2007年10月18日
地力
だいぶ間が空いての再開です。 内藤大介VS亀田大毅戦、戦前も戦後もこれほど世間が注目したボクシングの試合はかつて無かったのではないだろうか?ボクシングの試合を生でなくともいい、テレビでもなんでも世界タイトル戦がらみの試合以外観たことのある人はどれ位いるのだろう? スポーツは裾野が広がれば広がるほど頂点は高くなる。そこに辿りつく人間はほんの一握り、戦って結果を出し階段を上る。負けて悔しがって這い上がる。そうやってみんな頂点を目指している。 ボクシング界は4回戦から始まって勝って勝って自分のポジションを上げなければならない。そうしてたどり着くのが世界戦という頂点な訳だが、その道程の試合がプロボクサーを淘汰していく。勝ち上がるたび、幾人ものボクサーの思いを背負って行く。それが世界戦にたどり着く一握りの人間の強さの一因なんじゃないかと思っている。 今回の試合はその思いを強く感じた結果になった。チャンピオンはしっかりした作戦と準備の上に立って、自分を信じて戦っていたのではないだろうか。「揺るがない」それが地力だと思う。幾人ものボクサーを倒して上がってきたものとしての誇りが与えた力なのではないか。 大毅選手は若い。もちろん今回の戦前からの言動や、試合での反則行為は若さで許されるものではない。ライセンス停止の1年どんな風に過ごすのか、周りはもちろん騒がしいだろう。だが18歳は若いが子供ではない。周りの空気に流されてのこの事態かもしれないが、やったのは自分である。この1年しっかり地に足つけてトレーニングをして、復帰するべきだと思う。復帰してクリーンな試合で結果を出す事でしか、今回の件は終わらないのだから。 私は世界戦にたどり着けずに去っていくボクサーの思いの分かる者だけが、チャンピオンという頂にたどり着けるのだと信じたい。
posted by 刹那 |19:04 |
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2007年02月22日
名伯楽
2月末、競馬界では毎年定年、引退の時期である。今年は時代の区切りとなるような引退期となった。 今年は例年にも増して名伯楽たちがターフを去っていく。前人未到の1000勝の伊藤雄二調教師をはじめ、オグリキャップ、ネオユニバースの瀬戸口勉調教師、メジロラモーヌの奥平真治調教師等など、まさに近年の競馬界をリードし続けた調教師達が去っていくのだ。 この世代の調教師達は東高西低時代、坂路の設置に始まる西高東低時代。ジョッキーのフリー化、国際化、地方競馬との交流等々、目まぐるしい時代の中で、多くの名馬たちを育て続けてきた。 昨年のディープインパクトの引退、サンデーサイレンス産駒のクラシックラストイヤー。そして今回の調教師達の引退で競馬界は丁度良い区切りを迎えたのではないだろうか?今年度から新しい日本競馬が始まることを期待したい。 現実的には調教師の若手の台頭は、数年前から始まっており、絶対王者のない競馬はそのポジションを目指す馬達で盛り上がるであろう。もちろん生産界においては2003年からポストSSをめぐる戦いは始まっているわけだが・・・。 このクラシック、これから先の競馬界の新しい1ページにふさわしいレースが繰り広げられる事を期待している。ついでに若手ジョッキー達が爆発してくれると面白くなるのだが・・・。
posted by 刹那 |22:50 |
競馬 |
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2007年02月13日
引き際
この5月で辰吉丈一郎選手が37歳を迎える。日本においては「ボクサーの定年」となる年齢である。最後の試合から3年4ヶ月。もう一度リングの上で見ることは出来るのだろうか? プロスポーツ選手にとって引退は絶対的な命題であろう。周りから見てまだやれるように見えても、本人の意思によって辞める場合。本人がやれると思っても、周りから引退を勧告される場合。理由は色々あるであろう。 チームスポーツなら、各チームから戦力外として引導を渡される場合もあろうが、個人種目、特に格闘技界における引退時期は難しいのかもしれない。 肉体的ピークと技術的ピーク。そして格闘技では精神的部分の占める部分も大きいだろう。「心が折れる」事が格闘技では即敗北につながる。辰吉選手は心の強さのと技術の向上で肉体的衰えを補えると考えているのだと思う。 