2010年01月31日

プロレスを数字で表すと、新しい楽しみ方が生まれる気がする。

「プロレスとは、桃源郷なり」  /  桃太郎

        「公式記録」


 いつだったか長州力がテレビ番組に出ていて、こんな質問をされていた。
 「長いですよねえ、今までに何試合くらいされてるんですか?」
 「何試合くらいですかね、数えてないのでわかりません」
 長州は、そう答えた。 プロレスファンにとっては、長州の回答も納得する
ものだけど、一般の人からしたら不思議なことだと思う。 自分が何試合して
きたのかわからないなんてね。
 野球選手だって、サッカー選手だって、ヒットの本数やシュートの数を自分
で数えているわけではない。 ちゃんと公式な記録員が記録している。 その
成績で表彰もされている。 ところが、プロレスにはそういうシステムがない。
プロレスラーは海外でも闘うから、今までに何試合して何勝何敗なのかなんて、
本人にしかわからない。 本人が記録していなければ、誰にもわからない。
 プロレスは試合内容で評価されるものだから、公式記録なんて必要ないんだ。
そう言うことはできる。 だけど、ならばなぜ、チャンピォンベルトなるもの
が必要なのだろうか。 一番強い者がチャンピォンであると言うなら、数字の
裏付けが全くないのも変な話である。 そのチャンピォンは本当に強いのかと
問われたら、証明できる材料がない。 だから、作っちゃえばいいと思う。
 今年から年間の成績を記録するのだ。 何勝何敗何分け、タッグマッチの成
績には奪フォール率、被フォール率なんてのも計算して公表しちゃう。 そう
すれば自然に序列や格付けができ、次にベルトに挑戦すべき選手も見えてくる。
もし、中西学が勝率ナンバーワンだったら、中邑真輔が「今さら遅い」と評し
ても、挑戦資格はある。 後藤洋央紀が杉浦貴に3連敗してても、新日本プロ
レスで年間最多勝の選手だったなら、またGHCベルトに挑戦するチャンスも
あるだろう。 今度、IWGPのタッグベルトに挑戦する、テリブレ、エル・
テハノ・ジュニア組だって、メキシコでの戦跡を数字で表すことができたなら、
その実力を推し量ることができる。 今のところ、ノーリミットの引き立て役
ぐらいにしか思われていないけど、本当はベルトを奪っちゃうくらいの実力者
なのかも知れないよん。 やっぱり、公式記録はあった方がいい。
 たぶん、日本人プロレスラーの最多勝は、ジャイアント馬場さんだと思うけ
れど、その記録を抜くというテーマがあれば、天龍源一郎が現役を続けている
意味も見いだせる。 藤波辰爾も、グラン浜田も、馬場さんの記録を目指して
闘ってるんだとなれば、引退なんてしなくてよくなる。
プロレスを数字で表すと、
新しい楽しみ方が生まれる気がする。
 プロレス協会の仕事は、ここから始めたらいい。

posted by upro |22:08 | 桃太郎 |
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2010年01月01日

