2006年06月19日
obrigard ZICOのその前に
わずか10分間の悪夢だ。 その光景は一昨年のチャンピオンズリーグ決勝を見ている様でもあった。 ただ、あの時あまりにドラマティックな試合展開は私を魅了し、 一方で絶望を味わった人がいることなど考えもしなかった。 もちろん、そんな不幸が自らに降りかかるとは予想もしていなかった。 蓋を開けてみればオーストラリアには3-1で土がつき、クロアチアとは痛み分けた。 サッカー日本代表は今がけっぷちに立たされている。 残すは、ブラジル戦。勝ち星を挙げるのが今大会で一番厳しい相手かもしれない。 しかも2点差以上での勝利というおまけ付きである。 奇しくも、私が三ヶ月前にトリノ五輪を批評した 『NO medal, NO Olympic ?? NO win, NO sports』の中で 危惧していた事態に近づいている気がしてならない。 私は、その中で試合の成績ばかりに評価の目がいきがちなメディアに対して、 こう述べて、文章を締めくくった。 「スポーツと勝利。その先細りのスパイラルの先にあるものは何なのだろうか。 今一度考 えるべきではないのだろうか。」 それに対してここもう一度考えたい。 「物足りなさ」 アジア杯優勝にW杯出場と、サッカー日本代表はそれなりの結果を残してきた。 ただ、それでも日本代表の姿を観ていて常に沸き起こる感情がこれであった。 そして気が付けば、どうしても韓国代表選手のプレーと比べてしまう自分がそこにはいた。 彼らの肺は、いくら供給しても足らないくらい酸素を要求し、 2本の足は遠めでもわかるくらい震えている。 それでも彼らはボールを最後まで追いかけ、 時には自分の力を誇示するように相手をファールで威嚇する。 大事なものを奪われない為に。 それは勝ちに対するハングリーさなのか、サッカーに対するハングリーなのかはわからないが、 ただ少なくともW杯に出ている多くの国は、日本に持っていないものを持っている。 中田英寿が常日頃から声高に叫んでいたのは、これだったのかと今更ながらに気が付いた。 私はこれこそがこの国がスポーツで世界とは埋まらない何かであると思っているのだ。 時に、日本人の行動要因は欧米人の「向上心」というそれとは対照的に「危機感」だと言われている。 ベネディクトの言う「恥の文化」といのもそれに似ていると思う。 その端的な例は、日本人の健康観である。 日本人の健康観とは欧米人やWHOが考える「精神・身体ともに通常よりも良好な状態」とは違い、 「病気ではない状態」のことを指す。 その為、日本人は健康管理を不健康にならねば行われないというパラドックスをはらんでいる。 6月から始まった新しい駐車違反の取り締まり制度もそのような日本人の結果を残した。 車検に通らなくなるという、より厳しい規制によって日本の道路からは路上駐車が消えた。 非常に恥ずべきことだが、日本人とはこのような国民性を持っているのである。 なぜなら、この国の制度や文化・生活様式の多くは、 国が主導で上から降りてきたものだからだ。 海に囲まれた島国の人々に異文化と触れ合う機会は限られた人の特権であり、 その先人たちは、長い歴史の中で異文化を突っ張り通してきたのだ。 この国において、国民が異文化の侵入に真に危機感を覚えることなどなかっただろう。 だから、世界の場で日本人は危機感を覚えるしかなかった。 2002年日韓W杯後、ことあるごとに映像が流されるベルギー戦での鈴木のゴール。 あの足先数cmが日本のサッカーが一生懸命伸ばしてやっと届いた世界のレベルだった。 しかし、僕らは2002年以降のサッカーバブルと、4.5という出場枠のぬるま湯に浸かる。 その一方で全ての国民が自己肯定の欲求にかられ錯覚もしていた。 そして日本代表は、いや日本国民は特有の「曖昧さ」いや、ここでははっきり言おう。 「甘さ」の中で危険察知能力を欠いたままここまで来てしまった結果、辛酸を舐めた。 さあ、ここで気が付くべきなのではないだろうか。世界との違いに。 僕らの与えられたものたちとは違い、 彼らはスポーツを始めとして自ら欲しいものを獲得してきた人種なのだ。 その溝が埋まらない限り僕らの文化は本当の意味で成立しない。 かつての日本は「水と安全とスポーツは無料(タダ)の国」と言われた。 しかし、そんな時代はもう終わったのである。 バブル崩壊後、企業スポーツは200チーム以上が潰れたといわれる。 このままでは僕らの大好きなスポーツはどこかへいってしまう。 その危機感がないと、僕らに次の進歩は無い。 「obrigada Zico」のその前に、やることがいくつもあると思うのだ。 これは僕ら日本人全体の責任である。
