2011年03月31日
心がからっぽ
ただなんとなくパソコンに向かっている。
3月11日から3週間になるが、身体に、心に、思うように力が入らない。
スポーツを楽しむということは、心が呼吸してナンボなんだ、とつくづく思い知らされる。
被災者ではない。
なのに、あの受け入れがたい事実があまりにもしんどい。
亡くなった人、大切な命を奪われた人、被災されながらも懸命に生きる人、絶望的な状況でも捜し続ける人、見えない悪魔に立ち向かう人。
「人」があまりにも辛い。
ままならないが、あえて
それでもあえて、スポーツの話をする。
心が入っていないので内容なんてほとんどない。
お許しください。
今この苦境の中で、スポーツのあり方が問われているような気がする。
スポーツの力を信じてきた。
「スポーツ狂」を自負している自分ですら、スポーツの意味や必要性がわからない状況になった。
かけがいのない命を失った人、まだその命の行方すらわからない人に、スポーツは響かないだろう。
それでもスポーツには力があると思う。
そんな偉大なスポーツでも「救い」までは与えられない。
カズがカズたるゆえん
昨日、多くのサッカー選手たちは、人々に多くのことを感じさせてくれた。
あの難しい状況で、ただひたすらに自分たちのやれること、できることをやりきった。
スポーツ報道は「カズのゴールが被災地に勇気を与えた」と。
その通りだ。
あのゴールに心揺さぶられなかった者などほとんどいないはずだ。
でも、カズの立ち振る舞いや言動を見て思う。
「自分ができるのは、最高でここまでなんだ……」という虚しさ、歯がゆさ、無力感を。
カズの人間としての素晴らしさは、それを嫌というほどわかっていることなんじゃないだろうか。
スポーツの世界でも言葉がいっぱい生まれた
ある野球選手は言っていた。
「こんな時にボールを打ったり、投げたりしていいのか」と。
乱暴である。
仕事放棄ともとれる。
下品な言い回しである。
配慮に欠ける。
感情的すぎる。
でも、この選手の人間臭さには説得力がある。
彼の魅力はアスリートとしての能力だけじゃない。
ある野球選手は、今回の震災について一言も発していない。
彼の言葉の力は絶大なはずだ。
それでもなにも言わないのは「沈黙」というメッセージだと思う。
その内容はわからない。
でも、それはとても重く感じる。
選抜高校野球の選手宣誓。
16歳の少年が言った「生かされている」。
その一言を聞けただけで、もう充分。
命、そして野球ができることへの感謝。
その気持ちがある高校生たちには、夢の舞台を大いに満喫してほしいと心から感じた。
今日は思う存分脱線させてください
全然スポーツの話じゃない。
なんかやっぱり上手く心を操作できていない。
話が逸れている惰性そのままに突っきってしまいます。
祈りを
今回の大震災と津波で、もっとも印象に残ったフレーズ。
それは「祈り」。
当然単語として知っていたし、意味も理解しているつもりでいた。
もっと言えば、この言葉にあまりいい印象をもっていなかった。
なにか偽善くさく、恩着せがましさみたいなものを感じていた。
実際、震災直後に海外の多くのアーティストや有名人が「日本に『祈り』を捧げます」「日本に『祈り』をおくります」と言っていた。
白々しさ感じずにはいられなかった。
だが日がを経つにつれ、どんどんその言葉が重くなっていく。
宗教的な差異もあるのだろうが、日本という国は「祈り」よりも「願い」の方が強いと感じる。
そのふたつの意味の違いを明確にはできない。
でも、やはり決定的に違うなにかがあるような気がしてならない。
そして今、「祈ろう」としている自分がいる。
『悼む人』
ある小説の話。
主人公は、ただただひたすら全編を通して「祈り」続ける男性である。
全国を巡り、死者を悼み、祈りを捧げる。
それを続ける。
なのに、宗教的な要素はほとんどない。
そうせずにはいられない。
生きれない。
そして彼にも「救い」はほとんどない。
「それに意味があるのか?」。
当時は、そんな風にも思った。
でも今にして思うと、「祈り」は意味を見出すものじゃない。
というのもわかるが、やはりよくわからない。
もう一度読み返してみようと思う。
心はずっと
実際問題、現状では物質的なもの(金銭も含め)が求められている。
人も足りていない。
それでも、時間はかかるが徐々にいい方向に向かうだろう。
日本は、日本人は、東北は、東北の人は強い。
復興を信じてやまない。
でも、“心”はそんな簡単にはいかない。
むしろ、だんだん辛くなっていくのではないだろうか。
今は心が張り詰めて、生きることに必死になっているだろうから。
でもその緊張の糸が緩むと、一気にその悲嘆がくる。
そして、その嘆きは一生続く。
悲嘆に解決はない。
心に復興はない。
それを承知の上で向き合い続けなければならない。
ほんとうに苦しいことだ。
「祈り」は今だけじゃ祈りじゃない。
ずっとずっと「祈り続ける」。
なにもできない。意味がない。でもせずにはいられない。
わかりもしないことを偉そうに書いてすいません。
実際、私は「祈る」方法がよくわかっていないし、できていない。
じゃ、なにができるか。
私は、今回の悲しい震災のことでずっと心を痛めよう、苦しもうと思う。
それは、被災者や大事な人を亡くした人になんの足しにもならないことはわかっている。
それこそ、意味がない。
悲嘆や痛みは分け合ったり、共有したりすることはできない。
心は物じゃない。
当事者の気持ちをわかったつもりになるなんて傲慢だ理解している。
それでも、想像して少しでも共有したい・しようと思う。
それが私なりの下手くそで不器用で意味のない「祈り」。
スポーツの力
スポーツが今できること。
ほぼ何もないと言ってもいいと思う。
でも、彼らの悲嘆や苦しみを一瞬でも忘れさせ、少しでも解消できたら……
そんな素晴らしいことない。
スポーツの力を信じたい。
頑張れスポーツ、頑張れアスリート。
最後までわけのわからない、とりとめもない駄文にお付き合いさせ申し訳ありません。
ありがとうございました。
ちゃんと心を強くして(戻して)、またスポーツブログを再開します。
『祈ろう』
posted by uzura176 |23:56 |
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2010年07月08日
伝説が幕を閉じた日
7月3日“芦毛の怪物”オグリキャップが逝った。
25歳の生涯に幕を閉じた(人間でいえば90歳くらい)。
30そこいらのオッサンがオグリのことを語るのは100年早い、と長年の競馬ファンに怒られそうだ。
確かに、彼が活躍していた頃は小学生で記憶といっても曖昧である。
でも、後に彼がどれほどのスーパーホースであり、時代の寵児であったことがわかる。
時代が彼を求めていたのかもしれない
もし、彼の存在がなければ、今の競馬事情もぜんぜん違ったものだったかもしれない。
時はバブル全盛の80年代後期、世間は浮かれているな、と子供ながらに思っていた時代である。
そんな時、彼が現れた。
なんでも、公営笠松競馬場という地方競馬出身の競走馬らしい。
その時は「中央」も「地方」もわからなかった。
ただ、今わかることはその両者の間には大きな隔たりがある。
そして、大きな壁がある。
だが、その壁をかぎりなく小さくしたのは、紛れもなくオグリキャップだった(現在は競馬界最高峰のレース“ダービー”にも地方出身馬も出走できる)。
血統という概念をくつがえした名馬
サラブレッドとは、血統の世界でもあり、その極限を目指し、強い競走馬を作る世界である。
