2009年02月18日

「かっこいい! どういう結末になったか知りたい!」

「語ろう! プロレス」 //    mitu

     第107 回 「1986年のアントニオ猪木」


 彩さん、薬さん、平田さんも取り上げていた、テレビ朝日50周年記念
番組「テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負~いま明かされる舞台裏
の真実」を、珍しく家族でみた。
 プロレスハンターのうちの奥さんも、プロレスどころか、ウルトラマン
や仮面ライダーなどの戦闘ものにも興味がなく、ポケモンに夢中の幼稚園
児の子供たちも、この時ばかりは一緒。

 1970年。女子プロボウラー中山律子のパーフェクトゲーム。
 1976年。猪木・アリ戦。
 1988年。ロッテ・近鉄の川崎球場ダブルヘッダー。

 数ある名勝負のなかから、テレ朝が選んだ50年を代表する「スポーツ」
はこの3つだ。

 プロレスハンターの妻が、様々な障害を乗り越え、アリ戦を実現させ
ていった若き日の猪木を見ながら、一言。
「かっこいい!
 どういう結末になったか知りたい!」

 書籍「1976年のアントニオ猪木」にも詳しいが、この年の猪木は、
尋常でない試合を続けていた。

 2月、ミュンヘン五輪柔道金メダリスト・ルスカと初の異種格闘技戦。
 10月、ソウルで、パク・ソンナン戦。
 12月、カラチでの、ペールワン戦。
 いずれもキラー猪木のルーツともいわれる真剣勝負だ。

 当時、私は小学1年生。ルスカ戦、アリ戦はうっすらと記憶がある。
 今で言えば、オリンピックや、ワールドカップの日本代表戦をみるぐら
いの感覚で、ブラウン管にかじりついていた。
 30年以上の時を超えても、あの感動、迫力は色あせることは全くない。
 むしろ、当時明かされていなかった「事実」が明らかになればなるほど、
凄みが増してくる。


 先日、我が家でとってる新聞に、ある詩人と猪木との会見の写真が載っ
ていた。
 1986年10月。愛知での会見の様子だ。

 このとき、当時猪木は43歳。INOKI闘魂ライブでのスピンクス戦
の直前。

 UWFの復帰。
 IWGPでのアンドレからのギブアップ。
 ブロディとの最後の一騎打ち。
 年末は、藤原との恩讐タッグ。

 闘魂伝説の最終章に差し掛かったころだ。


 当時、私は高校生。もっとも多感で、いろんな事を考え、ぶつかり、
悩み、もがいていた。
 ブラウン管に映る猪木に、熱く燃えるものを投影していた。

 猪木と会見したこの詩人の著作に初めて正面から取り組み、人生につい
て前向きに、真剣に考えるようになった頃でもある。

 「原点がある人間は強い」
 この17歳の頃のいろんな体験が、私自身の人生の原点だ。 

 たった1枚の写真。でも、初めて見た写真。
 私の人生の原点を思い出させてくれたこの番組と、1枚の写真に、
 心から「ありがとう」といいたい。

posted by upro |19:17 | mitu | コメント(0) |
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2008年12月15日

ファンの熱こそ、冬を春へと転換していく力だ。

「語ろう! プロレス」 //    mitu

         第106 回 「声援」


 横浜ベイスターズの三浦大輔。ハマの番長。背番号18。
 今年のプロ野球のストーブリーグの主役の一人だった。
 奈良県出身の彼は、幼い頃は阪神タイガースのファン。お父さんに連れて
行ってもらった甲子園球場が、少年時代の思い出だとか。
 そんな彼が、手にした2度目のフリーエージェントの権利。
「もう一度、優勝争いの緊張感の中で投げてみたい。日本シリーズで戦いた
い」--
 提示された条件は、阪神が上。世間的な注目度も比べものにならない。
 最下位独走の弱小チームと、優勝争いのできるチーム。
 FA宣言後、「気持ちは五分五分」と表明していたが、十中八九阪神に行
くものだろうと、マスコミも報道していたし、誰もがそう思っていた。
 叔父さんに連れられていった川崎球場の、ホエールズ時代からのファンで
ある自分は、「残ってほしい。でも無理だろうな」と半ば、あきらめていた。
 阪神ファンの同僚に、「三浦が阪神に行ったら、野球みるのをやめる」
などと、自虐的に言ったりもしたが、実にむなしかった。やり場のない切な
さが、どうしようもなかった。

