2008年12月17日
さよならカットマン
ピンポン球に光を当ててみる。 すると半球を二つ合わせていることがぼんやりと表面に映る影からわかる。 ピンポン玉はオスとメスと呼ばれる少しだけ大きさの違う半球を重ねることで球体をなし、 その接合部は内側に少し盛り上っているのだ。 球の内側は、外側よりもツルツルとよく滑る。僕はそこではじめて、 回転がかかりやすいようにボールが研磨されていることに気が付いた。 直径40ミリ重さ2.7グラムのピンポン玉はセルロイドという合成樹脂でできているという。 セルロイドは、もっとも古い熱可塑性樹脂であり、 発明当初から今までピンポン球の材質として使われ続けているのは、 その反発係数が競技に適しているからだといわれる。 そしてそういった細部にまでこだわる為、ピンポン玉を作る過程には、 いくどとなく検査を重ねることから大変な労力と時間がかかるのだ。 でも、そんなものはよほどの物好き以外は知らなくてよいことであるし、 気がつかないことでもある。ただ、それほど、このボールは精巧に作られていて、 それこそが卓球という競技をこれほどまでに白熱させているのは 間違いのない事実であろうと僕は思う。 だから、ほんのちょっとの手元の狂いや、集中力の乱れが勝敗を分ける。 しかし、そういったことを考えると、 今の卓球の運営の仕方は好ましいものとは言えないのかもしれない。 多くの室内競技同様に、卓球の試合というのは、いくつもの試合が同時進行で行われる。 一つの台で卓球の醍醐味とも言えるラリーの応酬が生まれるものならば、 最初の小さな歓声が呼び水となって、 会場の視線が一瞬にしてその一台に集中することがある。 会場全体のため息も、歓声も、すべてはその一つの台の上で起きることに向けられるのだ。 劇空間の中にいる選手にとってはこれほど誇らしげな瞬間はないだろう。 ただ、それ以外の選手にとっては少々やりにくいというのが、正直なところかもしれない。 卓球の会場ではしばしばそんな場面に出くわす。 そんな小さな歓声に目を奪われたのは松下浩二も同じであった。 取材・編集 篠雄也
その試合の81球目を打ち終えたころ、松下は歓声の上がる1つ右の台を見ていた。 4セット先取で行われるゲームのカウントは、松下のサービスから始まって1-3。 3ゲーム取られてから、何とか1つ返した松下だったが、 カットボールがネットに引っかかり、 ポイントは2-5と世界ランキングが3つ下の江天一(香港)に劣勢を強いられている。 もしかしたら、集中力が切れてしまっていたのかもしれない。 もしくは、何かを考えていたのだろうか。 その後、7―7までの追い上げも虚しく、立て続けに出たショットミスにより、 松下はトーナメントの一回戦で敗れた。 試合が終わると、コート付近でコーチと話しながら、手首のアイシングをはじめる。 カットマンにとって、手首は、野球のピッチャーの肩と同様に消耗品なのだろう。 カットマンというのは、卓球のプレースタイルの一つである。 卓球台から2メートルほど離れる“後陣”に位置取り、床につきそうなほど低い球を、 腕をムチのようにしならせるようにして“切る”ことで、バックスピンをかけながら返球する。 そんなカットボールは不意にラケットに当たれば、ボールはスピンでショートしてしまう。 ショートしないようにボールを打ち返そうとして、 力が入りすぎて浮き玉が返ってくるようならば、 カットマンが待っていましたとばかりに待ち構えているはずだ。 このボールを打ち返す方法は二つしかない。 一つは、「ループ」と呼ばれ、バックスピンに対して急激なドライブ回転をかけ、 浮力を抑えて相手コートに返球するオーソドックスなもの。 もう一つは「ストップ攻撃」といって回転に逆らわずに、 ネットぎりぎりのラインにすくうようにして打つのである。 ネット付近のボールは、カットマンにとっては、“切る”ことができない急所だ。 カットマンにとって最大の弱点は、“慣れ”である。 カットマンの攻撃は、相手にボールを打たせることに始まり、打たせることに終わる。 相手のサービスに対して台の中央で待つカットマンは、 「3球目攻撃」をされないように「ツッツキ」と呼ばれる エンドラインぎりぎりの深い位置に回転のかかったボールを返す。 「3球目」とは、サービスをリターンしたボールのことであり、 卓球の中で攻撃をしかけるのに最も大事なボールのことである。 そして、カットマンはバックステップで主戦場である“後陣”へと戻れる瞬間を見極めながら、 相手の打球を待つ。もし、後陣でボールが打てるようならば、そこから我慢比べの始まりである。 ボールを“カット”し続けるのだ。 勿論、相手のストップ攻撃に備えていつでも前に出られるようにステップを踏みながらである。 自ら、“後陣”へと下がるカットマンほど試合中に細かな動きを見せる選手はいない。 それでも、“切り”続けることで、微妙な変化の具合で相手のミスを誘い、ポイントを奪う。 「そんな戦い方をして勝てるのか?」と思う人もいるだろう。 確かに、2000年に球の大きさが、2ミリ大きくなることで重みが増し、 スピードが落ち、回転が減ることで、返球がし易くなりラリーが続くようになった。 また、11点制への移行は、サービスを2本交代へと変え、「3球目速攻」の重要性を説かれた。 そうした中でカットマンを取り巻く状況は苦しく、だからこそサービスゲームでは、 カットマンでもオーソドックスに戦うことが大事だと松下自身も自身の本で述べている。 でも、そんなことに試合中に気が付く人はそんなにいないはずだ。 