2007年12月26日
「プロレスとは、桃源郷なり」 / 桃太郎
「イノキゲノム」
12/20、IGFの有明コロシアム大会は、予想外の結末でエライことに
なった。 メインイベントは、レネ・ローゼ、安田忠夫、小川直也による巴戦。
誰かが2連勝するまで続けられる試合方式だった。 ところが、レネ・ローゼ
が安田のイス攻撃を受けて戦闘不能になってしまう。 安田vs小川で、安田が
勝てば問題ないが、小川が勝っちゃったらどうなるのだろうか? 担架に乗せ
られて退場したレネ・ローゼが戻ってくるのか? そんな想像をしている中、
更なる事件が起こってしまう。 小川がレフェリーを場外に投げ飛ばしたとき、
会場から「猪木コール」が沸いた。 これは立会人としてリングサイドにいた
猪木に「レフェリーをやれ」との催促だったのだが、なぜか、猪木はリングに
駆け上がると、小川をスリーパーで絞め落としてしまったのだ。 それだけじ
ゃない、ダウンしてる安田にもキックしている。 こりゃ、いったいどういう
ことなんだ~っ。 猪木、何をやってんだよ~っ。 この大混乱を救ったのは、
解説席にいた永田裕志だった。
「猪木さんの闘魂に火を付けてしまったんですよ」
この解説は、ファインプレーだったと思う。 この一言で、僕は納得した。
そうか、ふがいない両者に、猪木の怒りが爆発してしまったというわけなのね。
会場にいた人たちには、永田の解説は聞こえていない。 だから、汚いヤジ
も飛んでいた。 でも、PPVを見ていた人は「猪木らしい興行だ」と苦笑い
して済ませたと思う。 それも、永田が猪木の暴投したボールを的確に拾った
せいだ。 エラーがエラーにならなかった。 僕は、永田こそが「イノキゲノ
ム」の正統な後継者なんだなと思った。
永田と言えば、大晦日のイノキボンバイエで、ミルコ・クロコップ、エメリ
ヤーエンコ・ヒョードルに秒殺され、プロレスラーの威信に大きなキズをつけ
てしまった男である。 ミルコ、ヒョードルに負けっ放しなわけだから、プロ
レスで誰に勝っても、その後の評価はイマイチだった。 そんな中で彼がたど
り着いたのは「試合内容で魅せる」ことだった。 相手の持ち味を引き出し、
自分の見所もちゃんと主張する。 永田の試合は、どんどんクオリティが高く
なった。 きっと、その過程で「会場の空気を読む」ことも身につけたんだと
思う。 日頃から、耳を澄ませてプロレスをしてたから、猪木のアドリブにも
素早く反応できたのだ。
IGFは、小川や安田を持ち上げるよりも、永田を担ぎ出した方がいい。
永田なら、ヤン・ノルキヤ、モンターニャ・シウバ、クリス・ムーアあたりが
相手でも、いい試合を見せてくれるはずだよ。
小川も安田も、劣性の遺伝子だった。
IGFは、永田のためにある。
posted by 桃太郎 |03:45 |
桃太郎 |
2007年12月14日
「制服って気恥ずかしい。」 by クレメンタイン
中学や高校の制服って、どんなものでしたか?男性の場合は、多くは学ランや
ブレザー、女性の場合はセーラー服やブレザーといったところなんでしょうか。
そして、その制服を着ていたころ、いつも着崩していませんでしたか。つまり、
学ランであれば、ボタン開けたまま着たり、女性の場合はスカートを長くした
り、短くしたり。そうやって、自分なりのアレンジや、時代に合わせたアレン
ジをしていませんでしたか?ちゃんと正規の着こなしをし続けた人というのは、
殆どいないのではないでしょうか。
ですが、一方で年を重ねてから高校生の制服姿を眺めていると、やはりきちっ
と正式な着こなしをしている人のほうが、自分なりのアレンジを加えている人
よりも、美しく見えませんか。実際にフォーマルな衣装として、美しく着こな
していれば、それだけで男性は精悍に、女性はお淑やかに見えるはずなのです。
ですが、実際には、多くの高校生は、制服を必ずといっていいほど、崩して着
こなします。
