2007年05月27日
ウォッカの強さに酔いしれました。
ダービーの牝馬優勝は64年振り。一生に一回遭遇できるか否かの快挙を目撃できたことを嬉しく思います。
数年前、競馬の生産牧場のドキュメンタリー番組を見た事を思い出しました。
それを見て、馬の世界では圧倒的な男(牡馬)社会だということを知った。
仔馬が産まれてまず気になるのは“牡か牝か”らしい。牡だと”ヨッシャー“で、牝だと”あぁあ・・・“ということ。何十年も前の人間社会では、男の子が生まれて”よくやった、でかした“ということもあったという話も聞くが、現代社会ではそんな事も稀だろう。むしろ、そんな事を言う人は時代遅れだと思うし、女性蔑視とも取られかねない。だが、競馬の世界では、今も昔も変わらない。
もちろん、理由があってのことです。
競走馬は大成すれば種牡馬という道が待っている。当然、牝馬にその道はない。年間100頭以上種付けできる種牡馬と1頭しか身篭ることしかできない牝馬。ビックマネーが動く競馬社会ではその生物学的違いは大きい。
必然的に仔馬の値段違ってくる。相場では倍くらいでしょうか。生産牧場は決して恵まれている(裕福)とは限らないので、女の子が産まれた時、落胆する気持ちもわからなくもない。
そして何より、牡馬には”ダービー“という絶対的な目標がある(というよりも夢でしょうか)。
今回のウォッカのように牝馬でも出走する権利はある。だが、競馬関係者は牝馬が生まれてきた時点でその想いを断ち切る。夢を通り越して”無謀”になるからだろう。馬に携わる人がそう思うのだから、一般人の想像を絶することなのでしょう。
もしかしたら、ウォッカはダービーに64年振りに勝つ以前に、その常識を打ち破る出走という“挑戦”をしたことが、最も賞賛されることなのかもしれない。
桜花賞で苦汁をなめたウォッカだが、オークス(牝馬のダービー)に出走すれば、ダービーより圧倒的に勝つ確率が高かったはずだ。いや、むしろオークスに出走するのが筋だ。オークスだって牝馬にとっては一生に一回の大レースなんですから。
そんな全ての常識や概念を打ち破り、決断した馬主さんや厩舎たち英断が、今回の大快挙の立役者とも言える。
それにしても、強かった。男馬たちの間をかいくぐり、そして突き放す姿には惚れ惚れしました。もう自分が男であることが辛くなるくらいに。
競馬で“たられば”なんて言ってはいけないが、ダントツの1番人気フサイチホウオー(7着)が引っかかって(それが敗因と言われています)いなかったとしても、今日のウォッカには敵わなかったのではないでしょうか。男馬たちが青息吐息の中、ブッちぎるあの姿を魅せられたらそう思わざるえない。
ダービーは運と強さを兼ね備えていなければ勝てないと言われる。でも、今回のウォッカは運ではなくチャレンジ精神と、そして絶対的な強さがあったからこそ、この快挙を成し遂げたのである。
ここ数年、女性の社会的地位向上が叫ばれて久しい。私生活でも女性にうだつの上がらない私は、それをかなり実感している・・・
スポーツの世界でもゴルフなどの競技で女性が男性に挑戦したり、台頭に渡り合う時代が来つつある。
ウォッカのダービー制覇は、そんな多くの女性たちにも希望を与えるものだったのではないでしょうか。
ディープインパクトというスターホースが去った今、これからの競馬界を支えるのは間違いなく彼女でしょう。凱旋門賞への挑戦プランもあるそうですが、怪我なく元気に競馬生活をおくってもらうことを切に願います。
馬券も買っていないのに、熱くなってしまった。
もし馬券を買っていたら?
