2010年02月14日
是非国母選手を批判する前に、読んで欲しいんです。
以下、広瀬一郎氏のブログから引用
http://www.sports-soken.com/blog/archives/2010/01/post_461.html
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東京体育館で講演
昨日、東陽体育館(千駄ヶ谷)で講演。
テーマは「スポーツと公共性」
~「事業仕分けに対応できるか!?」~
まず
「スポーツの公共性」のパラドクス
「スポーツ」自体のパラドクス
「パラドクス」のパラドクス
とホワイトボードに書いた。
「これで話を進めていいですか?」
と問うた。
さすがに「パラドクスって何ですか?」という質問があり、3行目を削除した。
「スポーツマンシップ」を理解していないならば、
「スポーツを理解していない」
と説明した。皆がほぼ同意。
では「スポーツマンシップを理解している人は?」
・・・皆無。
「スポーツを理解している人がいない」ことを証明。
次に
「スポーツが好きな人は?」と問うと
全員が「好き」と回答。
そこで
「スポーツを理解していないのに、スポーツが好き」というのは可能か?
と質問。
これが(日本における)「スポーツ(問題)」のパラドクスだ。
証明終了。(Q.E.D)
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以上をふまえて、一つ僕が言いたいこと。
元横綱朝青龍さんにしても、国母選手にしても、彼らの問題はスポーツのパラドックスから生まれてしまっているということです。僕は品格などのことを問題視していないですけれど(もっと深刻な問題がおこっているので)、仮にこれを問題視するのならば、個人攻撃ではなく、より建設的な議論がされるべきです。でなければ問題は繰り返されるでしょう。だから、少し長いけど、僕が大学5年間で身につけた理解で、問題の原因と、結果の分析、それに対する解決策とはいえないかもしれないけれど、一つの提案をしてみようと思います。それはビジネスマナーなど、競技外での立ち振る舞いを選手に教育することだと思います。
足が遅くも、背が低くても、誰だってスポーツマンになれる
まず、原因は、個人の性格というよりもスポーツのパラドックスにあると思います。具体的には、広瀬氏も言うように、マネジメント側にパラドックスがあります。スポーツというものを理解せずに、スポーツというものを教えるのは難しいです。スポーツマンは、ただ足が速いとか、高く飛べるとかそういう人ではありません。he is a good sportって言うと、あいつは良いやつだって意味があることからもわかるように、スポーツマンってもっと内向きの、メンタルな定義なのです。
日本のスポーツが抱える根源的な問題
しかし、競技団体は、指導者は、スポーツ及びスポーツマンとは何かを理解できていたでしょうか。僕はそう思いません。子どもの頃から、小さい頃からしっかりとスポーツマンシップという言葉だけではなく、その意味を教えていたでしょうか?僕はそう思いません。経験論になりますが、その様な教育ってまだ普及していないと思います。僕も大学で5年学んではじめてそこに至りました。普通のことだと思います。でも、それでも足が速いだけで、高く飛べるだけで、そういうイメージがプレイヤーに重ね合わされてしまうから、周りの見る目が厳しくなった結果、スポーツ選手の問題はこんなにも多くなてしまったのではないしょうか。それに協会からも怒られる、大変ですよね。だから、やはりこの心の教育問題に一石投じなければ行けないと思うんです、特に“イメージ”でお金をかせでいるプロポーツ選手はなおさらに重要だと思います。
では、このような問題が起こるとどのような結果が生まれるのでしょう。
ないものをねだるパラドックス
ここでは、問題になった二人の事例を分析します。国母選手の場合には、オリンピックに参加することで、アマチュアとプロの間に位置し、そういった教育をされていないにも関わらず、それを社会に求められてしまい、加えて教育をしなかった協会にまで誹られるというパラドックス。一方で、元横綱朝青龍さんの場合は、“横綱”や“相撲”という文化を横綱に協会が伝えきれなかったのに、その協会に誹られ続けるパラドックス。二人とも、協会ですら、何か理解していないものに対して、社会から協会から批難を受けるという異様なパラドックスが起こっているのです。ここからわかるのは、このような問題は他の競技でも同じように起こりえるということでしょう。
マネジメント側も選手側もスポーツとは何かを理解しよう