ドンという踏み足の音ともに、しなる腕によって“切られた”ボールは卓球台の下から、 ふわり浮き上がったかと思うと、ゆっくりと、台に対して水平に優雅な低空飛行をしていく。 それは、何かに押し出されるようにまっすぐ進むこともあれば、 卓球独特のなめらかな曲線を描きながら飛ぶこともある。 その描くボールの軌跡は、目を奪うほどにただただ美しい。 2007年、6月22日千葉県ポートアリーナで行われた ITTFプロツアーJAPANオープンは、確かな熱気に包まれていた。 それは、世界ランク20位までに与えられる2008年北京五輪の出場権を得る為に、 ランカーがこぞってJAPANオープンに参加したことで、 熱戦が繰り広げられていたことだけでは生み出せないものだ。 近年、日本の若手選手の台頭による、 日本人の卓球への関心の高まりがその空間の中にはあった。 あの時、会場の視線を一身に浴びていたのは、 松下の隣の台のクラーセク(チェコ)と陳衛星(オーストリア)の試合である。 二人の大人が、ネットを挟んで、小さな台の上でボールを力いっぱい打ち続けるその姿は、 温泉と卓球という言葉を結び付けてしまう日本人にとっては、異様な光景であったと思う。 それまで、日本の若い選手の“姿”を見ては、声援を送っていた多くの観客が、 驚き、声を上げてしまうのも致し方のないことだろう。 そんな日だからこそ、松下はこの日にかけていたのではないか。 それは彼が1週間前に行われていた韓国オープンを休んでまで練習をして、 この日に備えていたことと関係しているかは定かではない。 第一ゲームからずーっと“切り”続ける松下の戦い方は、あまりにも不自然であった。 江天一はカット打ちのうまい選手である。 カットボールを打ち、後陣で待つ松下に対して、 ストップ攻撃を繰り返すことで、前後に振り、ミスを誘う。 それでも遮二無二カットし続ける松下の意図は他にあったとすれば、 それは、魅せる卓球であり、面白い卓球ではないか。 日本卓球界の浮上のきっかけを掴もうと彼はしたのでは… というのは僕の憶測の域を出ない話である。 もっとも、何億年も前の光を地球に届け続けることで夜空に輝く星たちと、 そんな星たちとまるで交信するかのごとく、 あまりに一方的で、無意味な、メッセージが一つくらいはあってもいいと思っている。 兄の影響で双子の弟である雄二と小学校から卓球を始めた松下は、 大学時代にスウェーデンの卓球リーグに行き、プロ卓球選手としての洗礼を受ける。 卒業後、企業に入るも、1993年に日本人のプロ卓球選手第1号となった。 ドイツ、フランスと世界の名だたるリーグを歩んできた松下は 2001年にチームマツシタという会社をたてる。 選手のマネジメントや、健勝苑主催のスーパーサーキットという 有名選手を日本に招いた大会ツアーの運営を始めるのはそれからである。 バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネと日の丸を付けて4度オリンピックに出場した。 昨年、早稲田大学スポーツ科学学術院の社会人コースに入り、 トップスポーツビジネスを学ぶ松下浩二は、40歳になる。 光はしっかりと届いている。 さよなら、カットマン。 でも、僕はカットマンの3球目にたまらなく興味をひかれている。取材・編集 篠雄也
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すると半球を二つ合わせていることがぼんやりと表面に映る影からわかる。
ピンポン玉はオスとメスと呼ばれる少しだけ大きさの違う半球を重ねることで球体をなし、
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球の内側は、外側よりもツルツルとよく滑る。僕はそこではじめて、
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直径40ミリ重さ2.7グラムのピンポン玉はセルロイドという合成樹脂でできているという。
セルロイドは、もっとも古い熱可塑性樹脂であり、
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その反発係数が競技に適しているからだといわれる。
そしてそういった細部にまでこだわる為、ピンポン玉を作る過程には、
いくどとなく検査を重ねることから大変な労力と時間がかかるのだ。
でも、そんなものはよほどの物好き以外は知らなくてよいことであるし、
気がつかないことでもある。ただ、それほど、このボールは精巧に作られていて、
それこそが卓球という競技をこれほどまでに白熱させているのは
間違いのない事実であろうと僕は思う。
だから、ほんのちょっとの手元の狂いや、集中力の乱れが勝敗を分ける。
しかし、そういったことを考えると、
今の卓球の運営の仕方は好ましいものとは言えないのかもしれない。
多くの室内競技同様に、卓球の試合というのは、いくつもの試合が同時進行で行われる。
一つの台で卓球の醍醐味とも言えるラリーの応酬が生まれるものならば、
最初の小さな歓声が呼び水となって、
会場の視線が一瞬にしてその一台に集中することがある。
会場全体のため息も、歓声も、すべてはその一つの台の上で起きることに向けられるのだ。
劇空間の中にいる選手にとってはこれほど誇らしげな瞬間はないだろう。
ただ、それ以外の選手にとっては少々やりにくいというのが、正直なところかもしれない。
卓球の会場ではしばしばそんな場面に出くわす。
そんな小さな歓声に目を奪われたのは松下浩二も同じであった。
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