感動はしながらもズッこけていると思う・・・
posted by uzura176 |23:44 |
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2007年05月24日
サッカーのことを書くのは本当に久しぶり。
日本時間早朝(夜半?)3時半からの中継は、かなり堪えた。その前にNBAのプレーオフ(録画中継ですが)までされた日にゃ、もうスポーツオタクの健康を脅かす陰謀があるのかとさえ感じてしまう。
とまぁ、不平不満を言いながらも世界最高峰のサッカーを満喫しました。
結果は御存知の通り、ミランが欧州チャンピオンになりました。
勝負のあやがどこにあったかなど、能書き垂れる前にまず気づいたことから。
世界レベルのサッカーを観るのは、昨年のW杯以来なのですが、たった1年足らずでこうもサッカーのスタイルが守備的になっているとは思いませんでした。90年代初頭からそれは顕著になっていたのは感じていたが、ここまでそれが進行しているとは・・・観続けないとわからないこともあるが、間を置いて気付くこともあるのだと実感しました。
両チームとも1トップの布陣。それ自体は昨今、珍しいことではないが、どちらも中盤の選手が多いのなんの。流動的とはいえ、20人のフィールドプレーヤーのうち14.15人が中盤での潰し合いに。
その前に観ていたせいもあるが、まるでバスケのように感じた。しかも、サッカーでのマンツーマンと言えば、昔は3バックの両スイーパーが相手2トップに対してヘバりつくことを指したが、今では中盤でもそれに負けていない。さらにコンパクトな戦術によって、スペースがかき消されるのでボールをキープするのも大変。あの状況で、流れの中で得点するのは至難の業だということが、結果だけを見てもわかる。
それが現代サッカーと言ってしまえば簡単だが、それを極めた両チームがアテネにまで駒を進めてきたということなのでしょう。
でも、私は勝敗を分けたポイントは、“伝統”“歴史”にあるような気がしました。
サッカー発祥の地イングランド(リヴァプール)とカルチョ(ミラン)の国イタリアの頂上決戦は、それを感じずにいられない。ボスマン判決以降、サッカー界での国境はなくなりつつある。両チームとも各国代表選手が終結した多国籍軍であることも違いない。でも、現代サッカーを組み入れながらも、100年以上に渡る伝統を垣間見せたミランが勝利したような 気がしてならない。
どちらも、1トップに1人のトップ下(シャドウストライカー)に近い布陣を組んできた。これだけでもかなり守備的なことがわかる。
しかもリヴァプールは,FWではあるが生粋のストライカータイプではないカイトと得点力があることは百も承知だが、アタッカータイプでないジェラード。2年前の奇跡には感動もしたが、まるでもう一度その奇跡を起こせ、というようなニュアンスのあるスターティングメンバーだった。
それに対して、ミランは古きよき時代のストライカータイプのインザーギと味方を生かしながらも自分もアタッカーとしての仕事ができるカカ(彼も古きよき時代のファンタジスタタイプとでもいいましょうか)。カカはブラジル人ではあるが、94年のW杯イタリア代表のマッサーロとロベルト・バッジョの組み合わせや98,02年W杯のビエリ、トッティ(デルピエロ)などを彷彿させた。というよりも連想の方が近いか。
システムやフォーメーションや戦術が変わりながらも、攻撃は前の2人で打開し、そして打ち破るイタリアンスタイルが今日のミランにはあった。
そして、あの屈強な守りに関してはもう説明すら必要ないだろう。と言っても、それは昔のものとは一味違うのかもしれない。
今やミランの代名詞ともなった3ボランチ。ピルロ、ガットゥーゾ、アンブロジーニ。そして、攻撃的な選手でありながら献身的な仕事もできるセードルフ(4ボランチ?)。なんと表現していいのかわからないが、ねっとりと絡みついて来ると言いましょうか。もう相手攻撃陣はたまらんでしょうね。
その代表は、やっぱりガットゥーゾでしょうか。あのファイトっぷりは、サッカー選手というよりも格闘家。相手選手をたちの悪いタックルでなぎ倒しておきながらも、審判に“ボールだろう!”と吠えている姿は正に狂犬。ボールに触らなくともサッカー選手として食っていけるのは、世界中探しても彼だけかもしれませんね。
これは私の勝手な思い込みだが、3ボランチにはかなりの思い入れがある。
実は日本が最初にW杯に出場した98年W杯あたりから、ずっと日本サッカーは3ボランチにしろ!と提唱し続けていたからです。その度にサッカーをしている友人やブログの中でも、「非現実的だ」とか「2人でも難しいのに3人なんて」とか「後ろがかり過ぎる」「そんなことやっているチームはいない」とか、数々のお叱りを受けてきた。
ミランというチームが好きなわけではないが、その3ボランチの有効性を証明してくれたことがうれしくてならない。
そして、これからも私は日本サッカーには3ボランチが合う、言い続けると思う。オシムさんがどう考えているはわからないが、ボランチ大国と言っても過言でないほど有能な中盤の選手が揃っているのは世界でも稀だと思う(他のポジションの選手が寂しいことの裏返しかもしれませんが)。
小野や中村剛はピルロ、今野や鈴木にはガットゥーゾといういい見本がいるんですから。
話が反れまくりましたが、さすが決勝だけあってどちらも持ち味が活かされた好ゲームだったと思います。負けたリヴァプールのサッカーがよくなかったとは全く思いません。それは、落ち込みながらも、選手に労いの拍手を贈っていたサポーターの映像を見ても一目瞭然です。
