2006年05月21日

スポーツの輪郭

早稲田大学ヨット部にお願いして、ヨットの春季関東インカレを見学させてもらった。 

当日は出艇しないクルーと OB のクルーザーにのって、早稲田のヨットを追う。               

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多くの日本人同様に私自身もヨットというスポーツを見たことがなかった。
初めてのことに興奮しながらも、ヨットという競技の「面白さ」が
あまりわからなかったな、というのがその日の率直な感想だ。
そもそも日本においてヨットと聞いて正確に説明できる人がいるものか。
現に多くの大学ヨット部のHPにはその競技説明を記載している。

スポーツの価値を何かで推し量ろうとする行為自体がナンセンスだが、事実としてヨットは、日本では名称は認知されていながらも、
実際にプレイしたり、観戦したりする人が少ないという類の
マイナーなスポーツとして区分されるのであろう。 

さて、 普及ということを考えると、いわゆるスポーツマネジメントであるが、
日本においてその成功例とされるのはサッカーである。
昨今の日本において「観るスポーツ」としてのサッカーの盛り上がりは言うまでもなく、
またその背景は 、スポーツとメディアの関係なしには語れないだろう。

では、このヨットというスポーツは日本におけるサッカーになりえるのか。
このスポーツをたかだか一日見ていただけの若造が何言うかと思われてしまうかもしれないが、
初見ながらに感じたことは、端から見ていてこのスポーツはドラマティックではないし、
競技の流れにインパクトが欠如していて、競技としてわかりにくいということ。
ヨットは「観るスポーツ」としては欠陥と言っても過言ではないのである。
また、「するスポーツ」にしても大学や体育会OBの援助なしには
活動が続けられなそうなお金のかかるスポーツという印象を受けた。
何とも悩ましい。 

ただ、私はスポーツを学問として学ぼうとする者が度々陥ってしまう
落とし穴にはまっていることに気がついたのである。 

時に社会学者の島崎仁は 『スポーツに遊ぶ社会にむけて』( 不昧堂出版 1998) の中で
ホイジンガの言葉を借りながら、現代スポーツに痛烈な批判をしている。 

「現代スポーツは、あまりにも真面目 ( シビア ) なものになり過ぎて、
自然さ、気楽さを失い、本来のスポーツから遠ざかってしまった ( ~以下省略 ) 」 
確かに、スポーツビジネスの発展により生まれた弊害は数知れない。
スポーツのルールは捻じ曲げられ、競技日程に無理が生じ、
ドーピングという身体的危険性をはらむ問題までを絡んでくるようになった。
では、ホイジンガの言うところのスポーツとは何だろうか? 

「スポーツ」とは元来なんだったのか? と文献を見てみると
sportの語源はフランス古語のdesporterにあり、
それは動詞でいえば「楽しむ」、名詞になると「気晴らし」という意味を持つ言葉であった。
さらに、深めるところdesporterはラテン語の portare (to carry to bear)にその由来を持ち、
またその背景として義務としての「仕事」があったことはとても重要なファクターである。 

つまりスポーツとは義務的に為さねばならぬことから離れること、
及び離れた時間空間での楽しみの行為を意味していたのである。
古くイギリスでは山登りから、女性を口説くことまで幅広い意味を持ったと言うから驚きだ。
これが近代化の流れの中で意味の細分化がなされ、
フィジカルな運動という特性を持ち始めるようになるのである。
それが今日、お金の流れの中で、
過度な商業主義化と勝利至上主義により歪んだものなってしまったというのは
決して偏ったものの見方ではないはずである。 

ただ、それだけがスポーツではないのである。 

多くのスポーツを学問として目指すものたちが誤認しているのは、
自分たちの捉えようとしている事柄が
スポーツの大部分で起こる事象だと思ってしまっていることである。

逗子の駅から出ているバスに乗り込めばすぐに海が見える。 

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砂浜に降り立てば、太陽の日を浴びた砂たちの十分な熱が伝わる。
あまり潮風の匂いがしない ? などと思っていると、
待っていましたとばかりに鼻腔に心地よい刺激が飛び込む。
目の前に広がる海の色は言葉にいい表せないほど深く、
その波の音は私を異国の地にいるかのような錯覚へと誘ってくれる。
そして海に出れば宝石箱を引っ繰り返したかの様な綺麗な水しぶきが飛び散る。

品川から一時間弱電車に乗るとこんな風景に出会えるのだ。 

そしてそのどの場面を切り取っても「スポーツ」の側面である。 

ヨット部は金曜日の授業が終わると、ポツポツとこの町に集ってきては合宿を張り、
丸々二日間この濃密な風景の中で過ごした後に、各々の学び舎へと戻っていく。 

そんな彼らが、「スポーツ」を十分に満喫していると思うのは私だけではないはずだ。 

マネジメントが出来ていなければ、
競技人口が少なければスポーツとして未熟なのだろうか?
そんなことはない。
スポーツの行く末は幾通りもの道筋に分かれているはずである。 

スポーツの懐は私たちが思っているよりもずっと広く、奥が深い。 

そんな当たり前のことに改めて気づかされるのであった。                           



posted by yamagiwaboy1012 |16:14 | 雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2006年05月07日

スポーツは何故面白いのだろうか?

スポーツは何が楽しいのだろうか?もちろん、否定的な意味ではない。
ただ、少し自分の中で何が楽しくてスポーツを行っているのか考えて欲しいのである。
仲間とスポーツを通して通じ合えることか?スポーツという世界の中での勝利によってもたらされる爽快感?はたまた発汗と言う生理現象的な快感か?
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時に、スポーツを学んでいると、自分が体験したことのないスポーツにしばしば出会う。
単純な好奇心からか、ただ私の性格がひねくれているからかどうかは分からないが、
そんな時には決まって投げかける質問がある。

「そのスポーツのどの辺りが特に面白いですか?」

こういった質問をした時に、すぐに答えられる人はそうそういない。
かくいう自分も、「サッカー」というスポーツが好きではあるが、
「サッカー」の楽しさの要因など並べることもできないのであるのだから、
これは当然の結果なのかもしれない。
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ただ、私はこうも思うのである。スポーツの「楽しさ」は定義できるものではないと。
もちろん、スポーツ以外のレジャーと呼ばれる多くのものにも同様のことが言えるだろう。
スポーツが楽しいのは、悲しいときに涙が出て、お腹が空くとグウと鳴るのと一緒である。
それは、頭で考えるようなものではなく、
もっと肉体的で感情的な反射や反応として捉えるべき事象なのだ。
こういうことを考えると話がつきない。

なのでというのは、半ば強引ではあるが、
私は自分が何故か魅かれてしまった「スポーツ」というものを、
僭越ながらも考察し、誠に勝手ではあるが記事にしていきたいと思う。

そしてこれをもって連載挨拶の言葉とさせて頂きたく思います。
もちろん、読むも読まぬも個人の自由。
ただ、できれば一読して批評などを頂けると筆者の私としてはとても嬉しいのである。


posted by yamagiwaboy1012 |16:06 | 雑感 | コメント(0) | トラックバック(0)
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