イノキの名前を口にしたのなら、イノキを越えるキラーぶりで時代を引き寄せて欲しい。

「プロレスとは、桃源郷なり」  /  桃太郎

        「高山越え」


 1/4、東京ドーム大会で、中邑真輔は高山善廣と対戦することになった。
高山は前三冠選手権者だし、プロレス界の帝王なんて呼ばれているのだから、
ドームのメインに出るのに不足というわけじゃない。 もし、IWGP王者が
棚橋弘至で、棚橋vs高山なら、すっきり受け入れられただろう。 チャンプが
棚橋でなく中邑だから、僕は少し不満に思っている。 だって、中邑と高山は
決着がついているはずなんだ。
 2004年の1.4ドームで中邑は高山を破り、IWGPベルトを防衛し、
NWFベルトを奪取・封印している。 6年前に、もう決着がついているのだ。
もちろん、あの勝ちは完全勝利だったわけじゃなく、かろうじて掴み取ったも
のだった。 だけど、1985年のIWGPタッグリーグの優勝戦で、藤波辰
爾がアントニオ猪木からフォール勝ちを奪ったときみたいに、エポックメーキ
ングな試合になっている。 だから、もう繰り返す必要はないと思うのだ。
その「高山」は、既に乗り越えている山なのだ。
 高山は、その年のG1クライマックスで脳梗塞を患い、長期欠場することに
なる。 2年後に奇跡的な復活を果たし、グレート・ムタを倒して三冠王者に
もなったが、現在の彼が2004年の彼よりも強くなったとはとても思えない。
お腹は出てきちゃったし、動きにも機敏さがなくなった。 ピーク時の3割引
きくらいの力しか持っていない。 三沢さんの事故が起きてからは、高山にも
またアクシデントが起こりやしないかと心配してるくらいである。
 一方、中邑は心身共に成長し、確実にキャリアも積んできた。 今の中邑が
高山に負けることなどあり得ないのだ。 中邑にとって高山は、過去にクリア
したゲームみたいなもの。 前よりも早いタイムでクリアすることが、当然の
ことだと思う。 ちなみに、前回は13分55秒、羽根折り腕固めで勝ってる。
だから、今回は「10分以内にKOで勝利する」ことだ。 それができなきゃ、
落第点だと思うよ。
イノキの名前を口にしたのなら、
イノキを越えるキラーぶりで
時代を引き寄せて欲しい。
 でも、中邑が今、本当に乗り越えるべきは、高山でも、キラー・イノキでも
なく、武藤敬司だった。 ふたりの対戦成績は、武藤の2勝0敗。 全盛期を
とっくに過ぎている武藤に、中邑はまだ勝てていない。 この「高山」を早く
制覇しておきたいところだった。
 新日本プロレスは、人選を間違えたんじゃないのかなあ。
 中邑vs武藤、棚橋vs高山ならよかったのに。

posted by upro |08:34 | 桃太郎 |
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2009年11月22日

魔裟斗の引退戦の相手もK-1ヘビー級王者でよいのです。

「パンクラスを知る」 ■ 平田


「パンクラス15年の奇跡」というビデオを見ました。
パンクラスに関して私の知識は、朝プロライターのYoshiさんと
飲みに行ったときに、いろいろと教えていただいたくらいで、
冨宅選手を泉州力選手の興行で見た事がある程度であります。
ダイジェストで数々の試合を見ての感想は、どんどんスケールが
小さくなって行くという印象でした。
最初はシャムロックというすごい存在がいたんだな、
船木と鈴木は一回しかやらなかったんだという感慨、
山田学って誰なんだろう?ライガー?なんて考えながら
楽しく見ておりました。
しかし、近藤が台頭するなどいろいろドラマがありつつ、
最後に北岡ら新鋭が登場してきても、熱が伝わってきませんでした。
ダイジェストだから仕方ないかもしれませんが、船木がヒクソン
グレイシーに敗れて引退したところからおかしくなったのでしょう。
この事変以降では新日からライガー、飯塚、矢野が登場して新日勢が
全敗したことくらいが興味深い事件でした。
この全敗が鈴木を新日のリングに引きずり上げるための策だったの
かなあと、裏事情を勝手に想像して楽しみました。
同じような現象が今の総合格闘技に現れてきております。
階級制です。これはつまらない。スポーツ化する意味がわかりません。
レスリング、柔道、ボクシング、空手、テコンドー数々の階級制を
有するスポーツが存在する中で、コンスタントにテレビで放映されて
おもしろいものがどれほどあるでしょうか。
万人に受けるようなショーを期待する一般人にとって、階級は無差別級
=ヘビー級しかないというのが私の持論です。
プロレスではジュニアヘビー級がありますが、これはスピーディーな
試合展開を魅せるためであるでしょう。
プロレスにおけるヘビー級は実際には無差別級として機能しており、
丸藤や小川がGHCを戴冠したノアのような団体が人気を得ました。
新日のリングでもジュニアヘビーのレスラーがヘビー級のレスラーと
対戦したり、タッグマッチで混じって戦ったりすることがエンター
テイメント性を高めていると考えます。
橋本対ライガーのIWGP戦も許容された過去があります。