私の言っていることは所詮結果論。サッカーの勝敗は気まぐれなものです。
“いいサッカーをした方が勝つとは限らない”というサッカーの理不尽さは、今も昔も変わらない。
それにしても、真夜中に起きてキックオフを楽しみしていた人は、いきなり人気アイドルが出ていてビックリしたでしょうね。
あんな時間に起きるサッカー馬鹿(すいません。私もなんでお許しを)は、観戦する前にそんなものを欲していないんですよ、テレビ局さん。あの青臭いコメントがなければ、後10分寝れたのに・・・と思った人も多いことでしょう。
「私、好きなタイプはキムタクとジェラードとカカ」なんていう人はいないんですから。もし、そんな奴がいたら「首尾一貫せぇ!」と一喝してやります。
メディアの方々は少し足元を見つめなおして下さい。
来年はどんなカードになるんやろか。今から楽しみ。
posted by uzura176 |23:18 |
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2007年05月20日
野球の話ばっかりになってしまうのですが、昨日偶然にも非常に悲しいシーンを目の当たりにしまったので・・・
イチロー選手の連続盗塁成功記録(ア・リーグ新の45回連続)がついに止まってしまった。
盗塁は、絶対的走者不利ということが定説です。“盗塁”とはよく言ったもので、投手の投球モーションを盗まない限り成功しない。走って次の塁を得るものなのに、走力が100%を占めるわけでない所もまた奥深い。100世界記録保持者のアサファ・パウエルが試みてもほとんどアウトになってしまうだろう。暴論ですが・・・
そんな、成功率の低いものを45回も連続で成功させてきたイチロー選手は、正に野球の神とも言える存在であることに、もう説明はいらないだろう。なんでも、1年以上盗塁でアウトにならなかったらしいです。
でも、記録はいつか途絶えるもの。なにもそれが悲しいわけではない。その理由が腹立たしくてならないのだ。
ファンの方は御存知だと思いますが、厳密に言えば、彼は盗塁を失敗したわけではない。チーム(監督)がヒットランド・ランを試みて、その失敗が記録上、盗塁失敗となってしまったのだ。
エンドランは打者がボールをバットに当てて初めて成立する。それを信じている打者は、ワンテンポ遅らせてスタートを切る(牽制球で刺されるようなリスクはとってはならない)。もし、打者が見逃せば(空振りも含めて)走者は9分9厘アウトになる。なんせ、盗塁とはスタートが命なのですから。もっと厳密言えば、イチロー選手は盗塁すら試みていないのである。
「そんな結果論を言っても始まらない」とお叱りを受けそうですので、その場面を振り返ってみよう。
5-2でマリナーズ3点ビハインドの7回裏、先頭打者のイチロー選手がセンター前ヒットを放ち、ノーアウト一塁。次打者のカウント2ボール1ストライクからの4球目(アウトコースのボールになるストレート)にイチロー選手は盗塁(厳密にはエンドランなのだが)を試み、二塁ベース上でタッチアウト。
これだけの説明だけでも、突っ込みどころ満載である。
まず、3点ビハインドのチームが多くのリスクを背負って、1点奪いにいくなんてことはあってはならない。なんせ、点取りゲームの野球は相手より多く点を奪わなければならないのですから。
この局面でのエンドランは奇襲でもなく、常軌を逸した作戦と言える。序盤ならありえなくもないが、もう7回である。塁を埋め、一気に大量点を狙うのが極々常識的な考えだ。
高校野球であれば、ありえるかもしれませんが(どちらかというと盗塁やエンドランよりも堅い送りバントの方が多い)。
ここでエンドランのサインを出した監督は、まず野球をわかっていないことがわかる。
そして、振る事(空振り)すらしなかった打者。おそらく、サインを見逃していたのでしょうが、野球で飯を食う人間の犯すミスではない。アマチュア野球でも、こんな初歩的なミスをすれば引っ込められます(出続けてましたが)。
もっともっと詳しくやろう。なんせ、一部始終を観ていたのですから。
2ボール1ストライクになるまで、投手のコロン選手はたった3球の間に、イチロー選手に4回もの牽制球を放っている。イチロー選手の足に対して、”超“がつくほどの厳戒態勢である。あまりのしつこさに、スタンドから大ブーイングが起こっていたことからも、その警戒ぶりはうかがえる。
しかも、投球動作はかなりのクイック投法で球種も直球がほとんど。この時点で、盗塁はできない。いや、これでも試みるのは勇敢でもなんでもなく無謀以外のなにものでもない。スマートなイチロー選手であれば、早々と盗塁の選択肢は消したはずである(というか、本人には鼻っから走る選択肢なんてなかったようです)。
ただ、“走れ”のサインが出てしまえば、走らざるえない(それがどんな馬鹿げた作戦でも)。それが、主(監督)に絶対服従の野球のいい所でもあり悲しい所でもある。
イチロー選手の走っている姿だけ見ても、その儚さは滲み出ていた。
基本的には、打者がボールに当てるのを信じて走るしかないエンドラン。イチロー選手は、スタートを切ってから二塁につくまでのほとんどホームプレート付近を見て走っていた(そうしないとならない。ただ横を見ながら走るので必然的に遅くもなる)。純粋な盗塁であれば、ただ無心に2塁ベース目掛けて突進するのですが・・・そして、バッターが見逃したことを見届けた瞬間(一塁二塁間7分目あたり)で諦めてしまった。勿論、悠々アウト・・・