posted by yamagiwaboy1012 |22:26 |
雑感 |
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サッカーは正しくはアソシエーションフットボール
(以下サッカーとする、というのも私は日本人なのでこう呼ばせて頂きたい)と呼ばれ、
多くの近代スポーツ同様、英国の地で生まれた。
元々、英国ではエリート教育の一環としてのスポーツがあり、その中で肉体を鍛え、
スポーツマンシップなど精神的にも成長させることが目的であった。
サッカーもその中の一つであり、英国のパブリックスクールでは
サッカーを始めとする多くの原始フットボールが流行していた。
その中で、ルールを統一し、一つの競技として成り立ったのが今日のサッカーであり、
それが英国サッカー協会である Football Association の設立でもある。
余談だが、世界にはラグビー式やアメリカ式 などフットボールと呼ばれる競技は7種類もある。
サッカーがイギリスの帝国主義の中でエリートを介して、
世界中の植民地に広まったと言われる。
もちろん、こんなにも一つのスポーツが愛されるようになるには、
それだけではないのである。
サッカーは、ボールが一つあればいいだけの実に簡単なスポーツであるということや、
ついつい道の石ころを蹴りたくなる衝動と 関係しているのではないか と考えると実に愉快だ。
ただ、事実として古代アフリカにはパピルスでできた鞠のようなもので
ボールゲームをしていたようであるし、日本でも、古くから蹴鞠があり、
サッカーに類似点を見つけるのは容易である。
イタリアでは、現在までもお祭りとして残る、
カルチョ(イタリア語で蹴るという意)という競技があり、英国とほぼ同時期に誕生している。
これをサッカーの起源とし、イタリアにおいては世界では例外的にカルチョと呼ぶ。
ただ、このスポーツはどちらかと言うと、手を含めた全身を使用する点において、
サッカーよりも猛々しく 、ラグビー式に近いとも言われる。
これらの点を考えると、サッカーを受け入れる下地が
人間の中に出来ていたのかもしれない。
また、英国から世界へ輸出されたフットボールは、
世界各国で市民権を得てそれぞれの言語で呼ばれるようになった。
ドイツにおける fussball “フスバル”などもその一つである。
ちなみに、“サッカー”は association の短縮形「 assoc 」に、
人名を意味する「 er 」をつけた「 assoccer 」、
それが変化して“サッカー”と呼ばれるようになった。
英国英語では“ソッカー”と発音され る。
しかし、この呼称 は、フットボールと言うとアメリカンフットボールを指してしまう
米国や、日本、韓国、オーストラリアなどでしか使用されない。
サッカーが日本に伝わったのは明治維新後だといわれている。
明治 6 年に海軍兵学寮に教官として招かれたイギリス人将校が、
日本海軍の軍人たちにソッカーを教えたという記録が残されており、
19世紀の終わりになると、師範学校を中心に、
サッカーのクラブが設立されるようになった。
そして、師範学校を卒業したものが、全国各地で学校の先生となってサッカーを日本全国に広めた。
こうして、世界を旅したサッカーは 、
今日国連加盟国を上回る数の国が国際サッカー連盟 ( FIFA ) に登録するほどの、
世界的なスポーツとなった。
この様にサッカーが愛されるようになった理由に、
マネジメントやビジネスという言葉が入り込む余地はない。
世界中の人々が球を蹴る 風景がこれでもかというくらい生生しく写し出されている、
世界的な写真家集団であるマグナムフォトが製作した『マグナムサッカー』 ( ファイドン社 ) や、
日韓W杯の決勝戦の日に行われた、世界最弱を決めるブータンとモントセトラの試合を記録した
ヨハンクレイマーの映画「 the other final 」は
サッカーが何故こんなにも広まったのかという答えを私に与えてくれるのだ。
また、作中で、人々が一生懸命に追いかけるボールには、
月桂樹の三本線も、温泉マークのような曲線美も、
走り抜けるような躍動感のある動物の姿も余計なものは何一つ描かれていない。
その真っ白なボールが今後のスポーツのあり方を 暗示してはいないだろうか 。
何かと権利がからむ近年のスポーツは少し、私には窮屈だ。
もっと気楽に楽しもうではないか。
さあ、もうすぐ、世界中が待ちわびた球蹴り遊びのお祭りが始まるのだ。


