2007年03月09日

最近のジェフって・・・・。

僕はイビチャ・オシム時代のジェフユナイテッド市原・千葉が好きだった。

マルキーニョス(現:鹿島)やサンドロ(逮捕:笑)を軸として、「45分間ならワールドクラス」の林(現:磐田)や当時はサブだった巻が絡み、話題の「考えて走るサッカー」をがむしゃらに体現し、中盤や最終ラインから積極的に飛び出してくる阿部(現:浦和)や佐藤勇人が作るリスクを冒して攻める攻撃サッカーは、サッカー初めて間もなかった僕の気持ちを惹きこんだ。

当時は「Jリーグのお荷物」とまで言われた千葉が、2005年にクラブ初となるタイトルの「ヤマザキナビスコカップ」をイビチャ・オシム監督にプレゼントした。
監督はPK戦を見届けずに、優勝が決まると泣いていたそうだ。
彼が監督に就任してから、チームはメキメキ力を付け、毎年優勝争いに絡めるようなチームになった。
あの頃の千葉は強かった。各ポジションに要となる選手がいて、終盤になっても走れる体力。
決してビューティフルゴールはないのだけど、試合を決めるゴールを泥臭く決め、サポーターに勝利の報告を行う。そんなチームだった。

現在のホームには主に、「フクダ電子アリーナ」だが、過去のホームだった「市原臨海競技場」では、めっぽう強かったのも覚えている。
(確か20何試合かぐらい無敗だったハズ・・・・)

それが、イビチャ・オシム監督が日本代表監督に引き抜かれ、息子であるアマル・オシムが千葉の監督に就任したとたんに、脆くも崩れ去った。
辛うじて「ヤマザキナビスコ・・・」は連覇したものの、リーグ戦では勝てない試合が続き、結局思ったとおりの成績を残せずにいた。

2006年のシーズンオフには、チームの象徴であった阿部が、イビチャ・オシムを手放したフロントに強い疑問を感じ、ビッグクラブである浦和レッズに移籍してしまった。
正にチームの核を失った千葉。
当然のようにアマル・オシムは、監督の座に君臨しているが、名監督の息子が必ずしも名監督というワケは無く、僕は少なからず彼の采配に疑問をもっている。
フロントもこのままではヤバイ。

僕は願う。時には華麗に。時には泥臭く勝利を積み重ねて続けたジェフユナイテッド市原・千葉の再来・復活を。


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posted by 中坊 |20:34 | Jリーグ分析 | コメント(16) | トラックバック(0)
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