あの時のスタンドには、なんともいえない虚脱感が漂っていた。ファンもその大記録を知っていたでしょうし(本人以上に実況の方が落ち込んでいたのには驚きましたが)。
野球には、数々の記録やスタッツがあるが“連続”とつくものは特別である。だって、そうじゃないですか。1年単位の記録などは、何度でもチャンレンジできる。でも“連続”ものは、その選手にとっても一生に1回あるかないか。また、やり直しましょっ、ってなわけにはいかない。
それを、馬鹿な指揮官や(あのサインを出せば、記録が途絶える可能性が高くなることくらい素人にでも分かるのですが)最低限の仕事すらできないチームメイトによって潰されてしまったのが、悲しくてならない。
せめて、本人が納得できる失敗やミスで記録を終わらせてあげたかった。というのが、ファンの思うところではないでしょうか。
マリナーズの野球を観ていていると、“本当にMLBって世界最高峰のリーグなの”と思うシーンが多々ある。個々の技量が低いわけではない。単に野球がエエ加減なだけだ。2年連続でぶっちぎりの最下位という意識はあるのだろうか。
ファンに対して、失礼な野球、そしてプレーはなしない。これがプロである大鉄則である。そこすら欠けているマリナーズの野球は観ていてあまりいい気がしない。もしかして、それを最も肌で感じているのはイチロー選手なんかな・・・
彼は今年FA権を取得する。このままじゃ、逃げられまっせ、シアトル・マリナーズ。
以上、大記録が途絶えた瞬間のレポートでした。
ああぁ、またあのシーンを思い出したらムカムカしてきた。
posted by uzura176 |01:13 |
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2007年05月14日
続きです。
第一にやること。今回の問題となっている不正のほとんどはお金。まずはその金を返すことからやるべきだ。何もおかしいことはない。もらっちゃいけないものをもらっているんだから。元々、無法地帯なんだから時効なんて言っても認めませんよ。当然不良債権にもしません。使ってもうなくなっていたり、現在伸び悩み活躍していない選手(お給料が少ない)には分割払いでも良しとしましょう。
おそらく、その金額は莫大な(100億はゆうに超える?)ものになるはず。アマ球界に流れたお金も含めたら更にその額は膨らむことだろう。
当然、そのお金は、ことの発端になった球団(企業ですが)に返還されるなんてことはありえません。むしろ、不正なお金を出した側には、また違う意味でペナルティー(罰金や企業名を出さない等)を科さなければならないくらいです。
その集まった膨大なお金は、日本野球基金としてストックする。そして、長い日本野球の歴史で、未だ設立すらされていない“日本野球協会”発足のために使う。
それは、今の権限もお金もないプロ野球機構のようなものではない。野球に興味すらなく、保身しか考えないコミッショナー(現在の)なんてものも、もういらない。
プロもアマも統括し、絶対的な権限をもち、本当の意味で法整備ができる機関である。
日本の国技とも言っても過言ではない野球を支える組織は、強大でなければならない。そして、そんな想像を絶する組織を早急に作るには、途方もない資金が必要だろう。野球界で噴出している裏金・不正金問題は、その資金を捻出するチャンスだと考えてしまってはいけないものでしょうか。
ただ、お金を返すだけで罪を償うことになるのか、という意見もあるかもしれません。
事実、他のスポーツ団体や組織ではもっと厳しいはずだ。
先日、Jリーグでは、川崎フロンターレの我那覇選手が、Jリーグの規則に触れることを知らずに静脈注射(にんにく注射は野球界では問題ないと思いますが)で厳罰を受けました。それを実施したチーム(こちらも規定に引っかかることを知らず)にも1000万円の罰金という厳しいペナルティが科されました。強い協会を持つ組織は、各チームの規則違反に対して厳しく対処することができる。
今の野球界はそんな普通のこともできない。
でも、規定以上のお金を受け取った選手に、長い期間の出場停止などの処分を科すと、それこそプロ野球が即崩壊、というか成り立たなくなるでしょう。それだけ多くの人間(選手)が関わっているだろうから・・・
ただ、せめて不正な金銭の授与に関わった者(選手だけに限らない)の実名と不正額は公表すべきである。社会的地位のある者にとって、それはかなりの羞恥をさらすことになる。その恥と金銭返還をもって今回の処分としたらどうだろうか。ファンもその方が納得すると思う。少なくとも臭いものに蓋をされ続けている現状よりは。
“協会”の必要性を訴えるのには訳がある。プロとアマの垣根を取って、野球界全体から成るピラミッド型を形成することもそうだろう。でも、それだけではない。
2年前、企業スポーツの粋を脱していないプロ野球は、その身勝手な企業理論による合併(実質的には買収)が行われた。その時、立ち上がったのが選手たち。ストライキという手段をもって、企業集団と戦ったことは記憶に新しい。その選手会に多くのファンが賛同し支持した。ただ、雇う側と雇われる側との闘争には、限界があることも確かだろう。
そして、今回の裏金・不正金問題は、以前の構図とは違う。2年前対立した両者は、あいまみえる関係ではなく、共犯の関係にある。選手側までもが加害側になってしまった場合、今の球界にはその不正を問い、是正する者がいない。こんなに悲しいことがあるだろうか。
野球は一体だれのものなんでしょうか。金儲けや広告塔として利用する企業のもの?それとも、野球をして(プレーして)一般の人よりも、何十倍も何百倍も稼ぐ人のもの?