昨年の11月に行ったスパーリングは、吉井帝拳ジム会長曰く、「良くなかった」そうだが、どうにか試合を組んで欲しい。確かに網膜はく離を抱えた辰吉選手に試合を求めるのは酷かもしれない。本人がどんなに求めても止めるべきなのかもしれない。それでももう一度本人の納得のいく形でその最後を飾って欲しい。 格闘家の引き際。G・馬場選手は生涯現役だった。千代の富士は新しい世代の力を感じ自らの「体力と気力の限界」でその身を引いた。辰吉選手はきっと自分のボクシングの完成を見るまで納得しないだろう。世界チャンプに返り咲く事にこだわりながら、辰吉選手は自分のボクシングの集大成を天国の父に、大きくなった息子に、我々ファンに、そして何より自分自身で見るまでは「現役宣言」し続けるだろう。それが周りから見てどう思われるかは無関係に。 もう彼の引き際に他人の介入するタイミングはなくなっている。本人が納得してグローブを置くまで「ボクサー辰吉」を見続けていきたい。
posted by 刹那 |11:57 |
スポーツの周辺 |
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2007年02月08日
怪物の可能性~世代の比較~
いつに無く色々コメントを頂いたので、ちょっと個人的な見解を・・・。 基本的にスポーツ界で、選手・チームの世代を超えた比較と言うのは、不可能だと思っています。時代と共にトレーニング理論、設備、コーチングの進歩は進んでいくわけで、過去の名選手がそのまま現代で通用しないとしても、現代に生まれていたらどうなっていたか、という仮定の話でしかなくなります。同じように現代の名選手が過去に生まれていたとして、今の能力を発揮できるかと言われればそれもまた空想の域を出ません。 当然球速もスイングスピードも時代が進むにつれ上がっていきます。100mの世界記録が縮まり続けているように。それでもカール・ルイスはあの時代の最速ランナーであった事実が変わらないように、PL高校の清原選手はあの時代の最高の高校球児だったはずです。 比較できるとすればその世代における突出性という点になると思われます。清原選手の高校時代の成績、見たものに対するインパクト、それは世代の中で飛びぬけており、その意味で「PL高校の清原」という存在は特別な存在であるといえるのです。中田選手もまた現在の高校野球界で突出した存在であるからこそ清原選手の発言になったものだと思われます。 世代を超えた選手の能力比較というのは、我々スポーツファンにとってはある意味最も興味をそそられる部分です。たとえば松坂VS長嶋、高校時代の江川VS清原、ディープインパクトVSシンボリルドルフ。何でも色々空想して楽しむ事は個人の楽しみでしょう。 中田選手はなんと言ってもこれからの選手です。まずは選抜!いいスイングを期待しています。
posted by 刹那 |09:16 |
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2007年02月07日
怪物の可能性
野球少年だった頃、憧れていたのはプロ野球選手ではなく、PL高校の清原選手だった。ONに憧れ続けた世代がいるように、私にとっては未だに清原選手が史上最高の打者なのだ。たとえ無冠の帝王であっても。 その清原選手が一人の高校生を「高校時代の自分以上」と評したという。高校時代の・・・。かつて現中日監督の落合選手が「清原は高校時代が一番いいフォームをしていた」と、弟子入り志願の清原選手に言ったと言う。その高校時代の清原選手を超える選手。大阪桐蔭の中田選手。早くも今オフのドラフトの目玉と称される超高校級スラッガーだ。この春の選抜高校野球では、マスコミの“ポスト斉藤”的扱いを受けてしまうことになるだろう。その喧騒の中で潰れることなく、持っている力を発揮して欲しいものである。 時折、高校時代の清原選手の映像をみると、今とは別人のように細くてあどけない清原選手が、しなやかにバットを振りぬいている。体格もフォームも変わっても、一瞬ボールを捉えた瞬間のフォームは、どこか変わらない雰囲気。それがスラッガーとして生まれついた人間の資質なのかもしれない。中田選手も何年経っても「超高校級」の香りの漂う選手に育って欲しい。
posted by 刹那 |10:45 |
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