だが、彼の血統は2流どころか3流だった。
だからこそ、中央ではなく地方からの出発だったのであろう。
そんな彼が3歳に中央競馬(JRA)に移籍し、中央のエリート血統の馬たちをバッサバッサと切り倒す。
それが、どれほど痛快な光景だったのだろうか、若かった私に走る由もない。
正しく、怪物だった。
その当時は“幻のダービー場”とも呼ばれていたらしい。
今も昔もオグリは競馬界の常識を突き破った
私の大学の頃のゼミの先生に、1度淀(京都)競馬場にゼミでオグリの応援をしにいった話を聞かせてもらったことがある。
そう、あの伝説のマイルチャンピオンシップである(バンブーメモリーとの死闘)。
その翌週にジャパンカップに出走して、ホーリックス(勝ちタイムが世界レコード)の2着も伝説となった。
今現在、2週連続でG1にチャレンジするなど、到底考えられないことだ。
伝説の有馬記念。そこに競馬の神が舞い降りたのかもしれない
そして、90年のラストラン。
舞台は、中山競馬場での有馬記念。
なんと、そこに集まったのは18万人近いファンだった。
競馬場といえば、耳に赤鉛筆をはさんだオッサンのイメージしかなかったが、オグリは競馬場に女性ファンまでをも引き込んだ。
もう1度言うが、18万人である。想像できない……
そして、その背に当時21歳だった武豊をしたがえ、それこそ伝説中の伝説のレースを作った。
もう、峠を過ぎと思われていたオグリが見事引退レースで勝利を収めたのである。
そして、18万人の「オグリ・コール」。
おそらく、その場所にいたものすべてが鳥肌を立てたのではないだろうか。
オグリは競馬を変えただけでなく時代もつくった
今でも彼の功績は色褪せない。
当時のバブルの影響もあるだろうが、彼が出走するレースの売り上げも相当なものだったらしい。
あの、白と黒が混ざった愛くるしいぬいぐるみを記憶している人も多いだろう。
当時、オグリのぬいぐるみは大流行を超えて、ちょっとした社会現象にもなっていた。
もう絶対に出てこないであろう、オグリのような天馬は
よく競馬は「ロマン」だと言われる。
でも、ロマンどころかこれほどにドラマチックなサラブレッドはいただろうか。
彼の後に、ナリタブライアンやディープインパクトが続いた。
でも、彼らはエリートであり、記憶よりも記録が勝った競走馬たちだった。
オグリキャップという馬は記録もさることながら、記憶に最も鮮烈に残る馬だったのではないだろうか。
彼の存在なしに今の競馬界の繁栄はあっただろうか。
ファンは今何を思うのだろう。
ひとりひとりに伝説のレースがあり、伝説の「オグリ・コール」が刻みこまれていることだろう。
私の口からは「お疲れ様でした」「ありがとう」としか言えない。
彼が息を引き取るとき、あの伝説の「オグリ・コール」は聞こえてきただろうか。
君は逝ってしまったけども、君の作った伝説は永遠にファンに語り継がれていくことだろう。
安らかに眠れ。
posted by uzura176 |09:30 |
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2010年05月28日
明後日は競馬界にとって特別な1日
さぁ、いよいよ競馬界一の大イベントが迫ってきた。
明後日の5月30日日曜日に、東京優駿ことダービーが東京競馬場で行われる。
ちなみに今回は77回目ということだ(演技がいいし、7関連の馬が来る?)。
なぜ、ダービーが競馬界ナンバー1のイベントかといえば、簡単には答えようがない。
馬の生産者や馬主や調教師や助手や騎手たちなど、競馬に携わるすべての者がこの大舞台の為、日々の精進を重ねていると言っても過言ではない。
有馬記念やジャパンカップや天皇賞などの大舞台は日本競馬にはいくつもある。
でもそれは、競走馬にとっては何度もチャレンジできる舞台でもある。
もちろん、それ相応の強い馬しかその場には立てないが。
だが、競走馬にとってのダービーは生涯に1度だけのチャンス(3歳)である。
毎年1万頭近く生まれる競走馬の中で、ダービーに駒を進められる馬はたった18頭。
その狭き門に入るだけでも、とてつもなく大きな壁を幾重にも乗り越えてこなければならないのだ。
しかも、そのダービーを制するということは、その世代ナンバー1の称号を得るということになる。
その頂点を競馬関係者すべての人たちが目指し、日々戦っているのだ。
競馬を夢やロマンで片付けるのは簡単だ。
でも競馬関係者は、その途方もない頂を誰しもが目指しているのも確かなのである。
今年は誰に(どの馬)に勝利の女神は微笑むのか?
今からワクワクしてしまう。
今年も集まった選ばれし18頭の精鋭たち
今年も例年に違わぬも猛者どもが集まったようだ。
そして、今年の18頭は例年よりもレベルが高いと言われている。
皐月賞馬のヴィクトワールピサ。
その皐月賞に目もくれず(3冠にはこだわらずダービーに焦点を絞った)未だ無敗のペルーサ。
NHKマイルカップを驚異的なレコードタイムで制したダノンシャンティ。
皐月賞不利がありながらも2着に滑り込んだヒルノダムール。
前哨戦を圧勝してきた超良血馬(父ダービー馬母オークス馬)のルーラーシップ。
2歳チャンピオンのローズキングダム。
オーストラリアの名手ウィリアムズを背に挑むアリゼオ。
この他にも有力な馬が何頭も揃った。
もちろん、出るからには18頭すべてにダービー馬のチャンスがある。
ただ、先ほど紹介したメンバーたちがダービー馬有力候補たちである。
1度でいいから観てみたい、10万人歓喜するところを
府中にある東京競馬場には間違いなく10万人以上の人が入ることだろう。
例年この日だけを楽しみにしている競馬ファンも少なくはない。
私も人生で1度くらいは10万人のダービーを味わってみたいが今年は忙しく断念……
というか、10万人はちょっと怖いというのが本音。
ダービーのもうひとつ楽しみ方、それはお馬さんじゃなく……
私は熱烈な競馬ファンでもなければ、予想家でもない。
でも、これだけ馬たちの実力がこれだけ拮抗しているとなれば、今年は騎手の腕前が命運を握るような気がする。
そして、当然のことながらダービーには名手と呼ばれる騎手たちが集まる。
騎手の祭典と言ってもいいのではないのだろうか。
怪我で騎乗を断念した武豊騎手を観られないのは本当に残念でならない(ヴィクトワールピサに騎乗予定だった)。
そういう意味で、私は騎手に注目しながらテレビ観戦できたらと思う。
3連覇の偉業を狙う四位騎手。
昨年初のダービージョッキーに輝いた、今年絶好調の横山典騎手。
天皇賞見事な手綱さばきで勝利に導いたウィリアムズ騎手。
地方から中央に移籍し旋風を起こしている岩田騎手。
岩田騎手同様中央競馬に移籍し、昨年武豊騎手を抑えてリーディングジョッキーに輝いた内田騎手。
先日、結婚をされた後藤騎手。
先週、史上初のG1同着という歴史を残した蛯名騎手などなど。
誰がどの馬に乗るかは新聞やネット等で調べてみて下さい(すぐわかりますので)。
また違った楽しみ方ができると思いますよ。
正に騎手のオールスターである。
私は予想屋ではありません。でも楽しみ方は知っている(つもり)
あえて、素人の予想ごっこはやめよう。
当たらないし、それを信用した人にご迷惑をかけてはならん。
でも、お金をかけている人と同様に楽しませて頂こう。
すいません、無償で楽しんじゃって。
それがダービーの贅沢極まりない楽しみ方だと勝手に考えておる次第です。
少々忙しくても観るべし!それがダービー
あぁ、明後日が待ち遠しいなぁ。
さて、どの馬、どの騎手を応援しようか?