野球を“文化”と捉えるならば、誰しもが楽しむことのできる公共財でなければならないはずだ。一定のものが利用し、そして得をするものなんて、スポーツ(野球)でなければ文化でもない。今回噴出した問題は、野球界がそれを証明している事件だと私は思う。
「野球を守る」ためには、強大な監視機関も必要だ(人気稼業ということを踏まえれば)。唯一のプロ野球の理念とも言える野球憲章は何のために存在するのか・・・存在価値すらなくなりつつあるように感じてなりません。“日本野球協会”は求められているものではなく、不可欠なものである。
現在、プロ野球のシステムや制度を作るのは、12球団の代表が集まるオーナー会議である。私はこれを“お代官会議”と呼んでいる。もちろん野球界の将来を考えるチームもあるだろう。でも、結局は営利目的でしか野球を捉えていない者たちの集会が、野球を守るものになるはずがない。ましてや、江戸の悪代官が絶対的な権力と権限を持ってしまっているのだから、“会議”という言葉さえも虚しく聞こえてしまう。
長々と多くの理想論やきれいごとに終始してきました。ここまで来ると妄想の域に達していると自分でも思います。
でも、そういう所から始まるものなんではないでしょうか。いや、もっと言えば、理念や理想論すら持たずに、今の今までを引っ張ってしまったことが、腐った野球界を作り上げた要因なのではないでしょうか。
常々、私自身もドラフトやFA権の改革を訴えてきたが、もうそんな表面的な制度改革だけでは、今のプロ野球は変われないと思う。ルールや制度を見直しても、また今回のように裏道をつくり、規制の網をかい潜ることは目に見えています。そんな悪循環はもうたくさんです。
ファンはおもしろい野球を見たい、そして楽しみたい、それだけのはず。
私は20年以上楽しんできたプロ野球を、もう今までのように見ることはできない。それでも、野球馬鹿の私は待ち続けると思います。
いつの日か、また幼いころのようにプロ野球を観れることを願いながら・・・
posted by uzura176 |23:06 |
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2007年05月14日
西武ライオンズの裏金問題から端を発した今回の騒動。
氷山の一角とはいえ、少しでもプロ野球の抱える闇社会が垣間見えたことを私は前向きに捉えている。なぜなら、プロ野球が変わるチャンスだと思うから。
でも、その当事者たちや悪行がバレていない者、そしてそれらの根源となる組織は、何事もなかったように振舞っている。また闇社会を維持しようとしているように思えてならない。
なぜそう思うのか?単純明快である。プロ野球は例年通り開幕し、ペナントレースが行われている。こんな大事件、不正が行われていた事実が発覚したというのに・・・
社会には法があり、そのルールを破ったものは罰せられる。そんな極々当たり前の常識すら、プロ野球という組織の中では通用しない。規定で定められた範囲外の契約金を受け取っていたベイスターズのM投手が「野球で頑張って取り返すしかない」という発言だけをとっても、この組織全体が罪(規則を破ったこと)に対する意識の低さを表している。
何も彼を糾弾したいのではない。なぜなら、彼のように規則を犯して金銭を授与した者、そして受け取った者が、今の野球界に数多くいることは想像に難くない。私はもらう側(選手だけに限定しても)だけでも、ゆうに3桁はいるのではないかと・・・
バレていないだけである。そして、バラす気もさらさらない。
ある球団関係者(関係者どころかお偉いさんだが)は悪びれもせず、「今、裏金や不正なお金を全て公表してしまうとプロ野球は消滅してしまう」と言っていた。その言い分には、バレたら信用も組織も全て崩壊してしまうようなことをやっていたという自覚すら感じられない。
大いに結構。不正とお金にまみれた組織をこのまま維持しても、近い未来そうなることは明白である。悪の根源を放置して改革などありえない。まずは“破壊”という作業があってから、初めての“改革”だろう。
何も“野球”を破壊するのではない。あくまでも“野球界”をだ。
良く悪くも、お金が絡む今回の問題は、改革にもってこいの機会なのかもしれない。
今現在、M投手のようなお金(もちろん規定外の)を受け取った選手たちは、何を想いプレーしているのだろうか。見つかっていないからセーフと思いながらプレーしているのか、それともM投手のようにプレーで取り返すと考えているのか、それとも悪びれてすらいないのか・・・大金を手にしたことのない私には分かりかねるが、どれにせよ後ろめたい気持ちを抱えながらしていることだろう。
