2010年02月21日

もう「シンスケ」なんて呼んじゃ、絶対ダメだよ。

「プロレスとは、桃源郷なり」  /  桃太郎

        「さんづけ」


 先シリーズ、NOAHでは「グローバルタッグリーグ戦」が開催されていた。
そのテレビ中継で、たびたび耳にしたフレーズが「佐野巧真最強説」というも
のだった。 実況アナはしきりにこの言葉を繰り返し、実際、佐野・高山善廣
組は、このタッグリーグ戦を優勝してしまった。
 今年45歳になる中年の佐野が、NOAHで最強だなんてとても思えない。
僕の中の格付けでは、森嶋猛、力皇猛、秋山準、小橋建太、杉浦貴、丸藤正道
よりは下になる。 潮崎豪、KENTA、斎藤彰俊と同じくらいの位置なので、
7~10番目くらいかなあ。 なのに、テレビではしきりに「佐野巧真最強説」
をアピールしていた。 いったい、どうしたいんだよ。
 この「佐野巧真最強説」がちょっとだけリアルに感じるのは、帝王・高山が
佐野のことを「佐野さん」と「さんづけ」で呼んでいることである。 高山に
マイクで「佐野さんは最強!」なんて言われちゃうと「まあ、高山がそう言う
なら、別にそれでもいいよ」なんて気持ちにもなる。 納得はしてないけれど、
その意見を尊重しようじゃないかってね。
 逆のパターンもあるのだ。 新日本プロレスの本間朋晃は、真壁刀義のこと
を「マカベ」と呼び捨てにする。 いつも「真壁さんだろ!」と突っ込みたく
なる。 また、矢野通も中邑真輔のことを「シンスケ」と呼び捨てている。
矢野からしたら、中邑は2歳年下になるんだけど、中邑はこれからプロレス界
のリーダーになろうとしているのだ。 だから、せめて「ナカムラ」と呼ぶべ
きじゃなかろうか。 高山の「佐野さん」とは逆で、真壁と中邑のイメージは
不当におとしめられている。 無神経なパートナーのせいで。
 中邑は、昨年9月にIWGPチャンプになった際、スーパースターの猪木を
「イノキ」と呼び捨てた。 あの宣戦布告が「猪木さん、対戦してください」
だったら、発言のインパクトも薄まっていただろう。 日本プロレス界の神様
とも言える猪木を呼び捨てにしたことで、中邑は猪木の高さまで背伸びをして
みせた。 猪木の襟首に手を掛けたのだ。
 猪木のことを呼び捨てたのだから、永田裕志や中西学のことも、呼び捨てで
当たり前だ。 中邑はこれから誰もを呼び捨てにする。 「さんづけ」なんて
絶対にしない。 先輩たちに向かって失礼なことだとわかっていても、自分が
リーダーになるために覚悟してそう言うのだ。 中邑は自分の果たすべき役割
を自覚している。 目覚めているのだ。
 そこのところを、周りにもわかって欲しいのよね。
 もう「シンスケ」なんて呼んじゃ、
 絶対ダメだよ。

posted by upro |23:51 | 桃太郎 |
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2010年02月13日

強さは観る者が勝手に感じ取る物なのだ。

「強くなりたい」 / 大鉄


朝青龍の引退は意外なほどあっけないものだった。
色々と物議を呼んだ存在だったが、今となってみてはどんな問題も朝青龍
個人の存在感の前では小さな物だったのだと感じる。
横綱としては賛否両論あったが、強い力士であったということだけには
誰も異論を唱えることはなかった。戦績という公式記録に表れているから
だけではなく、その相撲を見たもの全てに強さを納得させることが出来る
ような存在だった。人々を惹きつけるその魅力の根源が強さであったことは
間違いないだろう。人は強さに憧れるもなのだ。

そういえば、1.4東京ドーム大会が終わった後の週刊プロレスの巻頭特集
は「新日本vsNOAH強いのはどっちだ!?」だった。
団体同士の強さを比べるというのもおかしな話だ。会社の規模や財務状況を
比べるのであればまだ話は分かるが、ここで問われているのは明らかに、
両社のプロレスのどちらが強いかだ。
しかも、この特集はドームでの対抗戦の結果が出た後のものだ。普通なら
「勝った方が強い」という結論で終わりそうな物だが、勝敗が決した後でも
「強いのはどっちだ」が話題となりえるところが、まさにプロレスらしい
と言えばプロレスらしい。

我々は確かに強さに憧れている。しかし、我々が憧れる「強さ」とは、
試合に勝つ能力とは必ずしもイコールではないようだ。

「強さ」について考えるとき、私には思い出される試合がある。第一回G1
の公式戦、長州vs橋本だ。私はこの試合を両国国技館の升席で観て
いた。長州はここまでリーグ戦全敗、この橋本戦にも敗れれば引退では
ないかと噂されていた。試合は橋本が長州を蹴りまくる一方的な展開と
なった。しかし、私により「強さ」を感じさせたのは長州の方だった。
なぜならば、橋本が中盤以降ずっと泣き顔だったからだ。橋本は長州を
蹴り続けることに精神的に耐えられなくなっているようだった。何度も
レフェリーに試合を止めるよう要求していた。一方の長州は、為す術も
無く蹴られまくりながらも、厳しい顔で橋本をにらみ続けていた。
自分を蹴ることに耐えられなくなった橋本に、ゲキさえ飛ばしていた。
結局試合は橋本の勝利で終わったが、勝者橋本は強さよりも人の良さと
精神的弱さを、敗者長州が人間的な強さを、私に感じさせる試合であった。

これは単なる一例でしかないが、我々が試合の勝敗とは違うところから
強さを感じ取るのは間違いないと思う。
我々は「強さ」に憧れている。
そして、「強さ」を感じさせてくれるものに心を惹かれるのだ。
人によっては、それは相撲かも知れないし空手やボクシング、柔道かも
しれない。そして、自分が「強い」と信じたものが勝利するところが
観たいのだ。強い者が勝つ、そう思える競技やルールが支持されるのだ。
「このルールで勝ったのはこの選手だから、彼を強いと認めなさい」
などと言われても、観た者が強さを感じることができなければ、支持など
得られる訳が無い。
強さは観る者が勝手に感じ取る物なのだ。

強さに憧れる我々には、強くなりたいという欲求もある。少なくとも
男性にはきっとあると思う。始めは漠然としたイメージでしかなかった
「強さ」というものが、ある日具体的な形となって目の前に現れた時、
「強くなりたい」という欲求が、その具体的なものになりたいという
願望に変わるのだろう。空手にそれを感じた者は空手道場に入門する
かも知れない。そして彼の中では、強さイコール空手の強さとなる
かも知れない。空手が他の競技でも同じことが言えるだろう。

私がプロレスに感じる強さには、肉体的なものの他にも先程の長州の
例のような、人間的な強さ、とでも言うべき物もある。
私が今後プロレスラーのような肉体的強さを手に入れるのは不可能
だろう。しかし、肉体的にはかなわないとしても、人間として強く
あることは諦めたくない。私は今後も、試合の勝敗にとらわれること
なく、勝手に強さを感じていくだろう。そして、その強さに負けない
よう、私自身も強くありたい。私は勝手に勝負を挑み続けるのだ。
そして、「こいつにはとても敵わない。」そう思わせる選手が私の
お気に入りとなるのだ。
勿論、人間離れした肉体的強さもレスラーは備えているというのが
大前提ではあるが。

posted by upro |23:52 | 大鉄 |
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