを好まなかったスポーツは、
社会の中での価値規準に成り得るわけがなかった故に、『お遊び』と揶揄されてきたのである。
スポーツの価値が認められるのは、スポーツがスポーツ以外の世界から評価されたときである。
その社会にスポーツが溶け込む為の媒介としてお金があると思うのだ。
そこから、生み出される『プロフェッショナリズム』という意識も重要な一つである。 
  
ここで一つ質問をしたい。
グラフィックデザイナー、測量士、学校教師に、トラック運転手。
これらの一見バラバラに見える言葉のピースを括る枠は何だろうか。
  
それは昨日南米地区代表インテルナシオナル(ブラジル)の優勝で幕を閉じた
 FIFA クラブ W 杯に出場していた、オセアニア地区代表のオークランドシティ FCであり、
これはチームに所属しているプレイヤーの本業である。
セミプロのクラブゆえに、選手全員が本業を持っている。
ニュージーランドではサッカーだけでは暮らせないのだ。
だから何だと言ってもいい。
勝負事と、感動の喚起という人間の行動において、
ハンディキャップというのは情けであり、負い目でしかない。
  
しかし、それでもドクターやスポンサーなどをしっかりと集める彼らの努力は、
“当たり前”のことが“当たり前”にできない日本のスポーツ界に問いかけるのではないか。
彼らには胸を張って欲しい。クラブ W 杯はその存在自体を懐疑的な目に晒されている。
それでも彼らがこの機会に日本に来てくれたことには価値がある。 
ニュージーランドというラグビーの国に生まれながらもサッカーを愛する彼らの姿には、
十分にスポーツが染みていることを感じられた。
  
思えば、今年はスポーツの年だった。
しかし、果たして一年間をしっかり振り返られる人間がどれほどいるだろうか。
年の初めには、氷上の女王だけではなく、板の長すぎたジャンパーも、
言葉通りにどこかに“ぶっとんでしまった”兄妹もいた。
野球・サッカー・バスケとシンクロ、バレーと世界大会が開催され、
ラグビーはその開催の夢が持ち越しになり、東京は 2016 年に夢を馳せた。
青いハンカチと空飛ぶ馬という歌謡曲の題名のような2つも忘れてはならない。
その一方で、陸上界には早過ぎる悲報が届き、各界で自らそのキャリアを閉じるものもいた。

ここには書ききれないほどのスポーツで溢れていたのだ。
  
皆様はどのようにお過ごしになっただろうか。楽しんでいただけたであろうか。
  
筆者には今だからこそ、戦後 60 年未だかつて日本で実現されていない
『生涯スポーツ』という答えが見えてくる気がする。
『する』だけがスポーツではない、『観る』でも、『読む』でもいい。
まちに生きる人々の中にスポーツが溶け込む。
それに関して十分な、ハードとソフトがあり、お金が回る。
日本国民の多くがその価値観を享受して、
生活が豊かに耕されたと思った時、 
cultivate を語源に持つ Culture としてスポーツは始めて独り立ちできるのではないだろうか。
と僭越ながらも思うのだ。
  

posted by yamagiwaboy1012 |00:31 | 雑感 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2006年12月05日

優勝カップが浦和にやってきたヤーヤーヤー!!

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それはまだ終着点の浦和美園駅まで二つの乗り換えを挟んだ駅での光景である。 
 
アウターの中からチラつく赤いユニフォーム、巻かれた赤いマフラー、
背負われた赤いバッグ、爪に塗られた赤いマニキュア 、
そのどれもが私に浦和レッズを想起させるのには十分であった。
中には浦和レッズとは関係のない赤いジャージや凡そスポーツとは無関係なものまであったが、
皆が皆とりあえずの“赤”を身に纏う。
老若男女を問わない。そして終着地点へと近付くにつれ、
大きな赤い旗や、ブレザーや学ランの中に隠していた
赤いユニフォームを露わにする学生たちによって、
電車の中の赤い濃度が高まっていく。
それだけで、電車の中は窒息してしまいそうなほどだ。
スタジアムの中に入ってしまった時にどうなってしまうのだろか。
こうしてスタジアムには 62241 人が集るのだ。 
 
いわゆるエセレッズファンで、観戦経験のない私は
相手チームのガンバサポーターだと取り違われない様に、
青い色を全身から徹底的になくし、
友好を示す赤い帽子だけを被ってのり込んだものの、
スタジアムに近付くに連れて心細くなっていくのを感じていた。
ただ、その一方で幾度となく聞いてきた質問である、
20061205-19.JPG
スポーツ文化とは何か?