そんなビクビクしながら(バレたらどうしようと)とプレーしていても面白くもなんともないはず。どうだろう。白状しちゃえば。
なんて簡単にできないだろうから、西武がやったように各チームが外部の人員で構成する委員会を作り、裏だったものを表にする。ここ数年、企業や政治の世界でも常識になりつつある情報公開だ(このような問題がまだまだ隠れ続けている野球界は、世の中の風潮を逆行しているとも言えるのだが)。西武のように調べるだけ調べて核心部分は何も公表しないのでは意味ないが…
どこのチームも、そんな不利益になることに対し首を縦に振るはずがない。だが、それをのむことが、今まで野球を汚し、ファンをだまし続けてきた最低限の償いだと私は思う。
“膿を出す”なんて言葉をすぐに使いたがるが、どうせ自分たちでそんなことができやしない。そんな最も思想があるのであれば、最初から不正や裏金なんてありゃしない。
そして、不正に関わった者全てが罪を認め、そして罰を受ける。ここから始めないと何も進まない。
じゃ、改革とは?そしてどのようにことを進めていくことが望ましいのか・・・
私の個人的な見解(というか願望)は次回へ
posted by uzura176 |02:40 |
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2007年05月14日
大層なタイトルですが、ここでは私の身勝手な感情論に終始すると思います。御了承ください。
私はスポーツ狂であると同時に、無類の野球好きである。そんな私が野球というものを信じられなくなりつつある。
情緒不安定の著者が、小休止(いやもとい大休止)をしている間に、野球界が揺れに揺れていたことは周知の通りです。プロ野球の裏金問題に端を発し、アマチュア(高校)野球の特待生制度問題と。
これらの問題は野球に興味がない人でさえ知る公然の事実である。それが闇に閉ざされ続けて来て、今その氷山の一角が明るみになっただけ。
野球通の方には「裏社会をちょっと覗いたくらいでうろたえなさんな」と言われるかもしれない。いや、目一杯うろたえて、そして吠えさせてもらいます。
結論から言ってしまえば、今の野球界はスポーツを、そして野球そのものを冒涜している。
スポーツとはルールがあってナンボの世界であるはず。野球に関していえば、数あるスポーツの中でも、そのルールが最も厳格な競技のひとつ。その規制の塊のような野球に携わるものが、自らが都合のいいルールを作り、そしてそんな低いハードルすらも越えずに抜け道ばかりを行く。
倫理や道徳やスポーツ愛もへったくれもない。そんな世界に何を求めることができるというのだ。
ファンのため?感動?青春?そういう言葉は最低限のモラルやデリカシーを合わせもつ者にしか使う権利はない。うわっ面だけで、バレなきゃなんでもありの世界では、どんな言葉も意味を成さない。
なんのこっちゃない。今回問題になっていることは“金”にまつわる話ばかりじゃないですか。もう政治の世界と大差ない。
“野球”そのものに罪はない。
“野”原で楽しむ“球”遊び
それをお金儲けの道具にするな。企業や学校の広告にするな。教育と強引に結びつけるな。
人気稼業でそれらの道を避けて通ることはできないことは重々知っている。ただ、野球本来の原点を忘れて、全く違うものばかりにうつつを抜かしている現状に野球の未来はあるのか。
野球のルールを作った先人たちは、多くの苦難や苦悩を乗り越えて、この素晴らしい競技を作り出したのであろうと推測できる。
イチロー選手はダイヤモンドの一辺(ホームベースから一塁ベース間、13.7m)が、あと50cm長くても50cm短くても、あのような紙一重のアウトセーフのタイミングにはならない、と言っていたことを思い出す。彼の内野安打は、ただ彼の足が速いという理由だけで片付けてはならない。足の速い人間が弱いゴロを打ったケースに、あのように生きるか死ぬかの紙一重のシーンになるのは、ルールという究極の演出があるからに他ならない。
ピッチャーマウンドからホームベースの距離にしてもそう。18.4mという長さには投手そして打者、どちらにも有利しない。そこには野球の神の思い入れのようなものすら感じる。
フィールド上のことだけではなく、27個のアウト、3ストライクアウト、フォアボールなどどれも野球のドラマを作り上げてきた立派なルール。
