2006年03月13日
No medal No olympic No win No sports
日本時間の2月27日未明にトリノ五輪が終わってしまった。 日本のテレビ局は、23日の木曜日を過ぎた辺りから 女子フィギュアスケートで金メダルを取った荒川選手と それに関する報道で連日連夜大忙しであったのだろう。 今では荒川選手は一躍時の人であり、フィギュアスケートはブームである。 誰もが日本のメダルはないのではと思った中での、 唯一のメダルは黄金色に輝くソレ。これ自体は非常に喜ばしいことである。 ただ、私個人の見解を述べるのならば、 今回はメダル無しの五輪として終わっても、失敗ではなかったと思っているのである。 というのも今回は一つのチャンスだったと思っているからだ。 私は日本人の多くはトリノ五輪ではなく、荒川選手に関して盛り上がったと考えている。 事実トリノ五輪の遅塚団長は、帰国後の会見でこんなことを言っている。 「メダル数については最低の結果。厳粛に受け止めたい。 5個という目標を達成できずに日本の皆さまには申し訳ない競技団体ごとに猛省しなければならない」(asahi.comより) この結果でも、トリノ五輪が全体として良かったと思えるのは荒川選手のおかげなのだ。 冬季五輪で日本のメダル危機というのはあまり記憶にない人が多いのではないか。 時を遡ると、日本と冬季オリンピックの関係の始まりは札幌五輪であると言えるだろう。 1928年サンモリッツでの第二回大会から冬季五輪に参加してきたものの、 メダルは1956年コンティナダンペンティオでの第7回大会での男子回転の猪谷選手の銀メダルのみ。 それが一転、1972年札幌での第11回大会でウィンタースポーツ人気に火がついた。 もちろんその理由は地元開催の日本人選手が大いに健闘したからである。 今でもよく耳にする「日の丸飛行隊」というキャッチフレーズは、 この五輪でジャンプの表彰台を総なめにした功績を称えた言葉である。 このまま、日本スキー界は最盛期を向かえるはずであった。だが、自体は急変する。 受難。 次の1976年インスブリック五輪は日本にとってはこの一言に尽きる。 メダルが一つも取れない。 四年前の大騒ぎはどこへ行ったのか、というほどだったという。 これを期に日本でウィンタースポーツはしばらく冬の時代を迎えることとなる。 再び春の訪れを感じたのは、ノルディック複合の萩原健司選手や 伊藤みどり選手が活躍した92年アルベールビル大会。 メダル獲得数は7個。その次の94年リレハンメル大会では、 国会議員にもなった橋本聖子選手などが4個のメダルを獲得する。 そして、まだ記憶に新しい98年長野ではメダル10個という躍進を見せ、 00年ソルトレークシティ、そして今年のトリノへとその道は続く。 ここまで述べたように日本における冬季五輪の興隆は 日本のメダルの数と一致しているといっても過言ではないだろう。 いや、日本における全てのスポーツの興隆には同様のことが言えるはずだ。 今日の日本では、勝利や世界的に良い成績を残すことが、 スポーツがメディアに取り上げられこと、そして人気を博すための条件なのである。 しかし、ここで原点回帰して欲しいのである。 スポーツ選手は結果を出さなければ、TVで見る・映すに値しない存在なのだろうか。 トリノ五輪の成績は、そんな日本のスポーツのありかたを 改めて考えるチャンスだったのではないかと思う。 2005年四国で始まった独立リーグの主役は、大リーグのようなスーパープレーではなく、 高校野球と同じく一生懸命に野球をやる人間の姿だった。 トリノ五輪でも、選手の直向さは我々の心に訴えかける何かがなかっただろうか。 もちろん、メディアにその兆しがないわけではない。 7位に入賞した女子カーリングチームは、その健闘を称えられ各方面に波紋を残している。 ただ、それでも口をすっぱくして指摘するのには理由があるのだ。 何故なら3ヶ月後に日本人は今一度ドイツの地で 同様の経験するかもしれないのだから。 結果が出なかった時の水をさすような報道が、 8年前から奇跡的な勝利が続いたことで今日まで続いた、 スポーツブームという実態のない泡を消え去らせてしまう気がしてならないのである。 8年前のW杯後に、実際に水を掛けられたストライカーの姿が 脳裏から離れないのもその原因の一つである。 同じ轍を踏む必要はない、しかし歴史は繰り返すものなのか。 スポーツと勝利。 その先細りのスパイラルの先にあるものは何なのだろうか。 今一度考えるべきではないのだろうか。
posted by yamagiwaboy1012 |09:53 |
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