posted by uzura176 |18:01 |
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2010年04月30日
やっぱりGWはたまらん!
昨日からゴールデンウィーク突入!
GWはスポーツイベントが目白押しだ。
プロ野球はもちろんのこと、昨日も全日本柔道選手権、100mで福島選手の日本新記録と、インテルVSバルセロナのチャンピオンズリーグ準決勝の死闘と、もうしょっぱなから全開モードである。
私のようなスポーツ狂は、GWは休暇週間ではなく、スポーツ週間と勝手に思い込んでいる。
日本ボクシング界にとっても歴史に残る1日になることだろう
そんなスポーツ週間の始まりとも言える今日(30日)、正にメインイベントが行われる。
ボクシングファンこの日をどれほど待ちわびたことだろうか。
30日日本武道館で、ダブル世界タイトルマッチがある。
しかも、どちらの試合もチャンピオンは日本人という鼻高々な日でもある。
前座は粟生元世界チャンピオンが務めることもあり、この日武道館に足を運ぶファンが羨ましい限りだ。
当方、金欠ということもありテレビ観戦……
でも、テレビ観戦のほうが安い席で観るより、「リアリティーがあっていい」ともう開き直るしかない。
2つのカードとも必見である
カードは今更言うまでもない、といいたいところだが、そこは老婆心でちゃんと紹介しておこう。
WBC世界バンタム級チャンピオン(10度連続防衛中)長谷川穂積VS WBO(日本では未公認ではあるが)世界バンタム級チャンピオン、フェルナンド・モンティエル(メキシコ、3階級制覇)。
どちらも世界チャンピオンという、正しく垂涎カードの1戦である。
長谷川選手はテレビでの露出も増え、「チャンピオンの中のチャンピオン」と形容されるくらいの知名度だが、今回は相手が相手なので、簡単にはいかない。
世界最高峰の至高の戦いになることは間違いない。
もうひとつカードがWBC世界スーパーバンタム級チャンピオン西岡利晃VS挑戦者16戦無敗のバウウェグ・バンゴヤン(フィリピン)。
こちらのカードも下馬評は西岡選手だが、バンゴヤンも侮れない。
フィリピンの英雄パッキャオ(5階級制覇)の後釜とも言われるような逸材であるから、締めてかからないと痛い目にあうことだろう。
日本人であることを誇りに思う1日になってほしい
本来ならば、今日の試合を控えて試合展開の予想でも書きたいところだが、当方がもう興奮仕切りの状態なのでやめておこう。
そのくらい、日本で行われる世界タイトルマッチでも特上級の1日なのである。
もちろん、どちらの試合も日本人贔屓丸出しで観戦することになるのは間違いないのだが、どちらの試合も苦戦は必至だろう。
だが、私の大好きなサウスポーの両ボクサー。
やってくれるに違いない! と過度の期待を寄せている次第である。
非常に似通ったふたりの世界チャンピオン
試合予想とか大それたことはよしておこう(専門家でも評論家でもないので)。
そんなことよりも、このふたりのチャンピオンの共通点が多いことにビックリさせられる。
ウェイトが近いことももちろんだが(以前西岡選手はバンタム級で1階級上げた)、同じサウスポー、同じ兵庫県出身、年齢も近い、ファイトスタイルもよく似ていてスピードを武器に鉈のような左カウンターを得意とする。
そしてなにより、家族ために戦うお父さんファイターであること(長谷川選手に関しては、ガンで闘病中の母のためにも戦っている)。
これだけ、共通項が多いとこのふたりになにか因縁めいたものを感じずにはいられない。
私はどちらの選手も若い頃から応援していたふたりなので、そういう風に感じてしまう感もあるのかもしれない。
でも、ボクシングファンの方ならこのふたりがなにかで繋がっているように感じている人は多いと思う。
これは、明日の結果ありきだが、長谷川選手が明日の試合で勝利するようなことになると、もうバンタム級に敵はいない。
防衛記録のこともあるが、長い間バンタム級に留まって減量苦もある長谷川選手が1回級上げるという可能性も無きにしもあらあずだ。
そうなると、長谷川選手と西岡選手という天才サウスポーの日本人が同じ階級に同居することになる(ちなみに粟生選手もスーパーバンタムで天才サウスポー)。
こうなってくると、辰吉VS薬師寺のような夢のカードも実現するかも……
まぁ、ほとんどありえない話だが、こんな夢のようなマッチングを想像するのもボクシングの楽しみ方のひとつだということでお許し下さい。
ましてや、ふたりのファンの私はそんなカードが実現してしまったら目を覆いながらの観戦になりそうだから、想像しないようにしておこう。
今日はTVの前に釘付けだ
駄目だ!駄目だ!
興奮を諌められずに、支離滅裂なこと書き始めている。
こりゃ、明日の観戦は、テレビの前でドエライことになることは必至である。
でも、それだけ楽しみということだ。
これは補足だが(補足というのが失礼なくらいビックなことなのだが)5月1日(現地時間)には世界ボクシングの聖地ラスベガスで、40戦無敗(25KO)で5回級制覇のフロイド・メイウェザーVSWBA世界ウェルター級チャンピオンシェーン・モズリー(3回級制覇で52戦46勝)との“夢の対決”が実現する。
このふたりはアメリカの超がつくほどのスーパースターである。
そして、ふたりのスピードといったらもう常軌を逸しているレベルにある。
このふたりが拳を交えること自体、夢としか思えない。
もちろん、この夢のカードも予想なんて野暮なことはしません。
この夢の決戦の見守りたいのだが(WOWOW視聴者)しか観戦できない……
だれか、私を超大金持ちにしてこの試合をLIVEで観せてくれっ!