マネジメント側は、スポーツとは何かをより理解して、プレイヤーに伝えることで、プレイヤーをスポーツマンに変えていかなければならないと思います。ただ、この問題の難しいところは、人間の内面をコントロールするのは難しいというところにあります、しかし、この社会の中で、特に注目の集まるプロスポーツというのは、早急な手を打たなければならず、まずは行動規範という抽象的な言葉から、具体的なビジネスマナーや競技外での立ち振る舞いに落とし込んで教えることが必要だと考えています。ちなみに、この場合のアマチュアスポーツと、プロスポーツの定義:違いは、お金が(プレイヤーの)中から出るのか、外部から(プレイヤーに)入るのかです。
スポーツマンシップ教育はリスクマネジメントと未来への投資でもある
人を説得してお金を獲得するプロスポーツのような場合、スポーツ界は、スポーツの外にいる人たちへ通じる声や言葉を持たなければなりません。それは事業仕分けでも同じですね。それと同時に、外部の人とはどのような人なのか、そしてそれはどのようにスポーツに接しているのか(みているのか)理解しなければならないと思います。そして、社会(人々)はスポーツに何を求めているのかを理解しながら、自分たちの強みを最大化するとビジネスはいい方向へいくと思うんです。それは会社がビジネスマナーを新社会人に教えるのと同じように、社会のニーズと期待に添うように、選手に特別な教育をしなければならないと思います。ある人は、それは常識といわれるかもしれないけれど、倫理観や常識は主観的で、変わりやすい性質があるので、リスクマネジメントの為にも、その組織でしっかりと考え方を身につけさせなければならないと僕は思っています。そして、こういった教育がなされれば、子どもにスポーツをやらせたいと考える方も増えるかもしれません。それは言い換えれば、スポーツの周縁を増やす活動であり、より大きなビジネスを成り立たせる環境を整える副次的効果もあります。
建設的な議論から、よりよいスポーツ界にしていきましょう
最後になりますが、これらの問題を仮に問題視するのならば、個人攻撃ではなく、より建設的な議論がされるべきです。色んな競技で同様の問題が起こっています、それは時代や価値観が昔のそれとは変わってきて、個々の考えることに多様性生まれた影響が大きいでしょう。そして、このままのでは、また同じ問題が繰り返されるでしょう。僕は朝昇竜や亀田選手や国母選手のように、相手に泣きが入るまでいたぶる世の中の空気には危機感を覚えます。でも、そういう社会なのだから、尚更、今すぐに、何か手を打たなければならず、その方法の一つが、ビジネスマナーなど、競技外での立ち振る舞いだと思います。そして、これはどの協会やどの組織にもあてはまる早急に対応すべき懸案事項だと思います。
長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
これを読んで、選手への個人攻撃が減れば幸いです。
篠 雄也 2月13日
posted by yamagiwaboy1012 |06:03 |
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2009年12月05日
ここイギリスのシェフィールドでは、
年末へ向けて街が段々と色づいてきています。
ライトアップの準備も整い、クリスマス商戦も激しいです。
こういった街の移ろいが、改めて今年の終わりを感じさせます。
そして、2010年はもうそこまで来ている。
2010年、どんな年になるかわかりませんが、W杯イヤーですね。
昨日は、その抽選がありましたね。
僕はこの抽選結果が大好きです。
日本にとっては最高のドローだったのではないかな。
それは、サッカーという部分もありますが、
それと同じくらい、日本人としてという思いもあります。
もちろん、言うまでもなくW杯一番のりを決めたオランダとの対戦が楽しみですね。
やはり、現代サッカーの中心は、オランダにありと考えています。
今現在、世界で一番強い国といわれるスペインも、
ヨーロッパチャンピオンのバルサも、戦略のベースはオランダにありますよね。
それは、バルサとクライフの関係からくるのだろうし、
その系譜を継ぐシャビ、そしてそれを超えると言われるイニエスタが、
スペインの軸でもあるからでしょう。
バルサと同じようにオランダのサッカーを参考にするチームは世界中に沢山ありますよね。
また、ヒディング監督という戦術家・名匠も忘れられませんね。
サッカーライターの中田徹さんによれば、
特に身体能力に優れているわけでもなく、また国の小さいオランダ人は、
歴史的にも、知恵をしぼることこそが、自分たちの活きる道であると考えているようです。
だから、これほどの戦術が生まれているというのです。
何だか、シチュエーションが日本に似ている気がしませんか。