 しかし--結果は残留。
 恥ずかしながら、心で泣いた。
 思わず、心の中でガッツポーズをした。
 妻には、「あっそう。よかったね」と、冷めた目で見られたけれど・・・。
 彼女は、プロレスハンターだけでなく、ベイスターズハンターでもある。

 そんなことはともかく、ベイスターズにとって、内川の首位打者、村田の
ホームラン王しかいいことがなかった今年。私の携帯ストラップのホッシー
君は、年中泣きっぱなしだった。
 でも、最後に救われた思いだ。
 番長、ありがとう!

 残留の決め手は、と聞かれた彼は、こう語った。
「横浜が好きだったから。ファンの声援がありがたかった」
 泣かせるではないか。
 ファン感謝デーでは、直接多くのファンから「横浜に残って!」「阪神に
行かないで!」と、熱い声をかけられた。
 少年野球のファンから質問会で「阪神に行っちゃうの?」と、同僚の寺原
でも投げない剛速球を投げられたりもした。
 番長は、それを受け止めてくれた。

 お金でもない。名誉でもない。
 ファンの声が、一人の男の心を動かしたのだ。

 厳しい冬の時代が続く、プロレス界。
 そんな時代だからこそ。叫ぼうではないか。
 ファンの熱こそ、冬を春へと転換していく力だ。

posted by upro |22:05 | mitu |
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2008年11月22日

でも、彼は必ず帰ってくる。なぜなら、彼は「鉄人」だからだ。

「語ろう! プロレス」 //    mitu

        第104 回 「鉄人」


1985年11月4日。
「ジャンボ鶴田は世界史。長州力は日本史。その違いを見せてやる」--。
ジャンボ鶴田は、長州力との一騎打ちの前にこうに語った。そして、
結果は60分時間切れの引き分け。だが、試合後、リングで仁王立ちし
ていたのは鶴田。長州は立ち上がることができなかった。大物同士の
一騎打ちで、必ずしも明確な決着がつけられなかった、古き良き昭和の
時代。でも、この日の勝者は、明らかだった。若き日から世界を相手に
してきた怪物・鶴田だったのだ。

鶴田が語った「世界史」の重み。それは、力道山、馬場と受け継がれ
た、「王道」の後継者にだけ語ることが許されるものなのかもしれない。

長州達が去った全日マットでは、天龍革命の狼煙が上がる。長州が本気
にできなかった、世界史の怪物・鶴田を、天龍が目覚めさせ、全日本は
活気を取り戻す。その天龍が新天地へ旅立った後、四天王・三沢らは、
来る日も来る日も、本気になってしまった鶴田に叩きのめされながら、
確たる地位を築いていった。しかし、その怪物・鶴田も病には勝てず、
第一線から離れることになる。
その後、全日本は「鎖国」体制の中、四天王同士による、身を削るよう
な、激しく悲しいまでの消耗戦のような戦いが繰り広げられていった。
そんな、鶴田と天龍がいなくなった全日本に、私はいつの間にか、熱い
ものを感じなくなっていった。

時代は流れ、御大・馬場の逝去。そして、大量離脱があり、ノアが出発
する。でも、なんだか、悲しいくらいに激しかった全日本が物分りよく
変に洗練された感じになっただけのような気がして、いまいち乗り込め
ていけなかった。

さらに時は流れ、2005年7月18日。
ノア・東京ドーム大会。
三沢vs川田、小橋vs健介、天龍vs小川。
おそらく、後にも先にも、ノアのドーム興行でこれ以上のものはできな
いであろう、奇跡的な興行。
それまでの、私の中のさめた感じを吹き飛ばしてくれたのは、圧倒的な、
小橋と健介の、肉体と肉体の激突だった。
これこそ、究極のプロレスリングだった。