って、無理な我がまま言い放題の私ですが、御勘弁ください。
今年のGWは世界ボクシング週間なのか?
それにしても、今年のGWはボクシングファンにとってはたまらない事態になってしまった。
スポーツなんでも好きの私でさえ、こんな状況になってしまうくらいなのだから。
今年はゴールデンウィークではなく、ゴールデンマッチウィークの間違いなんじゃないか。
日本のボクシング界は“亀田一家”に振り回されることがここ数年続いたが、やっと本当のボクシングが今始まろうとしている。
明日の21時頃、私は疲れ果てて廃人のようになっているだろう。
裏では伝統の1戦タイガース対ジャイアンツのもあるが、今日に限ってはボクシングに興味が無い人もこのゴールデンマッチを堪能してほしい。
おそらく、一生忘れられない宝物になることだろうから。
posted by uzura176 |04:13 |
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2010年03月25日
『Number』記念イベントを満喫
先日22日の祝日、丸ビルの『Numbere』30周年記念イベントに顔を出してきた。
会場は小さいものだっただが、30人のアスリートの大パネルと創刊号からの表紙すべてが展示されており、スポーツファンにとってはたまらないひと時を過ごせた。
ひとりで何時間もその歴史を楽しんでいたのだが、時代、時代によって、その時期旬のスポーツが取りあげられていた。
一重に「スポーツ」と言っても、流行り廃りがあるものなんだと、改めて実感した次第である。
生徒として三十路のオッサンも参加してきた
それと並行して、ゲストを招いての『Number学校』たるイベントもあり、無料にも関わらず思う存分に満喫してきた。
私は、宮本選手(ヴィッセル神戸所属)の授業を楽しみにしていたのだが、私が着いた頃には整理券が配り終え、定員オーバーということで立ち見(残念……)。
なんでも、今回は宮本選手が校長役を務めるということで。
彼の授業は「夢」を語る子供向けの授業だったようだ。
30のおっさんが出席せずによかったのかもしれない。
その代わりと言っては失礼だが、小倉隆氏(現タレント、解説者)や二宮清純氏(スポーツライター)の講義を受けることができた。
いずれも30分程度のものだったが、充実した時間過ごせた。
特に、1時限目の小倉氏の話は、現役時代のエピソードやオフレコの話も交えながら(本人はブログとかに書かないでね、と言っていたので詳しい内容はやめとこう)かなり楽しいものだった。
本人は、後のふたりが大物なので、自分は前座だと謙遜気味に言っていたが、私が受けた3人(宮本選手は立ち見でしたが)の中では、最も内容の濃いものだったような気がする。
酒やけでガラガラ声だったのは、まぁ御愛嬌ということでしょうか。
現役時代は、「レフティーモンスター」の名で人気をはくしたが、今はすっかりしゃべくりモンスターと化していた。
これは嫌味ではありませんよ。
セカンドキャリアも充実してなによりより。
本人は、現場への復帰も熱望しているようで、A級ライセンスを取得して、今はS級に向け勉強中とのこと。
やっぱり、アーセン・ベンゲル(現アーセナル監督)の元でプレーした影響が大きいと本人も言っていた。
とまぁ、『Number』の記念イベントの話はこれくらにしとこう。
まだまだ、書きたいことは山のようにあるのだが、すべて主観だけになってしまいそうなので。
スポーツには旬がある。でも競馬にはない。
その記念イベントで創刊号からの表紙を観ていて気になったことがひとつある。
どのスポーツも時期ごとに旬であるか否かがある。
でも、競馬が表紙を飾っているのが非常に多かったことに驚かされた。
しかも、30年定期的にである。
そう考えれば、30年に渡り、ずっと人気の上げ下げがなかったスポーツのひとつとも言える。
「ギャンブル」と言ってしまえばそれまでなのだが、競馬もやはりスポーツのひとつと数えられて間違いないのだろう。
オグリキャップや武豊騎手というスターが出現したのも大きいとも思われますが。
歴史的名(迷)牝ウォッカがターフを去った寂しさ
競馬といえば、先日惜しまれながらも引退したウォッカのことをなしにしては語れない。
引退レースが日本での引退でなかったのは残念だが、日本最後のレースがあのジャパンカップの激闘(2cmでの勝利)であったこともあるので、尚惜しい。
なんとも不思議な名馬であり名牝であった。
G1・7勝にもかかわらず、その他のG2レースやG3レースではとりこぼす不思議な馬だった。
道悪や小回りでは実力を発揮できないなど、弱点も多く持っていたところが競馬ファンの心をくすぐったのかもしれない。
そして、G1ではダービーや安田記念やヴィクトリアマイルでの大圧勝劇や天皇賞でのダイワスカーレットとの激闘(これも2cmでの勝利)、そしてジャパンカップでの復活劇。
彼女の名レースは挙げ始めたらきりがない。
もしかしたら、ディープインパクトよりもより鮮烈なインパクトを残したかもしれない。
もう、競馬ファンには、一生脳裏から離れないであろう名馬であり迷馬であったことは間違いない。
そんな名馬が引退式もなく、ターフを去ったことはちょっと物憂げな気持ちもなる。
ただ、そんなウォッカ号はこれから何十年と語り継がれていくことは間違いない。
ウォッカの後継者たちに未来を託して
そして、そのウォッカ号の後継者とも呼ばれるのが、昨年の2冠のブエナビスタとそのブエナビスタの3冠を阻止したレッドディザイアである。
この2頭はウォッカも煮え湯を飲まされ続けたドバイでの戦いが待っている。
彼女たちとウォッカとの直接対決が観れなかったのは残念極まりないのだが、もしかすると、また競馬界に新たな1ページが刻まれる可能性がある。
レッドディザイアに関しては、先日ドバイの前哨戦でもあるマクトゥームチャレンジラウンド3で大外から一気の差し切り勝利。
本番に向けても、大きな期待が寄せられる。
もし、ドバイのG1を制することになると、もちろん日本馬史上初の快挙である。
ブエナビスタはレッドディザイアとの直接対決ではないが、京都記念を余裕の圧勝劇で、これもドバイ初制覇に自信をのぞかせる。
もしかしたら、2頭ともドバイの観客をアッと言わせるかもしれない。
競馬界もグロバール化が進み、今や日本馬は一目置かれる存在になっているのだから。
競馬はスポーツなのか否か?
