2008年05月06日
UWFなんて、もうどこにもない。記憶という亡骸だけになった。
「プロレスとは、桃源郷なり」 / 桃太郎
「Uの結末」
30代後半から40代のプロレスファンって、プロレスと格闘技を分離でき
ない世代だと思う。 アントニオ猪木の異種格闘技戦と、そのあとに出現した
UWFが、プロレスと格闘技の境界線を曖昧にした。
10年前にPRIDEがスタートして、スカパーでWWEが視聴できるよう
になって、日本でも格闘技とプロレスは別々に繁栄する道を得た。 かつては
格闘技では喰えない、だからプロレスをやるという人もたくさんいたが、今は
格闘技でも生活ができる。 30年前にこの環境があれば、長州力やジャンボ
鶴田だって、プロレスを選ばずに格闘技に出ていたかも知れないし、15年前
なら中西学や本田多聞が挑戦してたかも知れない。 潮の流れが変わったのな
んて、ほんの10年前のこと。 その前の10年間は、色んな事情から曖昧な
10年だったんだ。
日本で、プロレスと格闘技の橋渡しを務めたのはUWFだった。 UWFが
なかったら、ヒールホールドも、アームロックも、スリーパーも、プロレスの
痛め技のままだった。 総合格闘技でやってることは、プロレスラーが道場で
やってることだよ、と言えた。 ところが、UWFは関節技の奥深さとか、他
の格闘技の面白さを啓蒙してしまったのだ。 それは従来のプロレスと差別化
を図り、自分たちが生き残るための戦略だったのだが、一度走り出したバスは
止まらなかった。 僕たちはもっと奥深い世界を目指して、探求心のバスを走
らせた。 地球の反対側にいるグレイシーなんていう、変わり者の一家にまで
たどり着いた。
UWFの出現で従来のプロレスが追い込まれたように、グレイシーの出現で
UWFも駆逐された。 所詮、UWFもプロレスだったのだ。 そのUWFで
育った船木誠勝と田村潔司が、皮肉にも総合格闘技で闘うことになった。
船木は新日本プロレスを辞めて、UWFに移籍した。 そして、パンクラス
という格闘技団体を設立する。 僕らのバスガイドみたいな役割を果たした。
田村はUWFで生まれ、リングスを経て、今はU-STYLEを主宰している。
旅の途中で居心地のいい場所を見つけて、バスを降りた感じだ。 別々の選択
をした彼らが見せる試合はどのようなものになるのか。 同じバスに乗って、
今も行きつ戻りつしている中途半端なプロレスファンの僕には興味があった。
ふたりの「UWFへの落とし前」を目撃したかった。
結果はたった57秒で田村のTKO勝ち。 船木は後ろ向きに倒れ、完全に
敗北した。 田村はこの日、船木と勝負するために一度は降りたバスに乗った。
だから、あんな試合になった。 でも、僕が見たかったのは、船木に後戻りし
てもらう試合だった。 せめて、1ラウンドだけでも、UWFが見たかった。
ムエタイの試合のように、1ラウンドだけ様子見のファイトを見せてくれたら
よかったのに。
UWFなんて、もうどこにもない。
記憶という亡骸だけになった。
posted by 桃太郎 |08:12 |
桃太郎 |