では、なぜ彼らは、もしくはかつての自分たちは制服を崩して着こなすのでし
ょうか。たしかに時代の流れはあります。その時々によって、流行はあります
から、その流行に合わせた形、もしくは近づける形で着こなしというのを、流
行に敏感な若者がやるのは当然のことでしょう。もしくは、大人たちへの反発
の現われとして、そのような着こなしをしている場合もあるでしょう。ですが、
私にはそれだけが原因であるとは、思えないのです。そこには一種の「気恥ず
かしさ」があって、それゆえに制服を着崩してしまうのではないか、と考える
のです。
私はいまでも、初めて制服を着た日のことを覚えています。私の学校では、学
ランだけでなく、制帽までありましたから、学ランに制帽というのが学校にお
ける正装となっておりました。初めてそれを着て、入学式に行った時、どうも
その制服が自分には分不相応な感じがして、どうにもむず痒く感じ、すぐにで
も楽な格好になりたいと思っていたのを覚えています。つまり、そういったフ
ォーマルな衣装を着ると、その中身である自分の小ささが露呈するような気が
して、制服が一種の自分の器に対する物差しになっているような気がしました。
時は過ぎて、制服を着ることはなくなったのですが、フラメンコの舞台に出る
ようになり、衣装を着るようになりました。ここでも同様のことが起きました。
フラメンコの衣装って、結構気恥ずかしい感じのものが結構あります。たとえ
ば、胸まであるピチピチのパンツにサスペンダー、そのうえに丈の短いベスト。
シャツは、胸元にふわふわとしたものがついていて、袖もふんわりとした、い
わゆる王子様シャツ。もしくはこれはホストでも着ないよ、と思わせるような
真っ白なスーツ。そういったものがいくらかあります。これを着ると、宝塚み
たいで恥ずかしく、出来ることならば、もっとカジュアルにシャツ一枚とかで
踊りたいと思ったこともありましたし、それを実践したこともあります。です
が、カジュアルな格好は、自分にとって良くても、観客の反応は良くないので
す。それよりもむしろ、気恥ずかしいほどの王子様のような格好のほうが、何
倍も評判がいいわけです。
それは舞台という、一種のファンタジーの世界の中で、観客はそのファンタジ
ーを求めてやってくる、という部分もあると思います。ですが、同時に、観客
に自分の気恥ずかしさを悟らせずに、堂々として見せる、つまり虚勢を張るよ
うな行為も可能であるのです。しかも、この虚勢を張るという行為、決して舞
台においては悪いことではありません。日常を考えても、やはり着崩して、あ
りのままの脱力した自分を見せるほうが、虚勢を張り続けるよりも何倍も楽で
す。しかし、無理やりにでも胸を張って、他の人が着られないと思っているよ
うな衣装を着こなし、堂々と舞台に出る行為は、それはそれで非常に崇高な行
為といえるのではないでしょうか。そのように考えられるようになってから、
私は衣装を着崩さないで、どこまでもフォーマルな状況を貫こうと考えるよう
になりました。
さてはて、またもプロレスの「プ」の字も出てこない、私の文章、一体どこに
着地するのやら、とお思いの方も多数いられると思いますが、ここからが本題。
黒のショートタイツです。某雑誌において、ハチミツ二郎氏が新日本の復活の
ためには、「黒のショートタイツ」と声高に叫び続けておりますが、まさにそ
のことなのです。私はどうして、昨今のプロレスラーが黒のショートタイツを
着ないかといえば、そこに気恥ずかしさ、自分の分不相応さを感じているから
ではないか、と思っております。ハチミツ二郎氏の言葉を借りれば、黒のショ
ートタイツはまさに「リトマス試験紙」的意味合いをもつわけです。ですが、
着続けることで、次第に順応していくということも考えられます。あくまで私
見となってしまいますが、ここは気恥ずかしさや、素の自分を捨てて、黒のシ
ョートタイツで勝負にいってほしいと思います。ということで、TNAや他団