「競馬はスポーツではない」という人もいる。
でも、ただ馬が勝利を目指すだけの世界だけではなく、そこには、調教師や生産者牧場や調教助手さんたちの人間ドラマも隠れている。
スポーツは人間がするものという定義があったとしても、やっぱり競馬はスポーツのひとつと私は考える。
そして、日本の競馬界が世界を席巻する日も近いのかもしれない。
その歴史的な瞬間をレッドディザイアやブエナビスタで私たちは目にすることができるのかもしれないのだ。
日本での放送があるのかはわからないが、心の底から応援しよう。
日本でもG1の季節が到来
そういえば、今週は日本でもG1の高松宮記念がある。
金欠の私には、馬券を買う余裕はないが、いちスポーツファンとして満喫させてもらおう。
時代は日々変わり続ける。
それは競馬界も同じだ。
競馬界が世界へ進出し、更なる発展を願って今日はこれでお開きにしよう。
がんばれ!日本競馬!
にしても、競馬界も人間界も女性が強い時代になりました……
posted by uzura176 |07:59 |
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2010年03月01日
オリンピックは人類に不可欠なもの
いよいよ今日、2週間に渡るバンクーバーの宴が終わる……
平穏な生活を犠牲にしてまで、つぶさにその戦況を見守ってきたがその甲斐はあった。
相変わらずの、マスメディアのメダル勘定報道には辟易とさせながらだが。
しかも、BSを観れない環境の自分には「観たい」ものが物悲しさも募った……
敗者はひとりもいなかった
4年間の集大成を一瞬、数秒、数分に賭けるアスリートは、月並みの表現だが「美しく、そして儚い」。
ひとり、ひとりのアスリートたちのひとつのものに賭ける姿は、何物にも代えがたい。
もちろん、勝負の世界なのだから「勝った・負けた」そして、メダルという皆が追い求めるものもある。
でも、私のような凡人、いや苦労を厭う人間からすれば、出場している選手すべてが「勝者」にしかみえない。
ひとつのものに人生を捧げる。
しかも、日本人アスリートにとっては、五輪選手といえども、ほとんどの選手が満足いく環境に身をおけず、なにかを犠牲にしながら、一瞬一瞬に賭ける。
オリンピックの周期は4年だが、彼ら彼女たちにとっては、もっと長いスパンで「苦と悩み」を乗り越えてきているはずだ。
だから、勝とうが負けようがアスリートの流す涙には、心揺れ動かされるものがある。
アスリートの人生に少しでも共鳴したい。それがスポーツ観戦
それでも、やっぱり報道はその人間ドラマを追わずに、結果だけを垂れ流すことしかできない。
4年間を追い続けるようなドキュメンタリーも少々見れるが、それはごくごく一部の人気選手のみである。
それも、無理からのお涙ちょうだい仕上げのものが多い。
結果だけでなく、それ以外も追ってもらえるだけでも、その選手は幸運そのものなのだ。
私は、日本人選手に限らず、五輪選手の人生・苦悩・葛藤をもっともっと見たいのだけれども、人数的にも時間的にもそんなわけにもいかない。
もう、そこは勝手な想像や妄想を駆り立て、彼らの人生に共有したつもりになるしかない。
このブログは身勝手で結果報告すらできない代物
オリンピック期間中は何度もブログを書こうと思ったのだが、何故かそういう気持ちになれなかった。
おそらく、やったとしても結果報告や「おめでとう」しか言えない自分に嫌気がさしていたからだろう。
それじゃ、テレビや新聞の報道のなんら変わりない。
何か、そういうものにしたくない。
そんな気持ちがあったからだと、いまさらながらに思う。
だから、今回も誰がメダルを獲ったとか、だれが頑張ったとかはなしにしよう。
誰しもが頑張っていたのは当たり前だし、メダルの数勘定はマスメディアさんにお任せのなだから。
眼を見る=スポーツ観戦でもいいじゃないか
抽象的な表現ばかりで嫌気がさしている人もいるだろうが、メダル勘定よりはましだと自分で自分を慰める……
私が今回注目していたのは、勝敗はもちろんのこと、選手たちの「眼」だ。
なぜ、あんなに強い「眼」をしているのだろう。
なぜ、あんなに美しい「眼」をしているのだろう。
「眼」を観るだけで、選手ひとりひとりの人生が見えてくるし、その必死さも伝わってくる。
「眼力」という言葉があるけど、アスリートのそれは、普段の暮らしや街並みを歩いていても見れないものだ(そりゃそうや)。
今回のオリンピックでも数々の「涙」を目にしてきた。
うれし涙、悔し涙、充実感溢れる「涙」。
さまざまな「涙」があったが、それは当たり前のことながら「眼」から流れる。
でも、これって非常に合理的でもあり、神秘的なことのような気がしてならない。
「涙」は「眼」から流れる。
これは、神様の悪戯じゃなくて、神様の功績でもある。
人間には五感がある。
でも、やはり「眼」の力が最も偉大なものだと痛感した(これは決して視覚障害を持つ方を中傷するものではありませんのでお許し下さい)。
どんな言葉よりも「眼」の方が、よっぽど物事を語る。
そこに私は惹きこまれしまった。
スポーツは目で見るんじゃなく、「眼」を心で見るもの
あてもない安っぽい詩人のようになってきたので、これくらいにしておこう。
4年後のソチ大会も私は「眼」を観て、観戦するのだろう。
いや、その前にサッカーW杯、ほんでロンドン五輪、4年周期大会は「眼」を観るに限る。
それが、スポーツ通ぶる私のいきついた結論である。
「勝ち負けやルールはそのあとなんだ」と今さらながら思い知らされる。
もっと言えばスポーツじゃない。
やっぱりスポーツを観る前に人を見る。
それが、もっとも正しいスポーツ観戦術なのかもしれない。
いや、スポーツに限らずに人間がやるから面白い。そして心打たれる。
30過ぎて気付いたのは遅すぎ?