小橋も、健介も、どちらかというと好きなタイプのレスラーではなかった。
小橋は、「さわやかな、村の青年団長」。
健介は、「長州の二番煎じ」。
でも、あの夜、そんな「偏見」は吹き飛んだ。
鍛え上げられた者同士だけに許される、圧倒的な世界最高峰の戦いがそこ
にはあった。

しかし、いいことばかりは続かない。その後、小橋も、健介も、病に倒れ
ることになる。

特に小橋の背負った病は、腎臓がん--。本人の話によると、主治医から
「私は小橋さんをプロレスラーに戻すために手術したのではない。生きる
ために手術したんです」とまで言われたそうだ。想像を絶する苦しみだっ
たろう。
でも、小橋はリングに帰ってきた。

鶴田のように、世界史を背負っているわけでもない。
いうなれば、村を一歩も出たことのない、究極の好青年が小橋だ。

たとえ村の青年団長でも、鍛錬に鍛錬を重ね、宿命を乗り越え、自分に
勝った今の小橋には、鶴田にも、長州にも、三沢にもない、強く、重い、
命の奥底からにじみ出るような輝きが感じられる。
村を一歩も出なくたって、一つの道に徹し抜いた時に、人は世界市民に
なれるのだろう。

小橋は、ある雑誌のインタビューで語っていた。
「リングでは自分の生き方そのものが出るんです。だから自分ができる
ギリギリまでやりたい--小橋建太には世代交代はない。これだけは言
いたいですね」

小橋建太の現在。
いま、彼は両肘を手術し、またもや長期欠場中だ。
でも、彼は必ず帰ってくる。
なぜなら、彼は「鉄人」だからだ。

そんな彼の復帰を、心からの拍手で迎える日が、待ち遠しい。

posted by upro |05:15 | mitu |
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2008年08月14日

若林アナの、情熱と愛情に充ち満ちた実況は、私の中の「何か」を激しく揺さぶった。

「語ろう! プロレス」 //    mitu

        第103 回 「栄光の架け橋」


 栄光への架け橋を再び--。
 北京オリンピックで連覇に挑んだ、体操日本代表のテレビ中継につい
たサブタイトルだ。
 ここで、体操日本代表の実況で使われた「栄光への架け橋」との言葉。
これは、前回2004年アテネ大会のNHKテーマ曲・ゆずの「栄光の
架け橋」にちなんだ、金メダルを獲得した瞬間の名実況からくるものだ
ろう。
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」--。アテネ五
輪体操男子団体決勝、金メダルを決めた瞬間の情熱のこもった実況は、
時間を超えて、人々の心に残り続ける。
 今回、惜しくも連覇を逃した日本代表だが、「栄光の架け橋」は、胸
に輝く銀メダルとともに、確かに架かったはずだ。

 北京に沸く今年の夏--。

 でも、夏と言えばG1だった。
 今年もG1をやっている、けれど・・・・・。

 先週土曜日から始まったはずのG1。
 その日の深夜、ワールドプロレスリングの中継は、いつやったか知ら
ないけれど、ずーっと前のIWGPタッグ選手権だった。
 やる気があるのか? テレビ朝日。

 局としてのプロレス中継の姿勢もそうだが、もう一つ気になっている
ことがある。ここ数年、深夜のプロレス中継をほとんどみていないのだ
が、たまにみると、気になるのが、実況アナのレベルの低さである。

 心に残るものがない。


 この春、終了してしまったテレビ東京の深夜番組「どハッスル」に、
若林健治アナがゲスト出演していた。「ただ、プロレスの実況がした
かった」だけで、日テレをやめてしまったという若林アナ。文字通り、
人生をプロレスに捧げてしまったのだ。

