2006年08月28日
スポーツまでの距離
僕はその日、とある競技場の記者席に座った。 Jリーグを観るためである。 すると、飲み物が振舞われる。ハーフタイム中には他会場の速報が各人に配られる。 非常に行き届いたサービスだと言えばそれまでであるが、斜に構えてしまう私がいる。 やはりメディアに対して、スポーツ界は弱いのではないかと思うのである。 スポーツがメディアを普及させたのか、メディアがスポーツを高めたのか、 と言うのはしばしば議論の種になることである。 皆様はいかがお考えになるだろうか。 思うに、「テレビスポーツ 50年」(角川インタラクティブメディア 2003年)の冒頭文で 杉山茂氏が述べているように、スポーツによってメディアが広められたのではなくて、 メディアによってスポーツは高められたのであろう。 メディアがスポーツを高めたというのは、もちろん言うまでもなくビジネス化のことを指す。 また、その文章はこう続く。 「伝統を盾にするのならば、望まれる変化をしりぞけることが出来たかもしれない。 だが、スポーツは、20世紀に巡りあえたこの最良のパートナーを遠ざけることはしなかった。」 (以上「テレビスポーツ 50年」より抜粋) つまり、一部の人間はスポーツのメディアによるビジネス化を望んできたのは事実である。 言うなれば、これは進化の過程。 スポーツという未熟なビジネス領域において、スポーツが文化として、 成熟するにあたって、通らざるを得ない過程なのではないか。 だからこそ今日、山積するビジネス化に付随する諸問題は、 「悪」として取り払われるのではなく、功罪として扱われるのである。 しかしながら、メディアとスポーツの蜜月の日々は続く。 選手と個人的な繋がりで語るライターの多いことには愕然ともした。 さもしなければ選手は口を開かないのか。 協会とメディア、選手とメディア、スポンサーとメディアなど複雑化する関係の中で起こるパワーゲーム。 その中で、メディアはどれほど中立でいられたのか。 そもそもTV画面に放送される時点で、第三者がスポーツを切り取り、 何かしらの意味を付加したものである、というのは間違った見方ではないはずだ。 その点において理想を言えば、メディアという媒体を介さないスポーツ観戦を薦めることこそが、 スポーツとメディアにおける逆説を孕んではいるものの、理想の関係とも言えるのである。 杉山茂氏は前出の著書の冒頭文をこう締めくくる。 「テレビは総力を尽くして戦う人間の姿を追い、その絵巻を映しこむ。 だが、どれだけ放送技術が進化し、『瞬間の風景』に挑んでも、 じかに見るスポーツの迫力と美しさには及ばない。 40年以上にわたりテレビスポーツの場に身をおいてきた私は、 テレビを見てスタジアムへ飛んでいきたくなるような映像を作り出したいと思い続けてきた。 テレビの役割というのは、そうしたものではないか。テレビはスポーツを高めた。ささやかな自信もある。 競技場へ足を運んでいただく価値は十分である。」(以上「テレビスポーツ 50年」より抜粋) 発言者の立場としては矛盾しているものの、 スポーツのへの罪滅ぼしなのか、非常に思慮深い判断であるのではないかと思う。
posted by yamagiwaboy1012 |22:48 |
雑感 |
コメント(0) |
トラックバック(0)