そんなややこしく、そして厳格なルールにもかかわらず、結局はホームベースに多く帰ってきた方が勝ち、という単純明快さもある。
野球とは、そんな至極のルールが複雑に入り組み、それが絶妙のバランスを持つことによって成立する競技だと私は認識している。
そんな野球のルールを理解し、その野球を勤しみ、そして楽しむ者たちが、どうして身勝手で曖昧な制度やシステムを作り上げ、都合のいい道具として野球を利用してしまうのだ。
私の目には(かなり曇っていますが)、週末に河川敷で出っ張った腹を揺らしながら野球を楽しむおじさん達や技術や体力が伴わなくても無邪気にボールを追っかける少年たちの方が、野球の本質を知っているように見える。
日本の2大スポーツ、野球界とサッカー界は(プロもアマも含め)よく比較される。現在では、サッカー界のシステムや制度の方が圧倒的に優れていると言われる。
でも、Jリーグ開幕当初は(当時の川淵チェアマンが掲げた)その理念は、“きれいごと”“非現実的”“空想”と揶揄された。だが、その多くの人が信じることのできなかったきれいごとは、たった十数年で成就し、現実のものとなっている。
片や野球界は、最初からきれいごとも言わず、汚れ続けることになんの懐疑ももたず、長い歴史(よく言えば伝統なのかもしれないが)を引きずり続けてきた。
そして、新たな理念を打ち立てる気もなく、今の腐ったシステムを維持しようと躍起になっている。
“改革”なんて言葉は軽々しく使ってはならないのかもしれない。だが、改革とはいかずとも、今のシステムや制度を破壊しなければ、前進しないのではないか。いや、前には進むかもしれない。でも、それは決して明るい未来ではなく、衰退の道であると私は思う。
あまりにも抽象的な内容に終始してしまったので、次回からはもう少し具体的にしていきたい。プロ野球とアマ(現在問題となっている高校野球を中心に)を分けてやろうと思っています。全く別のものとして考えなければならないことが、寂しいところでもあり、一番大きな問題なのですが…
今回以上の暴論になること必至ですが、どうぞ頭のイタい野球好きの酔狂だと理解して頂けたら助かります。
posted by uzura176 |01:09 |
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2007年05月12日
今年のNBAプレーオフは面白そうだ。
昨年は、サッカーのW杯と重なってしまったこともあり、イマイチ盛り上がりに欠けてしまった(もちろん現地アメリカでは、そんなことはなかったようですが)。
私が冬眠(春眠?)している間に、もうカンファレンス・セミファイナルになってしまったのだが、なんとナントあのダラス・マーベリックスがプレーオフの1stラウンドで敗退。全盛期のブルズを彷彿させる強さで、シーズンをぶっちぎってきただけに、ファンも落胆を隠せないはずだろう。間違いなく今年のスポーツ波乱ランキングトップ3に入る。
衛星放送にしか見れないので、その大波乱劇は見ることをできなかったが、エースのダーク・ノビツキーが絶不調だったとのこと。ベンチプレーヤーも含め、総合力で勝ち進んできたチームだけに、ひとりが駄目だったというだけで、プレーオフに滑り込んだウォリアーズに完敗するなんて、未だ想像もできないことだが…これが短期決戦の怖さと言ってしまえば簡単過ぎるか。
そして、先日ウェスタンカンファレンスのセミファイナル、フェニックス・サンズVSサンアントニオ・スパーズをテレビ観戦。大本命ダラスが散ったことで、今年の事実上のファイナルとまで言われているカード。
シーズンの試合とは比べ物にならない激しさにお口アングリ。自分でやっていた経験がありがながら言うのもなんですが、バスケってあんなにハードなものなの…
私のやっていたものなんて単なる玉入れに思えてきてしまう。
第2戦は、サンズが1戦目の雪辱を果たし、これで1勝1敗の五分と五分。あれだけ実力が拮抗していると第7戦までもつれ込むような気がしています。
この試合を見て、昨年までのサンズと一味違う感じがした。今やラン&ガンの代名詞ともなったサンズだが、ただただ走りまくるスタイルではなくなった。昨年まで「取られたらそれ以上取り返せ」のバスケから、守るべき所はしっかり守ろうというものが見えた。
やはりプレーオフでは、我慢の試合がどうしても多くなるので、守備がその勝敗を分けることが多い。