そんな現代サッカーの主流オランダ、勝てるかどうかは別として、
そういった国とW杯という場所で戦うことで、得られるものは少なくないですよね。
一方で、緒戦のカメルーン、最後のデンマークというドローには、
日本人として縁を感じ是ざるをえません。
2002年、中津江村とヨン・ダール・トマソンという2つのキーワードが、
日本とそれらの国をぐっと近づけてくれましたよね。
僕は、これを思い出すたびに、スポーツの可能性を再確認します。
それに、それは今自分が、ここシェフィールドで体験していることでもあります。
スポーツは、言葉の壁を超えると言われています。
それは間違いないでしょう、でももう少し正確に表現するならば、
スポーツは言葉よりも、雄弁に気持ちを語るツールになりえるということではないでしょうか。
何故か、スポーツという媒体をはさむことによって、
いつのまにか人の距離を縮めることができるからですね。
スポーツは、高いクオリティのコミュニケーションを、
可能にするツールの1つだと思います。
「サッカーはわからん、しかし鳥肌が立った。」
そんな中津江村の老人の言葉は、まさにそれを雄弁に語っているように思います。
また、和歌山県にキャンプしたデンマーク代表のことは、絵本になりましたね。
上井 建治著少年とストライカーと約束
こちらでも読めます。
何回読んでもぐっとくるものがありますよね。
僕は、こんなデンマーク代表のようなスポーツ選手が好きだな。
現代サッカー戦術の軸を担うオランダと、日本にゆかりのある2つの国。
勝ち負けに関係なく、最高のドローではないないかと、僕は思っています。
また、今回は、ポルトガルとブラジルという、
市之瀬敦さんの言葉を借りれば、
“砂糖をまぶしたパス”やボールタッチの押収も楽しみですよね。
W杯は、というわけではなく、スポーツは最高のは気晴らしです。
もちろん、負けることを前提に戦う選手も、応援するサポーターもいません。
でもそれは、負けたら、全てが台無しになるという意味ではないですし、
勝ちに拘り過ぎて、スポーツを楽しめないというのは、本末転倒な気がします。
僕はそれを、ここシェフィールドでスポーツをしていて、改めて感じました。
苦しそうに、悩みながら、スポーツしている人何て1人もいない。
また、少なくとも、僕にとっては、W杯は目標ではなく、ツールです。
中田英寿選手が、それを足がかりに世界へ羽ばたいていったように、
僕は、W杯というツールを使って、世界中の人と出会い、語りたい。
僕はそんなお祭りとしての、W杯が大好きですね。
オランダのサッカーに驚嘆しつつ、
カメルーンとデンマークを日本と同じくらい応援して、
最高にW杯を楽しみたいですね。
篠 雄也 12月5日
posted by yamagiwaboy1012 |18:06 |
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2009年11月23日
僕がシェフィールド、いやイギリスに来たもう1つの理由。
それは、今福さんの言葉を借りれば、フットボール的な日々を過ごすため。
アメリカも、こればっかりは、まだないね。
今福龍太著「スポーツの汀」
ということで、土曜日はリフレッシュを兼ねて、自分のリーグ戦は仲間に任せて、
シェフィールドユナイテッドのホーム、ブラモール・レーンへ行ってきました。
ようこそイギリスへって感じの、生憎の空模様のおかげで、まったくいい写真が取れませんでした。
すみません。次回リベンジします。
ブラモール・レーンは1855年に建設され、
今現在プロチームが使用しているスタジアムの中では、最古のものです。
同様に、クラブの歴史も古いです。
(一説によれば、ユナイテッドと関する最古のチームとも言われています。)
ちなみに、現存する最古のフットボールチームも、ここシェフィールドにある、
シェフィールドFCというアマチュアクラブです。
と、話が横道にそれてしまいましたが、
1889年に設立されたシェフィールドユナイテッドFCは、この街とともに生き続けているのでしょう。
そんなことを感じさせるグッズに、スタジアムで出会いました。
友達のTonyが持っているのは、スタジアムで配られているハリセンのような応援グッズです。
その蛇腹を開くと、クラブの応援歌が書いてありました。
You fill up my senses
Like a gallon of Magnet
Like a packet of Woodbines
Like a good pinch of snuff
Like a night out in Sheffield
Like a greasy chip butty
Like Sheffield United
Come fill me again....
