2008年01月12日
全ての失敗は、NEXTという発想であった。
「全ての失敗は、NEXTという発想であった。」 BY クレメンタイン 残念ながら、多くの人が語るように、1月4日の東京ドーム興行は興行クオリ ティという点において失敗であった。たしかに経営上の収支や、身の丈を踏ま えた観客席設定など、経営面から言えば健全な興行だったかもしれない。さら にはTNAとの交流、それ以外にも国内の元新日勢の集まるインディーとの交 流など、発展的な価値を見せられた部分は大いにあった。 だが、最大の問題点は、興行のクオリティである。私は決してスウィングする 試合=良い試合とか、昭和の殺伐とした雰囲気=良い試合と言った固定的な定 義に囚われて言っているのではない。どのような展開にせよ、観客を満足させ る、TVにおける視聴者を満足させるといった観点からいって、不十分であっ たと言いたいのだ。ようするに物足りないものであった。 と、ここまで書くと、プロレスを悲観的に見てしまい、自らの発言がプロレス を堕落せしめている可能性も含むと誤解されそうなので、少しの弁解を加えて おく。 今回の新日本の失敗の要因は、試合内容であるが、その試合内容が失敗に終わ ったのは、決して選手だけの責任ではない。棚橋も中邑も健闘したと言って良 い。後藤や真壁、さらには永田、全選手がその自分の守備範囲の中、全力を尽 くしたであろうし、そのことは賞賛に値するものであった。だが、それらも一 つの間違いによって台無しになってしまった感がある。 それこそがNEXTである。 まずイメージしていただきたいものがある。1月4日の新日本プロレスの興行 を見るときに、正月気分で見るのか、それとも去年の延長で見るのか、それと も新たな年の幕開けとしてみるのか、ということである。 私の頭の中では、決定的に正月か、去年の延長なのだ。つまり、紅白歌合戦を 見るような気分や、新春かくし芸大会を見るような感覚で東京ドーム興行を見 る。決して、そこから激動の流へと続いていくような、たとえばプロ野球の開 幕戦のような気分では見ない。だが、明らかに近年の1.4東京ドームは、開 幕戦の様相を呈しているところがある。その結果として、中邑の勝利からアン グル戦への流れが見え、それを次のドラマへと昇華し、他団体の選手の継続参 戦を匂わせるような試合運びとなった。 このような展開が上手くいけば、それはそれでいいのだが、見ている側として は、若干正月早々疲れてしまわないだろうか。 あくまでも私個人としては、2007年の総決算としての東京ドーム、もしく は祭りとしての不連続な、一夜かぎりの東京ドームを見たかった。つまり、こ こから何かがスタートするような展開は、あっても良いが、控えて欲しかった。 総決算としての東京ドームならば、棚橋が負けるわけにはいかなったし、お祭 りであるならばその後の統一戦は不要である。さらにいえば、そもそもベルト のかかった試合など不要であったのかもしれない。 かつての1.4東京ドームといえば、それはほとんど初詣と同じであった。つ まり、そこで新たな流れが生まれるのを見るのではなく、純粋な一試合、一試 合を楽しむようなものであった。もしくは時として、それは年の瀬の一年を振 り返りを意味するようなものであったかもしれない。 決して悪い試合があったわけではないのに、どこか不満を持たざるを得ない今 回の興行は、NEXTを示し、次の興行へのドラマを見せるという浅ましき商 売心が見え隠れした結果、お祭りムードに水を差してしまったのではないだろ うか。それこそ観客が期待したのは、中邑とアングルのNEXTを示すかたち ではなく、中邑を讃えるだけで終わる、順風満帆の展開だったのではないだろ うか。さらにいえば、アングルは非常に良いレスラーであるが、ここで中邑と の試合を考えるよりは、純粋に永田の熱戦を一つの終着点として、きれいに終 わらせるべきだったのではないだろうか。 つまり必要なのは、NEXTではなく、GOALだったのではないだろうか。 まだまだ分析がすまない1.4興行であるが、今日のところはこの辺で終了と しよう。
posted by クレメンタイン |22:46 |
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