2007年05月23日
まずは、試合前、リングに上がったら相手を睨みにいくことを菊地に指示した。
本来は、なにか刀などを使ってパフォーマンスをやろうと考えていたが、やはり、試合が近づくにつれて、菊地にはそのようなパフォーマンスをやるだけの精神的な余力は無くなっていった。
もちろん、パフォーマンスは、勝つための作戦としてやろうと考えていた。

なぜ、パフォーマンスが重要かというと、今回の場合は、まずは観客をしっかりと煽っておきたかった。
この試合を、決して平穏な空気の中で行われる技術戦にしてはいけないと感じた。
平穏な空気の中で行われる技術戦になってしまえば、技術的に数段上のモレノ選手の方が圧倒的に有利になる。
菊地がポイントを取るのは難しいし、また、逃げられてしまえばKOすることも難しくなるだろう。
そうではなく、観客を煽ることによって、会場の空気を熱くし、またモレノ選手の心も熱くし、ラフな打撃戦にしたかった。
また、アメリカでは全く存在を知られていない菊地というボクサーが、どのようなキャラクターなのかをレフリーや、ジャッジにも事前にアピールしておきたかった。
ファイターが突っ込んでいくのと、どのようなタイプかわらない選手が突っ込んでいくのでは、レフリーの対応も違ってくる。最初からファイターだと分かっていれば、多少のラフファイトも流されるが、ファイターだとレフリーが理解していなければ、菊地への対応も厳しくなってしまう。
また、ジャッジにしてもファイターならばファイターなりの採点ができるが、タイプが事前に分からなければ、例え前に出てもそれをマイナスと受け止められてしまう場合もある。
観客を煽って場を盛り上げることと、レフリーやジャッジに菊地のタイプを知ってもらうこと。これらを想定して、リングに上がったら相手を睨みにいくこと、次に第1ラウンドが始まったら走って相手に向かっていくこと、さらに、最初の1発目は思いっきり右ストレートを腹に打ち込むことの3点を菊地に指示した。
この3つによって、少なくとも菊地がどのようなボクサーで、どのようなボクシングをやるのかをレフリー、ジャッジ、観客に知ってもらおうと考えた。
結果的には相手を睨みにいったことは、想像どおり成功だった。観客の反応はすこぶる良く、会場は異様に盛り上がった。また、開始直後に走って相手に向かっていくのも、1発目に右ストレートを打ち込むのも作戦通りにいった。
しかし、結果的には、それらの作戦が全く意味をなさないほど、モレノ選手は強かった。
作戦としては、1Rを開始直後の勢いのままポイントを取りたかったが、1R終了時点で、菊地寄りにみてもドロー。
つまり、アウェーなので、ポイントは確実に奪われていた。
2Rも相手にポイントを取られた。
できることなら、後半に倒して勝ちたかったが、
その過程で、6ラウンドまでにスタミナを全て使い切るつもりで動き、
ポイント面でもリードするか、またはイーブンにしておきたかった。
6ラウンドまでをイーブンで持ち込めれば、
残りの4Rを3つ獲られることは少ないと思った。
しかし、最初の2Rが終わった時点で、この後、菊地がポイントを挽回して、判定で勝つことは全く想像できなかった。
よって、2R終了時点のインターバルで、ポイントでの勝利は無いことを菊地に伝えた。
あとは、ポイントの勝ち負けは一切気にせずに、しつこくボディを攻めていくことにした。後半になにかしらのチャンスが来ることを信じて、圧力をかけながら、効くパンチで相手のスタミナを奪うという作戦に変更した。
しかし、菊地は前に出ようとするも、モレノ選手は経験豊富で、菊地の接近を許さない。
中盤から終盤にかけて、モレノ選手が腹を打たれて何度か表情を歪めたが、菊地は詰めきることができなかった。
また、モレノ選手のボディープロテクターのラインが高かったのも厳しかった。
試合当日のレフリーとのルールミーティングや、試合直前にリング上でモレノ選手のウエストラインが高いことをアピールしたこともあり、菊地が試合中にプロテクターの上を打ってもそれをレフリーがとがめることは1度しか無かった。
それでもボディーに直接パンチが当たるのとプロテクターが一枚あるのでは大きな違いになった。
一方のモレノ選手は、試合全般にわたって、強烈なパンチで何度も菊地の頭を揺らした。
菊地がこれだけ頭を揺らされたのも、パンチをもらったのも初めてだった。
執拗に接近戦を仕掛ける菊地に対して、スペースを保ちながら、強烈なパンチをこれでもかというほど、菊地に叩き込んだ。
試合後、ビデオを見ると、序盤に菊地が、モレノ選手のパンチをもらってニヤリとする場面があった。
これまでの試合で、菊地がそんな表情を見せたことはなかったので、その理由を聞くと「あまりにもパンチが重く堅かったので思わず笑ってしまった」と語った。
9ラウンド終了ラスト10秒直前に、モレノ選手の強烈なパンチで、菊地のマウスピースが外れてしまう。
前日のルールミーティングでは、マウスピースが外れたら試合を止めてマウスピースをつけることになっていたが、レフリーは菊地のマウスピースが外れたのを無視して試合を続行。
レフリーが単純に見逃しただけなのか、それとも残り時間がわずかだったので試合を続行したのか、さらには、もしかするとモレノ選手がダウンを奪えるチャンスと思い気づかないふりをしたのかは、わからない。
どちらにしろ、あわやダウンもあったこの試合最大のピンチだった。
試合前日に1回と当日に1回の、計2回モレノ選手と握手したが、握力が非常に強かったので、もしやとは思っていたが、これほどまでとは。
2月の暫定王者決定戦を見て、モレノ選手がスピードとテクニックに長けていることは最初からわかっていたが、パンチはそれ程重くないと判断していた。
しかし、それは大きな間違いだった。
2月のモレノ選手の試合では、格下の相手に対して判定までいってしまったので、スピードとテクニックはあるものの、パワーはそれ程でもないと考えていた。
しかし、今から考えると、その時の試合はただ倒さなかっただけで、10ラウンド動くことが出来るかスタミナ等をチェックしていたのかもしれない。
また、外国のボクサーには多いKOすることには意味を見いださないタイプの選手だったのかとも思う。
9ラウンド終了時点で、99パーセント敗戦は濃厚だったが、それでも最終ラウンドを菊地は全力で戦い抜いた。
結局、試合は大きな実力差を感じさせるものだったが、それでも最後の10Rまで勝利を諦めない菊地の姿勢には、何かしらの可能性を感じさせてくれた。
また、モレノ選手のパンチは最終10ラウンドまで、威力もスピードも落ちなかった。
まさに、モレノ選手は最高のボクサーだった。
今回、決して菊地の実力が100パーセント出せたわけではない。
調子が良いときの50パーセントほどを出せたかどうかだと思う。
しかし、それが、ボクシングだ。
この試合、これ以上でも、これ以下でもない、菊地のボクシングがリングで表現できたと思う。
今までで一番厳しい試合だった上に、ベルトも奪われた。
ポイントを取ることもできなかった。
実力差は想像以上に大きく苦しい戦いだった。
それでも、全ラウンドに渡り、1秒たりとも心がぶれることなく、最後の1秒まで勝利を求め続けた菊地の戦いは、プロ選手として最高のものだった。
試合が終わると、多くの観客が立ち上がり拍手を送ってくれた。
菊地のボクシングの内容はともかく、最強の挑戦者に10ラウンドのあいだ挑み続けたこの試合が、今までの試合の中でベストバウトだと思う。
posted by wbcfs |10:51 |