2008年01月29日
彼はなぜ新日本に戻らなかったのだろうか。それともこれから戻るのだろうか。
「人生における前進とは何であるのか」 BY クレメンタイン
歴史に「たら・れば」は存在しない。だからこそ、「もしあのとき○○だった
ら」なんて仮説は意味を成さず、それを論じること自体が無益な行為である、
という主張が正当なものでありながらも、時として、歴史への後悔の念を込め
ながら、人は歴史の「たら・れば」を考えてしまうものである。それは恋愛の
ある局面や、受験、仕事でのとある一場面から、もっと壮大な世界の歴史に及
ぶ。そして、多くの場合に、人々は後悔するのである、「あのとき○○だった
ら、今はもっと良いのかもしれないのに」と。
かく言う私もその一人である。もともとの性格も相まって、よくそのようなこ
とを考えるのである。しかし、今回は個人のことではなく、もうすこし個人と
は離れた話であり、当然のようにプロレスへと導かれる。
今日は、m-floを皮切りに話は始まる。希望であるが、読者の方々が彼らの存在
だけでも知っていることを前提としておきたい。しかし、彼らの音楽の詳しい
内容はここではおそらく必要とされないので、視聴経験のない方もこのまま読
み続けて欲しい。現在はm-floはTAKU、VERVALの二人なのだが、以前
は3人であった。LISAという、女性ボーカルが存在した。
2000年のメジャーデビューから、ファースト、セコンドアルバムまでLI
SAはメンバーであった。このときに決して売れなかったことはなく、むしろ
大ヒット作といっても過言ではない作品たちを残していった。つまり、彼らは
少なくとも表向きでは、順調すぎるほどにスターダムへと上り詰めていくのだ。
しかし、ソロ活動に専念したいということから彼女は脱退した。そして、その
後m-floは様々なアーティストとのコラボレーションをするかたちで、順調にヒ
ット作を作っていく。だが、一方でLISAのソロ活動は売り上げや人気の点
から言うと、現在順調と言える状況ではない。
ファースト、セコンドアルバムのクオリティの高さを知る者としては、その状
況は歯がゆいものがあった。たしかにLISA在籍時、m-floがリミックスを多
用するグループだったこともあって、彼女の歌唱力を疑問する声がなかったわ
けではない。そのような批判が、彼女をソロ活動へと傾倒させた要因だったか
どうかはわからないが、どちらにせよLISAは脱退し、ソロとなった。
その後袂をわかった状況が、一瞬の交錯を見せることになる。2005年に出
した4thアルバムにLISAが参加することになる。そして、ツアーにも彼女
は帯同することになるのである。そして、そのライブ映像を今回拝見したので
あるが、やはりLISAがいてこそのm-floであると認識したファンは、非常に
多いように思えた。私見を書いてもどうしようもないかもしれないが、三人で
やっている姿は、LISAの救済ということではなく、三人だからこそ紡ぐこ
との出来る音楽を描き出していて、それは二人になってからのm-floが他のアー
ティストといくら共演しても得られなかった、自然に昇華される感動があった
のだ。
だが、現時点でのLISA復帰は報道されていない。
プロレス界はどうだろうか?私はあえてNOAHから話を始めたい。NOAH
とは間違いなく、旧全日本ー(川田+渕+外国人)=NOAHであった。つま
り、表面上の損失はそれほど大きくない。だが、川田利明という存在の消去が、
NOAHにおける一つの方向性を消し去ったのは言うまでもない。それは三沢
光晴の居心地の悪さである。そこには長年のライバルストーリーを含め、三沢
の居心地の悪さがあり、それは良い試合=スウィングする試合とは言い切れな
い、どこかごつごつとした、男の意地の張り合いみたいなものがあった。だが、
それは残念ながら消えてしまい、今NOAHにはかつての殺気などといったも
のは消えうせてしまったといっていいだろう。
新日本の喪失は、もう話すまでもないだろう。近年では柴田、古くはUWFで
あろうし、そこには常に喪失があった。それは近年特にひどいものとなり、健
介も武藤も既に新日本の選手ではない。
いや、もちろん新たな土地で新たな挑戦をすることは素晴らしい。そして、そ
れによって新たな境地を切り開くことだって出来る。だが、プロレスは一人で
は出来ないものであり、競争論理はその競争密度が高ければ高いほど価値は出
てくるのだ。それでも、それぞれが様々な理由から散り散りになっていったの
である。これが崩壊への序曲となりうることは、女子プロレスの低迷を観れば
分かったはずであるのに、自我を優先することで業界を蝕むという、自らが自
己の巣を食い荒らすような愚かな行為を行ってしまったのである。
少し話がそれてしまったようだ。核論を一気につくかたちで、論を元に戻した
い。
私は今回の話で、別に川田の話も、健介も、柴田も題材ではないのだ。私が、
取り上げたいのはKENZOこと鈴木健想である。彼は新日本に入団し、わず
かデビュー4ヶ月でヤングライオン杯に優勝し、さらには棚橋とのコンビも含
め、将来を嘱望されたレスラーであった。そこからスター候補としてWJへと
移籍する。WJの潤落はご承知の通りであろう。しかし、それとは関係なくか、
あってかはわからないが、彼はかねてからの夢であったWWEに挑戦し、見事
なまでにWWEで活躍する。しかし、その後解雇され、彼は行き場を無くすよ
うになってくる。
いや、彼自身は自らの意志で前進しているつもりなのかもしれないが、どうも
地に足が着いていない印象が強いのだ。解雇されたのち、彼はメキシコマット
を主戦場とした。ハッスルにも一時的に参加するが、なぜか長続きせず、姿を
消してしまう。そして、またメキシコに戻り、メキシコではトップレスラーと
して活躍してはいるようだ。
だが、そこで私には不可解な事件が起きた。彼はなんとDRAGON GAT
Eのリングに現れた。もともとほとんどの選手がジュニアヘビーであり、その
ような団体の中で、ヘビー級のなかでも大柄な、今では珍しい190cm以上
の彼が、どうしてあそこに登場したのだろうか。それが私には全く理解できな
かったのだ。
彼はなぜ新日本に戻らなかったのだろうか。
それともこれから戻るのだろうか。
あのとき彼が新日本を脱退していなければと、今でも思う。だが、脱退したか
らこその今もある。そして、今カムバックすることは、決して回顧主義的でな
く、後退でもなく、前進となるはずだ。
私はLISAがm-floに戻り、鈴木健想が新日本に戻る世界を待ち望んでいる。
それは、歴史の「たら・れば」ではなく、世界の前進である。
posted by クレメンタイン |19:24 |
クレメンタイン |