Na Na Na Naa Naa Naaaaa, ooo!
歌の中で、シェフィールの人々を満たしてきた数々のものと共に、ユナイテッドが描かれています。
また、againの解釈の背景として、古豪といわれるようになったユナイテッドと同様に、
イギリスで5本の指に入る鉄鋼の街として栄えたシェフィールドが、
フルモンティーに描かれているような、“シェフィールドビレッジ”と揶揄されるようになったことを、
コンテクストとして知っていると、尚、againという言葉に力が入るというところでしょう。
試合開始、キックオフのまさにその時に、ジョニーデンバーのメロディに載せて、彼らは謳います。
試合の入り方としては、最高でしょうね。これぞ、ホームアドバンテージ。
ちなみに、スタジアムでは、Help for heroというチャリティーが行われていました。
これは、戦場で体の一部を失ってしまった戦士たちへのチャリティーで、
スタジアムの周りで募金活動が行われていたり、
選手のユニフォームをe-beyで売ってドネーションをしています。
試合前には、スタジアムにいる2万5千人全員が起立をして、戦士たちに拍手を送りました。
写真はその時のもの。
今、イギリスでは、アフガニスタンで戦士が何人も亡くなっていて、その意義が問われています。
そんなニュースが連日BBCから流れています。
ま、政治的なことはおいて置いても。
日本のスポーツも、スポンサーとか、リーグ機構云々ではなく、
スポーツの外側に向けて、言葉を持ち、発信していかなければならないのは明確でしょう。
その時は、スポーツは目的から、方法として変わり、そこから劇的な変化が起こるのかな。
追伸
こっちのスタジアムは本当に寒いです。寒いでしかしって感じです。
シェフィールドは雪が降るまちです、調べたら、今日も北海道並みの気温でしたが、
フットボールのシーズンは秋冬でございます。
いうまでもなく、最古のスタジアムにヒーターなどはなく、
ハーフタイムにはみな、屋内に逃げ込んでいました。
応援する時に、みんなで足踏みをするのですが、それは実は寒いからだったりして(笑)
ま、でも3万3千人収容のスタジアムに2万5千人ちょい入るんだから、立派ですよね。
ちなみに、僕はこの日、シェフィールドFCのマーケティングの一環として、スタジアムには無料で入れました。
次は、ヒルズボロの悲劇で有名な、ウェンズデーのスタジアムに行こうと思います。
11月22日 篠 雄也
参考文献:
http://www.sufc.co.uk/page/Home/0,,10418,00.html
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Sheffield_United_F.C.
http://en.wikipedia.org/wiki/Bramall_Lane
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Greasy_Chip_Butty_Song
http://en.wikipedia.org/wiki/Sheffield_F.C.