体との差別化も含めて、東京ドームで新日所属選手は、全員黒のショートタイ
ツにするべきである。(ライガーの黒のショートタイツは、まずいか。いや、
可能である。)
posted by クレメンタイン |04:11 |
クレメンタイン |
2007年12月12日
「名人芸」 by クレメンタイン
先日、インターネット上の映像であるが、先代の林家正蔵師匠の席を拝見さ
せていただいた。現林家正蔵(旧名:こぶ平)の祖父に当たる方なのだが、
さすが名人といわれるだけのことはあるのか、舞台袖から座に着くまでの、
その動作がまさに堂に入っており、さすが名人と思わせるだけのオーラがあ
った。だが、いざ話を始めてみると、これがどうも面白くはないのである。
なんといえば、いいのだろうか、現代の馬鹿笑いをするようなバラエティ番
組に慣らされている私にとっては、いかんせん大笑いするようなものではな
かったのである。なんというか、刺激に欠けるというか、話を聞いても、動
作を見ても、どうも面白みに欠けるというよりも、大笑いの対象にはならな
い。
そして昨日、同じくネット上での映像となるが、長州力対ローラン・ボック
戦、ビル・ロビンソン対ストロング小林の二戦を拝見させていただいた。こ
れもまた、どうも面白くないのである。なんというか一言で言えば、地味な
のだ。やはり、私は90年代からのプロレスで育った人間なのであろう、大
技の連発や、タフマンコンテストと揶揄されるカウント2.9の攻防で育っ
た人間なのであろう。その結果としてなのか、どうも私の好みとは違った展
開になってしまっていた。
そうなると、途中で見るのをやめればいいのだが、これがどうもやめられな
い。
極めて不思議なことであるが、やめられない。
二回ほど見て、「もう一回」なんて言っては、また見てしまったりするので
ある。
ここ最近のプロレスを見る場合には、どうもこうはいかない。大体の場合に
は、一回見ると、おなか一杯になってしまい、しばらくは見たくなかったり
するものや、一回だけで満足してしまうものが大半である。
はてさて、これはどういうことなのだろうか。
その原因には、観客の主体性、能動性、そして、物足りなさかくる空腹感な
ど様々な要因があるだろうから、これはまた少しずつ紐解いていこうかと思
う。
ただ一つ言うとすれば、「名人芸には唸らせられる」 これがキーワードに
なるであろう
posted by クレメンタイン |23:58 |
クレメンタイン |
2007年12月11日
「プロレスとは、桃源郷なり」 / 桃太郎
「置いていけ」
最近、小川直也の話を聞かない。 IGFの有明大会が10日後に迫ってい
るのに、まだ名前が出てこないなんて、いったいどういうことなんだろうか。
もう、やる気なくなっちゃったのかね。
小川は今年で引退する予定だったという噂もある。 プロレスラーになって
10年、来年の3月には40歳になる。 プロレス界ではあまり友達もいない
し、そんなに景気のいい業界でもないから、次の人生を考えるのも悪くはない。
柔道の指導者にでもなるか、それともテレビタレントか。 タレントになるの
なら、少しでも華やかな場所にいた方がいい。 となると、ハッスルに戻るっ
て選択肢もあるのかもね。
2年前の「男祭り」で吉田秀彦に敗れて、総合格闘技からは撤退したように
見える。 でももう1回くらいなら、高額なギャラももらえそうだ。 大晦日
のカードって、いくらでも欲しいだろうから、ひょっとしたら、もうオファー
がきてるのかも知れない。 そっちに出る気なら、IGFには出ないよな。
ハッスルに戻るにしても、総合でもう一儲けを狙うにしても、小川には最後
にしなければならないことが待っている。 それは「プロレスラーに負ける」
ことである。 小川がここまで稼ぐことが出来たのも、1999年1月4日の
橋本真也戦があったからだ。 あの日、小川は橋本の顔面を踏みつけて這い上
がった。 橋本だけじゃない。 新日本プロレス自体を「噛ませ犬」にして、
