2008年06月17日
安仁屋宗八
安仁屋宗八 羽地くんのいる、かずさマジックは昨日、日本通運に負けたそうです。。。 でも、まだまだチャンスはあるので頑張ってほしいですね! 今日、13時から試合あるみたいです。 そうそう。 金城ナガヤスくんのいる沖縄電力はどうなってんの~って思って、調べてみたら九州の大会にもう一つ沖縄から出場しているチームがありました。 http://www.okiden.co.jp/shared/pdf/corporate/baseball/080603.pdf 安仁屋ベースボールクラブ 安仁屋という名前でビビビと来ました まさか、あの安仁屋さん? 津田恒美にゆかりのある、そう、あの安仁屋選手でした。 ウィキペディアで調べたらこう書いてあります。 安仁屋宗八 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BB%81%E5%B1%8B%E5%AE%97%E5%85%AB 以下抜粋 沖縄高から琉球煙草を経て、1964年に広島に入団。沖縄の高校が初めて実力で甲子園に出た時のエース(当時、夏の甲子園はまだ1県1校ではなく、沖縄から甲子園に出るには宮崎代表を破る必要があった)として知られていたが、当時まだアメリカの占領下にあった沖縄から初のプロ野球選手として注目された。全国各地では沖縄出身者による後援会が次々と誕生し、投げる前から話題が先行、そのプレッシャーたるや大変なものであったという。1966年7月31日の巨人戦では9回2死まで無安打無四球に抑えたが、あと一歩のところで逃すなど、当時唯一ラジオ中継があった巨人戦では死ぬ気で投げた。横手投げから、2種類のシュートとカーブ、スライダーを投げ分ける投球である。 1968年、根本陸夫監督に見いだされ得意のシュートを武器に強気の投球でこの年23勝を挙げエースとなる。その後低迷した時期もあったが1974年オフに若生智男とのトレードで阪神に移籍し見事復活、1975年には最優秀防御率のタイトルを獲得した。1980年に金銭トレードで広島に復帰し、1981年引退。巨人戦で通算34勝を挙げ「巨人キラー」と呼ばれた。 その後広島のコーチや二軍監督、中国放送、デイリースポーツの解説者を経て、2005年から一軍投手コーチに復帰したが、球団の成績不振で辞任した山本浩二監督とともに辞任した。この年の安仁屋はあごに白いヒゲを生やしており、赤い広島のユニフォームと相まって「安仁屋サンタ」と一部から呼ばれていた。2006年から中国放送野球解説者、デイリースポーツ野球評論家の活動を再開するとともに、郷里・沖縄で社会人野球チームで自身が総監督を務める安仁屋ベースボールTRYを結成した。幼い頃から巨人の藤田元司に憧れを抱いており、都市対抗野球で当時巨人の本拠地であった後楽園球場を訪れた際には感動したという。通算119勝はその藤田と同じである。 故津田恒実の現役時代や闘病の模様をドラマ化した「最後のストライク」(フジテレビ)において宇崎竜童が演じた安仁屋の役は、酒乱で誰も寄せ付けなく酒場では独壇場であるが、その反面情に脆いという好演であり安仁屋の人の良さが浮き彫りになったドラマであった。見舞いに行った安仁屋に、ほとんど口もきけない状態だった津田が「あにやさん、のみすぎんように」とつぶやいたエピソードは有名。 実際酒豪で鳴らし、現役中には二日酔いで練習中腹筋をしながら居眠りしたり、コーチ時代にも投手陣を引き摺り広島のネオン街・流川でのハシゴはもちろん、遠征中も夜ホテルの選手の部屋を見回り、部屋に選手が残っていると「遊びに出ろ!」と命令したという。川口和久も公私ともお世話になった恩師と名前を挙げている。(投球論 川口和久著より) 余談ですが。。。 津田恒美の息子さんが、大学で野球をしています。 http://www.nikkansports.com/baseball/amateur/f-bb-tp3-20080201-314743.html 元広島の監督古葉竹識さんの東京国際大監督就任をうけて、息子の毅投手は九州の大学から監督のいる東京国際大へ2編入したのだそうです。 いつか、見てみたいですね。
posted by ventisei26taemimaru |11:07 |
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