現代の総合格闘技はパンクラス等の歴史を学んで、階級制を廃すべきである。
ミノワマンがサップ、ホンマンを倒したことこそ階級制の意味の
なさを如実に表している。
本当に面白いショーが観られる時代の到来を期待します。

魔裟斗の引退戦の相手も
K-1ヘビー級王者でよいのです。

posted by upro |10:44 | 平田 |
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2009年11月22日

初代IWGPのベルトの方が現在のものよりも輝いていたのだとすれば、それはその時代のプロレスの方がリアリティーがあったからに違いない。

「リアリティー」 / 大鉄


あくまでも私個人の価値観ではあるが、プロレスにおいて一番重要な事は
リアリティーだと思う。
必ずしもリアルである必要はないが、リアリティーはなくてはならない。
リング上の試合に限って言えば、リアリティーとは説得力のことだと
言い換えても良い。例えば技の威力にしても、実際にどれだけのダメージ
を与えたかよりも、観客にどれだけダメージが伝わったかの方が重要だ。

だからレスラーは体が大きい方が良い。
単純な張り手でも、体の大きなレスラーがやると一般人とは明らかに違う
説得力がある。

で、今一番リアリティーを欠いているプロレスラーは中邑真輔だろう。
「ボマイエ」の説得力の無さについては前回述べた。打撃系の格闘技として
見れば、ただの膝蹴りで試合が決まっても不思議はない、という反論もある
かもしれないが、そうすると今度は、毎回同じ技で試合が決まることの
リアリティーが問題となるはずだ。
どう見ても「バック転補助の失敗」にしか見えないリバースパワースラム
の説得力など言うまでもないだろう。
それ以上に問題なのは、いわゆる「猪木問題」だ。

既に引退している猪木との対戦自体、全くリアリティーが無い。
長州力を電流爆破に引っ張り出した大仁田厚とは次元が違う。
当事、引退していたとはいえ、長州力は「そこ」にいた。
今、猪木は「そこ」にはいないのだ。
大体、中邑の言う「ストロングスタイル」とやらは、10年以上前に
引退している、66歳の元プロレスラーと戦うためのものなのか?
現役のIWGP王者が、闘魂ビンタをもらって喜んでいる素人と同じレベル
に見られかねないぞ。

「IWGPの輝きを取り戻すため」というのも話が見えない。
そもそも、現在の猪木はIWGP王者を名乗っている訳でもなければ、初代
IWGPのベルトを持って登場してくるわけでもない。初代だろうが現在の
物だろうが、世間一般のIWGPの認知度など、猪木個人の認知度に遠く
及ばない。仮に今、猪木と対戦して勝利できたとしても、世間一般から
見たら、タッキーの二番煎じ程度にしかならない恐れすらある。

猪木と対戦して倒せば、その認知度を奪い取れるなどという、単純で
甘いものではないのだ。初代IWGPのベルトではなく、「元気ですか!」
と「イチ、ニ、サン、ダァー!」を賭けたほうが、対世間としてはむしろ
効果が高いはずだ。

これまでの中邑の言動の端々には「プロレスだからこんなもんで良い
だろう」という意識が見え隠れしているように思えてしまう。
驚くことに、そんな中邑であっても支持するファンが少なからずいる。
きっと、私のようにプロレスにリアリティーを求めるファンは少数派
になってしまったのだろう。多くのファンはプロレスにリアリティー
など求めておらず、だから中邑のようなリアリティーを欠くレスラー
も平気で認めることが出来るのだろう。
中邑自身プロレスファンであったことは有名な話だが、そのころから
既に、ファンはプロレスにリアリティーを求めていなかったのかも
しれない。少なくとも、中邑自身はそういうタイプのファンだった
はずだ。