自分だけステップアップしたのだ。 橋本や新日本は、何も出来なくて何もし
なかったわけじゃない。 何もしない方法を選んだ。 もし、新日本が大人の
対応をしていなかったら、あの乱闘の中で腕の一本や二本をへし折られていた
かも知れない。 長州が「やっちまえ」と号令していたら、今の小川はなかっ
たはずだ。
長州はなぜ「やっちまえ」と言わなかったのか。 たぶん、柔道界とのトラ
ブルを避けたかったのだろう。 小川をプロレス界に入れた坂口さんの立場を
考えてのことだったのかも知れない。 でも、そのときはすでに、小川は坂口
さんを殴ってたわけだから、今思えば本当に大人の対応だったんだと思う。
当時の僕は、小川の方に肩入れして「目を覚ましてください」に喜んでたけど、
あれは間違いだったなと反省している。
小川はここらあたりで、あの時の落とし前をつけるべきじゃないだろうか。
9年前に橋本と新日本にしたことの「罪滅ぼし」をすべきだと思う。 誰でも
いいから、新日本のプロレスラーに壮絶に負けて見せろ。
そして、あの時に借りた「格」を
東京ドームに置いていけ。
でも、小川に顔を踏まれる勇気があるだろうかね。
鼻血も流してたよね。
posted by 桃太郎 |23:07 |
桃太郎 |
2007年12月09日
「プロレスとは、桃源郷なり」 / 桃太郎
「社長」
学校の校長って、プロ野球に例えたら「球団代表」みたいなものだ。 明確
な方針を掲げ、人を集め、資産管理もする。 そう考えると、教頭は「監督」
みたいなもの。 選手を指揮しチームが勝利するために戦略を練る。 教員は
それぞれの特技を活かし、与えられたポジションで全力を尽くす。 プロ野球
に例えるのも変な話だが、例えたならそんな感じだ。
ところが、実際には多くの校長にはビジネス感覚がない。 お金のことなど
さっぱりわからないし、人事のことは教育委員会任せ。 結局、学校にいても
やることがないから監督みたいにバントだ盗塁だと細かい指示を出し、挙げ句
の果てにはゲームにも出ようとする。 アンタのするべき仕事はそういうこと
じゃないでしょと言っても始まらない。 だって、ゲームのことしかできない
んだもの。
プロレス団体の社長レスラーも、似たようなものなんじゃないだろうか。
新日本プロレスは、あんなにも隆盛を極めたのに身売りするハメになった。
猪木-坂口-藤波と続いた社長レスラーには、経営者としての金銭感覚なんて
なかったと思う。 猪木だけじゃなく、坂口、藤波も、今期いくら売り上げて、
いくら儲かって、前期と比べてどうなのか、このままいくと来期はどうなっち
ゃうのかなんてこと、全く興味がなかったと思う。 だから、業績が悪くなっ
ても、今までと同じようにお金を使っていたのだ。
新日本が立ち直りつつあるのは、草間-サイモン-菅林と引き継がれた背広
社長の力だ。 ムダな支出をなくして、財務体質を健全なものにした。 現場
のことは長州監督に任せて、口出ししないことにした。 社長が社長の仕事に
専念したことが、新日本を生き返らせたのだと思う。
もちろん、社長レスラーが全部ダメというわけでもない。 全日本プロレス
の武藤社長は、沈没寸前だった船を立て直して、何とか運航している。 コツ
コツと収入源を増やし、ギャンブル的な興行はせず、小さい会場を確実に満員
にしている。 その傍らで新弟子の育成には力を注いでおり、将来に向かって
一歩一歩進んでいる感じだ。 天才芸人の仕事とは思えない堅実ぶりである。
きっと、武藤には芸人としてだけじゃなく、経営者としての才覚も備わってい
るのだと思う。
西村修の行動自体は好きになれないが、
武藤社長と藤波社長のどちらの下で働きたいか
と考えれば、その選択には納得ができる。
藤波は社長には向いていないのだろう。
無我ワールドは、草間さんを社長にすればいいと思う。
藤波さんは監督向きだよ。
posted by 桃太郎 |09:45 |
桃太郎 |