しゃーない。勘違いしてきたものは……
posted by uzura176 |05:41 |
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2010年02月15日
なぜ上村愛子に心奪われるのか
上村愛子というアスリートというか、人間には不思議な魅力がある。
私はその魅力を“弱さ”だと思う。
それはメダルを逃した4位という結果だからではない。
むしろその逆だ。
実力も人気も申し分ない。
だが、五輪という大舞台には縁がない。
彼女の涙こそ金メダル級
その“弱い”彼女が、ひたむきに、そして強くあろうとする姿に、日本国民は心奪われるのではないだろうか。
私もそのひとりである。
普通の彼女が、皆の期待を一身に浴び、その期待に応えようと切磋琢磨する姿。
彼女の涙は、様々な趣がある。
つらい時、うれしい時、申し訳ない気持ち、そのすべてが涙で語り尽くしている。
今回、4位という無念の結果に終わった後に受けたインタビューの涙。
あれは、なにを物語っていたのだろうか。
私にはとても美しい涙に見えた。
私も目頭が熱くなった。
あのケースの涙は“悔しさ”で占められて然るべきものだろう。
しかし、そうは見えなかった。
私はモーグルの専門家ではない。
彼女の今までの輝かしい実績は誌知っているが、技術論など皆無といってもいいほど無知である。
そんな私でさえ、彼女がバンクーバー決勝で見せた滑りは、決して満足行くものではなかったと思う。
しかし、彼女は「自分らしい滑りができた」「満足できる滑りができた」と胸を張った。
しかも涙を流しながら。
言い訳すらしない潔さ、今ある自分を認める力に感銘を受けた。
弱くてもかっこよくあれ
冒頭にも述べたように彼女は“弱い”。
でもそんな“弱い”彼女が気丈に振る舞い、自らを認める。
私にはそんな彼女が“強い”とか“弱い”とかを超越しているように思えてならない。
テレビでも度々紹介されていたが、彼女は小・中学生とイジメにあっていた。
イジメは確実に加害者に非があるものだが、そのターゲットとされる被害者は必ず少なからず“弱さ”をもっている。
そんなイジメにあうような“弱い”彼女が30歳にして、“弱さ”を魅力に変える。
成長なんて生易しい言葉で片付けたくない。
私は彼女の“弱さ”は、かけがえのない魅力でもあり、強さであるようにも感じるのだ。
矛盾していることを言っているは、承知している。
辞めてもいい。でもやっぱり観ていたい
7位、6位、5位、4位ときた。
彼女のこれからの進退はわからない。
4年という時間はあまりにも長いのだから。
でも私はまだ観ていたい。
それは、4年後念願のメダルをとるにこしたことはないだろう。
でも、それが理由ではない。
結果なんてなんてなんでもいい。
モーグルの順位は人間の順位ではない。
日本一“弱さ”で国民の心を訴えかける彼女姿を観ていたい。
サッカー日本代表にも彼女の涙を見てほしい
それに引きかえ、サッカー日本代表のていたらくといったら……
ホームの日韓戦観ていて情けない気持ちになった。
相変わらず、韓国代表は日本代表に対して並々ならぬ気持ちで挑む。
いわば、喧嘩を売られているわけだ。
プレイを観ていても、何十年前のような激しいコンタクトのフットボール。
日本はその“喧嘩”を買うことすらできなかった……
話は逸れてしまったが、日本代表に足りないものは、上村愛子のような弱い自分を認めて、それを昇華する力がないのだ。
届かない言葉だが、それでも“ありがとう”と言いたい
最後に上村愛子さん。
久しぶりにスポーツを観ていて、そしてあなたを観ていて心が熱く熱くなりました。
あなたには金メダル以上の魅力がある。
ご結婚もされて、勝負も終わった。
今は、ゆっくりゆっくり休んでください。
そして、スキーをスポーツを楽しんでください。
最高やったぞ!
少なくともあなたの今回の涙は4年間忘れることができそうもありません。
posted by uzura176 |03:20 |
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2009年12月02日
ゴルフは下品な人間には向かないのか
私はゴルフには疎い方だ。
決して嫌いなわけではない。
ただ、下品な私のような人間には、ゴルフさん側から“ゴメン”ということなのかもしれない。
でも、昨今はマナーの悪いパトロンも増えてきているようで、人事では済まされないようなこともあるようだ。
それだけ、観る側にも品位を求められるもの、それがゴルフなのである。
さすが紳士淑女のスポーツで、歴史の塊のような競技である。
そんな私でさえ洗脳されゴルフのニュースにかじりつく
ここ最近のゴルフ界の加熱ぶりには、さすがの私も惹き込まれる時が多々ある。
マスコミの露出度はちょっと常軌を逸している感さえある。
先週女子の今年度の賞金王が決まった。
テレビで観戦していたのだが、息詰まる展開とはあのことをいうのだろう。
横峯、諸見里選手、どちらにも思い入れはないのだが、若いふたりにいっぱいエールを送ったつもりだ。
結果、横峯選手に軍配が上がったが、どちらにも拍手を贈ってあげたい。
彼女たちは1年間、絶え間なく、息抜く暇なく闘ってきたのだから、勝者も敗者もないと思いたい。
にしても、順位付けが“賞金”というのもゴルフ界らしい。
お金で優劣を決めるというのも下世話な感じもしないでもないが、大会ごとの賞金も違い、一概に勝利数やストローク数では決められないのだろう。
それでも、納得させてしまうのが、ゴルフの力なのだろうか。
今週末はエライ報道合戦になりそうだ
そして、今週男子の賞金王が決まる。
ゴルフ界は石川遼選手一色である。
いや、いまに始まったことではない。
ここ2年ほどの男子ゴルフ界は、彼なしでは語れないほど彼の存在は大きい。
確かに、高校生にしてあの強さ、そしてマスコミやファンに対する受け答え。
もう可愛げないくらい人間ができている。
私とひとまわり以上歳が離れているが、それこそ爪の垢を煎じて飲まなきゃならん
(そうしたいご婦人方も山ほどいるでしょうね)。
もう、“非の打ちどころがない”とはこのことをいうのでしょうねぇ。
カリスマ性、実力、人間性、ルックス、なにもかもが新人類を思わす。
文句垂れの私でさえこんな状況だから、誰も彼を非難する人なんていないことだろう。
あったとしたら、それは妬みくらいだろうか。
石川遼教(狂?)になっちゃいやしないか」
でもだからこそ、ひとつ物言いをしたい(やっぱり私は文句垂れ憎である)。
彼が完璧な人間であり、アスリートであることは嫌というほどわかる。
それは今まで述べてきた通りである。
でも、近頃のメディアの熱狂ぶりは常軌を逸しているとはいえないだろうか。
まるで18歳の少年を神のように崇めんばかりである。
ある程度そうなることは仕方ない部分もあると思う。
それだけの逸材であり、カリスマ制なのだから。
でも、ゴルフは彼だけのものではないはずだ。
先人たちの功績もあるし、ゴルフの歴史もある。
それが今や、ゴルフ=石川遼の状況である。
ライバルにも同等のスポットを
そして、私が一番憂いているのは、今石川選手と賞金王争いをしている池田勇太選手の扱いである。
もちろん、彼のことを悪く報道されているとは思わないが、石川選手を押すばかりに池田選手がヒールのごとき扱いのように感じてしまうのは私だけなのだろうか。
彼自身も自分の立場もわかっているから、石川選手とは違うたち振る舞いで、あえて悪者に徹しているようにも感じる(決してそれが本意ではないのだろうが)。
あれだけ活躍もし、活躍もしている選手に同情すること自体もおかしいのだが、あまりにも彼の扱いが不憫に思えてならないのである。
メディアも口先では、“どちらが勝っても史上最年少賞金王”という決まり文句をつけるが、その奥底には、“どうせなるなら18歳のカリスマが賞金王を取った方が華がある”という魂胆が見え見えである。
それがなにかいやらしい。
裏の魂胆が丸見えほど醜いものはない。
そこまで「石川遼石川遼」というのであれば、我が局は“石川遼を応援しています”と言ってくれたほうがスッキリする。
と、池田選手も思っているのではないだろうか。
あまりにもメディアのデリカシーに欠ける報道が目に余るように感じてならない。
そう感じてくれているファンが私だけでないことを信じたいが、実際はテレビや新聞の力によって洗脳されている人も多いのであろう。
だから、個人的には今週の日本シリーズは池田選手を応援したいと思う。
石川遼選手にはなんの恨みもない。
むしろ尊敬しているくらいだ。
でも、やっぱりイチスポーツファンとしてイーブンでフェアな形で最終戦を迎えてほしいと思うのが本心である。
やる前からマスコミが勝負を決めたがるんじゃない!