このゲームの勝利の貢献者は間違いなく、ディフェンスに全労力を注ぎ込んだカート・トーマスとショーン・マリオン。相手のポイントゲッター、ダンカンとパーカーに対してすっぽんマークを48分間やり通した。
特にマリオンはサンズの得点力を支えてきたひとりだけに、その自らを犠牲にする献身さには脱帽。もしかすると、サンズがチャンピオンに登りつめる鍵は彼のディフェンスに懸かっているのかもしれない。
なにが凄いって、あのサイズ(2mオーバー)で相手PGのスピードについていくんですから、その身体能力は“マトリックス”の名に恥じない。個人的にはファイナルにまで勝ち進んで、ピストンズのビラップス(NBAの中でも大型PGとして有名)とのマッチアップを見てみたい。
でも実のところ、この中継を観ていて最も心打たれたのは、第1戦目のダイジェストVTRでした。スパーズが勝利したことは、新聞で確認していたのですが、勝敗やスコアを超越した凄まじいものでした。
サンズのスーパーエースにして大黒柱のPGスティーブ・ナッシュ(2年連続シーズンMVPで今年も有力視されている)が、ゲーム途中で相手選手との接触(顔と顔とがぶつかるバッティング)で鼻を切った。誇張し過ぎかもしれないが、噴水の如く鼻から地が吹き出ていた。絆創膏などなんの意味もなさないほどに。
格闘技で鼻骨が折れて、鼻血が滝のように出ているシーンを見かけるが、鼻の頭(眉間から)がパックリ切れるのは初めて見た。神経や血管が集中する箇所なだけにその出血量は想像を絶する(結局は試合後6針も縫った)。
鼻血の場合は呼吸が苦しくなると聞くが、今回のナッシュの傷は呼吸の苦しさよりも目に血が流れ込んでくるという状況でした。バスケという競技、そして彼のポジション(PG)、そして彼のスタイル全ての特性を考えれば、走る風圧で血が目に流れ込んでくるというのは、容易に想像がつく。
ベンチで、タオルを目に突っ込んで拭く姿は異様なものでした。「おいおい、そんなことして大丈夫かいな…」と。
それでも彼は、その怪我の後も普段となんら変わりないプレーを見せたとのこと。結局はドクターストップで最後までプレーできなかったのだが、最後まで試合に出続けると言い張っていたらしい。
スポーツにおける根性論や精神論は、ダサいし古臭いと言われる。実際、ナッシュは苦労人ではあるが、そのプレースタイルはスマート且つ華麗プレイスタイルで知られる。だが、勝負のシビアな世界では、技術を超越した何かがなければいけないのでしょう。
毎年、サンズを応援してきたのですが、彼のあの姿を見てその気持ちが更に強くなった。ラン&ガンのチームが、NBAで初めてチャンピオンになるという歴史的瞬間を目撃したいのではない。単純にナッシュという男に、あのトロフィーを掲げてほしい。そんな、男臭くてむさっ苦しい感情論です。
サンズよ、6月まで走りまくれ!
posted by uzura176 |02:47 |
バスケットボール |
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2007年05月12日
まず、お詫びをしなければなりません。
2ヶ月以上に渡り、何の予告もなく雲隠れしてしまいました。どんな理由があろうとも許されるべきことではないです。数少ない読者の方々やここで交流を深めて頂いた方への裏切り行為と自覚しております。
ご心配をお掛けした方々へ心からお詫びいたします。
申し訳ありませんでした。
この2ヶ月ブログの世界から(書くことから拝読すること全てにおいて)完全に離れておりましたが、誠に勝手ながら復帰させて頂きます(今に始まったことではないのですが)。一度失った信頼を取り返すことが容易でないことは重々承知しておりますが、温かい目で見守り続けて頂ければと思っております。
これからは、自分を追い詰めて自滅するような更新の仕方から、週2.3回の更新にしようと考えています。かといって、数少なくなる分、内容が濃くなることがないのですが…むしろ、後退している可能性の方が高いです。
勝手に自棄に陥った私を尻目に、スポーツ界には良くも悪くも多くのニュースがありました。当然全てを振り返ることもできませんし、そんなあと出しジャンケンもどうかと思いますが、機会があればまた触れていきたいと考えています。
これだけのことを書くのに文が頭に浮かばないし、キータッチもままなりません。
再出発早々、先が思いやられます…
posted by uzura176 |02:46 |
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