 この「どハッスル」の中で、ハッスルでの天龍の試合を、若林アナが
実況をしていた。
 不覚にも、深夜ひとり、この実況を聞いて、涙がこぼれそうになった。

 言葉が魂を揺さぶり、心の奥の底にある「何か」を引き出すことがある。
若林アナの、
情熱と愛情に充ち満ちた実況は、
私の中の「何か」を激しく揺さぶった。


 おそらく、記憶にも、記録にも残らない、今年のG1。
 でも、やっぱり、それじゃあ、寂しい。

 誰でもいい。もう一度、「栄光の架け橋」を魅せてほしい。

 過去を振り返るだけでなく、今、現在進行形のプロレスで、涙を流し
てみたい。

posted by mitu |22:46 | mitu | コメント(0) |
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2008年05月18日

プロレスとは、裸の詩(うた)、心の詩、漢の詩、涙の詩、魂の詩、そして天龍の詩!

「語ろう! プロレス」  //  mitu

      第102 回 「愛別離苦の拳」


「ハッスルでも、見に行こうよ」--きっかけは、かつての観戦仲間からの
メールだった。このメンバーで、会場に行くのは、まる2年ぶりだ。

5月13日。後楽園ホール。ハッスルハウス36。

席で待ち合わせることにし、開始ちょっと前にホールに滑り込んだ。自分自
身にとっても、1年2カ月ぶりのホールでの生観戦だ。背広姿が目立つ会場
は、ほぼ満員。よく入っている。

「前説」、「開演」前のあおりビデオの後は、川田と崔による歌合戦。
川田の「望郷じょんがら」には腹を抱えて笑ったが、「これって、福祉大相
撲だよな」と、冷静にみてしまう自分がいる。

第1ハッスルの「℃」(ドシー)、第2ハッスルのHG、とそれなりに見せ
場が続く。まぁ、初っ切り、といったところか。それはそれで、楽しい。

そして、迎えたセミハッスル。
天龍・TAJIRI・崔 VS ボノちゃん・よしえちゃん・あーちゃん

会場に轟く「サンダーストーム」。このテーマを会場で聞くのも3年ぶり。
後から入場してきた、ボノちゃん組の、あえて荒谷に対して、ペットボトル
を投げつける天龍――。これまでの「オペラ」とは空気が違うぞ。

そしてゴング。
次々に選手が登場。最後の組み合わせは、天龍と荒谷だ。

荒谷を自軍コーナーに追い込んだ天龍が、かつての弟子を打ちのめす。

チョップ!チョップ!パンチ!チョップ!チョップ!パンチ!!!

荒谷の胸が赤く腫れ上がる。
骨と骨がぶつかる音が場内に重く響く。

人間、出会いがあれば、別れがある。愛別離苦は人生の常だ。
WARのエースになるはずだった男。古巣・全日本に復帰した際に、いの一
番に、連れてきた男――。「楽しい」路線で行くならそれでもいい。でも、
それに徹しているのか、貫いているのか――。
拳に込める熱い感情が、格闘技の殿堂を包んでいた。

ラリアットで3カウントを奪い、マイクをつかんだ天龍は叫んだ。
「おい荒谷! あーちゃんか? ふざけんなこの野郎! お前は相変わらず、
変わってねーなこの野郎! 中途半端なことやってやがったら・・またヤキ
を入れてやるぞこの野郎!」

拳の威力は、衰えたかもしれない。でも、天龍がかつての弟子に向けた激情
は、本物だった。
台本があろうとなかろうと、あの叫びは、少なくとも私の胸を打った。
プロレスで、生のリングで、男と男が、ぶつかり合う姿を見て、胸が熱くな
った。
叫びを聞いて、戦いを目の当たりにし、何かが、確かに何かが伝わった。

天龍のハッスル参戦は、馬場の晩年の「楽しいプロレス」の天龍版なのだと
思っていた。
しかし、風雲昇り龍・北向きの男・天龍源一郎。
いい意味で、裏切ってくれた。
明るく楽しいだけでない、激しい、熱い戦いがそこにはあった。

ホールを後にし、水道橋で一杯やった帰り道、若林健治アナの名調子が、
胸に浮かんできた。
「プロレスとは、裸の詩(うた)、心の詩、
漢の詩、涙の詩、魂の詩、そして天龍の詩!」

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posted by mitu |06:21 | mitu |
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