どちらが勝つかわからない。
結果は蓋を開けてみないとわからない。
ただ、やる前から石川遼選手が勝たないといけない空気を作り出してしまうのは違うと思う。
いや、こんなバカ親父が懸念していることよりも、石川遼選手の方がよっぽど気持ちいい勝負をしたいと願っていることでしょう。
今週はラグビーの取材も行かなきゃならんし、サッカーのJリーグも最終節で大きなドラマが待っていそうだ。
観れないかもしれないが、若者ふたりの清々しい戦いを期待して。
頑張れ勇太、そして遼!
posted by uzura176 |19:16 |
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2009年10月01日
地味であればあるほど輝くボクサー
名城信男ほど無骨なチャンピオンはかつていただろうか。
少なくとも私は知らない。
これは決して彼を揶揄しているわけではない。
むしろ、彼のその無骨さに心惹かれる自分がいる。
ボクサーとは、どんな長所があろうとも結果が伴わなければ見向きもされない因果な商売。
そんな中で昨日、最強の挑戦者カサレスから引き分けとはいえ、チャンピオンを防衛した彼はやはり強いのだろう。
世界の頂点に立つチャンピオンは必ずと言っていいほど何か秀でている部分を持ち合わせている。
強烈なパンチ力、相手のパンチをもらわないディフェンス、華麗なステップ、誰にも真似できないようなコンビネーション、一瞬を逃さないカウンター能力、無尽蔵なスタミナなどなど。
挙げればきりがないが、世界のトップはこのいずれかを必ず持っている。
じゃないと、頂点に立てるはずがない、と私は思っていた。
しかし、彼には特別な秀でた能力を持ち合わせているとはどうしても思えない。
欠けている部分はない、でも1芸だけでもない。
どの部分も平均点以上を持っていることは間違いないのだが……
嫌な言い方をすれば本当に地味なチャンピオンだ。
つくづくわからない男であり、不思議なチャンピオンである。
事実彼の試合を観ていると、弱さなど感じない。
本当に強いと思う。
ここ数年は、長谷川穂積選手の鮮烈なKO勝利を見せつけられているので、そう感じない人も多いだろう。
でも、名城選手は間違いなく強い。
それを結果で証明しているのだから。
試合に派手さはない。
正しく通好みの選手なのかもしれない。
そんな無骨さとひたむきさに惹かれるボクシングファンも多いのではないだろうか。
そんな地味さが拭えない彼ではあるが、その戦績は輝かしいものがある。
日本人最短タイ記録での世界王座奪取。
2度目の防衛戦で敗れはするものの、その1年後には王座復帰。
そして昨日その王座を引き分けとはいえ守り抜いた。
挑戦者カサレスはホンモノだった。だからこそ価値あるドロー
昨日戦ったカサレス選手は紛れもなく強敵だった。
キャリアに裏付けされた老獪なテクニック、左右問わない変幻自在のスイッチヒッター、そしてメキシカン特有の見えないところから繰り出されるアッパーやフック。
すべてが一級品であって、「4階級制覇を狙う」と豪語するのもわかる。
そんな強敵に対して名城選手は、いつも通りの無骨なボクシングで挑んだ。
王者でありながら、挑戦者の方が上手い。そして強く見える。
こんな光景を観ると、何か不思議な感覚に襲われる。
でもだからこそ、名城選手はチャレンジャー精神旺盛なボクシングを展開できたのかもしれない。
相手に翻弄されるシーンもあったが、そんなことお構いなし。
前へ出て、無骨な自分のボクシングを貫き通すことに終始していた。
そして、変幻自在でトリッキーなカサレスに対して、彼のボクシングの基本中の基本とも言えるようなワンツーが面白いようにヒットする。
今まで気が遠くなるくらい練習してきたであろうなんの変哲もないワンツー。
不器用な彼が持つもっとも彼らしい彼の武器。
私はあのワンツーが好きで仕方ない。
どんな上手いボクサーよりも強く洗練されたあのワンツーが。
最終回では、あわやというシーンを作った。
しかし、勝負は判定に持ち込まれる。
ジャッジ泣かせの試合であるから、会場もその結果を固唾をのんで見守った。
ひとり目が4ポイントの差をつけてカサレスという名前を読み上げた時、会場からは大きなブーイングと「えっ?負けなの」という重苦しい雰囲気が流れた。
しかし、2人目はその全く逆の4ポイント差をつけて名城選手。
同じ試合を観て、8ポイントも分かれることは非常に珍しい。
ジャッジ泣かせの試合であったことを象徴している。
そして、3人目がその間のドロー。
私も、テレビの解説陣も本当にわからなかった微妙な試合だった。
1人目も2人目も正しいと思う。
そして、最もふたりの差を見極められなかった3人目の意見がこの試合を象徴している。
どちらに転んでもおかしくなかった。
だから、引き分けという結果は誰もが納得する答えだと感じる。
無骨で寡黙なサムライの戦いはこれからも続く
なんにせよ、王者名城選手はその座を守った。
これからも、チャンピオンロードは続くと信じている。
あの無骨なまでの泥臭いボクシングを、私は彼がそのグローブを置くまで見続けたい。
にしても、あえて名前を言うつもりはないが、近年リング外で目立つボクサーが非常に多い。
やはりボクサーたるものリングで、そしてボクシングでものを語ってほしい。
名城選手のように。
こんな時代だからこそ、彼のような存在は稀有であり貴重なんだと改めて想った。
テレビ中継では「サムライ」という言葉が頻繁に使われていた。
正しく、真の侍は多くを語らなかったことだろう。
戦場では、言葉ほど無意味なものはないだろうから。
サムライ名城信男の生き様、ボクシングファンならずとも多くの人たち男たちに観てほしい。
男気のかけらもない私は切にそう思った……
あぁ、彼のような無骨さを持ち合わせたい……
posted by uzura176 |11:21 |
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2009年07月29日
誰が、こんな結末、そして快挙を予想していただろうか。
世界水泳背泳ぎ100mの古賀淳也選手の日本新記録での金メダル。
今年の世界水泳、日本の主役は正しく入江選手であった。
北島選手が休養中で、日本のエースが彼であることは自他とも認めるところ。
それは、テレビCMで見ている皆さんもご存じのだろう。
その彼を横のコースに従え、堂々と先行押し切りする姿に、深夜テレビにかじりついていたファンは、湧き出てくるような鳥肌を抑えきれなかったことだろう。
知ったかぶりもええとこだ
後出しジャンケンのようなことを今から言わせてもらう。
私は、彼の快挙を予想していなかったわけではない。
北京五輪の選考から漏れた彼を特集するニュースを見たときときがある。
それは、かれがある師から“空手”を学ぶものだった。
世間ではあまり知られていないところかもしれないが、その師とは宇城憲治氏。