しかし、もし本当に中邑の言うように、
初代IWGPのベルトの方が
現在のものよりも輝いていたのだとすれば、
それはその時代のプロレスの方が
リアリティーがあったからに違いない。
中邑が本当にするべきことは、猪木との対戦などではなく、
自分自身でもっとリアリティーのある戦いを繰り広げることのはずだ。
「どうせプロレスはこんなもんだ」と思われている限り、
ベルトが輝きを増すことなどありえない。
そして、我々ファンが出来ることは、今の中邑のようなレスラーを
易々とは認めないことだ。

プロレスは決して「こんなもの」ではないはずだ。
しかし、選手やファンがそういう意識でいれば、必然的に「そんなもの」
になっていく。プロレスごときに本気になるのは、今の時代では格好悪い
事なのかもしれない。しかし、上辺だけの格好良さを求めるのであれば、
何もプロレスである必要は無い。選手もファンも本気で向かい合わなくては、
日々の地味な鍛錬と肉体の酷使を必要とするプロレスのようなジャンルは
割が合わないと思うのだが。

せっかくリアルな肉体を使って戦っているのに、バーチャルな物にしか
見られないのでは意味が無い。だったら、本当にバーチャルな物の方が
良い物が出来てしまう。プロレスファンは、プロレスをリアルな戦いと
して観るべきだ。そして、リアリティーが足りない選手に対しては厳しい
態度で臨まなくてはならない。訳知り顔で、物わかりの良いファンを
気取っても、本気で楽しめないのであればせっかくのプロレスが勿体無い。
中邑もファンも、最も猪木から自分のものにしなければならないのは、
「馬鹿になれ」の精神じゃないかな。

posted by upro |10:39 | 大鉄 |
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2009年10月25日

そう、緑のマットの「シニガミ」は”悪”じゃない。

シニガミ / bronco


~wikiより転載**************************************************
基本的に、死神は悪い存在として扱われる事が多いが、死神には
『最高神に仕える農夫』という異名もあり、この場合、死神は、「死を
迎える予定の人物が魂のみの姿で現世に彷徨い続け悪霊化するのを
防ぐ為、冥府へと導いていくという役目を持っている」といわれている。

人間の「死」は「誕生」と共に人生にとって重要な位置を占めるもので
あり、性質上「悪の存在」的な認知をされているが、殆どの場合死神は
宗教の中で最も重要な神の1つとされ、最高神もしくは次いで位の高い
神となっている場合が多く、崇拝の対象にしている宗教もある。
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彼は決して「ソレ」ではない。緑の宗主が旅立ったのは別の理由である。
だが、その時、その場には「シニガミ」がいた。

きっと、疲れすぎた宗主を冥府へ導く定めを天界から知らず知らずのうち
に受けていたんだ。「他の方法があっただろ!まだ早いだろ!」天界の主
には文句は言いたいが、それが宗主の運命とされてしまった。その運命を
伝える悲しき伝道師を、本人の意図にかかわらず演じさせられることに
なっただけなんだ。

それに耐えうる強さと優しさを備えていたから、天界の主は彼を選んだんだ。
小橋でも、秋山でも、丸藤でもなく・・・。

そう、優しくて、誰よりも強いのだ。クリスマス興行の弾け方を見ても、バイソン
という盟友への接し方を見ても、何事にも真面目で本気なんだ。誰よりも。

潮崎とのGHC戦での禊は終わった。宗主もきっと喜んでいる。白装束を
苦笑いで見つめながら。

シニガミよ、また鎌を振れ。今よりもっと。全てを吐き出せ。キミなら出来る。
キミだから出来る。そして弾けてくれ。残された仲間と共に。

宗主はソレを望んでいると思う。broncoも。みんなも。そしてワカッテル。
そう、緑のマットの「シニガミ」は”悪”じゃない。

posted by upro |22:48 | bronco |
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