posted by yamagiwaboy1012 |00:35 |
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2009年11月04日
ナビスコカップ決勝で負けたフロンターレの受賞態度が問題になっている。
ウェブでストレートニュースやコラム、サポティスタを拾い読むと、
色々な意見があるようにも感じる。
「ワーストルーザー」という言葉までもが飛び出したようだが、
では、誰がワーストルーザーなのだろうか。
教育がなってない(from スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/11/04/07.html
サッカーの品位をおとしめる行為をしてしまい申し訳ない(from 時事通信)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/headlines/20091104-00000230-jij-spo.html
チャリティーをしてほしい(from スポニチ)
http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2009/11/post_1458.html
私が言いたいのは鬼武チェアマンが怒るのは不適当だということだ。
もちろん、フロンターの振る舞いは正しくはないことが前提である。
では、何故不当なのか、3つほど理由を考えてみた。
1点目、そもそも、いつからサッカーはそんな高尚なスポーツになったのだろうか?という疑問。
スポーツマンシップは非常に尊い考え方であることに異論はないだろう。
しかしながら、この問題が如実に示しているように、
サッカーやスポーツをしているだけで、それらが身に付くと考えるのは論理の飛躍である。
組織がフェアプレーや、スポーツマンシップ教育を徹底して、初めて、それに反したものを裁けるというのが適当な過程である。
もちろん、Jリーグは新人教育を行っている。
しかしながら、2005年佐野毅彦氏の研究を見る限り、それはまだ未成熟である。
2009年の現在をもってしても、十分に機能しているとはいえないと考えられる。
2点目、立場上、鬼武チェアマンも反省すべきである。
(もっとも、この文句のつけ方の方が、よっぽどフェアプレーじゃないことは言うまでもない。)
フェアプレー教育は、誰がすべきなのだろうか。
そもそも、JリーグとJクラブの関係を考えると、JクラブはJリーグの構成員である。
例えるならば、コンビニの本部とフランチャイズの関係だ。
つまり、別会社ではなく、組織内組織にあたるのだから、
「教育がなってない」のは、Jリーグにも当てはまる言葉でしかるべきです。
したがって「みっともない行為をみせて申し訳なかった」というのが、外部に対するチェアマンとしての“あるべき”発言だろう。
では、チェアマンはどんな権限がるのだろうか。
3点目は、チェアマンという職権の乱用と悪用。
確かに、Jリーグ規則第1章第2節第7条のチェアマンの権限の中には、
“Jリーグ全体の利益を確保するためのJリーグ所属の団体および個人に対する指導”が書かれてる。
http://www.j-league.or.jp/aboutj/2009pdf/04.pdf(from JリーグHPより)
しかしながら、仮に、この行為がJリーグの利益を損失させたとしても、制裁金というJの姿勢は指導ではない。(私は利益を損失させたとは思いませんが)
加えて、仮にこの行為が、Jリーグの利益を損失させたとしたらならば、川崎の武田社長が言うように、それはサッカーの品位をおとしめる行為になるはずなので、鬼武さんもJの代表としてJFAや、サッカーを愛する方々に陳謝する側ではないだろうか。
繰り返しになるが、川崎フロンターレは許されるべきではない。
“ふるまい”のような個人に依る部分の大きい問題は、
ルールを制定すること、それを統制すること自体が非常に難しいものでもある。
その為、Jリーグやスポーツ界が、その価値を高めるためには、
引き続き啓発活動を続けていかなければならないのも事実だろう。
しかし、扱いが難しいからと言って、一部の人間による後出しじゃんけんのような批判・その類に行動が是認される理由にはならない。
ましてや、「ワーストルーザー」などと言及することこそ、
選手へのリスペクトを欠く行為であり、
フェアプレーでも、スポーツマンシップでもないことはあきらかである。
どうしてもJリーグが、「ワーストルーザー」という言葉を使いたいのであれば、我那覇問題に真摯に向き合わない自分自身にこそ相応しいだろう。
2009年 11月 4日 篠雄也
posted by yamagiwaboy1012 |23:38 |
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2009年10月02日
2016年の五輪開催地が明日決まります。
東京は盛り上がっていますか??
早く五輪グッズ買わないと、プレミアもんかも??
さてさて、東京にはどれくらいの可能性があるのでしょうか。
これは、コンクラーベ方式と言われる決定方法と、
まさにオリンピックならではの、大逆転勝利というのがあるのでわかりません。
僕はあるのではないか?と思っています。
10月1日 篠 雄也
posted by yamagiwaboy1012 |07:31 |
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