という問いに対する答えの一つになりえるのだろうという予想は確信に近づいていった。 
    
12月最初の土曜日、勝ち点は3、得失点差で2上回る首位の浦和レッズは、
2位のガンバ大阪をホーム埼玉スタジアム 2002 にて3-2で下し、初のシーズン優勝を飾った。 
   
これは日本、そして日本のスポーツ界において大変重要な出来事であったのではないか。 
 
優勝を決めたその瞬間、僕の近くのサポーターの泣き出すものが多いことに、
驚きながら僕は一人スタジアムの中で取り残されていたのだろう。 
 
それと同時に今年の北海道日本ハムの日本一に対して『 Sports Graphic Number 』に、
作家で中日ファンの奥田英朗が寄稿していたものを思い出した。
それはホームタウンを北海道に移転して3年目で優勝を手にした道民に対して、
日本の野球ファンは皆チームの長期低迷であったり、
主砲の移籍があったりと苦しいこと経験したことがあるとともに、
機会に恵まれた道民たちにもそういった一連の暗い部分が待っているなどと、
優勝への悔しさをたっぷりにじませて書いていた非常に面白い文章である。 

・・・レッズは酸いも甘いも知っている
とは優勝した翌日のどの新聞をとって書かれていることである。
J リーグ開幕の '93 年緑色のチームが隆盛した時に、
埼玉の赤いファンが長い間冷たい眼で見られていたこと、
今でこそ浦和にいるが 小野伸二 の 移籍 も経験した。
それでも、レッズファンはレッズファンであったのだ。
いや、だからこそといった方がいいのかもしれない。
それが、 2004 年の2 ND ステージ優勝、昨年の天皇杯優勝へと導いた。 
   
フリンジファンとコアファンと呼び分けるスポーツビジネス界において、
駒場スタジアムを 年間チケットで完売にするレッズは何と呼べばいいのだろうか。
どうして、こんなにもファンがいるのかはわからない。
それは巧みなマーケティングのおかげなのか、あまりにもドラマティックなレッズの歴史なのか、
埼玉という“サッカー処 ”故なのかはわからない。
ただ、一つ言えるのは不遇の時代の中で培われた強靭な忍耐力で
サポーターがその栄光を待ち続けたということである。
感動は感動を呼ぶ。
それは J 断トツの集客力となり、それは 地元企業 のスポンサードの呼び水となった。
その結果生まれた潤沢な資金によって、
クラブが長期的方針を立てられたことは優勝の要因の一つであると思う。 
    
話は代わるが、近年地方 財政は火の車である。
炭鉱都市として栄えた北海道夕張市は、財政再建団体となった。
その結果さまざまな“負担”が住民にかかり、住民流出は免れないといわれている。
しかし、街を考え・支えるのは役所だけでの仕事ではない。
そこには、行政と市民、地元の産業や企業との連携が必要なのである。
現在地方自治体は2300ほどあり、その中でプロスポーツチームがあるのは50にも満たない。
ただ、これらの自治体で夕張市の様に住民の流出が生まれるかと言われれば疑問符が付く。 
20061205-21.JPG 
少なくともレッズサポーターにとって、レッズは誇りである。
そして、レッズにとって のサポーターも同様の関係であろう。
ユニフォームに刻まれた“ We are REDS ”というのはまさにそれを体現する言葉だ。
 試合後、優勝カップを選手から渡されて、掲げるサポーターの長の姿は凄く印象的だった。
浦和レッズの象徴はどの選手でもなく、その熱狂的なサポーターである。
“まち”がレッズを中心に一丸となって勝ち得た最高の結果というのは、
その喜びも一入であるのは間違いない。 
 
優勝セレモニーが終わった後もスタジアムに残り、
喜びをはじめとする様々な感情の溶け込んだ空気を味わい、
恍惚とした表情でスタジアムを後にするサポーターたちは、
きっと、今夜は最高に美味い酒を飲みながら、浦和あたりで一暴れするのだろう。 
20061205-20.jpg
  
   
さいたま に生まれること。 
   
私はそれをこんなにも羨ましく思った日は未だかつてない。 




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2006年12月03日

新関東フットボールリーグ入れ替え戦!!

関東大学サッカーサークル1を決める
新関東フットボールリーグの一部入れ替え戦が3日、
埼玉の日本大学経済学部グラウンドで行われた。

試合は、その立場こそ違うが、
昨年度の入れ替え戦と同じ慶応キッカーズ対明大生田というカードになる。
試合は1-0で明大生田が勝利し、一部に返り咲いた。

この結果、来季は昨季残留した6チームに加えて、
自動昇格決定戦で明大生田を5-1で下した、明大体同連と明大生田の8チームで行われる。

posted by yamagiwaboy1012 |02:12 | 新関東 | コメント(0) | トラックバック(0)
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