世間一般で言われる、ただの空手の達人ではない。
あらゆるスポーツ関係者や指導者、そしてアスリート自身が、彼に教えを乞う。
彼に学び、常識では考えられない結果を残した指導者やアスリートは数多い。
嘘のような話かもしれないが、そのほとんどが他競技の選手や指導者なのである。
そしてまたひとり、彼を慕い、教えを乞うたアスリートが世界という舞台で偉大なる結果を残した。
古賀選手は50mでは敵なしのスプリンターであった。
50mは五輪では正式種目ではないので、“片道スプリンター”と揶揄されることもあった。
そして、彼のもうひとつ弱点は大舞台やその選考では結果を残せなかったこと。
それがどうだろう。
五輪に次ぐ大舞台で、それ以上はない結果をもたらした。
明らかに変わった部分があることは明白であろう。
それは、“心”の部分である。
宇城氏が伝えたいもの
“心・技・体”という言葉はあまりにも有名である。
でも、世界トップクラスの技と体の部分は、本当に微々たる差しかないことは観ていてもわかる。
勝負のあやとなるのは、やはり“心”の部分ではないだろうか。
実際、ここ20年の五輪の競泳で金メダルを取った選手は4人。
ソウル五輪の鈴木大地選手。
バルセロナ五輪の岩崎恭子選手。
そして、もう多くを語る必要もなくなった北島康介選手。
ダークホースともくされていたにもかかわらず、一気の頂点に駆け抜けた柴田亜衣選手(ここは投稿者の方のご指摘で加筆させてもらいました。ご本人を含め気分を害された方には申し訳なく思っています)。
この4人も絶対的な存在ではなく、ライバル選手がいたり、決して断トツの優勝候補ではなかった。
そして、結果論として技術論などで片付けられてしまう面も多いが、実はこの4人が特筆するものは精神力ではなかったのだろうか。
鈴木選手は、スタート前から自分がトップでゴールすることしか想像していなかったという。
岩崎選手は、その若さゆえの無欲の勝利。
勝利後の言葉ばかりが取り上げられるが、実は結果が出る前から“自分の泳ぎに徹すれば、おのずと結果はついてくる”と自分に暗示をかけていたような気がする。
北島選手の2大会連続、しかもどちらも2種目を制したのも、ただ強いでは片づけられない。
もう忘れられているかもしれないが、どちらの大会も下馬評は2番手であった。
しかし、ライバル選手とその命運を分けたのは“心の強さ”の差だった。
まぁ、今さら北島選手の精神力を語る必要もないような気がするのでこれくらいで。
なんにせよ、水泳の100分の数秒を争う世界では、ほんの些細なことが天国と地獄を分ける。
それが“心”なのではないだろうか。
古賀選手が劇的に強い精神力を身に付けたとも思わない。
入江選手が精神力に弱いとも思わない(彼の得意種目は200mということもある)。
ただ、現実に古賀選手はとてつもない結果を残した。
そこに宇城氏の教えが無関係とは、どうしても思えない。
”気“って一体何なの?
宇城氏は空手家である。
でも、他競技の選手に教えられるのは何故か。
それは、単に技術論や科学論とは違った視点からのアプローチをしているからではないだろうか。
“気”という言葉がある。
いかにも胡散臭く、説明し難いものである。
と、心が汚い私は思う。
ただ、そこには理屈や科学を超越した何かがあるのだろうとも思う。
会得するとかいう問題ではない。
その“気”をどのようにコントロールし自分のものにできるか。
それを宇城氏は、身をもってアスリートや指導者に伝授しているのではないでしょうか。
本当に知られていないですが、彼に教え乞うた人たちがとんでもない結果をもたらしているのだから。
彼の考えは理屈ではない。
でも、結果として出ている。
やっぱり何かがあるとしか思えない。
私のような“浅い人間”には一生かかってもわからないだろう。
だから、生涯勉強なんでしょうね。
古賀選手の金メダルで宇城氏の名は、世間に知れ渡るだろう。
ただ、専門家やジャーナリストは、それをなんとか理論として説明したがることだろう。
でも、その行為自体がナンセンスであることは言うまでもない。
説明できない。
それが、”気“であり”心“ではないのでしょうか。
グダグダとごたくを並べたが、古賀選手、本当におめでとうございます!
“気”を語る以上避けては通りたくなかった。
おめでたいニュースの後に、暗い話は気が引ける。
でも、どうしても無関係には思えないのであえて言いたい。
昨日、歌手の川村カオリさんが亡くなられた。
2004年に癌を患い闘病、そして復帰、そして再発、そしてまた闘病。
その間に彼女は、とても病人とは思えない強さとバイタリティーで闘い抜いた。
古賀選手とは明らかに違う。
でも私は思う。
そこに“気”がなければ彼女は5年も闘えなかったのではないだろうか。
ファンは本当に悔しいことだろう。
でも、彼女は5年間も“気”を貫き闘い通した。
5年間もだ。
よくがんばった、本当に本当にお疲れ様、と送ってあげてほしい。
心の底からご冥福をお祈りします。
って、カッコつけるより「ありがとう!」の方がいい。
忌野清志朗さんも逝った。
彼の母校が都立の雄として甲子園一歩手前で散った。
戦ったのは選手たちだ。
でも、彼があの世から“気”を送ってたのかな……?と思わずにはいられない。
それくらい、実力以上のものを見せつけられたのだから。
何故か自分のことを書き始める弱者
ここからは、いきなり自分のことを書いてやる。
ここまで、散々偉そうに“気”だの“心”だの語って来ているが、私ほどそれが弱く、そして欠けている人間はいない。
川村さんや清志朗さんは、“気”は充実しながらも、体の病で逝かれた。
でも私のように、世の中では、心の病をもつ人も多い(いきなり、なんちゅうカミングアウトをするんや……)。
ただ心が病んでいる人は、その病が目にも見えないし、絶対的な治療法もない。
ある意味、病気よりたちが悪いのかもしれない。
だって、本当に本当に苦しいんですから。
でも、やっぱ見えない。
そして、それを口にもできないし、口にすると変な人に思われる(私は変人ですが)し、倦厭される。
もっと言えば、“弱い人間”“ただの弱音”と一喝される場合もある。
でも、世の中には多くの人が苦しんでいて、その苦しさも多種多様である。
“心”は強い方がいいに決まっている。
でも、その“心”が弱い人間も許容できる社会になってほしいな、とも切に思う。
“心”をテーマにして書くのは辛い。
だって、結局自分に跳ね返ってきてしまうのだから。
いつの日か、いつの日か、自分も胸を張って“心”や“気”のことを語りたい。
そう思いながら今回は書きました。
あぁ、シンド……ホンマにシンドかった……
ねっ!“心”弱いっしょっ。
posted by uzura176 |09:31 |
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